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32. 牛鬼の記憶〜絶望〜
しおりを挟むそれから牛鬼は山田蔵人と共に山を下り、麓にある山田蔵人所有の家で共に暮らすのだった。
集落から少し離れたこの場所は、深い竹林の奥にあって人目につく事は無い。
そこで牛鬼は人間の暮らしというものを山田蔵人から教えてもらい、まるで人間のように毎日を過ごす。
日が暮れたら眠り、日が昇ると起きた。火を起こし、人間が食べる物を食べ、薪割りや畑仕事だってした。
毎日が楽しくて仕方がない。これまでずっと憧れて来た人間の暮らし。
弱いからこそ工夫し、賢い頭で新しいものを生み出す。
竹林の奥で暮らし始めてひと月も経てば、まるで自分が人間になったかのように思えていた。
時折この家を訪れる山田蔵人から、人間の暮らしを教えてもらうのが牛鬼の楽しみになっていた。
ある時家を訪れた山田蔵人がえらく真剣な顔をしていたので、牛鬼は心配になって事情を問うた。
もうすっかり自分は山田蔵人の友だと思っていたし、まるで人間になったかのような気持ちになっていたので、いつもと違う山田蔵人の様子を心から心配していたのである。
――「牛鬼よ、私を助けてくれまいか」
初めて出来た人間の友にそう言われて、子どものように無邪気で素直な性質を持つ牛鬼は、頷く以外に無い。
――「なぁに、ほんの少し集落の人間の前に姿を現してくれるだけで良いんだ。私の言う通りにしてくれたら、悪いようにはしないから」
『しかし、どうしてそんな事をするんだ? お前以外の人間が俺の姿を見たら、きっと驚いて怖がるだろう』
――「少しずつ人間の前に現れて、お前の姿に慣れさせるんだよ。これからお前が他の人間とも友になる為の、大切な手順だ」
『そうか。それならやるよ。どうすればいい?』
◆◆◆
それからというもの、牛鬼は山田蔵人に言われた通りに時々集落へ姿を現すようになった。
はじめこそ人間達は牛鬼を見て悲鳴を上げていたものの、段々とその姿に慣れて来たのか、今では遠巻きに眺めるだけになっている。
『高清の言った通りだ。本当に人間は俺の姿に慣れて来たらしい』
この頃には山田蔵人を本名で呼ぶようになっていた牛鬼は、もしかすると本当に他の人間達とも友になれるかも知れないと思い始めていた。
いずれはあやかしや物怪の友と人間の橋渡しを自分がして、両者が仲良く暮らせる世界が来るのではないかと。
『そうなると良いな。赤シャグマも、俺に人間の友が出来たと知ったら驚くだろう』
竹林の家に暮らし始めてから、随分と長くあやかしや物怪の友とは会っていない。
赤シャグマや産土神、山の主などは付き合いが長いから、事情を話しても良いだろうかと山田蔵人に聞いてみたが、「いつかは話してもいいが、今は駄目だ」と強く言われてしまった。
初めて出来た人間の友を失いたくないばかりに、牛鬼は山田蔵人の言葉を守る事にする。
『あと少し、あと少しで高清だけじゃなく、もっと多くの人間と友になれる』
牛鬼の中には、未だに人間と自分の力の差が大きくあるという気持ちが染み付いていたのかも知れない。
人間など、自分がほんの少し力を入れれば容易く壊れてしまうような存在なのだと、庇護してやらねばならない存在なのだとさえ心の奥では思っていたのだろう。
だから油断していたのだ。人間の賢さ、人間の狡さ、人間の残酷さまでは分かっていなかった。
◆◆◆
脳天を抉られるような熱さと痛みが牛鬼を襲っていた。
切り立った崖の上で、自分の身体が友だったはずの山田蔵人に踏み締められている事に、まだ理解が追いつかない。
『高清……何故だ? どうして……』
ぐしゃり、と音がする。
凍りつくような冷たい眼差しで牛鬼を見下ろす、山田蔵人が身に付けた甲冑が鳴ったのだろうか。
それとも、友だと思っていた山田蔵人に弓で討たれ、驚いて山を滑落した時に折れた腹骨を無遠慮に踏まれた音だろうか。
――「おぞましい。化け物の癖に私の本名を気安く呼ぶな」
『どうして……? 友だと思っていたのに……』
地面に這いつくばり、体格の良い山田蔵人の体重と甲冑の重みを身に受ける牛鬼の表情は、絶望に打ちひしがれていた。
友だと思った。だから言われるがままに集落に姿を見せていた。
驚かしてしまう事はあっても決して人を襲ったりせず、遠巻きに姿を見せつけるだけの日々。
上手くいっていると信じていた。いつか自分が人間とあやかし達の架け橋となって、楽しく暮らしていける世を作れるのだと。
本当に人間と友になったと赤シャグマに話したらどんな顔をするだろうか、「お前すごいな」と笑ってくれるだろうかと考えていた。
それなのに……何故?
