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21. 初恋

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「どうしたんだ? 美桜。何だか元気がねえ顔してるじゃねぇか。身体が辛ぇのか?」

 昼時までの客が多い時間はあっという間に過ぎた。遅い昼食を手に美桜が弥兵衛の所へ戻って来るなり、寝床から起き上がった弥兵衛が顔を顰める。

「ううん。身体は平気。大丈夫よ」
「本当かぁ? 無理はすんなよ。五体不満足でお前に迷惑を掛けてるおらが言うのも、そりゃあ変な話だけどよ」
「ちょっと考え事をしていただけよ。さあ、おととさんは喉に詰めないように、ゆっくり食べてね」

 美桜の言葉に弥兵衛はしばらくの間訝しげな顔をしていたが、話したければそのうち話すだろうと思ったのか、昼食の握り飯をそろそろと片手で口に運び始める。

 今朝初めて遠夜の素顔を見た時、美桜は文字通り息を呑んだ。
 それでしばらくの間はまともに呼吸が出来ないくらいに胸が早鐘を打ち、喉がつっかえたようになって言葉を発する事が出来なくなったのだ。

「とても……綺麗だった」

 自分も白米の入った器と箸を手にしつつ、美桜は朝からずっと考えていた事を知らず知らずのうちに口にしていた。

「ああ? 何だって?」

 弥兵衛は自分に向かって発せられた言葉かと思って聞き返すが、当の美桜は心ここに在らずといった雰囲気で黙って粥を口に運んでいる。
 美桜のいつもと違った様子に弥兵衛は首を傾げたが、そのうち握り飯を喉に詰めないよう頬張るのに専念し始めた。

 先に昼食を終えた美桜が弥兵衛にして欲しい用事が無いかと問うが、弥兵衛は特に無いと答える。
 最近は動く方の半身だけを使って、ある程度の事は自分で出来るようになってきたのだ。

「それじゃあまた店に戻るから。何かあったら鈴を鳴らしてね」
「ああ、大丈夫だ。また誰か暇な奴が遊びに来るだろうよ」

 相変わらず弥兵衛の所へはあやかしや物怪が入れ替わり立ち替わり遊びに来るらしく、何をやっているのかは知らないが、それなりに退屈せず過ごせているらしい。

 美桜は自分が食べた食器だけが乗った盆を手に、母屋の廊下を進む。店の方からは賑やかな声が聞こえていて、まだ客は少なく無いようだ。

「遠夜さん、あんなに苦しそうな顔をして……。きっとこれまでも、私なんかよりずっと辛い思いをして来たんだわ。あの面を被る事で牛鬼の倅である自分を責め続けている」

 あの面は本物の牛鬼の頭蓋骨などでは無く、産土神がどこからか持って来たただの牛の骨だと言った。
 それでも遠夜は、どれ程の暗い思いで牛鬼の面影がある面を被り続けているのだろうか。

「遠夜さんの母親は人間で、牛鬼はその人を心から愛していた。だからこそその人が亡くなってからすぐ、遠夜さんを置き去りにして牛鬼は滝に飛び込んだのだから。本当に……牛鬼は人を食べていたのかしら……」

 一人の女を一途に愛した牛鬼の話に、年頃の娘である美桜の心が強く揺さぶられてしまったというのもある。
 けれども牛鬼が本当に人間を食糧として考えていたのなら、人間である遠夜の母親をそこまで愛する事などあるだろうか。
 
 極端な例えではあるものの、それは美桜が牛や豚、猪など人間が食糧としている動物を伴侶として愛するのと同じ。
 いくら考えてもしっくり来ないのだった。

「産土神様に話を聞く事が出来れば、もっと何か違ったものが見えて来るかも知れない」

 部外者の自分に何が出来るかは分からない。そもそも、どうしてこんなに遠夜の事を知りたいと思うのか、深く暗い場所からどうにかして助け出したいと思うのかもよく分からない。
 
 弥兵衛を助けてくれた恩人というだけならば、それは遠夜に限った事では無い。他にも様々なあやかしや物怪が、弥兵衛に力を貸してくれたのだから。

 元々人見知りなところのある美桜は、自分から積極的に深く人に関わろうとして来なかったのだ。
 幽霊だ骸骨だのと笑われ、病持ちで愚図だと怒られ続けて来た美桜は、相手に嫌われないようにするので精一杯で、望まれてもいない事に首を突っ込むような真似など絶対にしなかった。

 それならば何故……?

「私、遠夜さんの事を……」

 以前に百合が言っていた。あれは庄屋の家に嫁ぐ前の晩の事だ。
 
 椿はさっさと寝てしまっていたけれど、並んだ布団の中でなかなか寝付けなかった美桜と百合。弥兵衛は隣の部屋で大きないびきを立てていた。
 
 美桜と百合の二人は色んな事を語り合った。幼い頃からの思い出話や、亡くなった母の事。それに、恋について。

 ――「今は分からないだろうけど、美桜に心から好いた人が出来たら分かるわ。その人の為なら、何でもしてあげたくなってしまうの。たとえそれが辛く苦しい事だったとしても」

 そう話した百合の横顔は、窓から射し込む月明かりに照らされて美桜にははっきり見えていた。
 強く、そして美しい、愛を知った女の顔だった。

「ああ、これがそうなのね。百合姉さん」

 これまでここで過ごした日々で何度も感じた身体と心の違和感は、美桜の初恋が原因だったのだ。
 そう分かってさえしまえば、ずっと美桜の胸の内に溜まっていたつかえがストンと腹に落ちたような気がした。

 物心ついた時から常にどこか自信が無さそうだった美桜の横顔が、あの日の百合と同じになる。
 
 母屋から厨房へ出る引き戸の前で、美桜は一度ギュッと拳を握りしめてから戸に手を掛けた。
 同時に、胸がしっかりと膨らむくらいに息を吸い込む。引き戸の向こう側で遠夜が作るうどんの香りが、これまでに無い程心地良く鼻をくすぐった。
 

 

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