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6. 気付き、宣言する
しおりを挟む静という名前を聞いて咄嗟にビクッと反応した俺は、笑顔で手を振る社長の視線が向けられた先を辿る。
「彰人、前から社内では静って呼ばないでって言ってるよね」
「いいじゃないか。誰も聞いてないよ」
嘘だろ……まさか……。常に笑顔を絶やさず仕事が出来て、あざといのに皆から好かれてるあの人が……?
一気に鼓動が早まり、顔が火照ってくるのを自覚する。思ったよりも、俺のこの想いは重症らしいと悟った。
すげぇいい女だと思っていたあのハジメテの夜の相手が男で、しかも会社の先輩だった。
そんな風に普通なら絶対受け入れられないような状況を悲観するどころか、静という存在が今まさに自分の近くにいるってだけで、バカみたいにはしゃぐ恋心ってやつをビシビシ感じる。
いつもと同じで水川さんの声色はのんびりと優しいのに、見た事がないくらい限りなく不機嫌そうな顔でこちらへ向かって来ていた。
ふと気になって見渡せば、さっきまで近くにいた社員達はいつの間にか居なくなっていて、水川さんのそんな珍しい表情を見ているのは俺と社長だけだ。
「で、何の用?」
不機嫌さを隠そうともせずにそう言いながらすぐ近くまで来たところで、ちょうど観葉植物の陰になっていた俺に気付いた水川さんは、みるみる目を丸くする。
分かりやすく変わった表情が面白いと思う反面、水川さんがこの場に居る俺の存在を否定しているように感じて胸が痛んだ。
「水川さん、あの……っ!」
社長がそばにいた事も忘れて、俺は後先考えずに水川さんに声を掛けた。
だってもう認めるしかない。
俺はたった一回シた相手がどうしたって忘れられなくて、それが実は女じゃなかった事も、会社の先輩だった事も関係ないくらいに、こんなにも体の真ん中が苦しくて切ない。
だから、どうか無かった事にしないで欲しい。そして出来れば俺の方を見て欲しい、そう思ってしまったから。
「才谷くん……。どうしたのかな? 僕に、何か用?」
水川さんの心底驚いた表情はほんの一瞬で、見る間にいつもの愛想笑いを貼り付けた顔に戻る。
その事が余計に俺の心を抉った。
この人の素顔を知りたい、社長に向けるみたいな自然な表情を俺にも向けて欲しい。
「あの夜の静って、水川さんの事だったんですね。社長から聞きました」
緊張から、思ったより硬い声色になってしまう。
「彰人……、才谷くんに話すだなんて聞いてないよ。そもそもあの日だって騙し討ちみたいなもので、僕はまだ怒ってるんだからな」
俺の言葉に答える事なく、社長に向けて言葉を放った水川さんに対して、どうしようもない気持ちが湧き上がる。
「ふふっ、ごめんね。静を騙したようになっちゃったけど、これも考えた末の行動なんだよ。こうでもしないと静は……」
「社長、ここは職場ですから。今はやめておきましょう」
あぁ、これが本気の嫉妬ってやつか。俺から意図的に視線を逸らし、場の雰囲気を誤魔化そうとするかのように振る舞う水川さんに、俺は嫉妬していた。
「それなら水川さん。今日、仕事が終わったら時間ください」
社長と水川さんの話に割って入るようになったけど、そんなの気にしてられなかった。
このままじゃ水川さんはあの胡散臭い笑顔と口の上手さでどこかに飄々と逃げてしまいそうで、俺は何とか自分の方へ引き止めようと必死だった。
「才谷くん、君には悪いことをしたと思ってる。いくら僕が彰人に騙されてたとはいえ、男にあんな事されて気持ち悪いよね、ごめん。罪なら償うよ」
「水川さんが社長に騙されてる云々は分かりませんけど。俺はあの日の事、無かった事になんかしたくありませんから!」
「それってどういう意味? 僕のこと、みんなにバラす? 怒ってるなら謝るから、どうか許してくれないかな」
水川さんの顔が、いつものあざとい表情に戻って俺に謝ってくるのが腹立たしい。
社長に見せるようなこの人の素の顔がもっと見たい。
あの時は『静』の背中しか見えてなかったけど、この人の余裕ぶった顔が崩れるのを見たい。
今まで男に興味なんか無かったし、元カノだって何人か居た俺は男が好きなんじゃない。
相手が水川さんだからこんなに心が乱されるんだ。
「許すも何も、俺、あの日の水川さんの事が忘れられないんです。だから、無かった事にしないでちゃんと説明してください」
「え……」
「今日、仕事が終わったらこないだのバーで待ってます」
「いや、ちょっと、才谷くん」
「じゃあ、仕事に戻ります」
水川さんの返事を待たず、無言で意味ありげな笑みを浮かべたままの社長に挨拶する事も忘れて早足でその場を去った。
ひしひしと背中に感じる二人からの視線を意識しながら、自分の席に戻るまで何度も深呼吸をして心を落ち着かせるように努力した。
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