20 / 55
19. 居場所を整える
しおりを挟む
私とワルターの手紙を運んでくれる美しい鳥ヴァイス。衛兵達の視線には気をつけていたけれど、まさかアルフ様がどこからか見ていたなんて。
「あの……、友人と……どうしても……」
大切な友人とのやり取りなのだと、話せば分かってもらえるのでは無いか。けれど、勝手に帝国の城へヴァイスを招き入れている事を咎められるのでは無いか。そんな相反する気持ちのせいで、胸がドクドクと嫌な音を立てて暴れている。
「とても大切なご友人なのですね。あの鳥から書簡を受け取る貴女の表情は、とても明るくごく自然なものでした。突然このような所へ連れて来てしまったのは私のせいですし。咎めるつもりはありません」
「では……これからも……よろしいのですか?」
咎めるつもりは無いという言葉にそう尋ねると、アルフ様は少しだけ困ったように眉を下げる。
その表情はどういう意味なの? やはり、勝手な事をするのは良くないのかしら。
真意を図りかねていると、先に口を開いたのはアルフ様だった。
「これからも、貴女がその友人と書簡のやり取りをする事を咎めたりなどしません。けれど、たとえ友人とはいえ、貴女にあのような表情をさせる相手がいる事に、私は胸がざわついたのです」
低くて身体の芯を蕩けさせるような声色だった。アルフ様はするりと私の耳横の髪に触れ、まるで宝物を愛でるように優しく撫でる。
「あの……」
「エリザベート王女殿下、貴女には恋慕の情を寄せる方がいらっしゃるのですか?」
「い、いいえ! そのような方……私には……ただの一度だって……いません」
妻になる相手が他の殿方に懸想をしているなどと、アルフ様の評判に関わるから聞いているのだわ。
けれど今日のアルフ様、何だかいつもと違うみたい。どうしてそんな風に私の事を優しく見つめているのかしら。それなのに、時々苦しそうにされるのは何故?
「本当に?」
「ええ……、あの場所に……別棟に……ずっと居たのです。そのような方に……出会う機会も……ありませんわ」
時々賓客を迎えた舞踏会には、体裁を保つ為に人形姫である私も呼ばれる事はあった。けれどアルント王国の貴族達は私を笑い物にしていたし、誰一人声を掛けてくる者も、踊る者も居なかった。時々他国の賓客と言葉を交わす機会はあっても、口の聞けない王女などつまらないと言われた。
「私は……ずっと……つまらない王女……だったのですから」
分かっていたはずの事を、アルフ様の前で口にするとどうしてだかとても辛い。近頃は時々目の前の立派な体躯に縋りつきたい、抱きしめて欲しいと刹那に願ってしまう事さえある。それも、アルフ様が私に向けてとても優しく接してくださるから。
「貴女はつまらない王女などでは無い。貴女の声は、私にとって救いだったのです」
「アルフ様……?」
「私は、とある音に対してだけ聴覚が異様に過敏なのです。実は……女性の高い声が苦手で。耳が痛くなり、頭痛がして、ひどい時はもっと具合が悪くなるのです。大概の場では我慢するのですが、流石にそのような状態で陛下に何度言われようとも、妻など娶ろうとも思いませんでした」
聞けば、アルフ様は他の高音に関しては大丈夫なのだと言う。剣と剣がぶつかる音や、戦での様々な音、他にも笛の音なども。高い女性の声だけが酷く耳に届くのだと。
いつからそうなのかと問えば、アルフ様がまだ幼い頃にお母様が目の前で無惨にも賊に斬られたのだと言う。その時の断末魔が耳にこびりつき、どうしても高い女の声が苦手になってしまったのだと話してくれた。
「殿下……っ! どうか泣かないでください!」
慌てた表情は初めて見たかしら。この方の色々な表情を見てみたい。
「ごめん……なさい……。きっと……とても……辛かったのでしょう……アルフ様は……お母様を……目の前で……」
