8 / 35
8. 水川先輩と直接対決
しおりを挟むここが静かなバーだという事を忘れて大きく息を吸い、言いたい事を口にしようとした俺の唇に、水川さんは細くて長い人差し指を当てた。
「シッ、静かにしなきゃダメだよ。ここは大人の場所だからね」
余裕を取り戻した水川さんの表情に、無性に苛立ちを覚える。
俺にはまだ、バーという場所が似合わない若造で、ついこないだまで童貞だったガキが何を言ってんだと言いたいんだろうか。
「じゃあ場所を変えましょう。前と同じラブホでいいですから」
「え? 才谷くん、どういう意味?」
「水川さんの事情、ちゃんと全部聞かせてくれないと俺は到底納得なんて出来ませんから」
「聞いても楽しくないよ。それに、僕だって同僚の君にはあまりプライベートの事を話したくないなぁ」
「その同僚のブツで、あの夜ちゃっかり楽しんだのは先輩ですよね? 俺、まだ童貞だったのに。まだ二十歳そこそこの後輩の大事なモノ、奪っておいてそれはないんじゃないですか」
別に水川さんにヤられた事が嫌だったわけじゃない。むしろそれが忘れられないでいるくらいなんだが、同僚っていう立場である俺の扱いに困ってる様子の水川さんの弱みにつけ込む形をとる。
どんな手を使ってでも、水川さんの事が知りたかった。
自分の事を困ったビッチだと言いながらも、その表情に翳りを見せる理由が。
敢えて挑戦的な表情を作る。
嘘をつくのも恋愛の駆け引きも、不器用な俺には難しいけど。
目の前で少しずつ胡散臭い仮面がひび割れてきている水川さんの視線を、心を、俺にだけ向けてもらいたいという欲望に駆られていた。
「……分かったよ。じゃあ行こうか」
水川さんは余程社内でのイメージを壊すのが嫌なのか、素直に俺の提案に乗ってくる。
ずっと恋愛は流されがちで受け身だった自分に、ここまで積極的なところがあるなんて初めて知った。
嘘をつくのも脅すような事を言うのも慣れていなくて、それが水川さんに悟られないよう視線を逸らす事に必死だ。
バーを出た後、慣れた様子でラブホに入る水川さんに複雑な思いを抱く。
他の男ともこんな風にラブホに来たりしていたんだろうかと想像するだけで、胸が掻きむしられるような気がして。本当に、自分が恋を知ったばかりのクソガキみたいで嫌になる。
部屋に入るなりネクタイを緩めた水川さんは、鞄をソファーに置いてから明るく言う。
ここに来る道中はお互いに黙ったままで、恐らく今後について考え事をしていた。水川さんはきっと同僚の俺と気まずくならないように、明るくいつも通りに接してくれようとしているのだろう。
「喉、乾いたね。水飲もうかな。才谷くん何か飲む?」
「座っててください。俺が水、取ってきます」
さっきまでの挑戦的な態度も忘れて、思わず普通に後輩らしい事を言ってしまった。
水川さんはそんな俺の様子にフワリと頬を緩める。いつもの職場でのあの作り物みたいな笑顔より、だいぶ柔らかで自然な顔だった。
「ありがとう。よろしく」
何だよ、何で今そんな風に優しく笑いかけるんだ。
俺はたったそれだけで一気に頬が熱くなるのを感じて、動きだけは平静を装ってから備え付けの冷蔵庫へ向かう。
この人と居るとこんな事ばっかりだ。
水川さんは二人掛けソファーで、俺は一人掛けに座りミネラルウォーターを口にする。
視界の端に入るベッドが、あの夜の情事を思い出させて緊張した。
しかしそんな事を思っているのは俺だけで、目の前の水川さんは何を考えているのか読めない表情で喉を潤している。
「それで、何から話せばいいの?」
一息ついたところで水川さんがそう切り出す。バーで居る時の囁くような小さな声ではなく、しっかりとした声で。
切長の瞳から向けられる視線は力強く、何かを覚悟したような思い切った口調は、元来口下手な俺をじわじわと攻め立ててくるようだ。
「水川さんはどうして恋人を作らないんですか?」
「恋人にしたいと思った相手が居なかったから」
「ああいうこと……よく知らない男と一夜限りの夜を過ごすのは良くある事なんですよね?」
「良くある、というのは人それぞれだから分からないけど。セックスをしている時だけが僕らしくいられる。だから少なくとも週の半分は誰かと寝てるかな。前は適当に引っ掛けてたけど、近頃は彰人が選んだ相手だけだと決めてる」
社長と水川さんのよく分からない関係性にますます謎が深まる。ただの友人というにはおかしな関係、俺と水川さんを執拗にくっつけたがる社長の意図も不明。
それに、内容もさる事ながら水川さんの口調はずっと平坦で、まるで他人事のように語っているのが気になる。
普通に考えれば、水川さんは何らかの心の傷やトラウマなんかを抱えているんじゃ無いかと心配になるような内容だ。
自分を痛めつけて、罰しているような、リストカットなんかの自傷行為をしているのと何が変わらないんだろう。
「それって普通……じゃないですよね。なんか、自分で自分を罰してるような、いじめてるような気がします。何か水川さんをそうさせるような理由でも?」
0
お気に入りに追加
71
あなたにおすすめの小説

