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50. 澱みの浄化
しおりを挟む婚姻の儀とパレードを終えた後、私はお父様と久しぶりの面会をする事になった。意外な事に、お父様の方から皇帝陛下に私との面会を申し入れられたのだと聞かされる。
「本当に私が共についていなくて大丈夫なのか?」
「ええ、大丈夫です。アルフ様は少し離れたところで待っていてください」
「分かった……。だが、何かあればすぐに呼ぶように」
「勿論です。ありがとうございます、アルフ様」
城の庭園、美しい薔薇が咲き乱れる一帯にあるガゼボで私とお父様二人だけの面会が実現した。アルフ様やレネ様、そして数名の部下の方達はお父様が私に害をなさない様少し離れた場所で見守ってくださっている。
ドロテアを死に追いやったのは私だと、責められてもおかしくないもの。それにあの事件のせいでアルント王国は帝国にかなりの補償をする事になったはず。恨み言を言われても仕方がないわ。
「お父様、お久しぶりでございます」
先にガゼボで待っていたお父様に、カーテシーで挨拶をする。既に豪華な婚礼衣装から普段着のドレスに着替えていたが、それもあの別棟で暮らしていた頃のものよりもかなり上等な物だ。下手をする時王妃やヘルタが着ているものよりも仕立ての良いドレスだった。これを見てお父様がどの様な視線を私に向けるのか、少し恐ろしかった。
「ああ、もう普通に声を出すようになったのだな」
「はい……。構いませんか?」
「……構わない」
お父様は見たことが無いくらいに意気消沈している様子で、やはりドロテアが亡くなってしまった事が堪えているのかと心配になる。いつもの傲慢な物言いはどこへやら、弱々しい声とパサついた金髪、落ち窪んだ青い瞳は生気が無い。
「お父様、椅子にお掛けください。アルントから来られて、まだお疲れでしょう」
ガゼボの椅子とテーブルには茶器のセットが準備されていて、私は紅茶を手ずから淹れるとお父様に手渡した。侍女はレンカ一人きりだったから、大概のことは自分で出来る。前もって茶器を用意するように頼んでいた。ここにきて初めて私はお父様に自分の淹れたお茶を飲んでいただく。
「お前は……」
はじめは遠慮がちにカップに何度か口を付けただけだったお父様は、やがてゴクリと喉を鳴らしてお茶を飲むと静かにテーブルに置いた。とても言いにくそうに、ごく小さな声だったけれどやっと口を開く。
「お前は……、知っていたのか?」
「え?」
「コルネリアが……、王妃に毒を盛られて殺された事を」
お父様はお母様の死の真実を知ってしまったのね。でも、どうして……?
「はい、存じておりました」
「では何故! 何故言わなかった⁉︎ 甘んじて呪われた声などと言われる事を許し、人形姫と呼ばれながら我慢を続けていたのだ⁉︎」
「誰も……信じてくださらなかったからです」
「いや、真実を聞いていれば違っていた! あの女を王妃として据える事などしなかった!」
テーブルに置かれたお父様の拳は、小刻みに震えている。その振動でカップがカタカタと小さな音を立てた。
「お父様、きっと私が声を上げても信じてくださいませんでした。王妃や周囲の者がそれを許さなかったはずですから。それより、どこでそれをお知りになったんですか?」
何だか憔悴しきっているお父様を見ていると、恨み言だとか責める気持ちなんてちっとも浮かんでこない。それよりも震える肩や背中が随分小さく見えて、思わず手を添えたくなる。
「コルネリアが……、昨夜私に会いに来た。そして死の真相を述べて、触れる事もなく消えてしまった。そして必ず、エリザベートと話すようにと」
「お母様がお父様のところへ? まさか……」
「嘘だと笑うなら笑うがいい。それでも私は嬉しかった。ずっと会いたかったのに、夢にすら出て来てくれなかったコルネリアが、自ら会いに来てくれたのだから。たとえ告げられたのが酷な真実でも、私はもう一度コルネリアに一目会えただけでも嬉しかったのだ」
本当に亡くなられたお母様がお父様に会いにいらしたのかしら……。そのような事、聞いた事が無いわ。私のところに来てくださった事も無いし。
――「……エリザベートは、父親を許す事が出来る? あの馬鹿な国王はコルネリアを殺された事にも気付かないまま、よりにもよってコルネリアを手に掛けた女を王妃に据えた。そしてエリザベートを虐げて、八つ当たりをしただろう?」
「おやすみ、エリザベート。あとは僕に任せて」
もしかして……ガーランが?
