上 下
51 / 55

50. 澱みの浄化

しおりを挟む

 婚姻の儀とパレードを終えた後、私はお父様と久しぶりの面会をする事になった。意外な事に、お父様の方から皇帝陛下に私との面会を申し入れられたのだと聞かされる。

「本当に私が共についていなくて大丈夫なのか?」
「ええ、大丈夫です。アルフ様は少し離れたところで待っていてください」
「分かった……。だが、何かあればすぐに呼ぶように」
「勿論です。ありがとうございます、アルフ様」

 城の庭園、美しい薔薇が咲き乱れる一帯にあるガゼボで私とお父様二人だけの面会が実現した。アルフ様やレネ様、そして数名の部下の方達はお父様が私に害をなさない様少し離れた場所で見守ってくださっている。

 ドロテアを死に追いやったのは私だと、責められてもおかしくないもの。それにあの事件のせいでアルント王国は帝国にかなりの補償をする事になったはず。恨み言を言われても仕方がないわ。

「お父様、お久しぶりでございます」

 先にガゼボで待っていたお父様に、カーテシーで挨拶をする。既に豪華な婚礼衣装から普段着のドレスに着替えていたが、それもあの別棟で暮らしていた頃のものよりもかなり上等な物だ。下手をする時王妃やヘルタが着ているものよりも仕立ての良いドレスだった。これを見てお父様がどの様な視線を私に向けるのか、少し恐ろしかった。

「ああ、もう普通に声を出すようになったのだな」
「はい……。構いませんか?」
「……構わない」

 お父様は見たことが無いくらいに意気消沈している様子で、やはりドロテアが亡くなってしまった事が堪えているのかと心配になる。いつもの傲慢な物言いはどこへやら、弱々しい声とパサついた金髪、落ち窪んだ青い瞳は生気が無い。

「お父様、椅子にお掛けください。アルントから来られて、まだお疲れでしょう」

 ガゼボの椅子とテーブルには茶器のセットが準備されていて、私は紅茶を手ずから淹れるとお父様に手渡した。侍女はレンカ一人きりだったから、大概のことは自分で出来る。前もって茶器を用意するように頼んでいた。ここにきて初めて私はお父様に自分の淹れたお茶を飲んでいただく。

「お前は……」

 はじめは遠慮がちにカップに何度か口を付けただけだったお父様は、やがてゴクリと喉を鳴らしてお茶を飲むと静かにテーブルに置いた。とても言いにくそうに、ごく小さな声だったけれどやっと口を開く。

「お前は……、知っていたのか?」
「え?」
「コルネリアが……、王妃に毒を盛られて殺された事を」

 お父様はお母様の死の真実を知ってしまったのね。でも、どうして……?

「はい、存じておりました」
「では何故! 何故言わなかった⁉︎ 甘んじて呪われた声などと言われる事を許し、人形姫と呼ばれながら我慢を続けていたのだ⁉︎」
「誰も……信じてくださらなかったからです」
「いや、真実を聞いていれば違っていた! あの女を王妃として据える事などしなかった!」

 テーブルに置かれたお父様の拳は、小刻みに震えている。その振動でカップがカタカタと小さな音を立てた。

「お父様、きっと私が声を上げても信じてくださいませんでした。王妃や周囲の者がそれを許さなかったはずですから。それより、どこでそれをお知りになったんですか?」

 何だか憔悴しきっているお父様を見ていると、恨み言だとか責める気持ちなんてちっとも浮かんでこない。それよりも震える肩や背中が随分小さく見えて、思わず手を添えたくなる。

「コルネリアが……、昨夜私に会いに来た。そして死の真相を述べて、触れる事もなく消えてしまった。そして必ず、エリザベートと話すようにと」
「お母様がお父様のところへ? まさか……」
「嘘だと笑うなら笑うがいい。それでも私は嬉しかった。ずっと会いたかったのに、夢にすら出て来てくれなかったコルネリアが、自ら会いに来てくれたのだから。たとえ告げられたのが酷な真実でも、私はもう一度コルネリアに一目会えただけでも嬉しかったのだ」

 本当に亡くなられたお母様がお父様に会いにいらしたのかしら……。そのような事、聞いた事が無いわ。私のところに来てくださった事も無いし。

――「……エリザベートは、父親を許す事が出来る? あの馬鹿な国王はコルネリアを殺された事にも気付かないまま、よりにもよってコルネリアを手に掛けた女を王妃に据えた。そしてエリザベートを虐げて、八つ当たりをしただろう?」
「おやすみ、エリザベート。あとは僕に任せて」

 もしかして……ガーランが?

