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21. 悪役令嬢レネ
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私の名前をフルネームで呼ぶ方はこの帝国に来て初めてだった。改めて誰かの口からアルントの名が付く私の名前を聞くと、生まれ育った城での日々を思い出してしまう。
私はアルント王国の第一王女でありながら、役に立たない呪われ声の人形姫。
「はじめまして。先程チラリとお見掛けしたものですから、ご挨拶をと思いまして。私、このクニューベル帝国の軍人でアルフレートの幼馴染でもある、ツィルマー侯爵家のレネ・フォン・ツィルマーと申します。レネ、とお呼びください」
女性軍人用なのか、ブラウスの胸元と袖口にフリルがあしらわれた軍服。そこ以外は全てアルフ様と同じで。私よりは身長が高く、シュッとして凛々しい体つきなのにお顔は整っていてとても愛らしい。その差異が非常に魅力的な方。
そして何より、この侯爵令嬢の落ち着いた低めの声はアルフ様のお耳にも負担にならないだろうと思った。
「レネ……さま。わざわざ……ご挨拶を……いただき、痛み入ります。いかにも、私は……エリザベート……フランツィスカ……アルントと……申します。この国には……女性軍人の方も……多くいらっしゃるのですか?」
「ふふっ……。そうですね、まだそこまで多くはないですが。アルント王国は女性軍人も騎士もいないのだそうですね。爵位だって女性には与えられないのだとか。そのような事だから此度ルシアから仕掛けられた戦でも、すぐに帝国へ泣きつくような真似ができるのでしょうね」
花が綻ぶような可憐な微笑みを絶やさないレネ様だけれど、棘のある言葉に明らかな敵意のようなものを感じる。やはりこの方はアルフ様の事を慕ってらっしゃるのだろう。
「お恥ずかしながら……アルント王国には……帝国のように……未だ先進的な……考え方が……浸透していないのです。……それに比べて……この国の民達は、皇帝陛下の……敏腕な政によって……とても幸福そうですね。……我が故国も……そのようになってくれればと……心から思います」
ミーナとして舞台に立つ度に感じていた事、それをそのまま素直に伝えた。将軍であるアルフ様を支えてくださっている同僚の方に、私が失礼な態度を取るわけにはいかないのだから。
そう、いくらアルフ様とこの令嬢がお二人で話していたあの光景に、胸が痛んで焼かれるような思いがしたとしても。
「へぇ……。アルフレートがアルント王国の王女を娶るだなんて言うから、どんな女かと思ったけれど。口が聞けない人形姫って言われてるの、こんな風にしか喋れないからなんだ」
先程までの礼儀正しさはレネ様の建前でしかなく、これが本音なのだと分かる。まぁるいその瞳はとても美しく魅力的な紫色をしているのに、そこには侮蔑の情を隠していないのだから。
「恐れながら、その物言いは失礼ではありませんか? こちらはアルント王国第一王女殿下なのですよ。そして、この帝国の英雄アルフレート将軍閣下の婚約者で、もうすぐ奥方となる方。侯爵令嬢で一介の軍人である貴女がそのような物言いをしても良い相手だとは思えません」
「レンカ……っ」
私の事を心から大切に思ってくれているレンカは、まるで挑発するようなレネ様の態度に我慢ならなかったのだろう。でもここはこのような瑣末ごとで揉める訳にはいかない。軍人として隣に立つ事ができるレネ様はきっと、アルフ様にとって必要なお方なのだから。
「いくらアルント王国を服属させたからって、代わりにアルフレートがこんな王女を押し付けられるなんてね。まぁろくに口が聞けないなら、高い女の声に敏感なアルフレートにとっては都合がいいのかしら。聞いてるんでしょう? アルフレートの聴覚過敏の事」
レネ様の言葉は全て的を射ていた。私との政略結婚は、お父様がアルント王国を帝国に守って貰う為に決めた事だ。それに、口が聞けない王女が聴覚過敏のアルフ様にとって都合が良いのも事実。
「はい……お耳の事は……伺っております」
「ふふっ、それなら王女殿下が選ばれた理由もお分かりよね? たとえお飾りの妻にしても、アルフレートにとって苦痛が少ない方がいいに決まってるもの」
どうして……どうしてこんなに辛いのかしら。以前の私ならば何も感じなかったのに。アルフ様の聴覚過敏の事だって、レネ様の口から聞くのがこんなにも嫌なのは何故?
