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32. 共依存から抜け出す
しおりを挟む睡眠不足が祟ったのか、俺はソファーに倒れ込んだままでいつの間にか眠ってしまっていた。
ガチャリ、と玄関の鍵が開く音でハッと目が覚めた俺は、素早く起き上がり扉の方へと視線を注ぐ。
「お邪魔……します」
「……静?」
墨色の扉から一番に見えたのは、静のふわりとした茶髪。遠慮がちにもう少し扉が開かれて、そちらを凝視する俺と目が合った。
「あ、大丈夫? やっぱり寝込んでたの? 勝手に入ってごめ……」
合鍵を渡してあるのに何を遠慮してるんだか、初めてそれを使って俺の部屋へ足を踏み入れた静の雰囲気は、いつもと変わらないように見える。
俺は素早い動きでソファーから玄関までダッシュした。
今は風呂上がりのままでシャツと下着だけだけど、そんな事気にしてられなくて、目の前に現れた静に触れたくて仕方なかった。
身体を玄関扉の内側に滑り込ませた静が、まだ靴を脱いでもいないのに、その身体を強く抱き締めた。
「うわっ!」
「静……静、静……」
柔らかな髪の毛に鼻先を埋めるように、擦り寄った。いつもの静の香りにホッとする。
俺の部屋に静の方から来てくれたって事は、勝手に別れるつもりでは無さそうだと安心した。
「……慎太郎、ごめんね」
「何が」
「彰人の事」
俺の背中をポンポンと叩きながら慰めるようにする静。
慰められるべきは俺じゃなく、無理矢理元カレに襲われた静だろう。
なんで静が謝るんだ。
「沙織から聞いたよ。色々誤解もありそうだし、とりあえず説明させてくれる?」
誤解? 誤解って何の事だ? それに、俺とはスマホが壊れてたとかで連絡が取れなかったのに、いつ青木さんと話したんだろう。
考えて、青木さんが休んでいた事に思い至る。それに俺はさっきまで寝ていたから、もしかしたらその間に電話でもしたのかも知れない。
「慎太郎も、そんなんじゃ風邪引いたらダメだからさ、服着ておいでよ」
「あ……、うん。じゃあ、入って」
自分の格好を思い出して、別に裸も見られてる癖に今更恥ずかしくなる。
これから真面目な話をするのに、確かに下着とシャツじゃ格好つかないだろう。
俺は静にソファーへ座るよう勧めてから、クローゼットの中から服を取り出すとそれらを慌てて着る。
そして再びソファーへと戻った。
すると静は新しいスマホを手にして、何やらメッセージを送信しているところだった。
「それで、昨日は……」
「まずさ、僕が一番言っておきたい事を言うよ。僕は慎太郎以外とはもう寝るつもりは無いし、これから何があっても自分から離れる事はない。慎太郎が僕の事を嫌になったらその時は……また考えるよ」
静からの思わぬ宣言に、嬉しさと同時に湧き上がるのは疑念。
「でも……」
「あのね、多分慎太郎は僕が他の男と浮気したと思ってるんだろうけど、それは誤解だから」
「いや、でも『カズトヨ』って……、それに何か……静の、いやらしい声が」
確かにあの時、静のあられも無い声と、カズトヨと呼ぶ声が聞こえた。
「はぁー……。彰人がそう思わせるように仕向けたらしいけど、あの時僕と居たのは彰人の飼ってる犬だよ。ボルゾイの一豊」
「犬?」
「うん。おかしいと思ったんだ、わざわざ一豊を九州の出張まで連れて来たりして。それに、彰人は僕のスマホにワインをぶっかけて壊したんだ。その時はわざとじゃ無いって思ってたけど、信じられないよね」
わざわざ犬を連れて九州まで行って、俺に勘違いさせるような電話をかけてきて、それで静のスマホを壊した?
「何でわざわざそんな事……」
社長なら、犬じゃなくても本当に都合がいい男を準備する事も出来たはず。
俺が戻って来た静と話せば全てがバレてしまうのに、何の為にそんな事を?
「誤解で僕と慎太郎を仲違いさせるつもりだったみたい。僕が浮気してると思わせる事で慎太郎を怒らせて、慎太郎が帰って来た僕に傷つけるような言葉を言ったらそこで関係は終わるだろうって。馬鹿みたいな計画だろう」
「俺はそんな……静の事を責めるような事を言ったりなんかしない」
思わず不機嫌な口調になったが、俺が静の事を責めるはずがないんだ。
静は眉を下げ、困ったような顔をする。それから短く、息を吐くようにして笑った。
「それは慎太郎が僕を信じてくれているからでしょ。僕が元カレの事を受け入れるような尻軽だと思ってれば、それを理由に怒って離れていくだろう」
「静はそんな奴じゃ無い。俺と、約束したから」
「本当に、そう思ってくれてたんだね」
「当たり前だ」
隣に腰掛けた静の手をぎゅっと握る。
今隣にいるその存在が本物であるという事を確かめるように。
「まあ、彰人は結構ひねくれてるから。そうは考えなかったんだろうね。こんなに手の込んだ事をしてまで、君と僕の仲を引き裂きたかったんだ。それに関しては僕も悪い。彰人との事をずっと放置してきたんだから」
「今、社長は?」
「彰人と一豊はまだ九州だよ」
「え? まだ?」
「実は沙織が九州まで追いかけてきてね。彰人は今コッテリ絞られてる。僕が近々土屋エンジニアリングを退職するという事も伝えてあるから、かなり落ち込んでて、暫くは浮上出来ないだろうね」
青木さん、まさか九州まで社長を追いかけて行っていたなんて。そんな時に俺は呑気にソファーで寝てた事を、少し恥ずかしく思った。
「……って、え? 退職? 退職って、誰が?」
「僕だよ。九州の物件が終わったら土屋エンジニアリングを退職するつもり。彰人から離れて、独立しようと思って」
「本当に? それで、社長は何て?」
静は自ら社長のそばを離れて、その庇護の元から自立しようとしているのか。
「はじめは色々言ってたけど。でも、多分分かってくれたと思うよ」
「静は、どうして社長から離れようと……」
「僕は、彰人が僕の事を縛り付ける為に、いつまでも男をあてがっていた事に気付いていたんだ。そんな事をしていたら、いつまで経ってもセックスにしか自分の存在価値を見出せないままだと分かっていたのに、それでも拒絶しなかった」
静は社長との複雑に絡み合ってしまった鎖を、自分から断ち切ろうとしているんだろう。
社長の作り上げた静の居場所……居心地の良い場所から、わざわざ苦労をするかも知れない過酷な場所へとその一歩を踏み出そうとしている。
「僕らはいつの間にか共依存の関係になってた。それではお互いに決して幸せにはなれないんだ。彰人には沙織と幸せになって欲しい」
そこまで言った静はパチリと目を瞑り、同時にポロリと涙を零した。頬を伝って静の太ももに落ちた涙は、次々と歪なシミを作っていく。
「どこから間違えたんだろうね、僕たちは。おばあちゃんの言葉は、決して僕らを縛り付けるためのものじゃ無かったのに」
長いまつ毛についた涙の雫は、またポトリと静のスラックスを濡らす。
そんな様子に胸が痛くなった俺は、静の手をそっと握る。今の俺にはそれくらいしか出来る事は無い。
「気付いた時点から、やり直せばいいと思う。社長には青木さんがついてる。俺は、静が決めた事を応援するよ」
青木さんなら、これからもちゃんと社長を支えていけるだろう。社長も、本当は青木さんという存在の大切さに、もう気づいているはずだ。
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