6 / 53
6. 突然呼び出された美桜
しおりを挟む昨日までの数日は北風が強く、雨が降りそうで降らないおかしな天気だった。
しかし今日は風も無く、暖かな陽射しが地上に向かってさんさんと降り注いでいる。
それは相変わらず冷たい井戸の水で洗濯をする美桜の身体を、「お疲れ様」と労るように温めていた。
以前に出来ていた指先のひどいあかぎれは、百合がこっそり分けてくれた塗り薬で随分と良くなっている。お陰で指先に力が入るようになったので、これまで以上に精を出していた。
「ふう……今日は本当にあったかい」
あの日、百合が美桜に白米と味噌汁を食べさせてからというもの、毎日の食事や待遇には大きな変化があったのだ。
マツは仕置きという名の折檻をしなくなり、それどころか美桜の仕事を手伝うように他の下女に命じたりするようになった。時々猫撫で声で美桜を呼ぶ事さえある。
恐らく百合が何かしら口利きをしてくれたのだろうという事は分かっていても、美桜には誰も話してくれない。
百合に聞いてみても「早く身体を治しなさい」と言うだけなので、美桜は真面目に働く事で恩返しをしようと考えている。
「これで終わりね」
洗濯物を干し終え、うーんと背中を伸ばし額の汗を手の甲で擦ると、にわかに屋敷の中が賑やかになる。そのうちドタバタと足音を立てて下女達が縁側を走って行くのが見えた。
「お客様……かな」
庄屋の屋敷には時々大事なお客様が来る。以前からそう聞いていたので、自分も何か手伝った方が良いかと思い、マツの姿を探した。
「あ!」
「あ……! 美桜さん!」
マツを探し屋敷の廊下をうろうろしていた美桜は、下女の一人と出会い頭にぶつかりそうになる。普段は美桜に優しい言葉を掛けてくれる事もある年上の下女だ。
けれども謝るよりも先にその下女は美桜の手を引き、慌てた様子で屋敷の中をどんどん奥へと進む。
「椿さんと美桜さんを呼んで来るように、旦那さんから言われているの。でも椿さんが見つからなくて……どこに居るか知らない?」
「椿姉さんなら、お使いを頼まれたからって随分前にお屋敷を出て行きましたけど」
「お使い? ああ、また怠けているのね。仕方がないから美桜さんだけでも行くわよ。旦那さんには正直に話すしか無いわ」
「あの……私と椿姉さんが何か粗相をしたのでしょうか?」
マツならまだしも、多忙な庄屋から一介の下女が呼び出される事など滅多になく、このように慌てて呼びに来させるとなれば余程の事だろう。
美桜は百合の立場を思って、段々と頭が痛くなってくるのを感じていた。
「違うわよ! 私もよく分からないんだけど、お客様が貴女達姉妹をお呼びだそうよ。何でもとても尊くて偉いお方だとかで、私も……マツさんでさえもお客様のお顔は見ていないの」
そんな偉いお方が自分達を呼ぶ理由などますます思い当たらない。不安が募って咳の発作が出てしまいそうだ。
奥の部屋に美桜が足を踏み入れたのは、この屋敷に来た日のたった一度だけ。来客用の座敷に繋がる一層ピカピカに磨かれた廊下で、下女は美桜の手を離した。
「さあ、この先から一人で行くのよ。私はマツさんに椿さんは屋敷に居ないと伝えて来ないと。全く……椿さん、どこへ行ったのかしら」
「あの……っ、ありがとうございました!」
「いいから、行って来なさい。椿さんの事はマツさんが探していると、旦那さん達に伝えておいて」
「はい」
「それじゃあ、粗相のないようにね」
それだけ言うと下女は早足で廊下を曲がって行ってしまい、美桜はその場にポツンと取り残される。
三つ続き間になった座敷の一番奥の部屋から、微かにボソボソ言う話し声が聞こえるので、恐らくそこに行けば良いのだろう。
美桜は身なりを軽く整えてから、年季が入っているもののしっかりと丁寧に磨き上げられた廊下の先へ、そっと足を踏み出した。
0
お気に入りに追加
37
あなたにおすすめの小説
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
親AIなるあやかし様~神様が人工知能に恋するのは駄目でしょうか?~
歩く、歩く。
キャラ文芸
金運の神様であるサヨリヒメが見守る中小企業、羽山工業にて、「人に寄り添うAI」をコンセプトにした人工知能が開発された。
クェーサーと名付けられた彼に興味を持った神様は、彼に人の心を教え、自分達あやかしの世界を見聞きさせて心を育てた。
クェーサーが成長する内に、サヨリヒメは神でありながらAIの彼に恋をしてしまう。一方のクェーサーも彼女に惹かれつつあったが、人でもなく、あやかしでもない、機械なのに心を持ってしまった自分に悩むようになってしまう。
悩み、苦しみながら、人とあやかしと交流を続けていく間に、彼は「人とあやかしの架け橋」として成長していく。
人工知能と神様の、ちょっと奇妙な物語。
鬼様に生贄として捧げられたはずが、なぜか溺愛花嫁生活を送っています!?
