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43. 竹の仕置き
しおりを挟む声と同時に美桜の身体はぐいと後ろに引っ張られ、代わりに驚きで目を見開いたシンの身体は、無様にもごろごろと地面に転がったのだった。
「誰だ⁉︎」
怒りに打ち震えるシンの叫びに答えるより先に、美桜は自分の身体を後ろからしっかりと抱きすくめる相手が誰なのか分かってしまう。
「遠夜……さん」
強い悲しみと安堵とがいっぺんに押し寄せて、そのまま美桜はボロボロと涙を零して嗚咽を漏らす。
「美桜、遅くなってすまない」
「ふ……ぅ、うう……」
振り返って見上げた遠夜の顔は、眉根を寄せ、唇を噛んだ苦しげなものだった。
美桜はそんな遠夜の胸に頬を寄せ、嗚咽混じりで「ありがとう」と小さく呟く。
「う、わあぁ! や、やめろおぉ! どうなってるんだよぉぉぉ!」
背後から聞こえたシンの悲痛な叫び声に美桜が思わず振り向こうとしても、遠夜は美桜の身体をギュッと抱きすくめ、決してそちらを見せようとしない。
「産土神と山の主様が、美桜を傷付けた不届者に反省を促す仕置きをしているだけだ」
「産土神様と山の主様が?」
「ああ、ここは二人に任せて屋敷に戻ろう。夏だと言うのに美桜の身体はこんなにも冷え切っている」
確かに美桜の指先はジンジンと痺れるくらいに冷たくなっていたし、身体は小刻みに震えていた。
「でも、司郎の為に淡竹の葉を持って帰らないと。高い熱を出しているんです」
もぞもぞと遠夜の胸から顔を持ち上げた美桜が沈痛な面持ちで訴えると、遠夜は穏やかな笑みを浮かべて口を開く。
「心配は要らない。赤子は熱など出していないそうだ。全ては美桜を連れ出す嘘だった」
「嘘……。マツさんが?」
「ああ、美桜の姉が老婆を使って仕組んだ事らしい。とにかく屋敷へ戻ろう。話はそれからに」
美桜は悶々とした気持ちを抱えながらも、遠夜と共に竹林を後にした。
時折背後の竹林からは世にも恐ろしい叫び声がしていたが、遠夜が産土神と山の主に全て任せておけば良いというので、美桜は考えない事にする。
シンに襲われかけ、恐ろしくて今でも足に力が入りにくいのだ。遠夜に支えられてやっと歩く事が出来ている。
それくらい、心身ともに疲労していた。
屋敷に向かって遠夜と歩いていると、そのうち産土神が合流する。山の主は未だ竹林に残ってるらしい。
「おお、美桜や。可哀想に。怪我は無かったか?」
「はい、皆さんのお陰です。ありがとうございます」
「なぁに、構わんよ」
屋敷まであと半分というところまで戻って来ると、美桜は段々と恐怖が和らいで、代わりに疑問が湧いて来る。
「どうして私があの竹林に居ると分かったのですか?」
美桜がそう尋ねると、隣を歩く遠夜は気まずげな表情になってから口を開いた。
遠夜の隣を歩く産土神はいつものように髭を撫でているだけで、自分の口から話すつもりは無いようだ。
「実は……産土神に山を下りてからの美桜の様子を見守っていて欲しいと頼んでいたんだ。産土神はその気さえあればこの地で起こる事を何でも知る事が出来るから」
「そうだったのですか……」
美桜は遠夜の言葉を素直に受け取り、二人に感謝の思いさえ抱いたが、何故か遠夜は浮かない顔になってしまったのである。
「すまない、美桜。自分が会いに来れないからと、人に頼んで美桜を見張るような真似をして。不快になっただろう」
そう言って美桜の方を見た遠夜の顔は、まるで雨に濡れた野良犬の仔のようで不安げだ。
美桜が遠夜のした事を怒るとでも思っているのだろう。
「ありがとうございます。わざわざ産土神様にお願いしてくれて。産土神様も、お忙しい中を見守ってくださってありがとうございます」
その場で立ち止まった美桜が二人に向かって深々と頭を下げると、遠夜は美桜の身体を慌てて抱き起こすようにする。
「頭を上げてくれ! 私に礼など要らない。それよりも、私に怒っていないのか?」
「怒るだなんて。心配してくださったのでしょう? 嬉しいです。お陰で助かりました」
「しかし……」
「私は遠夜さんに怒ったりなんかしません」
「そうか」
心底ほっとしたように遠夜が長く息を吐き出す。美桜はそんな遠夜をじっと見つめて、それから笑顔になった。
いつの間にか震えていた指先や、冷たくなっていた身体が元に戻っている。
「なんだ、我があの不届者に天罰を下しているうちに、何やら甘ったるい雰囲気になりおって」
若い二人を見守りつつニンマリと笑う産土神の存在を忘れたかのように、見つめ合い甘い雰囲気を漂わせていた二人の背中から、突然揶揄うような言葉がかけられた。
「おお、山の主よ! 戻ったか。随分と仕置きに時間がかかったのぅ」
「当然だ。奴の身体は手足を別々の竹に縛り付け、磔にしてやったわ」
「別々の方向にしなる竹に引っ張られると、さぞや痛みを伴うだろう。山の主は相変わらず容赦ないのぅ」
産土神と山の主が交わす物騒な会話に、先程までの甘い雰囲気はすっかり霧散する。
遠夜は美桜にこれ以上血生臭い話を聞かせまいと二人を制止しようとしたが、美桜は遠夜に「大丈夫」と目配せし、山の主に向かって頭を下げた。
「山の主様、助けていただいてありがとうございました」
人の姿の山の主は美桜の言葉にどこか得意げで、腕を組んだまま口の端をクイと持ち上げ答えた。
「あんな奴でも殺せば優しい美桜が傷付くだろうと思ってな。奴には竹のこぎりを使わなかっただけ有難いと思って貰わねば」
「竹のこぎり?」
聞き慣れない言葉に美桜が思わず聞き返すと、山の主は嬉々とした表情で答えようとする。
「ああ、それはな……」
「山の主よ、今日はお付きの二人はおらんのか?」
流石にそれは産土神も美桜に聞かせるのはまずいと思ったのか、山の主の言葉を遮るようにして話題を変えた。
「あ奴らには美桜を謀った者を捕らえるよう命じてある」
「ほほぅ、抜かり無いのぅ」
「当然」
そんな二人の会話を背に聞きながら、美桜は隣を歩く遠夜の手をそっと握りしめる。
庄屋の屋敷の門が、すぐ目の前に迫っていた。
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