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39. 初めての幸福な誕生日
しおりを挟む今年もまた、アリシアの誕生日が巡ってきた。同時にマリア妃が永眠した日でもある。
けれど宰相ジェロムの影響力が王宮の中に蔓延っていた去年までと違うのは、その日が彼女自身の『幸福』として始まるという事だった。
「アリシア、起きたか?」
穏やかな声と共に、寝室のカーテンがそっと開けられた。アリシアが起き上がり、目を向けると、テオバルトが一輪の花を手に窓辺で立っている。
「庭に咲いてた。恐らく、お前の好きなやつだと思ってな」
渡されたのは、まだ朝露を纏った青くて小さな花、そしてその花を引き立てるかのようにして束ねられた、色とりどりの野花。
「……ありがとう。覚えててくれたのね」
「覚えてるさ。あの日、初めてお前が自分の気持ちを話してくれた時、庭でこいつが咲いてたのを」
勿論、愛妻家であるテオバルトの贈り物はそれだけではなかった。その手からもう一つ、小さな木箱が差し出される。開くと、中には手彫りのペンダントが入っていた。
「……これ……?」
「剣の鍔の飾りを、鍛冶屋に頼んで加工してもらった。今後俺が戦場から戻る度、これを見て安心しろ」
平たいペンダントの裏側には、彼女の名前と双子の誕生日、そして小さく『光』という文字が刻まれている。
思いがけない贈り物に、アリシアは何も言えず涙を浮かべた。
「ありがとう。嬉しい……!」
今年の誕生日は、心からの『贈り物』で始まったのだ。
その日の午後になると、アレクサンドルとロランが女王の誕生日を祝いにやって来た。
夜に行われる祝いの宴より前に、親族水入らずで茶会を開く事になっていたのだ。
「アリシア、今年こそ……堂々と誕生日を祝わせて貰おう」
そう言って差し出されたのは、アリシアの手のひらに乗るほどの小箱。細やかな細工が施された銀の留め具に指をかけて開けると――中には銀で象られた花の髪飾りがそっと収まっていた。
「……これは」
一目で、それがただの花ではないと分かった。
月光を浴びて咲く、『月光樹』の花。王宮の南庭に、人知れず咲く白い小花。一年に一度の夜にしか開かず、朝露とともに儚く散るその花。
花が好きなアリシアも、この花だけは実物を目にした事がなく、南庭に植えたのがアリシアの母だというのだけは聞いている。
「この花……お母様が南庭に植えたとか」
アリシアの問いに、アレクサンドルは目を細めた。普段は冷たい鋼のような瞳が、今はどこか遠くの光景を見ているようだ。
「あの方が王妃になる直前……この王宮へ踊り子として現れ、兄上に見初められてから。王宮の一角で暮らすようになった頃……南庭に私と二人で植えたんだ」
「叔父様と……」
「王妃になっても変わらず、自然を愛していた。あの花に『願い』を重ねていたようだった」
包みを両手で持ったまま、私は言葉を失っていた。
「これを、私に……?」
「アリシアがあの方の娘だから、というだけじゃない。今のアリシアにはこれが似合うと思った。それだけの話だ」
差し出された小さな想いは、まるで長い年月の間、しまわれ続けていた記憶そのもののようで――
「ありがとうございます、叔父様。お母様の想いが、今もこうして……私の傍にあるような気がします」
「お前の中には、あの方の強さも優しさもしっかりと残っている。誇っていい」
その言葉に、アリシアは涙が溢れそうになった。けれど、笑顔で受け取ったのだった。
月光樹の花の銀細工はアリシアの髪に、そして心に、静かに咲いた。
遠くから、今は乳母に預けている子ども達の泣き声が微かに届いている。双子は相変わらず元気にしていた。
亡き母親と我が子の存在を同時に感じ、アリシアの胸がふわりとあたたかくなる。
「……アリシア、僕の事忘れるなよ」
声に振り返ると、ロランが腕を組んで立っていた。手には小さな包みが一つ。
「ほら、これやるよ。正確には双子達に、だけど」
かつてもそんなセリフをロランが言っていた。あれは先代の王が生きていた頃、アリシアの誕生日の事だ。
デジャヴのような感覚に、アリシアはハッとする。
「前もこんな事があったわね」
「そうだったかな? 忘れた」
ぶっきらぼうに差し出された包みを受け取り、中を開くと、そこには小さな白蛇の抜け殻が二つ。
「蛇……」
瞬間、胸の奥がきゅうっと締めつけられた。
あの時と、同じだった。まだ幼い頃、ロランがこっそり渡してきて、「大事にしろよ」と言った、あの不思議な抜け殻とまったく同じ。