小達出みかん
キャラ文芸
両親を亡くし、叔父一家に冷遇されていた澪子は、ある日鬼に生贄として差し出される。
だが鬼は、澪子に手を出さないばかりか、壊れ物を扱うように大事に接する。美味しいごはんに贅沢な衣装、そして蕩けるような閨事…。真意の分からぬ彼からの溺愛に澪子は困惑するが、それもそのはず、鬼は澪子の命を助けるために、何度もこの時空を繰り返していた――。
『あなたに生きていてほしい、私の愛しい妻よ』
繰り返される『やりなおし』の中で、鬼は澪子を救えるのか?
◇程度にかかわらず、濡れ場と判断したシーンはサブタイトルに※がついています
◇後半からヒーロー視点に切り替わって溺愛のネタバレがはじまります
推活♡指南〜秘密持ちVtuberはスパダリ社長の溺愛にほだされる〜
湊未来
恋愛
「同じファンとして、推し活に協力してくれ!」
「はっ?」
突然呼び出された社長室。総務課の地味メガネこと『清瀬穂花(きよせほのか)』は、困惑していた。今朝落とした自分のマスコットを握りしめ、頭を下げる美丈夫『一色颯真(いっしきそうま)』からの突然の申し出に。
しかも、彼は穂花の分身『Vチューバー花音』のコアなファンだった。
モデル顔負けのイケメン社長がヲタクで、自分のファン!?
素性がバレる訳にはいかない。絶対に……
自分の分身であるVチューバーを推すファンに、推し活指南しなければならなくなった地味メガネOLと、並々ならぬ愛を『推し』に注ぐイケメンヲタク社長とのハートフルラブコメディ。
果たして、イケメンヲタク社長は無事に『推し』を手に入れる事が出来るのか。
イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?
すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。
「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」
家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。
「私は母親じゃない・・・!」
そう言って家を飛び出した。
夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。
「何があった?送ってく。」
それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。
「俺と・・・結婚してほしい。」
「!?」
突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。
かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。
そんな彼に、私は想いを返したい。
「俺に・・・全てを見せて。」
苦手意識の強かった『営み』。
彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。
「いあぁぁぁっ・・!!」
「感じやすいんだな・・・。」
※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。
※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。
※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。
※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。
それではお楽しみください。すずなり。
月の後宮~孤高の皇帝の寵姫~
真木
恋愛
新皇帝セルヴィウスが即位の日に閨に引きずり込んだのは、まだ十三歳の皇妹セシルだった。大好きだった兄皇帝の突然の行為に混乱し、心を閉ざすセシル。それから十年後、セシルの心が見えないまま、セルヴィウスはある決断をすることになるのだが……。
後宮の棘
香月みまり
キャラ文芸
蔑ろにされ婚期をのがした25歳皇女がついに輿入り!相手は敵国の禁軍将軍。冷めた姫vs堅物男のチグハグな夫婦は帝国内の騒乱に巻き込まれていく。
☆完結しました☆
スピンオフ「孤児が皇后陛下と呼ばれるまで」の進捗と合わせて番外編を不定期に公開していきます。
第13回ファンタジー大賞特別賞受賞!
ありがとうございました!!
デリバリー・デイジー
SoftCareer
キャラ文芸
ワケ有りデリヘル嬢デイジーさんの奮闘記。
これを読むと君もデリヘルに行きたくなるかも。いや、行くんじゃなくて呼ぶんだったわ……あっ、本作品はR-15ですが、デリヘル嬢は18歳にならないと呼んじゃだめだからね。
※もちろん、内容は百%フィクションですよ!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる