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33. ルーエの街

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 穏やかに微笑んでいたつもりが、頬に流れる熱い飛沫で無意識に泣いていたのだと分かる。こんなにも私の事を愛していると言ってくださる方だとしても、もしかしたらこの呪われた声は受け入れられないかも知れない。

 愛を知らない時ならば、もっと楽に告げられたのに。そんな事……今更思っても、もう遅い。

「呆れましたか? このような聞き苦しい声で」

 アルフ様が私に聞いたのと同じように問う。貴方の苦悶に満ちたその表情の意味は……。

 突然、抱き締められて息が詰まる。苦しいほど、肺が潰れてしまうのではないかと思うほどの力強い抱擁に、私は一気に涙が止まらなくなる。

「お辛かったでしょう。今まで、偽りの姿で過ごさねばならなかった事。呪いの声などと心無い事を言われ、人形姫だと揶揄され。本来のエリザベートの声だって……こんなにも、私にとっては心地良いのに」

 耳元でそう囁く甘い声色に、嘘は見えない。堰を切ったように、私は声を上げて泣いてしまう。今まで自分を偽って生きてきた事、初めて愛した人に嘘を吐かねばならなかった事、そしてそれを丸ごと受け入れてくれた事、その全てに熱い涙が止まらない。

「私は……っ、この声がお母様を……殺したのだと……っ。それが謀事だと分かっていても……決して人前で話す事が出来なかったのです……っ」

 涙と共に溢れてくる感情を全て吐露した。私を抱きとめてくださるアルフ様の体躯と心は立派で逞しいから、全てを受け入れてくださると信じて。

「この掠れ声は、多くの方にとって……不快な声には違いないから……」
「エリザベート、二度と貴女はご自分を偽る必要など無い。アルント王国の馬鹿どもの言葉など、それこそ耳に入れる価値すらない物だ」
「アルフ様……」
「いや、すまない。決してエリザベートの故国を悪く言う訳では無いんだ。だが、貴女に辛い思いをさせてきた奴らを直ちに斬り捨ててやりたい程には、腹が立っている」
「では……受け入れてくださいますか?」

 目の前の切長の瞳には怒りと、そして切ない感情が見え隠れしている。初めてお会いした頃、アルフ様は表情が読めない方だと思っていたけれど、今ではこんなにもこの瞳は雄弁に気持ちを語りかけてくる。

「ん……っ」

 私の問いに答えるかのように重ねられた唇の熱さに声を奪われた。幾度も重ねられ、慣れない私は息苦しくてまた涙が眦から零れ落ちた。

「これまでの声でも十分に愛おしいと思っていたのに、本来の姿を曝け出してくれたエリザベートを、受け入れないという選択肢など私には無い」
「ありがとう、ございます」

 再びきつく抱き締められて苦しかったけれど、私が逃げ出したりしないように、しっかりと捕まえてくださるアルフ様のお気持ちが嬉しかった。

「……それに、その……エリザベート本来の声は……私にとっては非常に扇状的に思えて……。思いがけず我慢を強いられそうだ」
「え……っ」
「出来れば誰にも聞かせたくないが、貴女には自然体で居て欲しい。これからは隠す必要など無い。とても魅力的な声なのだから」
「ふふっ……はい。分かりました、アルフ様」

 揺れる馬車の中で私は逞しい胸に頬を寄せて、アルフ様の大きく脈打つゆっくりとした鼓動を聞く。アルフ様は私の肩を抱き、優しく髪を撫でてくださった。

 こんなに幸せを感じた事など、今まであっただろうか。愛を知るという事は、恐ろしいけれど……とても幸せなのね。

 その昔、白の王妃と呼ばれて寵愛を一身に受けていたお母様が、国王であるお父様の事を話してくださった事を思い出す。

――「クラウスはね、とても極端なのよ。でも、根っからの悪人では無いの。臆病で、寂しがり屋で……愛を知ってから、尚更弱くなってしまった」

「エリザベート……エリザベート」
「は、はい!」
「ルーエへ着いた。大丈夫か?」
「すみません、寝てしまって……」

 いつの間にか、アルフ様の胸にもたれかかったままで眠ってしまっていたようだ。ここ数日婚前旅行の事を考えて眠りが浅かったから、ホッとしてつい睡魔に襲われてしまった。

「いや、ずっと気を張っていたんだろう。休めたのなら良かった」
「はい、ありがとうございます」

 海辺の街、ルーエは馬車から降りるなり潮の香りを乗せた風が心地よい素敵な場所だった。

「真っ白な建物の街なのですね。青い海と相まってとても美しいです」
「この辺りの建築物は壁に石灰を使っているんだ。日差しも強い地域だから、屋内を涼しくする効果もあるそうだ。何度もこの地を訪れたが、屋根や壁の一部に使われている青色がとても美しいと思っていた。思えば、エリザベートの瞳もよく似た美しい瑠璃色だ」

 アルント王国とも帝国の首都とも違った風景は、私にとっては第三の街の景色で。その美しい景観に使われた印象的な青を、アルフ様は私の瞳の色と似ていると感じでくださる。それがとても嬉しかった。

「私、この街がいっぺんに好きになりました」
「それは僥倖。滞在中には盛大な妖精祭りも開かれる。楽しみにしていてください」

 アルフ様と私の距離は、行きの馬車でぐんと近づいて。時々砕けた口調で話してくださる事がくすぐったくて、でもとても幸せだった。

「妖精祭り……どんなお祭りなのでしょう」
「まずはその準備が必要だ。では、早速今から調達へ出掛けよう」

 レンカとアルフ様の引き連れた三名の軍人の方は別の馬車で到着していて、レンカだけは先に宿へと向かった。少し離れたところから辺りを警戒する軍人の方達も、城を出た時から街に馴染めるように私服で過ごしている。

 軍服姿では無いアルフ様は帝国の貴族にしか見えなくて、初めて見るそのお姿にここに来るまで何度もドキリとさせられた。

「何を準備するのですか?」
「エリザベートには花姫の格好をして貰わねば」
「花姫……?」

 不思議に思って繰り返す私に、アルフ様はとても柔らかな笑顔を向けてくださった。



 

 
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