「……覚えてるのか?」
「……ええ。今も持ってる。大事に、箱の奥にしまってあるわ」
「はは! まさか本当に持ってたとはな! ガキの頃のやり取りなんて、普通忘れるのに」
ロランは頭を掻きながら、珍しく少し照れたように目を逸らした。でもすぐに真剣な眼差しで、アリシアを見つめ直す。
「なぁアリシア。あれの意味、ずっと知らなかったろ?」
「うーん……お守りみたいなもの……じゃないの?」
「まあ、半分正解。けど、あれは本来『戦に向かう軍人が、大事な家族に託すもの』なんだよ。『俺の無事を祈ってくれ』って意味で」
得意げに話すロランに、アレクサンドルがあたたかな眼差しを向ける。きっといつかアレクサンドルがその事をロランに教えたのだろう。
アリシアは、思わず手の中の白い抜け殻を見つめる。あの頃のロランは小さくて、剣の稽古は必死にしていたけれど、まだ軍人でも何でもなかったはずなのに。
「じゃあ……どうして、私に?」
その問いに、ロランはしばらく黙っていた。けれど不意に、低く呟く。
「……守ってやれねぇのが、悔しかったから」
その言葉が、風のように胸に沁みた。
「お前はさ。ずっと一人で立って、誰にも助けてって言わなかった。弟の僕にさえ。まあ……あの頃の僕なんかじゃどうしようもないって分かってたけど、それでも……」
言葉を選ぶように、ロランは指先で薔薇の葉を撫でる。
「お前の命が、どれだけ大事か。お前が、この国に必要な人間だってことを、神様に証明してほしかったんだ。僕には、それしか出来なかったから」
胸が、いっぱいになって言葉が出なかった。
いつもふざけていて、皮肉屋で、アリシアに弟扱いされるのを嫌がってばかりいたロランが……そんな思いを幼いあの頃に抱えていたなんて、想像すらできなかった。
「……ロラン……」
「びっくりしたよ。まさかあれをまだ大事にしてるって聞いて。もう……忘れてると思ってたのに」
くしゃっと照れたように笑うロラン。その目の奥には優しい何かが宿っていて、アリシアはもう堪えきれなかった。
光る涙が、頬を伝う。ずっと黙って二人のやり取りを聞いていたテオバルトが、アリシアの肩を抱く。
「ありがとう……私、ずっと……ロランの気持ち……分かってなかった。ごめんなさい……」
「謝るなよ。今お前がこうして幸せなら、それだけで十分だから。白い蛇、大事にしろよな。めちゃくちゃ貴重なんだから」
「ありがとう、ロラン」
ロランが真夜中に訪ねて来たあの夜、月の女神の祝福は、確かに降りていたのだと今思った。
ふんわりとあたたかな雰囲気が室内を包み込んでいた時、突然扉を叩く音が響く。
「陛下、お集まりのところ、失礼いたします」
子ども達を預けた乳母の声だ。アリシアは何かあったのかと思って不安な気持ちになる。
「入りなさい」
そう告げると、乳母が二人それぞれの腕の中に双子を抱いて現れた。
「殿下達に何か変化があればすぐにお知らせするよう言われておりましたので、参りました」
「どうしたの?」
「それが……」
乳母達が顔を見合わせ、腕の中の王子と姫をアリシア達の方へ向けると、まだ赤子の双子がニコニコと笑い合って愛らしく小さな口を開く。
「「にゃーにゃーにゃー」」
猫の鳴き真似のような、不思議な喃語を口にした双子は、キャハキャハと声を上げて笑い、また「にゃーにゃー」と話す。
「このように、殿下達が猫の鳴き真似をするのです!」
二人の乳母は目をキラキラさせてアリシア達を見る。恐らく初めてその光景を目にした時、そのあまりの可愛さに思わず笑顔になったに違いない。
それは、アリシア達も同じだった。
「可愛い! どうして猫の真似なんかするのかしら? 猫など見た事がないはずなのに……」
アリシアは双子の頬を優しく撫でながら問う。テオバルトは一人でに持ち上がる口の端を堪えるようにして、アリシアと双子に近付いた。
「さあな。しかし月の女神は常に猫を伴うと聞く。双子は女神の祝福を受けた証に、猫の真似でもしてるんだろ」
「そうだったらとても素敵な話ね」
そんな風に語り合う夫婦を、アレクサンドルとロランは眩しそうに見つめている。
とても穏やかで、優しい表情だった。
笑い声と柔らかな光に包まれた空間で、アリシアは思った。
今日という一日が、かつて痛みと喪失に染まっていた誕生日が、こんなにも愛おしい記憶へと変わってゆくのなら――母の祈りも、女神の祝福も、今きっと、ここにあるのだと。
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