上 下
19 / 53

19. 惹かれ合う二人

しおりを挟む

 ひと月ほど前、店で発作を起こした後に産土神から言われた事が、美桜はずっと頭から離れないでいた。

 ――「忘れたのか? ワシは産土神じゃぞ。ワシが守護するあの土地で起きた事は誰よりも知っておる。その上でワシは美桜をここへ呼んだのじゃからな」

 産土神は土地の神。だからこそ、あの土地を仕切る庄屋の寛太郎ともごく親しい。むしろ代々庄屋の当主と産土神は、あの土地を守る為に協力関係のような状況にあるのだろう。

「どうして私を……」

 ここのところ美桜は店の手伝いと弥兵衛の世話に追われながらも、ずっと同じ疑問を抱き続けていた。
 あれから産土神はそれ以上の事を話してはくれなかったし、弥兵衛に尋ねてみてもそれは分からないと言うのだ。

「美桜さん……美桜さん」

 いつの間にやら思考の海にどっぷりと浸かっていた美桜を、遠夜の声が引き上げる。

「は、はい。すみません」

 慌てて顔を上げた美桜を、少し離れた所で下拵えをしていた遠夜がじっと見つめていた。
 
「体調でも悪いのですか?」
「いいえ、そんな事はありません。少し考え事をしていたのです。ごめんなさい。何でしょう?」
「もうそろそろ足踏みは終えてもいい頃かと思いますよ」
「あっ! ごめんなさい! そうですね!」

 知らず知らずのうちに考え事をしていたが、今は遠夜が作った小麦粉と塩を混ぜたうどん生地をゴザで包み、美桜が足踏みの工程をしているところだった。
 
 讃岐うどんはこの足踏み工程が非常に大切で、時間をかけてしっかりとうどん生地を踏み締め、ある程度鍛える事であの独特なしっかりとした噛みごたえのある食感が作り上げられるのである。

「うちではもっぱらおととさんがうどんを打っていたので、私達姉妹は何も知らなくて。うどんの足踏みというのは、なかなか大変な作業なのですね」

 足踏みしたうどん生地を遠夜が丸めて大きな団子状にする。そしてまたゴザを被せ、そのまま様子を見ながらしばらく寝かせるのだ。

「大変なのは足踏みだけではありません。土三寒六常五杯どさんかんろくじょうごはいと言って、季節の温度変化に合わせて生地の塩加減も変えます。そして、寝かせる時間の見極めも大切なのです」
「どさんかんろくじょうごはい……ですか」

 まるでお経のような不思議な言葉を繰り返す美桜に、遠夜は穏やかな声色で笑う。
 二人の距離は以前よりも確実に近付いているようだった。
 
「夏の土用頃には塩一杯を水三杯に溶かして濃いめの塩水に、寒い時期は六杯の水で溶かして薄めの塩水に、春と秋は塩一杯を水五杯で溶いた塩水が、うどん生地作りにちょうど良いという教えです」
「そんなにも難しい塩加減なのですね。知りませんでした」
「私も昔々に産土神から教えられて知ったのです。何かまじないの言葉のような、不思議な響きだと思いませんか?」
「ふふふ……私も同じような事を思っていました」

 常に穏やかな物言いの遠夜との会話にも、半月も経てば美桜はだいぶ慣れて来た。
 これまでは男好きの椿と違ってまともに若い男と言葉を交わして来なかった美桜だったが、遠夜とは気負わずに話す事が出来ている。
 
 それに少し前まで恐怖感や違和感のあった牛の頭蓋骨の面も、今では特に気にならなくなっているのだから不思議な事だ。

 むしろその面の奥に垣間見える遠夜の瞳や、時折赤くなる耳や首元、面の内側で発せられるくぐもった笑い声は、美桜にとって好ましいものになりつつある。

「それではうどん生地を寝かせている間に、朝食と出汁の支度をしてしまいましょうか」
「はい!」

 初日に美桜が厨房へ来た時は、遠夜が既にうどんを切るところだった。
 そこで昨日からは美桜も遠夜の起きる時間に合わせて、うどん生地を作るところから手伝わせて貰っている。

 やがて味噌汁と握り飯という朝食を作り、遠夜は厨房で、美桜は弥兵衛の所へ持って行く。
 親子二人で仲良く朝食を摂ってから、美桜は半身が不自由な弥兵衛の世話を以前よりも楽に、手際良く終わらせた。