「確かに私は……お飾りの……妻でしかありません。……けれど……精一杯……その役割を果たすと……労わりあえる……夫婦となると……約束したのです」
「知ってるのかどうか知らないけど、この国には一夫多妻制がまだ色濃く残っているの。まだ婚姻の儀もしていないからアルフレートだって皆の手前王女殿下に優しくしてくれるだろうけど、あまり勘違いしないようにね」
「……分かっています」
私の返事に満足したのか、レネ様は軽く鼻を鳴らしてから颯爽とその場から去った。フワリと香ったのはスモーキーな香水の香り。アルフ様と同じ香りだと気付いて、また胸が痛くなる。
レンカは私が制してからずっと、奥歯をキリキリと強く鳴らしても口を開くのを我慢してくれていた。レネ様が去ってから何やら悪態をついていたけれど、私はもうそれを嗜める気力すら残っていない。
「どうしてこんなに苦しいの……? あの城で、別棟で過ごした日々の方が、余程多く辛い事があった筈なのに。何故こんなにも涙が溢れるの? レンカ、どうして?」
幼い頃から私を守ってくれていたゼラニウムの香り。腰掛けたベンチのすぐそばからその懐かしい匂いが漂ってくるのに、私の心は剥き出しのところを遠慮なく斬り付けられたように痛む。
「あぁ、エリザベート様。どうか泣かないでください」
「アルフ様がレネ様と並んで、あのようなお顔をしているのを見ると胸が痛いの。レネ様からは本当の事しか言われていないのに、アルフ様との事をあんな風に言われると苦しいの」
「エリザベート様……」
優しいレンカを困らせるつもりなんてないけれど、でもこんな感情は初めてで。一体どうしたらこの胸のざわつきが治るのか分からない。
「常に強くあろうと決めたのに。どうしてこんなに弱虫なのかしら」
「エリザベート様、それが恋とか愛というものなのですよ。閣下の事を、既に深く愛されておられるのです」
私が……アルフ様を……?
私はアルント王国の第一王女でありながら、役に立たない呪われ声の人形姫。
「はじめまして。先程チラリとお見掛けしたものですから、ご挨拶をと思いまして。私、このクニューベル帝国の軍人でアルフレートの幼馴染でもある、ツィルマー侯爵家のレネ・フォン・ツィルマーと申します。レネ、とお呼びください」
女性軍人用なのか、ブラウスの胸元と袖口にフリルがあしらわれた軍服。そこ以外は全てアルフ様と同じで。私よりは身長が高く、シュッとして凛々しい体つきなのにお顔は整っていてとても愛らしい。その差異が非常に魅力的な方。
そして何より、この侯爵令嬢の落ち着いた低めの声はアルフ様のお耳にも負担にならないだろうと思った。
「レネ……さま。わざわざ……ご挨拶を……いただき、痛み入ります。いかにも、私は……エリザベート……フランツィスカ……アルントと……申します。この国には……女性軍人の方も……多くいらっしゃるのですか?」
「ふふっ……。そうですね、まだそこまで多くはないですが。アルント王国は女性軍人も騎士もいないのだそうですね。爵位だって女性には与えられないのだとか。そのような事だから此度ルシアから仕掛けられた戦でも、すぐに帝国へ泣きつくような真似ができるのでしょうね」
花が綻ぶような可憐な微笑みを絶やさないレネ様だけれど、棘のある言葉に明らかな敵意のようなものを感じる。やはりこの方はアルフ様の事を慕ってらっしゃるのだろう。
「お恥ずかしながら……アルント王国には……帝国のように……未だ先進的な……考え方が……浸透していないのです。……それに比べて……この国の民達は、皇帝陛下の……敏腕な政によって……とても幸福そうですね。……我が故国も……そのようになってくれればと……心から思います」
ミーナとして舞台に立つ度に感じていた事、それをそのまま素直に伝えた。将軍であるアルフ様を支えてくださっている同僚の方に、私が失礼な態度を取るわけにはいかないのだから。
そう、いくらアルフ様とこの令嬢がお二人で話していたあの光景に、胸が痛んで焼かれるような思いがしたとしても。
