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18. 布石
しおりを挟むふわふわの茶髪を揺らしながらキッチンに立つ水川さんの後ろ姿を見ているうちに、俺は水川さんと一緒に暮らす妄想を膨らませた。
仕事を終えて一緒に買い物へ行き、和気藹々と献立を考えながらマンションへ戻って来る。
片方が夕飯を作っているうちに、もう片方が他の家事を済ませる。お互いの得意な家事を言い合って、上手く分担してもいいな。
夕飯が出来たらそこのテーブルに二人で座って、「これ、美味しいな」なんて褒めながら一緒に食べる……。
「……くん。才谷くん。ねぇ、慎太郎!」
俺が恋する乙女みたいな妄想の海へと潜っているうちに、いつの間にか夕飯は出来上がっていたようで、水川さんが俺の肩を叩きながら下の名前を呼んだ。
「わぁっ!」
「何をそんなにびっくりしてんの。ぼーっとして、待ちくたびれた?」
「……いや、ちょっと。水川さんと同棲とかしてたらこんな風なのかなって思ったりして」
水川さんが俺の事を慎太郎と呼ぶのは、セックスの最中に気持ちが昂った時だけだ。
俺としてはプライベートな時間くらいは下の名前で呼んでくれたら嬉しいけど、水川さんはそれをしない。普段は俺が静と呼ぶ事も許してくれない。
「……さ、とりあえず食べようか」
さりげなく同棲を匂わせた俺の言葉に答えず、水川さんはフイッと視線を逸らせてしまう。
これだけ毎日会って頻繁にセックスしていても、俺と水川さんは未だ付き合ってるわけじゃない。分かっていても、こういう雰囲気になると思い知らされるようで辛い。
「水川さん、料理上手いんですね。こんな短時間にパパッと五品も作っちゃうなんて」
「家事は子どもの頃からずっとしてたからね。それに今日は簡単なものばかりだけど」
「いや、めちゃくちゃ美味いですよ。酒に合う!」
「そう? それなら良かったよ」
缶ビール片手に箸は進み、酔った様子が見えない水川さんと比べ、俺はすぐに全身が真っ赤になってフワフワしてくる。
俺は一人ご機嫌になってくだらない世間話をしているうちに、ずっと相槌を打ったりしてくれていた水川さんが、急に真剣な眼差しをこちらへと向けてくる。
「才谷くん、僕の過去については前に話したよね。覚えてくれてる?」
水川さんの過去といえば……。
中学時代に母親の再婚相手である養父から性的虐待を受けていた事。
そしてそんな日々から逃げるように、男女問わず簡単に身体の関係を持つようになり、金を貰ったりその日の宿を得るようになった事。
その後は数々の男と後腐れない関係を続けていて、恋人は作る気がないって事。
「あの日、ホテルで話してくれた事はちゃんと覚えています」
わずかに自分の声が震えたような気がした。
水川さんは何を言うつもりなのか。もしかして、俺達のこの微妙な関係はやはり嫌だと、やめたいと訴えるんだろうか。
不安が押し寄せて、胸がざわつき落ち着かない。
さっきまでのフワフワした気分が良い酔いなんて、一気にどこかへすっ飛んでしまった。
「もう少し、君には詳しく話したいと思って……」
「え……」
「僕と彰人の関係とか。病気の治療の事とか……」
「病気⁉︎ 水川さんが? え⁉︎ 大丈夫なんですか⁉︎」
まだ話の途中だというのに、俺は勢いよく立ち上がったせいで座っていた椅子をひっくり返してしまった。
「わ! すみません!」
「そんなに慌てなくても大丈夫だよ。もうほとんど治ってるからね」
「でも……どこか悪いんですか?」
心配でおかしくなりそうだった。顔が熱くなって、頭がガンガン痛み出す。
俺が椅子を起こして座り直している間、水川さんはこちらをじっと見つめていたけど、その表情は意外にも穏やかだった。
「僕はね、学生時代からセックス依存症と摂食障害を併発していたんだ。そういうのをクロスアディクションと言うんだけど、高専卒業後までそんな言葉は知らなかった。このだらしなさは生まれつきの性格だと思っていたから」
「クロスアディクション……」
「そう。誰彼構わずヤリまくる事が、まさか治療が必要な病気だなんて思わないだろう? 初めてそれを知った時、何だかおかしくて笑っちゃったよ」
クロスアディクションという言葉は初めて耳にしたが、セックス依存症や摂食障害などの言葉は聞いた事がある。
それが他の病気と同様に気の持ちようで簡単に何とか出来るものではなく、適切な治療が必要だという事も、ネットやテレビからの情報で少しは理解していた。
水川さんは自嘲めいた笑みを浮かべていた。自分を蔑むような言葉をわざわざ選んで吐き捨て、俺の反応を窺っている気がした。
「はじめは彰人が付き添って、依存症の専門医で治療を受けた。そのクリニックを探してきたのも彰人で、僕の爛れた日々を治療しようと言ってきたのも彰人だ。僕が自分の身体を自分自身で痛めつけるような事をしているのを見ていられないって」
「社長は水川さんの事をとても大事に想っているみたいですもんね」
「ははっ、ほんっと気持ち悪いでしょ? 彰人って」
「いや……」
箱庭になった寄せ植えのクマとウサギを思い出す。愛おしそうにウサギを見つめる社長は、俺に嫉妬していると言っていた。
社長は自分の気持ちは俺が抱いているような恋愛感情では無いと言っていたけど、かなり強い気持ちには違いない。
ただの元同級生というだけでは無い、二人の間には特別な何かがあるのだと感じ取った。
「水川さんと社長には……何か、強い絆みたいなものがあるように思えます。社長は、恋愛感情じゃないって言ってましたけど」
いつもはあまり自分の事を話さない水川さんが、今夜は社長との関係や過去について話してくれている。きっと、泊まるよう誘ってくれたのはこういった事を話す為だったんだと悟る。
それは俺達二人の関係を前に進める為の布石なのか、それとも……。
「僕と彰人はね、兄弟なんだ」
じっとこちらの目を覗き込むようにして水川さんが口を開く。唐突に耳に届いた言葉は、俺の頭をガツンと石で殴る程度には衝撃的だった。
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