「エリザベート、すまなかった。私にとってはコルネリアが全てだった。だからといってお前を虐げてもいい理由にはならないが、今では心の底から反省している。今すぐで無くても良い。どうか、この愚かな父を許してくれないか」
「お父様……。けれど、私を恨んでらっしゃらないのですか? ドロテアを……死に追いやってしまった一因は私にありますのに」
「ドロテアの事は確かに残念だが、そもそもあれは私の子では無かった」
「え……っ」

 お父様が言うには、お母様が現れた後すぐに別室で休んでいた王妃を問い詰めたそうだ。そこで王妃は次から次へと真実を述べ始め、ついにはドロテアとヘルタがお父様の子ではなく懇意にしている貴族の子種なのだと暴露した。

「あれはあれで、私がいつまでもコルネリアを忘れられず、自分を愛さなかった私を許せなかったのだろう。形だけの王妃も必要だと宰相に言われて据えたものの、いつの間にか私は体のいい傀儡となっていた」
「お父様は赤の王妃を……愛してらっしゃらなかったのですか?」
「私が愛していたのは、この世でただ一人コルネリアだけだ。そのせいで自分の本当の娘でさえ平気で虐げる、自己中心的な人間だった。すまない、エリザベート。謝ってすむ問題でないことは承知だが、こんな私がお前にしてやれる事などもう無いだろう」

 お父様の青い瞳、私とは違う薄い青は涼やかな水の色。いつもは怖くて見られなかったその色は、今とても綺麗だと思った。

「あの別棟に、何故あんなにも沢山のゼラニウムが植えてあったか……お父様はご存じですか?」
「ゼラニウム……? さぁ、コルネリアが好きだったからでは無いのか? ある時コルネリアから、とにかく沢山のゼラニウムを植えて欲しいと言われたからそうしたまで」

 お父様はお母様のゼラニウムに込めた愛をご存じないのだわ。もう二度と足を踏み入れる事は無いであろうあの別棟のゼラニウム、涼やかなあの香りがありありと思い出された。

「ゼラニウムは、妖精王の嫌いな花なのです。お母様は妖精王の娘だった。妖精王が自分を連れ戻しに来ないよう、お父様の傍から離れたくなかったお母様はゼラニウムをあの別棟に植えたのです。お母様はいつだって、お父様の事を一番に考えてらしたのですよ」
「そうだったのか……。コルネリアはいつだって別棟から出たがらなかった。私が強引に妃にしたからだと思っていたが、そのような理由が……。私だけがコルネリアを愛していたのだと、一方的な感情だったのだと思っていた」
「いいえ、お母様はお父様の事を心から愛していらしたわ」
「そうか……」

 お父様のお顔を、こんなに間近でじっと見つめたのはいつぶりだろう。こんなに皺があったかしら? いつもはもっと険しいお顔立ちなのに、今はとても弱々しい。

 私はテーブルに置かれたままのお父様の手にそっと触れた。今思えば、お父様の手に触れたのは初めてだった。もしかしたらお母様が生きてらした頃は触れた事があるのかも知れないけれど、もう記憶には無い。かさついた手の感触はアルフ様とは違っていて、何故だか急に切なくなった。

「お父様、今日はお話に来てくださってありがとうございます。どうぞこれからもお身体をお大事になさってください」
「……エリザベート、どうか……お前は幸せに」

 長年私の心の奥に溜まっていた澱みは、今日この時をもって澄み切った清流によって浄化された。アルフ様の妻となった今、私はもう何のしがらみに囚われる事無くこれからの事だけを考える事が出来る。

 ガーラン、そしてお母様、ありがとう。



しおりを挟む
感想 3

あなたにおすすめの小説

この度、青帝陛下の番になりまして

四馬㋟
恋愛
蓬莱国(ほうらいこく)を治める青帝(せいてい)は人ならざるもの、人の形をした神獣――青龍である。ゆえに不老不死で、お世継ぎを作る必要もない。それなのに私は青帝の妻にされ、后となった。望まれない后だった私は、民の反乱に乗して後宮から逃げ出そうとしたものの、夫に捕まり、殺されてしまう。と思ったら時が遡り、夫に出会う前の、四年前の自分に戻っていた。今度は間違えない、と決意した矢先、再び番(つがい)として宮城に連れ戻されてしまう。けれど状況は以前と変わっていて……。

