形だけの女王ですが英雄が王配となって溺愛してきます!〜虐げられ姫の幸せな婚姻〜

蓮恭

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34. 寂しさの顛末(ロラン、キャスリンside)

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 夕暮れの冷たい風が、王城の庭を吹き抜けていた。
   
 城の一角。薄暗く、湿った空気が肌を滑る地下牢。そこには、手枷を嵌められたキャスリンが静かに座っていた。  

 華やかだった高級ドレスは土にまみれ、かつての誇り高い笑みはどこにもない。  
 それでも父親譲りの灰色の瞳だけは、まだどこか強気な光を宿している。

「……ふぅん。思ったよりも落ちぶれた姿が似合うじゃないか」  

 軽い足音と共に、軍服姿のロランが鉄格子越しにキャスリンの前へ立った。かつては城の庭園を走り回った幼馴染。
 今はすっかり大人びた顔をした悪戯っ子は、肩をすくめて皮肉げな笑みを浮かべている。  

 キャスリンはのろのろと顔を上げると、疲れたような笑みを返した。  
 
「ふん、こんな所までわざわざ皮肉を言いに来たの? さすがはロランね。最後まで優しくしてくれないなんて」  
「はぁ? 優しくしろって? こんな惨めな女に?」  
「ええ、そうよ。出来ないのなら……惨めな私を笑えばいいわ」  

 キャスリンの声は震えていたが、プライドだけは失っていなかった。ロランはしばし彼女を見つめ、それからふっと笑った。  

「本当にバカだな、お前は! 結局……最後まで、何も気付かないなんて」  

 キャスリンは眉をひそめた。  
 
「……どういう意味よ?」  

 ロランは手を伸ばし、彼女の頬に触れそうになった。だが、寸前でその手を引っ込め、代わりに軍服の懐から何かを取り出す。
 
 それは、小さな紅いリボンだった。  

「……覚えてるか? お前が昔、俺にくれたものだよ。『おまじない』だとか言ってな」  

 キャスリンは目を見開いた。  
 
 幼い頃、ロランが怪我をした時に、彼女が適当に結んで渡したリボン。  
 ただの気まぐれだった。別に深い意味なんてなかったのに……まさか、まだ持っていたとは思いもしなかった。