アルフ様は私に同情して欲しくて話してくれた訳では無い。これから夫婦となるのだから、お互いを知り合う為に心の内とお身体の具合を話して下さったのだ。分かっているのに、次から次へと涙が溢れて止まらない。
そんな私をアルフ様はその大きな身体で優しく抱きしめて下さった。軍服からふわりと香るスモーキーな香水に、ドキリと胸が跳ねる。頭の上に感じるアルフ様の吐息が、とても熱く感じた。
「貴女のように心優しい方が、口が聞けない人形姫などと呼ばれて虐げられていた事が、私は未だに許せません。はじまりはコンラート陛下の戯れでしたが、私は貴女に出会えて心から良かったと思っています。貴女の声はとても心地良い。このように耳に不便のある私にとって、貴女は神が定めた相手なのだと思ったのです」
「でも……私……」
私のこの声は裏声で……本当はもっと醜い掠れ声なのに。耳障りなあの声は、流石のアルフ様だって嫌がるに違いないのに。
「貴女が妻となってくれると決まってから、陛下も戦と公務狂いの私がやっと妻を娶るのだと安心したようです。陛下とは乳兄弟の仲なのですが、いかんせん私に対して過干渉なところがあるので」
「そう……なのですか……」
もうとっくに泣き止んでいるというのに、なかなか抱きすくめた身体を離してくれないアルフ様に戸惑ってしまう。すると、遠くの方から近づいて来た衛兵達の視線と声を感じた。
「見ろよ、我らが将軍閣下は婚約者である王女殿下を溺愛されているようだ」
「これはますます王女殿下をしっかりとお守りしないとな」
あぁ、なるほど。アルント王国の場内で、衛兵達は人形姫である私を見くびって守ろうともしなかった。だからこの場所で、わざと目につくように私に優しくする事で、私の事を守ろうとして下さっているのだわ。
アルフ様は私の事を政略結婚相手として、相応しいのだと褒めてくださった。それだけでも十分に私の心は満たされたのに。その上私という人間の居場所をしっかりと作ろうとしてくださっている。
「アルフ様……貴方に……心から……感謝します」
「あの……、友人と……どうしても……」
大切な友人とのやり取りなのだと、話せば分かってもらえるのでは無いか。けれど、勝手に帝国の城へヴァイスを招き入れている事を咎められるのでは無いか。そんな相反する気持ちのせいで、胸がドクドクと嫌な音を立てて暴れている。
「とても大切なご友人なのですね。あの鳥から書簡を受け取る貴女の表情は、とても明るくごく自然なものでした。突然このような所へ連れて来てしまったのは私のせいですし。咎めるつもりはありません」
「では……これからも……よろしいのですか?」
咎めるつもりは無いという言葉にそう尋ねると、アルフ様は少しだけ困ったように眉を下げる。
その表情はどういう意味なの? やはり、勝手な事をするのは良くないのかしら。
真意を図りかねていると、先に口を開いたのはアルフ様だった。
「これからも、貴女がその友人と書簡のやり取りをする事を咎めたりなどしません。けれど、たとえ友人とはいえ、貴女にあのような表情をさせる相手がいる事に、私は胸がざわついたのです」
低くて身体の芯を蕩けさせるような声色だった。アルフ様はするりと私の耳横の髪に触れ、まるで宝物を愛でるように優しく撫でる。
「あの……」
「エリザベート王女殿下、貴女には恋慕の情を寄せる方がいらっしゃるのですか?」
「い、いいえ! そのような方……私には……ただの一度だって……いません」
妻になる相手が他の殿方に懸想をしているなどと、アルフ様の評判に関わるから聞いているのだわ。
けれど今日のアルフ様、何だかいつもと違うみたい。どうしてそんな風に私の事を優しく見つめているのかしら。それなのに、時々苦しそうにされるのは何故?