平凡令嬢の婚活事情〜あの人だけは、絶対ナイから!〜

本見りん
恋愛
「……だから、ミランダは無理だって!!」  王立学園に通う、ミランダ シュミット伯爵令嬢17歳。  偶然通りかかった学園の裏庭でミランダ本人がここにいるとも知らず噂しているのはこの学園の貴族令息たち。  ……彼らは、決して『高嶺の花ミランダ』として噂している訳ではない。  それは、ミランダが『平凡令嬢』だから。  いつからか『平凡令嬢』と噂されるようになっていたミランダ。『絶賛婚約者募集中』の彼女にはかなり不利な状況。  チラリと向こうを見てみれば、1人の女子生徒に3人の男子学生が。あちらも良くない噂の方々。  ……ミランダは、『あの人達だけはナイ!』と思っていだのだが……。 3万字少しの短編です。『完結保証』『ハッピーエンド』です!

異世界から来た娘が、たまらなく可愛いのだが(同感)〜こっちにきてから何故かイケメンに囲まれています〜

恋愛
普通の女子高生、朱璃はいつのまにか異世界に迷い込んでいた。 右も左もわからない状態で偶然出会った青年にしがみついた結果、なんとかお世話になることになる。一宿一飯の恩義を返そうと懸命に生きているうちに、国の一大事に巻き込まれたり巻き込んだり。気付くと個性豊かなイケメンたちに大切に大切にされていた。 そんな乙女ゲームのようなお話。

イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?

すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。 「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」 家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。 「私は母親じゃない・・・!」 そう言って家を飛び出した。 夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。 「何があった?送ってく。」 それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。 「俺と・・・結婚してほしい。」 「!?」 突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。 かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。 そんな彼に、私は想いを返したい。 「俺に・・・全てを見せて。」 苦手意識の強かった『営み』。 彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。 「いあぁぁぁっ・・!!」 「感じやすいんだな・・・。」 ※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。 ※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。 ※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。 それではお楽しみください。すずなり。

軽い気持ちで超絶美少年(ヤンデレ)に告白したら

夕立悠理
恋愛
容姿平凡、頭脳平凡、なリノアにはひとつだけ、普通とちがうところがある。  それは極度の面食いということ。  そんなリノアは冷徹と名高い公爵子息(イケメン)に嫁ぐことに。 「初夜放置? ぜーんぜん、問題ないわ! だって旦那さまってば顔がいいもの!!!」  朝食をたまに一緒にとるだけで、満足だ。寝室別でも、他の女の香水の香りがしてもぜーんぜん平気。……なーんて、思っていたら、旦那さまの様子がおかしい? 「他の誰でもない君が! 僕がいいっていったんだ。……そうでしょ?」  あれ、旦那さまってば、どうして手錠をお持ちなのでしょうか?  それをわたしにつける??  じょ、冗談ですよね──!?!?

【R18】純粋無垢なプリンセスは、婚礼した冷徹と噂される美麗国王に三日三晩の初夜で蕩かされるほど溺愛される

奏音 美都
恋愛
数々の困難を乗り越えて、ようやく誓約の儀を交わしたグレートブルタン国のプリンセスであるルチアとシュタート王国、国王のクロード。 けれど、それぞれの執務に追われ、誓約の儀から二ヶ月経っても夫婦の時間を過ごせずにいた。 そんなある日、ルチアの元にクロードから別邸への招待状が届けられる。そこで三日三晩の甘い蕩かされるような初夜を過ごしながら、クロードの過去を知ることになる。 2人の出会いを描いた作品はこちら 「純粋無垢なプリンセスを野盗から助け出したのは、冷徹と噂される美麗国王でした」https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/443443630 2人の誓約の儀を描いた作品はこちら 「純粋無垢なプリンセスは、冷徹と噂される美麗国王と誓約の儀を結ぶ」 https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/183445041

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

不能と噂される皇帝の後宮に放り込まれた姫は恩返しをする

矢野りと
恋愛
不能と噂される隣国の皇帝の後宮に、牛100頭と交換で送り込まれた貧乏小国の姫。 『なんでですか!せめて牛150頭と交換してほしかったですー』と叫んでいる。 『フンガァッ』と鼻息荒く女達の戦いの場に勢い込んで来てみれば、そこはまったりパラダイスだった…。 『なんか悪いですわね~♪』と三食昼寝付き生活を満喫する姫は自分の特技を活かして皇帝に恩返しすることに。 不能?な皇帝と勘違い姫の恋の行方はどうなるのか。 ※設定はゆるいです。 ※たくさん笑ってください♪ ※お気に入り登録、感想有り難うございます♪執筆の励みにしております!

処理中です...