「エリザベート、すまなかった。私にとってはコルネリアが全てだった。だからといってお前を虐げてもいい理由にはならないが、今では心の底から反省している。今すぐで無くても良い。どうか、この愚かな父を許してくれないか」
「お父様……。けれど、私を恨んでらっしゃらないのですか? ドロテアを……死に追いやってしまった一因は私にありますのに」
「ドロテアの事は確かに残念だが、そもそもあれは私の子では無かった」
「え……っ」
お父様が言うには、お母様が現れた後すぐに別室で休んでいた王妃を問い詰めたそうだ。そこで王妃は次から次へと真実を述べ始め、ついにはドロテアとヘルタがお父様の子ではなく懇意にしている貴族の子種なのだと暴露した。
「あれはあれで、私がいつまでもコルネリアを忘れられず、自分を愛さなかった私を許せなかったのだろう。形だけの王妃も必要だと宰相に言われて据えたものの、いつの間にか私は体のいい傀儡となっていた」
「お父様は赤の王妃を……愛してらっしゃらなかったのですか?」
「私が愛していたのは、この世でただ一人コルネリアだけだ。そのせいで自分の本当の娘でさえ平気で虐げる、自己中心的な人間だった。すまない、エリザベート。謝ってすむ問題でないことは承知だが、こんな私がお前にしてやれる事などもう無いだろう」
お父様の青い瞳、私とは違う薄い青は涼やかな水の色。いつもは怖くて見られなかったその色は、今とても綺麗だと思った。
「あの別棟に、何故あんなにも沢山のゼラニウムが植えてあったか……お父様はご存じですか?」
「ゼラニウム……? さぁ、コルネリアが好きだったからでは無いのか? ある時コルネリアから、とにかく沢山のゼラニウムを植えて欲しいと言われたからそうしたまで」
お父様はお母様のゼラニウムに込めた愛をご存じないのだわ。もう二度と足を踏み入れる事は無いであろうあの別棟のゼラニウム、涼やかなあの香りがありありと思い出された。
「ゼラニウムは、妖精王の嫌いな花なのです。お母様は妖精王の娘だった。妖精王が自分を連れ戻しに来ないよう、お父様の傍から離れたくなかったお母様はゼラニウムをあの別棟に植えたのです。お母様はいつだって、お父様の事を一番に考えてらしたのですよ」
「そうだったのか……。コルネリアはいつだって別棟から出たがらなかった。私が強引に妃にしたからだと思っていたが、そのような理由が……。私だけがコルネリアを愛していたのだと、一方的な感情だったのだと思っていた」
「いいえ、お母様はお父様の事を心から愛していらしたわ」
「そうか……」
お父様のお顔を、こんなに間近でじっと見つめたのはいつぶりだろう。こんなに皺があったかしら? いつもはもっと険しいお顔立ちなのに、今はとても弱々しい。
私はテーブルに置かれたままのお父様の手にそっと触れた。今思えば、お父様の手に触れたのは初めてだった。もしかしたらお母様が生きてらした頃は触れた事があるのかも知れないけれど、もう記憶には無い。かさついた手の感触はアルフ様とは違っていて、何故だか急に切なくなった。
「お父様、今日はお話に来てくださってありがとうございます。どうぞこれからもお身体をお大事になさってください」
「……エリザベート、どうか……お前は幸せに」
長年私の心の奥に溜まっていた澱みは、今日この時をもって澄み切った清流によって浄化された。アルフ様の妻となった今、私はもう何のしがらみに囚われる事無くこれからの事だけを考える事が出来る。
ガーラン、そしてお母様、ありがとう。
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