「本当に?」
「ええ……、あの場所に……別棟に……ずっと居たのです。そのような方に……出会う機会も……ありませんわ」
時々賓客を迎えた舞踏会には、体裁を保つ為に人形姫である私も呼ばれる事はあった。けれどアルント王国の貴族達は私を笑い物にしていたし、誰一人声を掛けてくる者も、踊る者も居なかった。時々他国の賓客と言葉を交わす機会はあっても、口の聞けない王女などつまらないと言われた。
「私は……ずっと……つまらない王女……だったのですから」
分かっていたはずの事を、アルフ様の前で口にするとどうしてだかとても辛い。近頃は時々目の前の立派な体躯に縋りつきたい、抱きしめて欲しいと刹那に願ってしまう事さえある。それも、アルフ様が私に向けてとても優しく接してくださるから。
「貴女はつまらない王女などでは無い。貴女の声は、私にとって救いだったのです」
「アルフ様……?」
「私は、とある音に対してだけ聴覚が異様に過敏なのです。実は……女性の高い声が苦手で。耳が痛くなり、頭痛がして、ひどい時はもっと具合が悪くなるのです。大概の場では我慢するのですが、流石にそのような状態で陛下に何度言われようとも、妻など娶ろうとも思いませんでした」
聞けば、アルフ様は他の高音に関しては大丈夫なのだと言う。剣と剣がぶつかる音や、戦での様々な音、他にも笛の音なども。高い女性の声だけが酷く耳に届くのだと。
いつからそうなのかと問えば、アルフ様がまだ幼い頃にお母様が目の前で無惨にも賊に斬られたのだと言う。その時の断末魔が耳にこびりつき、どうしても高い女の声が苦手になってしまったのだと話してくれた。
「殿下……っ! どうか泣かないでください!」
慌てた表情は初めて見たかしら。この方の色々な表情を見てみたい。
「ごめん……なさい……。きっと……とても……辛かったのでしょう……アルフ様は……お母様を……目の前で……」
アルフ様は私に同情して欲しくて話してくれた訳では無い。これから夫婦となるのだから、お互いを知り合う為に心の内とお身体の具合を話して下さったのだ。分かっているのに、次から次へと涙が溢れて止まらない。
そんな私をアルフ様はその大きな身体で優しく抱きしめて下さった。軍服からふわりと香るスモーキーな香水に、ドキリと胸が跳ねる。頭の上に感じるアルフ様の吐息が、とても熱く感じた。
「貴女のように心優しい方が、口が聞けない人形姫などと呼ばれて虐げられていた事が、私は未だに許せません。はじまりはコンラート陛下の戯れでしたが、私は貴女に出会えて心から良かったと思っています。貴女の声はとても心地良い。このように耳に不便のある私にとって、貴女は神が定めた相手なのだと思ったのです」
「でも……私……」
私のこの声は裏声で……本当はもっと醜い掠れ声なのに。耳障りなあの声は、流石のアルフ様だって嫌がるに違いないのに。
「貴女が妻となってくれると決まってから、陛下も戦と公務狂いの私がやっと妻を娶るのだと安心したようです。陛下とは乳兄弟の仲なのですが、いかんせん私に対して過干渉なところがあるので」
「そう……なのですか……」
もうとっくに泣き止んでいるというのに、なかなか抱きすくめた身体を離してくれないアルフ様に戸惑ってしまう。すると、遠くの方から近づいて来た衛兵達の視線と声を感じた。
「見ろよ、我らが将軍閣下は婚約者である王女殿下を溺愛されているようだ」
「これはますます王女殿下をしっかりとお守りしないとな」
あぁ、なるほど。アルント王国の場内で、衛兵達は人形姫である私を見くびって守ろうともしなかった。だからこの場所で、わざと目につくように私に優しくする事で、私の事を守ろうとして下さっているのだわ。
アルフ様は私の事を政略結婚相手として、相応しいのだと褒めてくださった。それだけでも十分に私の心は満たされたのに。その上私という人間の居場所をしっかりと作ろうとしてくださっている。
「アルフ様……貴方に……心から……感謝します」
1
お気に入りに追加
306
あなたにおすすめの小説
【完結】身を引いたつもりが逆効果でした
風見ゆうみ
恋愛
6年前に別れの言葉もなく、あたしの前から姿を消した彼と再会したのは、王子の婚約パレードの時だった。
一緒に遊んでいた頃には知らなかったけれど、彼は実は王子だったらしい。しかもあたしの親友と彼の弟も幼い頃に将来の約束をしていたようで・・・・・。
平民と王族ではつりあわない、そう思い、身を引こうとしたのだけど、なぜか逃してくれません!
というか、婚約者にされそうです!
【完結】妖精姫と忘れられた恋~好きな人が結婚するみたいなので解放してあげようと思います~
塩羽間つづり
恋愛
お気に入り登録やエールいつもありがとうございます!