 そうして美桜はまた厨房へ戻り、麺切りや仕込みなどをしている遠夜の手伝いをするのだ。

 美桜は弥兵衛の世話と店の手伝いを毎日しっかりしていても、ちっとも身体が辛くはなかった。
 それもこれも産土神から貰った丸薬の他に、店を訪れた僧侶の格好をしたあやかしが分けてくれた漢方薬のお陰で、常に苦しめられていた朝晩の発作がほとんど起こらなくなったからだ。

「美桜さんの咳はとても辛そうでしたから、良くなって本当に安心しました」
「私もあんまり楽になったので驚いています。以前は咳で夜も良く眠れず、寝られたと思ったら今度は朝方も苦しかったので」

 強がりなどではなく、本当に近頃の美桜は身体が軽く感じられ、常日頃付き纏っていた気だるさのようなものも無くなっている。
 その上にこけていた頬の辺りをはじめとして、心なしか美桜の身体は健康的にふっくらとしてきていたのだった。

「咳というのは存外に体力を奪い、段々と痩せ細らせてしまうのだと産土神が話していましたが。近頃は美桜さんがここに来た時よりも、ほんの少しふっくらとして来ましたか……」

 そう言って美桜の頬へと手を伸ばそうとした遠夜は、指先が頬に触れる直前でビクリと震え、さっと手を引っ込める。
 美桜は伸ばされた手から逃れようともせず、ぼうっと遠夜の方を見ていたので、伸ばされた手が引っ込められた瞬間にハッとして目を見開いた。

「すみません! つい……!」
「い、いえ……」

 美桜は顔を真っ赤にして視線を下げ、遠夜はふいっと他所を向く。
 遠夜の首筋や耳は行灯の薄明かりでもはっきり分かる程に真っ赤に染まっていて、顔を隠す面が無ければこの場に立っているのも耐えられないようだった。

 そもそも異性というものに慣れていないうぶな二人が、毎日朝から晩まで顔を合わせていれば意識し合ってしまうのも仕方がない事だろう。

「どうかしていました。私のような罪人が美桜さんのように穢れがない人に触れる事など、到底許される訳が無いのに……」

 ひとときの沈黙が落ちた後、大きく息を吐いた遠夜が泣き笑いのようにも聞こえる声で呟く。
 パッと顔を上げた美桜は、つい先程までの恥じらいも忘れて聞き返した。

「罪人……?」

 

 
しおりを挟む
感想 10

あなたにおすすめの小説

百合系サキュバス達に一目惚れされた

釧路太郎
キャラ文芸
名門零楼館高校はもともと女子高であったのだが、様々な要因で共学になって数年が経つ。 文武両道を掲げる零楼館高校はスポーツ分野だけではなく進学実績も全国レベルで見ても上位に食い込んでいるのであった。 そんな零楼館高校の歴史において今まで誰一人として選ばれたことのない“特別指名推薦”に選ばれたのが工藤珠希なのである。 工藤珠希は身長こそ平均を超えていたが、運動や学力はいたって平均クラスであり性格の良さはあるものの特筆すべき才能も無いように見られていた。 むしろ、彼女の幼馴染である工藤太郎は様々な部活の助っ人として活躍し、中学生でありながら様々な競技のプロ団体からスカウトが来るほどであった。更に、学力面においても優秀であり国内のみならず海外への進学も不可能ではないと言われるほどであった。 “特別指名推薦”の話が学校に来た時は誰もが相手を間違えているのではないかと疑ったほどであったが、零楼館高校関係者は工藤珠希で間違いないという。 工藤珠希と工藤太郎は血縁関係はなく、複雑な家庭環境であった工藤太郎が幼いころに両親を亡くしたこともあって彼は工藤家の養子として迎えられていた。 兄妹同然に育った二人ではあったが、お互いが相手の事を守ろうとする良き関係であり、恋人ではないがそれ以上に信頼しあっている。二人の関係性は苗字が同じという事もあって夫婦と揶揄されることも多々あったのだ。 工藤太郎は県外にあるスポーツ名門校からの推薦も来ていてほぼ内定していたのだが、工藤珠希が零楼館高校に入学することを決めたことを受けて彼も零楼館高校を受験することとなった。 スポーツ分野でも名をはせている零楼館高校に工藤太郎が入学すること自体は何の違和感もないのだが、本来入学する予定であった高校関係者は落胆の声をあげていたのだ。だが、彼の出自も相まって彼の意志を否定する者は誰もいなかったのである。 二人が入学する零楼館高校には外に出ていない秘密があるのだ。 零楼館高校に通う生徒のみならず、教員職員運営者の多くがサキュバスでありそのサキュバスも一般的に知られているサキュバスと違い女性を対象とした変異種なのである。 かつては“秘密の花園”と呼ばれた零楼館女子高等学校もそういった意味を持っていたのだった。 ちなみに、工藤珠希は工藤太郎の事を好きなのだが、それは誰にも言えない秘密なのである。 この作品は「小説家になろう」「カクヨム」「ノベルアッププラス」「ノベルバ」「ノベルピア」にも掲載しております。

