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45. 椿を焼く、執着と憎悪の炎

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 美桜達が庄屋の屋敷でマツの話を聞いている頃、椿はシンの家の裏にある納屋を目指し逃げていた。
 
 真っ暗闇の中を、月の光と川の反射を頼りに進む。喉が焼け、ヒリヒリと痛んだ。

 それでも竹林でシンが恐ろしい目に遭ったのを間近に見ては、足を止めるわけには行かない。
 捕まれば自分も同じ目に遭わされるだろう。

「はあ……はぁ……ッ! シンさんの……役立たず……っ! どうして……私が……っ」

 度重なる盗み癖を咎められ、蔵にある座敷牢に囚われていたマツを焚き付けて、椿は美桜を傷物にしてやろうと画策した。
 
 そうすればあの美しい男が自分のモノになるのだと、これまで男に苦労して来なかった椿は信じて疑わなかったのだ。

 それが蓋を開けてみればどうだ。

 美桜に手を出す前に、どこからともなく遠夜と産土神、そして見慣れない肌の色をした男が現れた。
 そしてシンはあっけなく倒れ、目にも止まらぬ速さで竹に手足を縛られ、磔にされたのだった。

 四本の竹に縛られた両の手足が別々の方向に引っ張られ、ミチミチと音を立てて関節や筋が伸びていたのを、物陰に隠れて様子を窺っていた椿は見聞きした。

 苦痛に歪むシンの顔が提灯に照らされて、まるで鬼のような形相だった。

「あんなの……堪えられない」

 ――皆が起き出して来る頃までその手足が持てば、そのうち誰かが助けに来てくれるだろう。

 仄暗い笑みを浮かべながらそう告げた色黒の男が去った後、椿はそろそろとその場を離れ、本能的な恐怖を感じさせるような悲鳴を上げるシンを放って竹林を出たのだ。

「全部美桜のせいよ」

 椿はシンの家が見える所まで来てやっと足を止めた。まだ夜明けは来ない。年老いたシンの父親はまだ眠っているだろう。
 
 ずっと休まず駆けて来たので、肺が潰れてしまいそうなほど苦しく、喉が渇き切っている。
 井戸のそばに置いてあった桶の底に残った水を、首元が濡れるのも厭わず飲み干した。

「そう。あの子が居なければ、私が遠夜さんの所へ行っていたのに。遠夜さんの隣に立つのは、出来損ないの美桜なんか似合わないんだから」

 自分が美桜を弥兵衛の元へ送るよう産土神に進言した事など、椿はすっかり忘れているようだ。

 そして椿は普段からシンとの逢瀬に使っていた納屋へ身体を滑り込ませると、倒れ込むようにしてむしろに座る。

「はぁ……竹林でシンさんと並べてみたら、やっぱり遠夜さんの方が美丈夫だったわ。私にはシンさんなんかよりも遠夜さんの方が相応しいのよ。それなのに……遠夜さんはあんな風に美桜を抱き寄せたりして」
 
 そのまましばらくの間闇に身体を預けていた椿だったが、何故自分がこんな目に遭い、古びた納屋に逃げ込まなければならないのかという理不尽な怒りがふつふつと湧き上がってきた。

 この世の全てが自分を虐げているような気がしてならない。

「どうせ手に入らないなら……消してしまえばいいんだ」

 いつの間にか椿は、遠夜の人間離れした美しさに魅入られてしまっていた。
 そして決して報われる事のない、執着とも言える感情は、並々ならぬ憎悪となって牙を剥く。

 じっとりとした闇の中を手探りで火打道具を探す。逢瀬の時にはいつもシンが納屋の行灯に火を点けるので、大体置き場の目星はついていた。

「あの人を……誰にも……誰にも渡したくない」

 納屋に置いてあった提灯を手にし、椿は庄屋の屋敷へと来た道を戻って行く。
 つい先程までは恐怖と怒りに押し潰されそうだった心も、今は何故か気分がすっかり晴れているような気さえしたのだった。

