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44. 赤の姫の再来
しおりを挟む「ごほっ……、ゴホ!」
じとりとした湿気を帯びた空気が鼻腔に溜まり、吸い込んで思わず咽せる。そうしてやっと目を開けたなら、そこは石造りの非常に狭い住居のようで、部屋の中には古びた家具が長らく使われる事なくそこにただ存在していた。
「エリザベート様、大丈夫ですか?」
「レンカ……?」
「ええ、レネ様もいらっしゃいますよ」
私の寝ていたところには、レネ様がワンピースを破って枕のようにしてくださっていた。紺色の生地の切れ端がそこにある代わりに、レネ様のスラリとした膝下の脚が露わになっている。
「あ……レネ様! 申し訳ありません! お召し物が!」
「そんなの別にいいから。とりあえず、身体はおかしくない?」
「ええ、大丈夫です。少しまだ頭痛がしますけど」
「くそ、アイツらがまさかあんな所で待ち構えているなんて。あちらもなかなかの手練れを準備してるね」
私の為に脚元が破かれているものの、顎ラインのプラチナブロンドと紺色のワンピースに身を包んだのは、確かに可憐な令嬢風のレネ様。しかしその軍人らしい凛々しいお顔は、こんな状況でも頼り甲斐を感じた。
「アルフ様は、心配なさっているでしょうね」
「そうだろうね、ちょっと私も気を取られて油断してたし。帰ったら怒られるだろうな」
「そんな……、元はと言えば私が占いを体験してみたいと言ったのが始まりで。醜い嫉妬が原因でアルフ様のそばを離れたから……。レネ様は悪くありません」
「じゃあ、帰ったらそれをちゃんとアルフレートに言ってよね」
「勿論です、きちんとお話ししますから」
レンカは一つだけある扉に耳をつけて外の様子を窺っていたけれど、突然合図をしたものだから私達は身体を硬くする。
慌ててこちらの方へと駆けてきたレンカが傍へと戻ったと同時に、その重たい扉が開かれた。そして現れた意外な人物を見て、私とレンカはハッと息を呑む。レネ様は反応しなかったから、前もってご存知だったのかも知れない。
「あらぁ、久しぶり。相変わらず呪われ声の人形姫は喋らないの? こんな汚くてみすぼらしい場所は、泥棒猫のアンタにお似合いね」
相変わらず脳天まで突き抜けるような甲高い声で私を蔑むのはアルント王国第二王女で、私の異母妹であるドロテアだった。ローブを剥いで現れた燃え上がるような赤色の髪は大きく波打ち、つり目がちな瞳は怒りに燃えているように見える。
「どうして……」
「ちょっと! 喋らないでよ! 私が呪われたらどうするの⁉︎」
ドロテアは心底嫌がるように私の声を遮った。そんなドロテアの後ろから現れたのは、とても気の弱そうな殿方で。病的に青白い顔はドロテアと対照的で生気が感じられない。
「ほら、エッカルト! あの女を今すぐ黙らせて! 私が呪われてもいいの⁉︎」
「それは嫌だ……」
「嫌ならさっさと黙らせて来てよ! アンタは男なんだから!」
エッカルト様というのはドロテアの婚約者となったメイロン国の第三王子だろうか。仕立ての良い服装と身なりからそのように見受けられる。
「あはは! 第三王子はまるで犬だな、既に未来のアルント王国女王の忠犬になったのか? メイロンでも問題ありの王子だからって、アルントへ追い出された癖に。情けない!」
突然、レネ様はエッカルト様を罵る言葉をぶつける。きっと私へ向かおうとした怒りの矛先を、自分の方へと変えさせる為に。
「僕は……情けなくなんか無い……」
エッカルト様はふるふると身体を震わせながらも、生気のない顔にレネ様の煽りによって、ほんの少し朱を散らした。
「はぁ? どう見たって情け無いね! そこの性格が最低にひん曲がってる赤毛姫の言いなりになって、どうせ愛されてもいないのに馬鹿馬鹿しいと思わないのか?」
「ドロテアは僕の事を愛してくれると言った。君達を上手く始末出来たら、ずっと愛してくれると」
ドロテアはエッカルト様の後方で腰に手を当てて顎をツンと上に向けている。本当にエッカルト様に約束したのだろうか? あんなにアルフレート様の事を好きだと言っていたのに。それにアルフレート様の妻となった私が憎くて、このような凶行に走ったのでは無かったの?
「やっぱりね! そんな嘘を信じて可哀想に。そこの赤毛姫が好きなのは帝国の英雄アルフレート。ここにいるエリザベート殿下の夫となる人だよ! だから拉致して始末しようとしてるってのに。いい加減現実を見ろ!」
「そんな事ない。ドロテアは……僕を愛してくれると言ったんだ!」
逆上したエッカルト様は短剣を振りかざし、レネ様に襲い掛かった。レネ様はワンピースを翻し、エッカルト様と組み合っている。
「レネ様!」
「エリザベート様、危ないですからこちらへ! レネ様は軍人ですから! 大丈夫です!」
「でも……っ」
レンカに引っ張られて、私は部屋の隅へと移動する。たった一つの扉の前では、唇を噛んだドロテアが鋭い眼差しでこちらを睨み付けていた。
「エッカルト! そんな女さっさと殺しちゃって! 狙いはエリザベートでしょ! 早くその毒で始末してよ!」
ドロテアの言葉で、エッカルト様の持つ短剣に毒が仕込まれているのだと知る。レネ様は決して負けていないけれど、流石に素手で毒が塗られた短剣を持つ男を相手に積極的に攻めることが出来ないでいるようだ。
「くっそ! 万が一私が毒で動けなくなって、殿下に危険が及んだらそれこそアルフレートに殺される! もうっ! 何かコイツ……ひ弱な身体の癖に、力だけは強いな……っ!」
「そうでしょう? エッカルトはね、メイロンに伝わる特別な薬草の力で痛みも感じないし、身体の造りがとても強く変わってるの。貧弱そうに見えて、力だけはあるのよ。さぁ、エッカルト! さっさとそんな女始末してよ! 私に愛されたいんじゃ無かったの⁉︎」
ドロテアの血走った瞳を見て、背筋がゾクリとした。このままではレネ様が危ない。どうしたら……。
「ぐわぁぁ! 僕は……っ! ドロテアに、愛されたい……っ! 死ねぇ……っ!」
明らかに目つきが変わったエッカルト様に、私は恐ろしくて声も出せずにいた。するといつの間にかエッカルト様の後方に駆け寄ったレンカが、燭台で背中を強打する。痛みは感じなくても、不意打ちに気が逸れたようだ。
「早く! 今のうちに! レネ様!」
振り返ったエッカルト様は、今度はレンカの方を睨みつけた。レンカは負けじと睨み返しているけれど、その手には壊れた燭台があるだけで。
「こんのぉ! 忠犬は、忠犬らしく伏せてろ……っ!」
必死の形相でレネ様が背後から掬い上げるように放った蹴りが、エッカルト様の股ぐらに直撃して、流石に身体の造りが強化されているとはいえ、エッカルト様もその場に崩れ落ちる。
「流石レネ様!」
呑気に喜ぶレンカの様子に私もホッとしたけれど、ドロテアは部屋中に響くような怒りの叫び声を上げる。
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