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9. おかしくなった才谷くん

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「別に。中学時代からずっと情欲まみれの日々だから、誰かと寝てないと落ち着かないだけ。始まりは母親の再婚相手のオッサンでさ、毎日毎日エロい事してくるんだよ。そいつ、いわゆるバイってやつでね、散々身体を弄ばれたから淫乱になっちゃった」

 なんでも無い事のように語られた内容に、それを語る水川さんの感情を無くしたような面持ちに、絶句するしか無かった。

「でもさ、オッサンとのセックスは流石にキモくて。そのうち家に帰らずにその辺で男でも女でも相手を探しては、金を貰ったり泊めてもらったりするようになった。そんな事してるうちに男の方が面倒くさくなくていいなって思って、男とだけするようになったってワケ」

 気にするそぶりも見せず、水川さんは平坦な声色で淡々と語ったけれど、俺の胸の中では怒りと悲しみと相手の男に対する嫌悪感、口に表せないような負の感情が全てごちゃ混ぜになりながら渦巻いていく。

 俺の心の内なんてお見通しなのか、それとも過去に誰かへ話した時の経験なのか、水川さんはここでフッと息を吐き出すように笑って肩の力を抜く。
 茶色味の強い柔らかそうな髪をすっと手で梳いてから、今まで以上に強い光を湛えた視線を俺に向けた。
 
「可哀想とか思ってる? 僕のこと。それとも、汚い? 気持ち悪い?」

 可哀想? そんな感情なんかじゃない。俺の中で今にも漏れ出しそうになってるこれは苛立ち、怒りだ。
 汚いとか、気持ち悪いだなんていう気持ちはこれっぽっちも無く、過去を聞いても目の前の水川さんの事が綺麗だと、今すぐ抱きしめてしまいたいと思っている。

 何より過去を俺に話してくれた事で、水川さんの心の中の柔らかな部分が少しだけ見えた事が嬉しい。
 ずっと胡散臭いと思っていたあの仮面の下を今まさに曝け出してくれているんだと思うだけで、この人が愛しくて堪らなくなる。

 こんな事を思うのは、頭がおかしくなったのかも知れない。今まで自分がそれなりに恋愛だと思っていた感情が、どんなに薄っぺらなものだったのか思い知らされる。
 人間恋愛に本気になったら、こんな訳の分からない事でさえ嬉しくなるのか。

 笑えてくる。俺は本気でこの人を他の奴に渡したくない。理屈なんか関係なく、そう感じた。

「話を聞いて、正直な事言うと、嫉妬し過ぎてスゲェ腹が立ってます。そのオッサンにも、今まで水川さんと関係を持った奴らにも」
「は? 何それ。嘘つかないでいいよ、どうせ同情してるんでしょ? 汚れてる、可哀想、俺が慰めてやるって」
「慰めてやるだなんて優しい気持ちなんて、俺にはこれっぽっちもありませんよ。ただ、腹が立って仕方ないだけです。あとは、話してくれた事がスゲェ嬉しい」

 俺は元々嘘をつくのが下手くそで、口だって上手くない。本音を話すことは出来ても、飾った言葉も気の利いた嘘の言葉も言えない。
 だけどそれは水川さんが知らない事だ。俺がそういう人間だと知らない水川さんには、言葉で俺の本心を伝えるのが難しいかも知れない。

 だったら……。

「な、何? 才谷くんがアレで僕を慰めてくれるの? 確かに具合は良かったよ。どうせ今日もセフレとしようと思ってたし、君がしたいならしてもいいけど」

 ソファーから立ち上がり、水川さんの方へと近付く。水川さんは突然の事に身体をびくりと震わせて、それでも強気な表情とセリフで俺を牽制した。

「誰かと寝てないと落ち着かないなら、俺が水川さんと寝ますよ。水川さんがセックスしたいならするし、本当に寝るだけでもいいです。俺だけのものになってくれるなら、恋人じゃなくてもいいです。……今は」
「はっ! 馬鹿だね。才谷くんはさ、ハジメテの相手が忘れられないだけだ。相手がたまたま僕だったから……まぁ、それは悪かったと思ってるけど。ハジメテの快感で酔ってるだけなんだよ」
「じゃあもうそれでもいいですよ。俺の本心は違うけど、水川さんがそう思いたいならそれでもいいです。どちらにしても俺は水川さんを独占したいし、水川さんはセックスの相手が欲しい。これってウィンウィンですよね。それに、水川さんが俺だけにしてくれるなら、黙ってますよ。会社で水川さんが困らないように」

 どうせ始まりは身体だけの繋がりだったんだ。今はとにかくこの人が俺から離れないように、他の奴に抱かれないようにするにはこうするしかない。

「……口止め料が僕の身体って事?」
「俺は、水川さんの事が好きになったから独占したいだけです。今は恋人になれなくても、とにかく水川さんを誰かに渡したくない。こんな風に脅してでも今手放したくないって事です。でも、水川さんがそう思いたいならそれでもいいですよ」
「そう思いたいなら……って。さっきからそればっかりじゃないか」
「俺、口下手なんで上手いこと言えないんですよ。思った事、本心をそのまま伝える事しか。でも、水川さんがそれを信じられないなら別にいいです。とにかく今は約束さえしてくれれば」
「約束って……才谷くんだけに抱かれろって事だよね。……期限は?」

 どうやら水川さんにとって、あの会社でのイメージが崩れるのはどうしたって防ぎたい事らしい。それは俺にとっては非常に好都合で。
 だけど水川さんが嫌々俺といるのだという事を想像すると、ズキリと胸が痛んだ。

「期限は俺がいいと思うまで、ですよ。さっさと俺の事を好きになってくれたら楽だと思いますけど、そうじゃないなら地獄ですね」

 言いながらズキズキと胸が痛む。
 まるで漫画や映画のような展開に、本当に目の前のいい大人が乗ってくれるかどうかは盛大な賭けだった。
 
 

 


 
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