 見慣れた門を通り過ぎ、椿は裏手の竹垣の方へとまわる。
 シンとの逢引きに使っていた秘密の出入り口近くに立つと、椿は懐から火打石と附木つけぎを取り出した。

 カチッカチッと乾いた音が響き、火口から煙が上がる。やがて附木に移した火はその先端を黒く変えながら、あっという間に大きくなっていく。

「みんな……燃えてしまえ……」

 椿が手にした附木の炎が竹垣を焼こうとした瞬間、突然つむじ風が巻き起こり、炎はまるで生き物のように竹垣と反対の方向へと舞った。

「いやあ! 熱い……っ! あつぅい!」

 あまりの熱さから目元を覆い隠すようにしてよろめく椿の方へと炎は手を伸ばし、熱風が頬と口元、首元を炙るように焼いた。

「あぁっ! 熱い! 助けて……っ!」

 あまりの熱さに尻餅をついた椿にとっては永遠にも感じられたその時間は、実のところほんの一瞬の事だった。
 不思議な事に、あれほど大きく燃え上がった炎はまるで幻だったかのように消え去ってしまう。

「う……うう……」

 椿は声にならない声で呻きながらも、近くに流れる小川を耳を頼りに探し出して、ジンジンと痛む顔を突っ込んだ。

 しばらくの間水に顔をつけたり上げたりしていたが、そっと手で痛む頬に触れてみれば、じゅくじゅくとした感触で肌が一枚剥けてしまったのだと分かる。

「う……うぅ……ッ」

 しかも喉が熱風に焼かれてしまったようで、上手く声が出せない。

 椿はとにかく早く人気のない所へ逃げねばと思った。
 火傷をした醜い顔を誰かに見られれば、それこそ恥ずかしくて生きてはいけないと思ったのだ。

「ふ……うう……っ、う……うぅ……」

 頬を小川の水で濡らした袖で隠すようにして、椿は明るくなり始めた景色の中を集落のはずれの方へと急ぐ。
 人の居ない場所に行くあてなど無いが、それでも火傷が治るまでは此処に帰って来られない。

 見えない何者かにぐいぐいと背中を押されるかのようにして、椿はどんどん早歩きになる。
 もはや自分の意思とは関係なく、身体が勝手に動いていた。

「はぁ……はあ……此処は……一体どこなのよ」

 やっと止まった足が急に重くなり、椿はその場に座り込む。いつの間にか火傷の痛みは感じなくなっていた。

「さっきのは何だったの……一体」

 まるで何かに操られるようにしてこの場所へと連れて来られたのだ。

 湿った土の斜面と時折顔を覗かせる岩。ここに来るまでの似たような景色の繰り返しに、段々と不安を覚え始める。
 木々は青々とした葉を付けた枝を四方に伸ばし、鬱蒼と生い茂る事で椿に空を見せまいとしているようだった。

 その時、バサバサと大きな音を立てて空気が震える。椿のすぐ真上だ。

「ほう、山の主め。口の聞けない人間の女房をくれてやると言うておったが、よりもだいぶ醜女じゃないか」
「あ……あぁ……」

 声の持ち主は白峰山に住まう天狗だった。白髪と白髭に包まれた顔は血のように赤く、椿は初めて目にした異形を前に恐ろしくて堪らない。

「何だ、俺の顔が恐ろしいか? しかしお前の顔も火傷で酷いものだぞ」
「ひ……ッ」

 品定めするかのようにギョロリ動かす大きな目、赤い顔の真ん中から太く長く伸びる鼻は、明らかに人の顔の造形とは違っている。

 しかしその天狗に顔の火傷が醜い醜女だと言われ、椿はギリギリと歯軋りをしてから顔を背ける。

「まあいいか。前のは確かに美しかったが、ちと口うるさかった。今度の女房は醜女でも静かなのがいいと言ったのは俺だ」
 
 背中に生えた黒い翼をはためかせながら降りて来た天狗は、恐怖と怒りに震える椿をひょいと抱え込み、びゅうんと空高く舞い上がった。

 そうしてまるで雷が落ちたかのようなを、先程まで椿が座り込んでいた辺りに向かって放つ。

「おい、お付き! 山の主に伝えておけ! また酒でも奢ってやろうと!」

 がははは! と笑う天狗の腕に抱かれた椿は、急転直下した局面に大きな衝撃を受け、ガックリと身体を弛緩し気を失ったのだった。

 

 
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