かわいい猛毒の子

蓮恭

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6. 伊織の願い

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 葬式から帰って来た姉は「疲れた」と言って、珍しく長居することなくカナちゃんを連れてアパートに帰って行った。

 ちゃっかりお香典だって母に出して貰ったくせに何が不満なんだか。それとも本当に姉がいじめをしていて、被害者が死んでしまったことにさすがの姉も少しは罪悪感を感じたのだろうか。
 
 しかしそれからしばらく経った頃、姉の表情が以前とだんだんと変わってきたことに気づいた。

 元々明るい性格ではなく、常に文句や愚痴を口にするような人だったが、明らかに荒んだような印象を受けるのだ。イライラした様子で母やカナちゃんにしょうもない八つ当たりすることも増えた。
 母の言っていた事はあながち間違いではなかったのかも知れないと思い始める。
 あの傍若無人で自分勝手な姉が、今度はいじめの標的にされているのではないかという事だ。

「ねぇ、最近の詩織ったらおかしいと思わない?」
 
 私が異変に気づいてから三カ月が経った頃になって、ようやく母がそんな事を口にする。まだまだ手がかかるカナちゃんの子守りに気を取られていたのだろう。やっと娘の異変に気づいた様子の母はカナちゃんがお昼寝をしている隙にと思ったのか、ここ最近皺が目立つようになった眉間を神経質に引き絞って言葉を発した。
 今更か、とも思ったけれどそれがこの母なのだ。私は当たり障りのない返事をするに留めた。
 
「そうだね。随分イライラしているように見える」
「どうしたのかしらねぇ。今の職場に勤め始めてだいぶ経つけれど、だんだんと疲れてきちゃったのかしら? ほら、あの子は正社員で夜勤もしながら子育てしているんですもの」
 
 子育てと言っても母と私だって姉と変わらないかそれ以上にカナちゃんのお世話を一生懸命している。
 私なんて独身で、周囲からも「いいわね、独身は気楽で」なんて言われながらもこの生活をかれこれ三年も続けているのだ。恋人の勇太と過ごす時間も削っているし、何なら勇太だってこの人達の見えないところで間接的にサポートしてくれているのに。
 
「新一さんは相変わらず帰るのが遅いみたいだし、やっぱり高卒で仕事をするって大変なのね。長時間働いても詩織とあまり収入は変わらないか、少ない月もあるそうよ。その点、やっぱり詩織と伊織には大人になってから困らないようにと思って看護師になるように勧めて正解だったわ」
 
 相変わらず偏った考えしかできない母にうんざりしながら、やはり母は未だに姉が突然できちゃった婚をした事に納得していないのだと分かった。
 
 凝り固まった考えに囚われている母には、やはり勇太との事を話す気にはなれない。恋人の事について根掘り葉掘り聞かれる事も、母が思ったような相手ではなかった時の反応だって見たくはなかった。
 
 たとえ相手が勇太でなかったとしても、母は私の連れてくる相手には納得しないだろう。
 さっさと結婚してこの家を出た頼りにならない姉に替わって、私には出来れば独身のままこの家でずっと両親の面倒をみてもらいたいと思っているのだから。
 
「伊織は別に結婚なんてしなくてもいいけれど、もしこの先するような事があっても詩織みたいな結婚はしないでよ。お相手はよく見極めて、そのうち同居するかも知れない私達ともきちんと仲良くできる人がいいわねぇ」
 
 自己中心的な姉とは同居をしたとしても逆に面倒を掛けられると思っているからこそ、はじめから両親の介護要員として育てた私に将来の事まで期待する。
 
「あ、伊織がどうしてもって言うから今は一人暮らしを許しているけれど、いつでも帰って来てくれていいのよ? まぁ今はお父さんも元気に仕事に行っているからすぐにって訳じゃないにしてもね」
 
 久しぶりに母の自分勝手な話を聞いて気分が悪くなってきた。

 嘘でもいいから返事をしなければと思うのに、今日は何故か言葉が出ない。ちょうどお昼寝から目が覚めたカナちゃんがぐずる声が聞こえたから、それを理由に話を無理矢理終わらせる事ができてホッとした。
 
「カナちゃん、起きちゃったの?」
 
 まだ母の言うお昼寝終了の時間は来ていない。相変わらずカナちゃんは時間通りの生活を送る事を良しとして母に躾けられているのだ。
 和室に敷かれた子ども用のお昼寝布団から上半身を起こして、顔をクシャリと歪めたカナちゃんは、部屋に入って来た私の姿を見て目に見えてホッとした表情になる。
 
「まだお昼寝の時間だよ。寝ないとバァバに怒られちゃうよ」
 
 いつもならそんな言い方はしないのに、何となく先ほどの母に対しての抵抗のような気持ちからそう口にした。
 すると「ブウ」と口を尖らせて目を伏せたカナちゃん。悲しそうな横顔を見ているうちに、この子は悪くないのに、とすぐに後悔することになった。
 
「いっちゃん、一緒にお昼寝しようよ」
 
 カナちゃんが甘えるようにそう言って首を傾げた。リボンのゴムで二つに結った柔らかな髪がふわりと揺れる。
 この子は私の心に刺さった棘を、いつもごく自然に抜いてくれる。
 
「私も? いいよ。じゃあ一緒にネンネしようね」
 
 先程の後ろめたさもあったから、少々大袈裟に笑顔を作ってお昼寝布団にカナちゃんを寝かせた。自分も畳に横になる。
 
 ポンポンとお腹の辺りを優しく叩いてやると、くすぐったそうに「きゃは」と笑うカナちゃんはとても愛らしくて。自分はカナちゃんの母親ではないけれど、この子の事を守ってやりたいとさえ思う。
 母性本能というものは私には無いと思っていたけれど、こういうものなのかと腑に落ちた。この子が生まれてから三年間ずっと身近にいたのだから、そうなっても当然か。
 
「いっちゃん大好き。ふふっ」
 
 もうすっかり眠気が去ってしまったのだろう。カナちゃんは寝る気配を見せずに私の顔を見ては、布団に隠れ、またそおっと顔を出す……という動きを繰り返している。
 
 子どもというのは何が楽しいのか分からないような事でも、さも嬉しそうに笑うのだ。カナちゃんのそんな表情を見ているのが好きだからこそ、私は仕事の合間に姪っ子の子守りをするという割と大変なこの生活を、何とか続けられている。
 
「私だって、カナちゃんが大好きだよ」
「やったー」
 
 この子にはなるべくあの姉の悪影響が及ぶ事なく、すくすくと真っすぐに育って欲しい。

 姉夫婦の血縁による影響よりも、これからの努力と子育ての環境によってカナちゃんが幸せになることを願っている。
 同じ親から生まれた私と姉がこんなに違ったように、きっと不可能ではないはずだから。






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