【完結】ぎゅって抱っこして
かずえ
BL
幼児教育学科の短大に通う村瀬一太。訳あって普通の高校に通えなかったため、働いて貯めたお金で二年間だけでもと大学に入学してみたが、学費と生活費を稼ぎつつ学校に通うのは、考えていたよりも厳しい……。
でも、頼れる者は誰もいない。
自分で頑張らなきゃ。
本気なら何でもできるはず。
でも、ある日、金持ちの坊っちゃんと心の中で呼んでいた松島晃に苦手なピアノの課題で助けてもらってから、どうにも自分の心がコントロールできなくなって……。

いつかコントローラーを投げ出して
せんぷう
BL
オメガバース。世界で男女以外に、アルファ・ベータ・オメガと性別が枝分かれした世界で新たにもう一つの性が発見された。
世界的にはレアなオメガ、アルファ以上の神に選別されたと言われる特異種。
バランサー。
アルファ、ベータ、オメガになるかを自らの意思で選択でき、バランサーの状態ならどのようなフェロモンですら影響を受けない、むしろ自身のフェロモンにより周囲を調伏できる最強の性別。
これは、バランサーであることを隠した少年の少し不運で不思議な出会いの物語。
裏社会のトップにして最強のアルファ攻め
×
最強種バランサーであることをそれとなく隠して生活する兄弟想いな受け
※オメガバース特殊設定、追加性別有り
.
イケメン幼馴染に執着されるSub
ひな
BL
normalだと思ってた俺がまさかの…
支配されたくない 俺がSubなんかじゃない
逃げたい 愛されたくない
こんなの俺じゃない。
(作品名が長いのでイケしゅーって略していただいてOKです。)
ペイン・リリーフ
こすもす
BL
事故の影響で記憶障害になってしまった琴(こと)は、内科医の相澤に紹介された、精神科医の篠口(しのぐち)と生活を共にすることになる。
優しく甘やかしてくれる篠口に惹かれていく琴だが、彼とは、記憶を失う前にも会っていたのではないかと疑いを抱く。
記憶が戻らなくても、このまま篠口と一緒にいられたらいいと願う琴だが……。
★7:30と18:30に更新予定です(*´艸`*)
★素敵な表紙は らテて様✧︎*。
☆過去に書いた自作のキャラクターと、苗字や名前が被っていたことに気付きました……全く別の作品ですのでご了承ください!

[完結]ひきこもり執事のオンオフスイッチ!あ、今それ押さないでくださいね!
小葉石
BL
有能でも少しおバカなシェインは自分の城(ひきこもり先)をゲットするべく今日も全力で頑張ります!
応募した執事面接に即合格。
雇い主はこの国の第3王子ガラット。
人嫌いの曰く付き、長く続いた使用人もいないと言うが、今、目の前の主はニッコニコ。
あれ?聞いていたのと違わない?色々と違わない?
しかし!どんな主人であろうとも、シェインの望みを叶えるために、完璧な執事をこなして見せます!
勿論オフはキッチリいただきますね。あ、その際は絶対に呼ばないでください!
*第9回BL小説大賞にエントリーしてみました。
よく効くお薬〜偏頭痛持ちの俺がエリートリーマンに助けられた話〜
高菜あやめ
BL
【マイペース美形商社マン×頭痛持ち平凡清掃員】千野はフリーのプログラマーだが収入が少ないため、夜は商社ビルで清掃員のバイトをしてる。ある日体調不良で階段から落ちた時、偶然居合わせた商社の社員・津和に助けられ……偏頭痛持ちの主人公が、エリート商社マンに世話を焼かれつつ癒される甘めの話です◾️スピンオフ1【社交的爽やかイケメン営業マン×胃弱で攻めに塩対応なSE】千野のチームの先輩SE太田が主人公です◾️スピンオフ2【元モデルの実業家×低血圧の営業マン】千野と太田のプロジェクトチーム担当営業・片瀬とその幼馴染・白石の恋模様です
お弁当屋さんの僕と強面のあなた
寺蔵
BL
社会人×18歳。
「汚い子」そう言われ続け、育ってきた水無瀬葉月。
高校を卒業してようやく両親から離れ、
お弁当屋さんで仕事をしながら生活を始める。
そのお店に毎朝お弁当を買いに来る強面の男、陸王遼平と徐々に仲良くなって――。
プリンも食べたこと無い、ドリンクバーにも行った事のない葉月が遼平にひたすら甘やかされる話です(*´∀`*)
地味な子が綺麗にしてもらったり幸せになったりします。
大嫌いだったアイツの子なんか絶対に身籠りません!
みづき
BL
国王の妾の子として、宮廷の片隅で母親とひっそりと暮らしていたユズハ。宮廷ではオメガの子だからと『下層の子』と蔑まれ、次期国王の子であるアサギからはしょっちゅういたずらをされていて、ユズハは大嫌いだった。
そんなある日、国王交代のタイミングで宮廷を追い出されたユズハ。娼館のスタッフとして働いていたが、十八歳になり、男娼となる。
初めての夜、客として現れたのは、幼い頃大嫌いだったアサギ、しかも「俺の子を孕め」なんて言ってきて――絶対に嫌! と思うユズハだが……
架空の近未来世界を舞台にした、再会から始まるオメガバースです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる