上 下
41 / 53

41. 椿の心

しおりを挟む

 あの夜、美桜と遠夜の逢瀬を目にした時、椿はシンに会いに屋敷を抜け出そうとしていた所だった。


 ◆◆◆
 
 
 庄屋の屋敷をぐるりと囲む塀の一部は竹垣で出来ていて、椿は人目につきにくいその場所に秘密の出入り口を設けていた。

 はじめは集落で一番美しい男を手に入れたと喜んでいたけれど、元々堕落した生活を送っていたシンが所帯を持つのを嫌がった事で雲行きが怪しくなっている。

 下女として働きに出ていた姉は庄屋の息子を籠絡し、まんまと若奥様の座に納まったのだから、自分は誰よりも美しい男と所帯を持つ事でそんな姉を見返そうと考えていたのだった。

「若旦那の顔はせいぜい十人並み。あんな男としか所帯を持てない百合姉さんも大した事ないわね」

 そう独りごちたものの、これから屋敷を抜け出してシンに会えるというのに、以前のような胸の高鳴りや湧き立つような気持ちが無くなっている事に椿は気付いていた。
 
 けれどもそれを認めてしまったら百合に負けてしまう気がして、今夜も自分の気持ちにしっかりと蓋をし、竹垣の秘密の出入り口の前で呟いた。

「私は誰よりも幸せになってやるんだから」

 昔から椿は百合が嫌いだった。

 誰からも美しいだの賢いだのと褒められる百合。そのくせ、それが当然かのように若い男相手には愛想笑い一つしない。
 自分はそんな姉の下に生まれ、比べられ、賢さでは敵わなかったから美しさと愛嬌で勝る事にした。

 父親も姉も病弱な妹ばかり気にかけて、自分の事は困った娘くらいに思っている。

 美桜なんか、生まれて来なければ良かったのに。

 そう思った事は数えきれない程ある。だって、美桜が生まれたせいで母親が死んだのだから。
 
 二人姉妹の頃はまだ良かった。その頃まだ表情が豊かだった百合は父親っ子で、椿はいつも母親を独占していた。

 それなのに、ある日母親の腹に妹が出来たのだ。そして妹が生まれたと同時に、母親を失ってしまう。
 同じ頃、百合は急に大人びて、以前は言わなかったような小言を口にするようになった。

 窮屈で窮屈で仕方がない。美桜が咳をする度、熱を出す度に心配する父親と姉を見ては、嫌な気持ちになる。

 そんな日々が続くと、自然に美桜の事も大嫌いになった。

「美桜なんか死に損ないの幽霊なんだから、おととさんの所で苦労すればいいと思ったのに。何であんなに元気になって帰って来たの」

 弥兵衛が中風になって身体が不自由になったと聞かされた時、身体が弱い美桜が行っても大した事は出来ないだろうと高を括っていた。
 あわよくば、苦労してもっと身体を壊してしまえばいいとさえ思っていたのに。

 百合が子を産んでから、弥兵衛と共に屋敷へと戻って来た美桜は、見違えるように溌剌として美しくなっていたのだ。

 椿はまた美桜の事が憎くなった。ヘラヘラ笑って話しかけてくる弥兵衛の事も、鬱陶しくて堪らなかった。

「どうして私ばっかり……」

 月明かりに照らされた椿の横顔は、すっかりいつもの威勢を失っている。
 この世で自分が一番不幸な娘なんじゃないかと、この時は本気で思っていた。

「え……?」

 微かな声がしたような気がして、庭の方へと目を向ける。
 月明かりに照らされた庭は曲線を描く松や丸い形の植木で影が多い。その中に、真っ白な肌が闇夜に映える美桜を見つけた。

「こんな時間に誰と話してるの」

 そろそろと音を立てないように移動して、美桜が向き合っている相手が見える位置に潜む。

「誰……」

 集落で一番美しいと思っていたシンなど、比べ物にならない程美しい男だった。
 長い黒髪を白い組紐で束ねたその男の、すっとした鼻筋や切れ長の瞳は椿の好みだ。

 近頃はすっかり感じなくなっていた胸の高鳴りや高揚感が、弱々しい感情に走りかけていた椿をグンと力強く引き上げる。

「やっぱり私は美しいから、神様にまで好かれているんだわ」

 美しい男が大嫌いな美桜の手を取り口元へ持っていく所を見ても、腹が立つどころかその眩い所作をまるで自分が体験しているかのようにときめいてしまう。

「どこの誰だかは知らないけれど、あの人は私のものよ。あの人だって、陰気な美桜なんかよりも私の方が良いに決まっているわ」

 しばらくの間美桜と男の様子をその場から窺っていたものの、突然つむじ風のような強い風が巻き起こり、椿は思わず自分の顔を手で覆う。
 自慢の顔が枝で傷付いたりでもしたら大変だと思ったのだ。

 次に椿が目を開けた時、ぼんやりとした顔で一人空を眺める美桜の姿がそこにあるだけであった。
 
 
しおりを挟む
感想 10

あなたにおすすめの小説

生贄の花嫁~鬼の総領様と身代わり婚~

硝子町玻璃
キャラ文芸
旧題:化け猫姉妹の身代わり婚 多くの人々があやかしの血を引く現代。 猫又族の東條家の長女である霞は、妹の雅とともに平穏な日々を送っていた。 けれどある日、雅に縁談が舞い込む。 お相手は鬼族を統べる鬼灯家の次期当主である鬼灯蓮。 絶対的権力を持つ鬼灯家に逆らうことが出来ず、両親は了承。雅も縁談を受け入れることにしたが…… 「私が雅の代わりに鬼灯家に行く。私がお嫁に行くよ!」 妹を守るために自分が鬼灯家に嫁ぐと決心した霞。 しかしそんな彼女を待っていたのは、絶世の美青年だった。