――「友だと? 本当にあんな戯言を間に受けてくれるとは思わなかった。愚かな化け物に感謝する。お前のお陰で私は、人間に害なす牛鬼を討った英雄となるだろう」
『たか……き……よ』
滑落の際に身体中を打ち付けた。突然の裏切りに驚いて受け身も取れなかったので、そこら中が折れている。頭から血も流していた。
今目の前が真っ赤に染まっているのも、頭から流れ出た血が目に入ったのだろう。
――「それにしても化け物というのは頑丈だな。持って来た弓を全て打ち込んで、その上あれほど滑落しても生きているとは」
山田蔵人が化け物と口にする度、牛鬼の心臓は直接ギュッと手で鷲掴みされたように痛む。
――「刀でコレを切り取るのも一苦労だったぞ。化け物退治の証拠だ。あとはお前の心の臓を突き刺して、トドメを刺してやる」
山田蔵人が手にしているのは牛鬼の角だった。赤い血が滴る角を、嬉しそうに手にして笑う山田蔵人を、牛鬼は呆然と見上げるしか出来ない。
『何故……すぐに殺さない』
――「はっ! そんなの決まっているだろう。人間と友になれるだのと馬鹿な夢を抱いた、お前の絶望する顔が見たかったからだ。化け物のくせに、過ぎた夢を持つのが悪い」
『俺は高清を……友だと……』
――「そうだろうな。あの日弓を捨て、甲冑を脱ぎ捨ててお前の前に立つのは恐ろしかったが、お陰で馬鹿なお前はコロっと騙されてくれた。牛鬼はあやかしの中でも特に馬鹿だという噂は本当だったらしいと分かって、可笑しくて堪らなかったぞ」
あちこち傷付いた牛鬼の身体は山田蔵人の足で踏みつけられ、動けない。
いや、心をズタズタに切り刻まれた状態では、とても動こうと思えないのかも知れなかった。
『初めから……お前は……』
――「出世に役立ってくれて感謝している。私の策に役立つ手頃なあやかしを探していたが、お前で良かった。英雄になる私を、これからは空から見守っていてくれ」
山田蔵人は鉄臭い匂いを放つ血濡れの刀を振り翳し、抵抗する術を持たない牛鬼の心臓目掛けて突き刺そうとした。
その時牛鬼は渾身の力を振り絞り、大きく身体を捩る。
突然の予期せぬ牛鬼の動きに山田蔵人は尻餅をつき、一方の牛鬼は崖から身を投げるようにして転げ落ち、岩肌に身体を打ちつけながら深い谷底へと落ち込んでいった。
山田蔵人が起きあがろうとしたと同時にバシャーンという叩きつけるような高い水音がして、牛鬼の身体は遥か崖下にある滝壺へと落ちたのだった。
――「ふ、ははははは! 私が手を下さずとも、絶望で自ら死んだか! つくづく馬鹿な化け物だ! はははは!」
崖下を覗き込む山田蔵人の笑い声は、山びことなってあたりにこだまする。
と同時に晴れ渡っていた空が急に暗くなり、ポツポツと音を立てて雨が降り出したと思ったら、あっという間に激しい豪雨へと変わったのだった。
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