此処は讃岐の国の麺処あやかし屋〜幽霊と呼ばれた末娘と牛鬼の倅〜

蓮恭

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13. あやかし達の歓喜の踊り

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 美桜が母屋から店の厨房へと足を踏み入れると、店内に残った客と遠夜が話をしている所だった。
 後ろ姿しか見えない遠夜の表情は美桜の立つ場所からは分からない。
 
 一応人に近い形を取っている客の中には、明らかにあやかしだと分かる風貌の者も多く居た。
 それらは美桜が気軽に近付く事すら出来ない程に、禍々しく恐ろしい気配を辺りに散らしている。
 
 あやかしや物怪と言えば、か弱い人間などあっという間に手にかけてしまえる存在だ。何の手立ても持たない美桜が恐ろしいと思っても仕方がない。
 それ程までに人間とは違った部類の存在なのだから。

 けれどもその場には山の主と猪達、そして産土神も居たので、何とか美桜は声を掛ける勇気が湧いて来た。
 少なくとも、彼らは美桜に優しかったのだから。

「あの……すみません」

 残念ながら遠慮がちな美桜の声は、何やら楽しそうに会話する彼らの耳に届かなかった。
 そこで厨房の中をそろそろと進み、客席のある方へと足を踏み入れると、やっとその場に居た皆が気まずそうな表情を浮かべた美桜の存在に気付いた。

「少し、よろしいでしょうか?」

 何か言いたげな美桜の様子に、振り返った遠夜がどうするべきかと悩んでいるうち、髭を撫でつつ皺だらけの目を細めた産土神が先に口を開いた。

「おお、美桜。弥兵衛とは十分に話したか?」
「はい、これも全て産土神様や遠夜さん、あやかしの皆様のお陰です。おととさんを助けていただき、本当にありがとうございました」

 か細い身体を折り曲げた美桜は、しばらくの間頭を下げ続けた。

 人間とは異なる存在の名だたる者達を前にして、その恐怖や緊張は計り知れないだろうに、それを決して表に出すまいとする美桜の姿は非常にいじらしく見える。
 彼女のぎゅっと握られた華奢な手の甲が、真っ白に血の気を失うのを遠夜は不憫に思ったらしい。

「美桜さん、どうか頭を上げてください」

 つい先程までは初めて出会った人間の女にどうやって関わったら良いか分からなかった遠夜だったが、あんまり儚げな美桜の姿に、考えるより先に思わず言葉が口をついて出てしまったのだ。
 
 だからこそ美桜が素直に頭を上げた時、遠夜は何を言ったら良いか分からず黙ってしまう羽目になった。
 かと言って美桜も遠夜が何か続きの言葉を発するのでは無いかと思って、じっと待っている。

「こりゃこりゃ遠夜よ、そう黙っていては美桜も困っておるぞ。さてはお前、美桜の美しさに見惚れておったな?」
「な……! 何を言う、産土神!」
「なぁに、本当の事じゃろ。美桜は美しい。美桜がこの店の看板娘になってくれたら、一人で店を切り盛りするお前も助かるし、ますます客も増えて繁盛するじゃろう」
「またそんな勝手な事を……! それは産土神の心配する事じゃない」

 様々なあやかしの手によって育てられたとはいえ、産土神を一番の父親のように思って育った遠夜は、相手が神だろうが何だろうが家族のように接する。
 
 しかしそれは産土神やその他のあやかしの方も同じだった。まるで父親が息子を揶揄うかのように、やいのやいのと賑やかに口を挟み始めた。

「牛鬼の倅よ、そう恥ずかしがるな」
「そうだそうだ、看板娘が居たら此処ももっと華やかな店になるだろうよ」
「べっぴんの看板娘、いいじゃねぇか。なぁ!」
「おめぇが要らねえって言うなら、俺が貰っちまうぞ」

 わあっと一気に湧き立つ店内で、美桜は何だか恥ずかしいやら居心地が悪いやらで立ち尽くしてしまう。
 それでも美桜が助けを求めるように産土神の方へと目を向けると、産土神は全てを知っているというように笑顔で頷いたので、ここに来た目的を何とか思い出す事ができたのである。

「遠夜さん!」

 わいわいと賑やかな声に負けじとして美桜が声を張り上げたので、また一気に店内はシンと静まり返った。
 緊張で震える手を握り込み、美桜は自分の思いを口にする。

「私、お役に立てるかどうかは分かりませんが、おととさんのお世話をしながら、ここで働かせていただきたいのです!」
「え……」

 勇気を振り絞って口にした美桜の言葉に驚いた遠夜の声は、歓喜に沸くあやかし達の声に掻き消された。

「やったな、牛鬼の倅!」
「こりゃめでてぇなぁ!」
「麺処あやかし屋の看板娘がとうとう決まったぞぉ!」
 
 いかにも恐ろしい姿をした青鬼も、狸の尻尾が丸出しの恰幅がいい男も、全身が毛むくじゃらの真っ黒な生き物も、山の主や猪、そして産土神までもが喜びで手を打ち踊り出す。
 そうして一気に店内はお祭り騒ぎになってしまった。

「美桜さん、本当に良いんですか? 弥兵衛さんの世話だけでも大変なのに、店の事まで手伝って貰うなんて」

 突然始まったあやかしや物怪達の歌えや踊れやの大騒ぎである。
 あまりの賑やかさに厨房まで逃げて来た美桜と遠夜は、お互いにどこかぎこちない雰囲気で向き合っていた。

「はい。おととさんも、是非そうさせて貰えと。私自身も皆様に恩返しがしたいのです。ただお役に立てるかどうかは分かりませんし、遠夜さんが迷惑だと言うのなら……」
「そんな事はありません!」

 少し悲しげな表情になって口にした美桜の言葉に、思わず大きな声で否定してしまった遠夜は、「しまった」と言うように面を片手で押さえて溜め息を吐く。
 
 一方の美桜は大きな声で否定された事に驚きはしたものの、面で隠された遠夜の表情を読み取ろうとして、じっとその動きを見つめていた。
 弥兵衛から遠夜の人となりを聞いていたから、大きな声を出されても怖くは無かったのかも知れない。

「すみません、大きな声を出してしまって。恥ずかしながら、私はこれまであやかしや物怪とばかり過ごして来たので、貴女のような人とどうやって接したら良いのか分からなくて」

 牛の頭蓋骨の形をした面を付けていても分かるくらいに、遠夜の首筋や耳までが紅く染まっていた。

「ふふ……遠夜さんは私と同じで人見知りなんですね」

 遠夜の恥じらいは美桜に真っ直ぐ伝わって来る。美桜はそれを自分と同じ人見知りなのだと思った。
 自分とよく似た生い立ちの遠夜だから、もしかすると性格だって似ているのかも知れないと考えたのだ。

「あ……まぁ、そう……かも知れません」

 ここに来て初めて見せる美桜のはにかんだような笑顔は、人慣れしない遠夜の心をこれまでに無いくらい激しく揺さぶったのだが、それを美桜が知る事は無かった。
 

 
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