幼妻は、白い結婚を解消して国王陛下に溺愛される。

秋月乃衣
恋愛
旧題:幼妻の白い結婚 13歳のエリーゼは、侯爵家嫡男のアランの元へ嫁ぐが、幼いエリーゼに夫は見向きもせずに初夜すら愛人と過ごす。 歩み寄りは一切なく月日が流れ、夫婦仲は冷え切ったまま、相変わらず夫は愛人に夢中だった。 そしてエリーゼは大人へと成長していく。 ※近いうちに婚約期間の様子や、結婚後の事も書く予定です。 小説家になろう様にも掲載しています。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~

菱沼あゆ
キャラ文芸
 突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。  洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。  天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。  洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。  中華後宮ラブコメディ。

フリーの祓い屋ですが、誠に不本意ながら極道の跡取りを弟子に取ることになりました

あーもんど
キャラ文芸
腕はいいが、万年金欠の祓い屋────小鳥遊 壱成。 明るくていいやつだが、時折極道の片鱗を見せる若頭────氷室 悟史。 明らかにミスマッチな二人が、ひょんなことから師弟関係に発展!? 悪霊、神様、妖など様々な者達が織り成す怪奇現象を見事解決していく! *ゆるゆる設定です。温かい目で見守っていただけると、助かります*

【完結】神から貰ったスキルが強すぎなので、異世界で楽しく生活します!

桜もふ
恋愛
神の『ある行動』のせいで死んだらしい。私の人生を奪った神様に便利なスキルを貰い、転生した異世界で使えるチートの魔法が強すぎて楽しくて便利なの。でもね、ここは異世界。地球のように安全で自由な世界ではない、魔物やモンスターが襲って来る危険な世界……。 「生きたければ魔物やモンスターを倒せ!!」倒さなければ自分が死ぬ世界だからだ。 異世界で過ごす中で仲間ができ、時には可愛がられながら魔物を倒し、食料確保をし、この世界での生活を楽しく生き抜いて行こうと思います。 初めはファンタジー要素が多いが、中盤あたりから恋愛に入ります!!

猫神と縁のお結び

甘灯
キャラ文芸
「こうやってお前と出会ったのも浅からぬ縁ゆえだろう」    忽那緒美は幼い頃に猫神と名乗る不思議な黒猫と出会った。  それから数十年後。 アラサーとなった緒美は祖母の店を譲り受けて、田舎町でひっそりとおにぎり屋「縁」を営んでいた。 ある日、店を訪ねて来た常連の老婦人と出掛ける約束を交わす。 しかし当日にやって来たのは、黒羽根友成という冷たい雰囲気を漂わせた弁護士だった。 人の心と心を繋ぐ『縁の糸』が見える緒美が紡ぐ、温かく、ちょっぴり切ない絆の物語。

【完結】冷酷眼鏡とウワサされる副騎士団長様が、一直線に溺愛してきますっ!

楠結衣
恋愛
触ると人の心の声が聞こえてしまう聖女リリアンは、冷酷と噂の副騎士団長のアルバート様に触ってしまう。 (リリアン嬢、かわいい……。耳も小さくて、かわいい。リリアン嬢の耳、舐めたら甘そうだな……いや寧ろ齧りたい……) 遠くで見かけるだけだったアルバート様の思わぬ声にリリアンは激しく動揺してしまう。きっと聞き間違えだったと結論付けた筈が、聖女の試験で必須な魔物についてアルバート様から勉強を教わることに──! (かわいい、好きです、愛してます) (誰にも見せたくない。執務室から出さなくてもいいですよね?) 二人きりの勉強会。アルバート様に触らないように気をつけているのに、リリアンのうっかりで毎回触れられてしまう。甘すぎる声にリリアンのドキドキが止まらない! ところが、ある日、リリアンはアルバート様の声にうっかり反応してしまう。 (まさか。もしかして、心の声が聞こえている?) リリアンの秘密を知ったアルバート様はどうなる? 二人の恋の結末はどうなっちゃうの?! 心の声が聞こえる聖女リリアンと変態あまあまな声がダダ漏れなアルバート様の、甘すぎるハッピーエンドラブストーリー。 ✳︎表紙イラストは、さらさらしるな。様の作品です。 ✳︎小説家になろうにも投稿しています♪

処理中です...