百合系サキュバス達に一目惚れされた

釧路太郎
キャラ文芸
名門零楼館高校はもともと女子高であったのだが、様々な要因で共学になって数年が経つ。 文武両道を掲げる零楼館高校はスポーツ分野だけではなく進学実績も全国レベルで見ても上位に食い込んでいるのであった。 そんな零楼館高校の歴史において今まで誰一人として選ばれたことのない“特別指名推薦”に選ばれたのが工藤珠希なのである。 工藤珠希は身長こそ平均を超えていたが、運動や学力はいたって平均クラスであり性格の良さはあるものの特筆すべき才能も無いように見られていた。 むしろ、彼女の幼馴染である工藤太郎は様々な部活の助っ人として活躍し、中学生でありながら様々な競技のプロ団体からスカウトが来るほどであった。更に、学力面においても優秀であり国内のみならず海外への進学も不可能ではないと言われるほどであった。 “特別指名推薦”の話が学校に来た時は誰もが相手を間違えているのではないかと疑ったほどであったが、零楼館高校関係者は工藤珠希で間違いないという。 工藤珠希と工藤太郎は血縁関係はなく、複雑な家庭環境であった工藤太郎が幼いころに両親を亡くしたこともあって彼は工藤家の養子として迎えられていた。 兄妹同然に育った二人ではあったが、お互いが相手の事を守ろうとする良き関係であり、恋人ではないがそれ以上に信頼しあっている。二人の関係性は苗字が同じという事もあって夫婦と揶揄されることも多々あったのだ。 工藤太郎は県外にあるスポーツ名門校からの推薦も来ていてほぼ内定していたのだが、工藤珠希が零楼館高校に入学することを決めたことを受けて彼も零楼館高校を受験することとなった。 スポーツ分野でも名をはせている零楼館高校に工藤太郎が入学すること自体は何の違和感もないのだが、本来入学する予定であった高校関係者は落胆の声をあげていたのだ。だが、彼の出自も相まって彼の意志を否定する者は誰もいなかったのである。 二人が入学する零楼館高校には外に出ていない秘密があるのだ。 零楼館高校に通う生徒のみならず、教員職員運営者の多くがサキュバスでありそのサキュバスも一般的に知られているサキュバスと違い女性を対象とした変異種なのである。 かつては“秘密の花園”と呼ばれた零楼館女子高等学校もそういった意味を持っていたのだった。 ちなみに、工藤珠希は工藤太郎の事を好きなのだが、それは誰にも言えない秘密なのである。 この作品は「小説家になろう」「カクヨム」「ノベルアッププラス」「ノベルバ」「ノベルピア」にも掲載しております。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~

菱沼あゆ
キャラ文芸
 突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。  洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。  天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。  洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。  中華後宮ラブコメディ。

幼妻は、白い結婚を解消して国王陛下に溺愛される。

秋月乃衣
恋愛
旧題:幼妻の白い結婚 13歳のエリーゼは、侯爵家嫡男のアランの元へ嫁ぐが、幼いエリーゼに夫は見向きもせずに初夜すら愛人と過ごす。 歩み寄りは一切なく月日が流れ、夫婦仲は冷え切ったまま、相変わらず夫は愛人に夢中だった。 そしてエリーゼは大人へと成長していく。 ※近いうちに婚約期間の様子や、結婚後の事も書く予定です。 小説家になろう様にも掲載しています。

【完結】神から貰ったスキルが強すぎなので、異世界で楽しく生活します!

桜もふ
恋愛
神の『ある行動』のせいで死んだらしい。私の人生を奪った神様に便利なスキルを貰い、転生した異世界で使えるチートの魔法が強すぎて楽しくて便利なの。でもね、ここは異世界。地球のように安全で自由な世界ではない、魔物やモンスターが襲って来る危険な世界……。 「生きたければ魔物やモンスターを倒せ!!」倒さなければ自分が死ぬ世界だからだ。 異世界で過ごす中で仲間ができ、時には可愛がられながら魔物を倒し、食料確保をし、この世界での生活を楽しく生き抜いて行こうと思います。 初めはファンタジー要素が多いが、中盤あたりから恋愛に入ります!!

【完結】冷酷眼鏡とウワサされる副騎士団長様が、一直線に溺愛してきますっ!

楠結衣
恋愛
触ると人の心の声が聞こえてしまう聖女リリアンは、冷酷と噂の副騎士団長のアルバート様に触ってしまう。 (リリアン嬢、かわいい……。耳も小さくて、かわいい。リリアン嬢の耳、舐めたら甘そうだな……いや寧ろ齧りたい……) 遠くで見かけるだけだったアルバート様の思わぬ声にリリアンは激しく動揺してしまう。きっと聞き間違えだったと結論付けた筈が、聖女の試験で必須な魔物についてアルバート様から勉強を教わることに──! (かわいい、好きです、愛してます) (誰にも見せたくない。執務室から出さなくてもいいですよね?) 二人きりの勉強会。アルバート様に触らないように気をつけているのに、リリアンのうっかりで毎回触れられてしまう。甘すぎる声にリリアンのドキドキが止まらない! ところが、ある日、リリアンはアルバート様の声にうっかり反応してしまう。 (まさか。もしかして、心の声が聞こえている?) リリアンの秘密を知ったアルバート様はどうなる? 二人の恋の結末はどうなっちゃうの?! 心の声が聞こえる聖女リリアンと変態あまあまな声がダダ漏れなアルバート様の、甘すぎるハッピーエンドラブストーリー。 ✳︎表紙イラストは、さらさらしるな。様の作品です。 ✳︎小説家になろうにも投稿しています♪

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

処理中です...