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34. お互いの欲しいもの
しおりを挟むやがて病棟の時計は十二時を告げた。
十一時四十五分頃に患者の配膳を終えた病棟は、パートの私だけを残して正社員の井川と大山が休憩に入る。
十三時の下膳までは適当に過ごせと言われた。
この時間はチャンスだと、食事中に申し訳ないと思いつつも詫間の病室を訪問する。
詫間は既に食事を終えていて、全体の八割ほど食べて後は残していた。
「詫間さん、お昼の時間にすみません。今は井川さんも大山さんも休憩中で、私しか病棟にいないんです」
「そうか、それならちょうどいい。そこの丸椅子をもっと近づけてこっちに座って」
詫間の部屋は寝たきり患者が三人いる四人部屋で、詫間以外まともに話せるような患者はいない。
私は言われた通りに丸椅子を枕元の近くへと寄せてそこに座った。
「アンタ、今から話すことはお互いに秘密だぞ」
「はい。必ず」
重みを感じさせる詫間の言葉に、否応にも喉がゴクリと鳴った。
「アンタ、この病院の事をどう思う? おかしいと思わないか?」
話が始まったと思えばすぐに聞かれたこの言葉、意外なはじまりに少々面食らい、正直に答えるべきかどうか迷った。
しかしいつの間にか声に力を宿し、鋭い刃物のような眼差しをこちらへと向ける詫間には、下手な嘘を吐かない方が良いと第六感が伝えてくる。
「おかしい、とは思います」
「アンタ、まだここに来て間がないだろう? 前はどこに勤めてた?」
「まだここに来て一ヶ月です。以前は総合病院に勤めていました」
まるで詫間の面接を受けているような気もしたが、これは詫間が私を信頼できる人間がどうかを試しているのだと感じた。だからここは正直に答える事にする。
詫間の眼差しは真剣で、何か大切な事を訴えたいのだとひしひしと感じさせるような強さがあった。
「それなら尚更ここのおかしい事に驚いただろう。まともな人間ならここで長く働く事は出来ない。おかしな奴らの仲間になるか、それとも堪えきれずに消えていくか……。アンタは普段外来らしいし、まだ入って間がないから知らされてない事もあるんだろうがな」
どうやらこれからの話は詫間の将来への悲観や、病気の相談事などではないのだと確信する。
「……前にここの看護師が亡くなった事は知っています。辞める人が多い事も」
喉が急激に渇いてきた。ドクンドクンと耳にまで鼓動が響く。
「亡くなった看護師は自殺だろ。まだ三十そこそこの若い人生を棒に振って……。可哀想にな。自殺の理由はこの病院だよ。この病院は、人殺し病院だ」
詫間は重度の糖尿病と、それに伴う右足の切断で自宅に帰るのが困難な為に、総合病院からの転院でこのめぐみ医院に長期入院している。
認知症なども無いから、この寝たきり患者ばかりの病室では毎日とても退屈で、一人考える事も多いのだろうと思う。
だからこそ私に話したいのかも知れない。ここの秘密や、見てきた事、聞いてきた事の理不尽さを。
「実は、詫間さんにしか話しませんが。私の知り合いが少し前までここの病棟で看護師として働いていたんです。高井、というのですが……ご存知ですか? 彼女は今心の病になってしまったようで、私もその理由が分からなくて心配しているんです」
時間も限られている。詫間の話したい事が自分の求めている事に限りなく近いという確信を得て、私は直球を投げた。
「高井さん……あぁ、それで辞めたのか。心の病になるような、優しい心の持ち主とは思えなかったけどな。アンタがどういう関係なのかは知らないが、高井さんともあまり関わらない方がいい」
やはり、詫間は姉を知っている。私が渇望していた姉の秘密を知っていそうな口ぶりに、期待で声が上ずった。
「何か、あったんですね? どうか詫間さんの知っている事を教えてもらえませんか? 私に出来ることが有れば……」
湧き上がる興奮で食い気味になってしまったのがいけなかったのか、詫間は首をふるふると振った。
「……いや、アンタみたいな人には、出来るだけ深く関わらないで貰いたいだけだ。ワシが話したからって、それをどうこうしてもらいたいって訳じゃない。むしろ……そっとしておいてくれ」
「それでは何故……」
何故、話したのか。どうにかして欲しくて、助けて欲しいと言った詫間の本音が、こんなにも透けて見えるというのに。
「自分だけの心に秘めておくのが辛いんだよ。誰かにこの錘を分けて持ってもらいたい。この秘密は重過ぎて、ワシだけが知っているには辛過ぎる」
詫間は退院できる目処が立たない患者で、きっと死ぬまでここで過ごすのだろう。
その期間はなるべく穏便に暮らしたい。しかしその秘密とやらを一人で抱えるには、どうしても荷が重いという事か。
誰かに吐き出す事で楽になるというのはままある事だ。
「自殺した看護師は、いじめに遭っていたんですか? 高井さんはそれに関係していた? 私はそう考えていたのですが」
思い切って自分の考えを詫間にぶつけてみる。詫間は別段驚いたような素振りもなく、逆にがっかりしたような様子さえ見て取れる。
どうして……? 私の予想は、外れたのか?
「整形外科の患者の中には看護師に無茶を言う馬鹿な患者もいるけど、死ぬほど辛い事をされるってワケじゃない」
午前中、自分がまさにトラブルになった事を思い出す。狭い病棟での出来事だ。もしかしたら詫間の耳にも入ったのかも知れない。
「それに、看護師同士のいじめも無いはずだ。ここでは皆共犯者だからな」
「共犯者? それは、どういう事ですか?」
そこまで話した時、ナースステーションでナースコールが鳴ったのが聞こえてきた。
ものすごくタイミングが悪いが、勤務中である以上は仕方がない。困った表情を浮かべていると、詫間はふうっと大きく息を吐いた。
「いっぺんに話すとワシも疲れる。とりあえず誰かが呼んでるようだから行っておいで。また次の機会に話す事にしよう」
「すみません、ではまた日を改めてこちらへ伺います」
「ありがとう。少し気持ちが軽くなったよ」
電動ベッドを起こして座っている詫間は、丸椅子を片付ける私の方に向け、ヒラヒラとした枯葉のような手を振った。
「では、また」
そう言って会釈し、ナースステーションまで早足で戻る。
ナースコールを押したのは、整形外科の牛尾というあのトラブルメイカーの患者がいる病室からだった。
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