2.23完結しました!
ファルメリア王国の姫、メルティア・P・ファルメリアは、幼いころから恋をしていた。
相手は幼馴染ジーク・フォン・ランスト。
ローズの称号を賜る名門一族の次男だった。
幼いころの約束を信じ、いつかジークと結ばれると思っていたメルティアだが、ジークが結婚すると知り、メルティアの生活は一変する。
好きになってもらえるように慣れないお化粧をしたり、着飾ったりしてみたけれど反応はいまいち。
そしてだんだんと、メルティアは恋の邪魔をしているのは自分なのではないかと思いあたる。
それに気づいてから、メルティアはジークの幸せのためにジーク離れをはじめるのだが、思っていたようにはいかなくて……?
妖精が見えるお姫様と近衛騎士のすれ違う恋のお話
切なめ恋愛ファンタジー
婚約者が実は私を嫌っていたので、全て忘れる事にしました
Kouei
恋愛
私セイシェル・メルハーフェンは、
あこがれていたルパート・プレトリア伯爵令息と婚約できて幸せだった。
ルパート様も私に歩み寄ろうとして下さっている。
けれど私は聞いてしまった。ルパート様の本音を。
『我慢するしかない』
『彼女といると疲れる』
私はルパート様に嫌われていたの?
本当は厭わしく思っていたの?
だから私は決めました。
あなたを忘れようと…
※この作品は、他投稿サイトにも公開しています。
俺の妖精すぎるおっとり妻から離縁を求められ、戦場でも止まらなかった心臓が止まるかと思った。何を言われても別れたくはないんだが?
イセヤ レキ
恋愛
「離縁致しましょう」
私の幸せな世界は、妻の言い放ったたった一言で、凍りついたのを感じた──。
最愛の妻から離縁を突きつけられ、最終的に無事に回避することが出来た、英雄の独白。
全6話、完結済。
リクエストにお応えした作品です。
単体でも読めると思いますが、
①【私の愛しい娘が、自分は悪役令嬢だと言っております。私の呪詛を恋敵に使って断罪されるらしいのですが、同じ失敗を犯すつもりはございませんよ?】
母主人公
※ノベルアンソロジー掲載の為、アルファポリス様からは引き下げております。
②【私は、お母様の能力を使って人の恋路を邪魔する悪役令嬢のようです。けれども断罪回避を目指すので、ヒーローに近付くつもりは微塵もございませんよ?】
娘主人公
を先にお読み頂くと世界観に理解が深まるかと思います。
旦那様の様子がおかしいのでそろそろ離婚を切り出されるみたいです。
バナナマヨネーズ
恋愛
とある王国の北部を治める公爵夫婦は、すべての領民に愛されていた。
しかし、公爵夫人である、ギネヴィアは、旦那様であるアルトラーディの様子がおかしいことに気が付く。
最近、旦那様の様子がおかしい気がする……。
わたしの顔を見て、何か言いたそうにするけれど、結局何も言わない旦那様。
旦那様と結婚して十年の月日が経過したわ。
当時、十歳になったばかりの幼い旦那様と、見た目十歳くらいのわたし。
とある事情で荒れ果てた北部を治めることとなった旦那様を支える為、結婚と同時に北部へ住処を移した。
それから十年。
なるほど、とうとうその時が来たのね。
大丈夫よ。旦那様。ちゃんと離婚してあげますから、安心してください。
一人の女性を心から愛する旦那様(超絶妻ラブ)と幼い旦那様を立派な紳士へと育て上げた一人の女性(合法ロリ)の二人が紡ぐ、勘違いから始まり、運命的な恋に気が付き、真実の愛に至るまでの物語。
全36話
夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました
氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。
ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。
小説家になろう様にも掲載中です
【完結】あなたから、言われるくらいなら。
たまこ
恋愛
侯爵令嬢アマンダの婚約者ジェレミーは、三か月前編入してきた平民出身のクララとばかり逢瀬を重ねている。アマンダはいつ婚約破棄を言い渡されるのか、恐々していたが、ジェレミーから言われた言葉とは……。
2023.4.25
HOTランキング36位/24hランキング30位
ありがとうございました!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる