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29. その名を理解できたのは私だけですわ
しおりを挟むラガルド王国とブーランジェ王国の会談の場は、初めは両国ともに緊張感が拭えませんでした。
しかしブーランジェ国王陛下となったヒューバート様が差し出されたお茶を飲んだ後に思わずといったような小さな声で呟かれたのです。
「イライザ……。」
そしてすぐにフッと微笑まれたことで、急に場が和んだのです。
先程の呟きは私以外には誰にも理解出来ないほどに唇の動きだけのようなもので。
それでも久方ぶりの名を呼ばれて、あの日刺された胸の辺りが傷んだような思いがしましたので、つい胸に手をやりました。
「国王陛下、いかがなされたか?」
ヒューバート陛下の反応を見た殿下が、不思議そうな表情で尋ねられましたわ。
「いや、このハーブティーがとても懐かしい味がしたもので……。この茶葉は一体どうなされたのかな?」
「そうですか。このハーブティーは我が妃がブレンドしたもので、心を落ち着ける効果があるそうです。どうしてもこのような場では両国とも緊張しますから、少しでも和ませられるようにとの配慮から準備いたしました。」
私がブーランジェ王国でいた時に、心を落ち着かせたい時や気が昂っている時によく飲んでいたお茶でした。
以前はヒューバート陛下もお好きだったので、少しでも両国の話し合いがスムーズにいけばと思い準備したのです。
「そうですか……。皇太子妃殿が。確か妃のお名前はタチアナ殿とおっしゃったか……。」
先ほど呼ばれた名前とは違って、ヒューバート陛下のお口から今の私の名が呼ばれました。
「はい、タチアナと申します。陛下。」
ただこれだけの言葉のやりとりだというのに、私の胸は過去の思い出に締め付けられるような痛みで、瞳に涙の膜が張るような感覚がしましたので、目を伏せる仕草で誤魔化すしかなかったのです。
「セドリック殿、以前の即位の祝いの品としていただいた塩といい、今日のこのような歓迎をありがたく思う。そして、これから両国間での国交正常化に向けてこちらとしても全力で歩み寄るとしよう。」
「陛下、ありがとうございます。」
それからはラガルド王国としては毛皮の輸入と、今後は木材や鉱石なども輸入したいということを。
そしてブーランジェ王国側からは他国への貿易のために港を一つ使用したいということ、それに塩の輸入をしたいということが挙げられましたのよ。
ひとまずは両国の国境が開かれて国交正常化に向けて前進したことを、セドリック殿下も、ヒューバート陛下も大変お喜びになられておりました。
「毛皮や塩の事など、セドリック殿はよくブーランジェ王国のことを理解しておられるようだ。」
「実はどちらも我が妃の案なのです。妃は勉強熱心で、貴国のこともよく理解しているのですよ。お恥ずかしながら、無知な私が妃に色々と進言してもらって、今日の会談を迎えられたのです。」
「殿下、そのようなことはございませんわ。私はほんの少し手助けしただけでございます。」
殿下は包み隠さず私のことをヒューバート陛下にお話するものですから、私は恐縮してしまいました。
「これから我がブーランジェ王国は、セドリック殿とタチアナ殿を中心としたラガルド王国との国交を平和的に進め、一番の友好国となるであろう。」
「国王陛下、何よりのありがたいお言葉です。」
セドリック皇太子殿下と私は揃ってお辞儀をしてヒューバート陛下に敬意を表しましたの。
そして、ヒューバート陛下は自国へとお帰りになられました。
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