「お前は俺に……何も期待しちゃいなかったんだろうな」  
 
 ロランは苦笑しながら、リボンを指で転がす。  
 
「俺はずっと、お前に皮肉を言ってばかりだった。だけどさ、キャスリン」  

 ロランはリボンを握りしめた。強く、強く。

「……お前の為なら……母上にも、宰相にも、全部……逆らえたかもしれない」  

 その言葉が、どれほどの真実を含んでいたのか。キャスリンには、もう確かめる術がない。いつからか、その資格は失ってしまったのだ。

 キャスリンは目を伏せ、小さく笑った。  

「……本当に、愚かよね」  

 ロランはもう何も言わず、手の中のリボンをぎゅっと握りしめたまま、牢に背を向けた。
 
 背後から微かな嗚咽が耳に届いても、振り返る事は出来ない。かつての幼馴染は、これから姉の手によって裁かれ、罪を償わねばならないのだから。

「いつか……もしまた会えたら……」

 思わず呟いたその先を、ロランはとても口に出来なかった。

 寂しく薄暗い地下牢では、この日いつまでもキャスリンの嗚咽が響いていたのだった。



 ――キャスリンが地下牢から出されたのは三日後の事だった。
 
「それでは……王命により、キャスリン・ ド ・ブルゴワンは本日をもって修道院送りとする」

 荘厳な広間に響き渡った宣告の声。集められた者達がざわめく中、中央に立つキャスリンは、まるで劇のヒロインのように背筋を伸ばしていた。

 その顔には悔しさも怒りもない。ただ、どこか遠い世界を見つめるような、乾いた微笑だけが浮かんでいた。

 ふと、キャスリンが振り返る。群衆の奥、玉座の下手に立つ父——宰相ジェロムの方を。

 彼は冷ややかな目でキャスリンを見据えていた。まるで、そこにいるのが血を分けた娘ではなく、ただの駒ででもあるかのように。

「……お父様、これから会えなくなる娘に、何かお言葉を頂けませんか?」

 そう声を掛けても、宰相は答えない。いや、無視ではない。それは『切り捨てた者』に対する、感情のない沈黙だった。

 やがて、シンと静まり返った空気の中で宰相は口を開く。

「貴様のような女が、我が家の名を汚したこと自体が恥だ。修道院で一生、己の愚かさを悔い改めよ。二度と我が前に現れるな」

 バチン、と何かが音を立てて切れた気がした。気のせいではない。何か、見えない物が断ち切られた音。

 誰かがすすり泣いた。キャスリンではない。どこかの高位貴族令嬢だ。きっと彼女は想像したのだろう。自分があの立場だったらと。

 けれど、キャスリンの目は微動だにしなかった。

「……やっぱり。あなたは一度だって、私を見てくれなかった」

 小さく呟いた言葉は、誰にも届かない。

 この日が来ることは、どこかで分かっていた。いや、ずっと前から、こうなる未来しかなかったのかも知れない。

 敏腕宰相の娘として育ち、誰よりも美しく、誰よりも聡明であることを求められてきた。
 けれど、キャスリンは知っていた。どんなに努力しても、どれほど父の期待に応えても、宰相の目は決して彼女を愛情持って見つめることはなかった。

「あなたが欲しかったのは、私じゃなかった。私という『器』に詰められる栄光だけだった」

 ずっと口に出さなかったその想いが、舌の上で乾いていく。

 テオバルトを嵌めるため、フィガロと共謀し、策略の一端を担ったのは確かに自分だ。
 だが、その背後にいた父こそが、全ての策謀の首謀者だった事をキャスリンは誰より知っていた。

 それでも自らの役目をしっかり果たせば、ほんの少しだけでも、褒めてもらえるかもしれないと思った。

 愚かだった。キャスリンはゆっくりと一礼をする。その動きは、相変わらず洗練されたものだった。

「……御意に従い、修道院へ参ります」

 あくまで礼儀正しく、声は澄んでいた。その場にいた誰もが、彼女が泣き崩れるのを期待していたのだろう。罵り、泣き叫び、権力者である父にすがる姿を。

 だが、キャスリンは何一つ崩さなかった。

 衛兵によって左右を固められ、扉の奥へと進む足取りは、まるで勝者のように凛としていた。

 

 裁きの後、修道院へ向かう馬車の中、キャスリンは書き溜めていた小箱を取り出す。
 
「私は、こんな終わり方をするために生まれてきたわけじゃない」

 中には宰相が指示した命令書の写し、彼がフィガロへ送った報酬の記録、宰相派の貴族達との密談記録、そして——

 アリシアとテオバルトを貶めるために実行された、数々の偽造命令の書き損じが収められている。

 キャスリンは、それらをひとつずつ丁寧に封筒に詰め、手紙を添えた。

「この真実が、然るべき人物の元へ届きますように。どうか私がこの世界に生きた証が、ただの『家の恥』では終わりませんように」

 馬車が揺れるたび、遠ざかる王城の姿が窓から見えた。城下町の賑やかさも、かつてフィガロと密会した宿も、キャスリンにとっては遠い記憶に思える。

 あれらの中に、彼女の全てがあった。愛されたかった、ただそれだけの願いが、踏みにじられた場所。

 だが、もう未練はない。

「私はもう枯れてしまったけれど、アリシア……あなたはやっと花開いたのね」

 そう思えたことが、不思議と自分を救った。



 ――数日後。

 軍の詰所宛に届けられた一通の密書と、証拠の品は、元帥アレクサンドルの手に渡った。
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