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7. ビッチなんです
しおりを挟むあの日と同じバーで、俺は一人水川さんを待つ。
このバーに辿り着くまで、実は店がどこか分からずに迷いに迷った。この前は社長に連れられて何となくここに来た上に、スナックで飲んだ酒で酔っていたから道順なんて到底覚えていなかったから。
スナックレインからああでもないこうでもないとウロウロしているうちに、やっとの事で見覚えのある黒の壁、取っ手と足元に金色の金属をあしらった扉を見つけた。
扉に書かれた文字は『BAR ラナンキュラス』。
重たいドアを開いて足を踏み入れた時、耳の奥に自分の鼓動がうるさいほど響いていた。
ここに着いた時には定時で仕事が終わってだいぶ時間が経っていた。俺がこの店を探しているうち、先に水川さんの方がここへ来ているかと思ったのに、そう広くはない店内に水川さんの姿は無かった。
もしかしたら、来てくれないのかもな。
そんな事を考えながらもう三十分が過ぎる。ぼんやりとグラスの中の氷を見つめていると、重たい扉が開く音がした。
反射的に目をやると昼間と同じ不機嫌な様子の水川さんの姿があって、何となく俺は姿勢を正しサッとテーブルへと視線を落とした。
「……まだ待ってたんだ」
近づいて来つつ小さな声で水川さんがそう呟いたのが、緊張する俺の耳にはしっかりと聞こえてしまう。
あの日の『静』もひやりと冷たい目をしていたけど、どこかに熱っぽさがあった。
けれど今俺のすぐ近くにいる水川さんからは、心底面倒臭い事になったというような硬い雰囲気が伝わってくる。
「お、お疲れ様です」
「お疲れ様」
何となく前と同じカウンターでは落ち着かないと、今日はテーブル席についた俺の隣に腰掛けた水川さんはジントニックをオーダーする。
その時バーテンダーに向けて愛想の良い笑顔を見せた事に、チクリと胸が痛んだ。我ながら気持ち悪いほどの嫉妬心だ。
「それで、説明って何をして欲しいのかな? 僕が男に抱かれるのが好きな理由? それとも、後輩である才谷くんをホテルに連れ込んだ理由?」
少し掠れて囁くように尋ねるその声に、あの夜乱れていた静の声を思い出す。
たったそれだけでおかしな気分になりそうだった俺は、何とか平静を保つ為にも話に集中する。
「まず、社長に騙されたって何ですか?」
「彰人にはいつもセックスの相手を探してもらってて……まぁ簡単に言えば、一夜限りの体の関係を結べる都合の良い相手ってやつ。あの日も『静好みの子がいるよ』って言われたからてっきりそうだと思ったんだ。それがまさかうちの新入社員だったとはね」
「水川さんの好みって……」
「そう、僕、今は巨根に興味あるの。っていうか、まさかアレで童貞だったなんて。まぁ、知ってたならしなかったんだけど。彰人も性格悪いよね、才谷くんにも事情を知らせずに連れて来てたなんて」
あの夜の事情をスラスラと話す水川さんは、少しだけ表情が緩んだ気がする。社長の名前を口にする時は、僅かに『困ったもんだよ』というように口の端を持ち上げる。
ジントニックを口にしながら目を伏せる水川さんの横顔を見つめながら、俺は直球を投げた。
「水川さんは……ゲイなんですか?」
自分がほとんど意識すらした事がない言葉を初めて口にする。
「うん。ゲイだよ、しかも僕って凄く淫乱なんだ。困ったもんだよね。だけど今回はノンケで童貞の才谷くんを巻き込んじゃって悪かったよ。彰人にはしっかり言っておいたから。ごめんね、口止め料なら言い値を払う。だから今回は野良犬にでも噛まれたと思って許してくれないかな」
そう言ってエヘッと笑う水川さんの表情が、俺には到底笑っているとは思えなかった。この人の目の奥、心の奥底には、何か暗くて重たい物があるようなそんな気がして。
職場でいつもニコニコ笑っているのだって、胡散臭い仮面を貼り付けているようにしか見えないけど、今目の前で色っぽささえ醸し出しながらこちらを見つめる水川さんを見ると、何故か胸がきつく引き絞られるような心持ちがした。
「俺、あの日水川さんの事を好きになりました。金なんか要らないんで、俺の恋人になってもらえませんか」
真剣だった。
元カノには悪いけど、水川さんに対する気持ちは今まで感じた事がないくらいに激しい。
あの日たった数時間過ごしただけなのに、この人の事が欲しくてたまらない。気持ちも、身体も、全部を手に入れたいと強く思う。
「あー……、ごめん。それは無理」
「どうしてですか? 俺が同僚だからですか?」
ほんの少しの間、俺の気持ちを聞いて水川さんの作り笑顔が消えた。驚いたような顔と、その次には寂しそうな顔。
「どうしてって、まぁ同僚ってのも気まずいけどさ。僕、昔から恋人って作らない事にしてるから。身体の関係だけなら何度か付き合う相手もいるけど。才谷くんの付き合うって、身体じゃなくて心も繋がりたいんでしょ? それは無理だよ」
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