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8. 水川先輩と直接対決
しおりを挟むここが静かなバーだという事を忘れて大きく息を吸い、言いたい事を口にしようとした俺の唇に、水川さんは細くて長い人差し指を当てた。
「シッ、静かにしなきゃダメだよ。ここは大人の場所だからね」
余裕を取り戻した水川さんの表情に、無性に苛立ちを覚える。
俺にはまだ、バーという場所が似合わない若造で、ついこないだまで童貞だったガキが何を言ってんだと言いたいんだろうか。
「じゃあ場所を変えましょう。前と同じラブホでいいですから」
「え? 才谷くん、どういう意味?」
「水川さんの事情、ちゃんと全部聞かせてくれないと俺は到底納得なんて出来ませんから」
「聞いても楽しくないよ。それに、僕だって同僚の君にはあまりプライベートの事を話したくないなぁ」
「その同僚のブツで、あの夜ちゃっかり楽しんだのは先輩ですよね? 俺、まだ童貞だったのに。まだ二十歳そこそこの後輩の大事なモノ、奪っておいてそれはないんじゃないですか」
別に水川さんにヤられた事が嫌だったわけじゃない。むしろそれが忘れられないでいるくらいなんだが、同僚っていう立場である俺の扱いに困ってる様子の水川さんの弱みにつけ込む形をとる。
どんな手を使ってでも、水川さんの事が知りたかった。
自分の事を困ったビッチだと言いながらも、その表情に翳りを見せる理由が。
敢えて挑戦的な表情を作る。
嘘をつくのも恋愛の駆け引きも、不器用な俺には難しいけど。
目の前で少しずつ胡散臭い仮面がひび割れてきている水川さんの視線を、心を、俺にだけ向けてもらいたいという欲望に駆られていた。
「……分かったよ。じゃあ行こうか」
水川さんは余程社内でのイメージを壊すのが嫌なのか、素直に俺の提案に乗ってくる。
ずっと恋愛は流されがちで受け身だった自分に、ここまで積極的なところがあるなんて初めて知った。
嘘をつくのも脅すような事を言うのも慣れていなくて、それが水川さんに悟られないよう視線を逸らす事に必死だ。
バーを出た後、慣れた様子でラブホに入る水川さんに複雑な思いを抱く。
他の男ともこんな風にラブホに来たりしていたんだろうかと想像するだけで、胸が掻きむしられるような気がして。本当に、自分が恋を知ったばかりのクソガキみたいで嫌になる。
部屋に入るなりネクタイを緩めた水川さんは、鞄をソファーに置いてから明るく言う。
ここに来る道中はお互いに黙ったままで、恐らく今後について考え事をしていた。水川さんはきっと同僚の俺と気まずくならないように、明るくいつも通りに接してくれようとしているのだろう。
「喉、乾いたね。水飲もうかな。才谷くん何か飲む?」
「座っててください。俺が水、取ってきます」
さっきまでの挑戦的な態度も忘れて、思わず普通に後輩らしい事を言ってしまった。
水川さんはそんな俺の様子にフワリと頬を緩める。いつもの職場でのあの作り物みたいな笑顔より、だいぶ柔らかで自然な顔だった。
「ありがとう。よろしく」
何だよ、何で今そんな風に優しく笑いかけるんだ。
俺はたったそれだけで一気に頬が熱くなるのを感じて、動きだけは平静を装ってから備え付けの冷蔵庫へ向かう。
この人と居るとこんな事ばっかりだ。
水川さんは二人掛けソファーで、俺は一人掛けに座りミネラルウォーターを口にする。
視界の端に入るベッドが、あの夜の情事を思い出させて緊張した。
しかしそんな事を思っているのは俺だけで、目の前の水川さんは何を考えているのか読めない表情で喉を潤している。
「それで、何から話せばいいの?」
一息ついたところで水川さんがそう切り出す。バーで居る時の囁くような小さな声ではなく、しっかりとした声で。
切長の瞳から向けられる視線は力強く、何かを覚悟したような思い切った口調は、元来口下手な俺をじわじわと攻め立ててくるようだ。
「水川さんはどうして恋人を作らないんですか?」
「恋人にしたいと思った相手が居なかったから」
「ああいうこと……よく知らない男と一夜限りの夜を過ごすのは良くある事なんですよね?」
「良くある、というのは人それぞれだから分からないけど。セックスをしている時だけが僕らしくいられる。だから少なくとも週の半分は誰かと寝てるかな。前は適当に引っ掛けてたけど、近頃は彰人が選んだ相手だけだと決めてる」
社長と水川さんのよく分からない関係性にますます謎が深まる。ただの友人というにはおかしな関係、俺と水川さんを執拗にくっつけたがる社長の意図も不明。
それに、内容もさる事ながら水川さんの口調はずっと平坦で、まるで他人事のように語っているのが気になる。
普通に考えれば、水川さんは何らかの心の傷やトラウマなんかを抱えているんじゃ無いかと心配になるような内容だ。
自分を痛めつけて、罰しているような、リストカットなんかの自傷行為をしているのと何が変わらないんだろう。
「それって普通……じゃないですよね。なんか、自分で自分を罰してるような、いじめてるような気がします。何か水川さんをそうさせるような理由でも?」
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