「へぇ……。アルフレートがアルント王国の王女を娶るだなんて言うから、どんな女かと思ったけれど。口が聞けない人形姫って言われてるの、こんな風にしか喋れないからなんだ」
先程までの礼儀正しさはレネ様の建前でしかなく、これが本音なのだと分かる。まぁるいその瞳はとても美しく魅力的な紫色をしているのに、そこには侮蔑の情を隠していないのだから。
「恐れながら、その物言いは失礼ではありませんか? こちらはアルント王国第一王女殿下なのですよ。そして、この帝国の英雄アルフレート将軍閣下の婚約者で、もうすぐ奥方となる方。侯爵令嬢で一介の軍人である貴女がそのような物言いをしても良い相手だとは思えません」
「レンカ……っ」
私の事を心から大切に思ってくれているレンカは、まるで挑発するようなレネ様の態度に我慢ならなかったのだろう。でもここはこのような瑣末ごとで揉める訳にはいかない。軍人として隣に立つ事ができるレネ様はきっと、アルフ様にとって必要なお方なのだから。
「いくらアルント王国を服属させたからって、代わりにアルフレートがこんな王女を押し付けられるなんてね。まぁろくに口が聞けないなら、高い女の声に敏感なアルフレートにとっては都合がいいのかしら。聞いてるんでしょう? アルフレートの聴覚過敏の事」
レネ様の言葉は全て的を射ていた。私との政略結婚は、お父様がアルント王国を帝国に守って貰う為に決めた事だ。それに、口が聞けない王女が聴覚過敏のアルフ様にとって都合が良いのも事実。
「はい……お耳の事は……伺っております」
「ふふっ、それなら王女殿下が選ばれた理由もお分かりよね? たとえお飾りの妻にしても、アルフレートにとって苦痛が少ない方がいいに決まってるもの」
どうして……どうしてこんなに辛いのかしら。以前の私ならば何も感じなかったのに。アルフ様の聴覚過敏の事だって、レネ様の口から聞くのがこんなにも嫌なのは何故?
「確かに私は……お飾りの……妻でしかありません。……けれど……精一杯……その役割を果たすと……労わりあえる……夫婦となると……約束したのです」
「知ってるのかどうか知らないけど、この国には一夫多妻制がまだ色濃く残っているの。まだ婚姻の儀もしていないからアルフレートだって皆の手前王女殿下に優しくしてくれるだろうけど、あまり勘違いしないようにね」
「……分かっています」
私の返事に満足したのか、レネ様は軽く鼻を鳴らしてから颯爽とその場から去った。フワリと香ったのはスモーキーな香水の香り。アルフ様と同じ香りだと気付いて、また胸が痛くなる。
レンカは私が制してからずっと、奥歯をキリキリと強く鳴らしても口を開くのを我慢してくれていた。レネ様が去ってから何やら悪態をついていたけれど、私はもうそれを嗜める気力すら残っていない。
「どうしてこんなに苦しいの……? あの城で、別棟で過ごした日々の方が、余程多く辛い事があった筈なのに。何故こんなにも涙が溢れるの? レンカ、どうして?」
幼い頃から私を守ってくれていたゼラニウムの香り。腰掛けたベンチのすぐそばからその懐かしい匂いが漂ってくるのに、私の心は剥き出しのところを遠慮なく斬り付けられたように痛む。
「あぁ、エリザベート様。どうか泣かないでください」
「アルフ様がレネ様と並んで、あのようなお顔をしているのを見ると胸が痛いの。レネ様からは本当の事しか言われていないのに、アルフ様との事をあんな風に言われると苦しいの」
「エリザベート様……」
優しいレンカを困らせるつもりなんてないけれど、でもこんな感情は初めてで。一体どうしたらこの胸のざわつきが治るのか分からない。
「常に強くあろうと決めたのに。どうしてこんなに弱虫なのかしら」
「エリザベート様、それが恋とか愛というものなのですよ。閣下の事を、既に深く愛されておられるのです」
私が……アルフ様を……?
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