此処は讃岐の国の麺処あやかし屋〜幽霊と呼ばれた末娘と牛鬼の倅〜

蓮恭

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15. 初々しい掛け声

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 外が段々と白んでくる頃、遠夜はやっと用意していたうどんを全て切り終えたのだった。
 
 その間美桜は天ぷらの下ごしらえをしたりネギを切ったりしていたが、それらの作業は美桜にとって別段特別な事でも無かったので、人知れずホッと胸を撫で下ろしていたのである。
 恩返しをする為にこの場に立っているのに、庄屋の屋敷で常々言われていたように、役立たずになるのは困るからだ。

「ありがとうございます、美桜さん。下ごしらえを手伝って貰えて本当に助かります」
「いえ、お手伝い出来そうな事があって良かったです」
「とんでもない。手先の不器用な私がするよりよっぽど手早いですし、丁寧な仕事だ。私なんて、麺を均等に切るのもやっとの事で……」

 はあ……と面越しに聞こえるため息は長い。

 今日だけで幾度目か……遠夜がそうやって卑屈さを感じさせる程謙遜すると、美桜だってどう答えたら良いか分からなくなる。
 
 それでなくとも美桜は普通に仕事をして褒められる事に慣れていなかった上に、これまで彼女の周りには、遠夜のように自分を低く見積もった言動をする男は居なかったからだ。
 
 美桜の知る村の若い男衆は決して数多く無いものの、どちらかと言えば「黙って自分について来い」というような自信家の者ばかりで、そうでなくとも自尊心が高く女の前で弱音を吐くような者はなかなか居ない。

 けれども遠夜の常に自信が無さそうな言動は、同じように自らに自信が持てない美桜にとって、どこか親近感の湧くものでもある。

「遠夜さんこそ、たったお一人で店を守って来たのですから。大変な事でしょう」

 色々と考えを巡らせた上でそう言って、美桜は厨房や客席をぐるりと見回す。

 丁寧に掃除された店内には板に手書きのお品書き、よく見れば客が腰掛ける縁台はどこか無骨で、手練の職人ではなく素人が作ったようだ。
 そんな美桜の視線に気が付いたらしい遠夜は、ふっと短く息を吐くようにして笑った。

「ここは私だけの店ではありません。育ての親の産土神をはじめ、常連客のあやかし達皆で守って来た店なのです」

 これまでとは違ってはっきりとした物言いでそう告げた遠夜の言葉は、あやかし達を家族として大切に思っているのだろうという事を美桜にひしひしと感じさせる。
 
「はじめは私も不可思議な事ばかりで驚きましたけれど、親切で陽気な皆さん方を見ていて、彼らも人とそう変わらないのだと分かりました」
「そう言って貰えて有難いです。世の中には人に害をなすあやかしや物怪も居る事は確かですが、ここに来る客の中にそう悪い者は居ませんから」

 しかも美桜にとって幸いだったのは、グラグラと釜で沸く湯のおかげでここに居ると何だか喉の調子が良く、持病の咳が出にくいという事だ。
 仕事中に発作が出てしまうのを美桜は一番心配していたので、想像もしていなかった効果に密かに喜んでいる。

「おととさんの身体が良くなって山を降りられるようになるまでの間、お客さんに喜んで貰えるように一生懸命やらせていただきます」

 相変わらず牛の頭蓋骨の面で表情が窺えない遠夜に向かってそんな風に自身の決意を口にすると、美桜は客が腰掛ける縁台や畳の拭き掃除を張り切って始めた。

 遠夜は掃除に精を出す美桜の後ろ姿をしばらくの間呆けたようにして眺めていたが、ハッと我にかえると店の暖簾を表に引っ掛けに行く。

 美桜が手伝ってくれたので今日はいつもより早いが、麺処あやかし屋の開店時間とする事にしたのだ。
 ひんやりとした山の空気と眩しい朝日が、表に出た遠夜の身体を包み込む。

「なんだ、いつもより開くのが早ぇじゃねぇか」
「まあいいじゃないの。私達だっていつもより早く着いたんだから」

 店先に立つ遠夜の背後には、いつの間にやら常連客の中年夫婦が居た。
 いかつい顔付きをした夫の頭上にある耳は垂れていて、反対に妻の耳は立ち上がっている。妻の手には団子の串が握られ、二人はさも仲が良さそうに寄り添っていた。

「おはようございます。唐獅子からじしさん」

 唐獅子の夫妻は青峰山からずっと南にある地域に住んでいて、氏神様の命令によって山で働く人々を守るあやかしである。
 
 二人はいつも朝の早い時間にこの店を訪れ、うどんを三玉ずつ平らげて帰って行く。一年ほど前から熱心に通ってくれる常連だった。

「今日はかかぁの支度が早く済んでな。思ったより早く着いちまったんだが、店はもうやってるみてぇだな」
「はい、今日はたまたま早く開く事が出来たんです。どうぞお入りください。一番乗りですよ」

 元来気が短い唐獅子の夫は、開店を待たずに済んだ事を喜びながら暖簾をくぐる。妻も笑いながらその後に続いた。

 遠夜は二人の後に店内へと戻り、客に気が付いた美桜が放つ初々しい「いらっしゃいませ」の声に思わず頬を緩めたのだった。

 
 

 

 

 
 
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