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10. これは政略結婚
しおりを挟むお父様の様子に、私は背筋がゾクリと凍るような気持ちがしてしまう。もしかしたら本当にそうするつもりだったのかと、その場合私は一体どうなってしまうのだろうかと考えて、目の前がぐにゃりと歪むような気がした。
「無いとは思うけれど、そんな事がないように。念に念を入れてって事だから。では、そういう事で……」
皇帝陛下がそう口にした時重厚な扉が勢いよく開き、吊り目をより吊り上がらせた王妃が、赤く燃え上がるような髪を揺らして飛び込んで来る。
「お待ちください! 何故エリザベートなのですか⁉︎ ドロテアとヘルタはこのように世間知らずで我儘で、口も聞けないようなエリザベートと違ってとても優秀な王女達です! それなのに、どうしてエリザベートなのです⁉︎」
「王妃! 下がりなさい!」
流石のお父様も慌てて王妃へ命じたものの、怒り狂った様子の王妃は持っていた扇を床へ投げ付けて怒りを露わにする。
「エリザベート! 貴女という女は……っ! 大人しいふりをして陰でコソコソアルフレート将軍を籠絡するなんて! 何てはしたない女なのでしょう! 恥を知りなさい! 貴女が別棟にアルフレート将軍を連れ込んだのを衛兵達が見ているのよ!」
絹の手袋をはめた手で握り拳を作り、ふるふると震わせる王妃を、お父様は目線で制する。しかし怒りが収まらない様子の王妃は、なおも言葉を重ねようと口を開いた。
「お言葉ですが。この国では王女殿下に護衛騎士がつくこともなく、衛兵達は王女殿下が一人で廊下を歩いていても平気な顔をし、たった一人の侍女しかいない別棟に王女殿下を住まわせるのですか? ドロテア王女殿下もヘルタ王女殿下も、それは同じなのでしょうか?」
そう言って私に向ける王妃の憎悪に燃える視線をその身体で遮るようにして立ったのは、アルフレート将軍だった。将軍の言葉にお父様も王妃も言葉を失い、皇帝陛下は「へぇ……」とさも可笑しそうな顔をした。
「ま、まさか……。それは何かの間違いでしょう」
お父様はそう言って唇を青くした。目の前にアルフレート将軍の逞しい背中がある私からは、王妃がどのような表情をしているのかは分からないけれど、ギリリと歯噛みする音が聞こえたような気がする。
「いいえ、王妃殿下が先ほどおっしゃったではありませんか。私がエリザベート王女殿下と共に別棟へ向かうのを衛兵達が見ていた、と」
「それが何だっておっしゃるのですか⁉︎」
もはや取り繕うつもりもないのか、王妃は噛み付くようにしてアルフレート将軍へ向かって声を荒くする。
「何故、そのような状況をただ見ていたのか。あの時、エリザベート王女殿下には一人も護衛騎士が付いておらず、衛兵達も見て見ぬふりをしておりましたので私が送って差し上げたまで。気付いていたのならば衛兵達のすべき事は他にあったのでは無いですか?」
「けれど……っ!」
まだどうしても納得がいかない様子の王妃だったが、黙って話を聞いていた皇帝陛下が苦笑いでお父様に話しかける。
「クラウス国王、悪いけどこんな状態なら一刻も早くエリザベート王女は帝国に連れて行くよ。我々は三日後にはここを発つ予定だけど、その際王女も連れて行く。アルフレートの婚約者という形で、婚姻の儀までしばらく我が城に滞在してもらう事にするよ。荷物や輿入れの道具などを送りたいならば後で送ればいいから」
そんな……、三日後だなんて。そんなに早くこの国を去る事になるなんて思いもよらなかった私は、呆然と成り行きを見守るしか無かった。やがてお父様はがくりと肩を落として頷く。
「……承知しました」
「クラウス! どうして⁉︎」
「王妃! 控えろと言ったはずだ!」
お父様と王妃が言い合いになる中、私は居た堪れずに思わず涙がこぼれ落ちそうになる。情けなくて、悲しくて、それにこれからどうなってしまうのか不安で堪らなかった。
「エリザベート王女殿下、突然の事で驚かせてしまい申し訳ありません」
私を王妃の視線から守るようにして立っていた、逞しく広い背中がくるりと向きを変える。そして、明らかに労わるような視線を向けながらそう告げるアルフレート将軍の顔を、私は見上げるようにして見つめた。
「此度は私と皇帝陛下の我儘で急な事になってしまったのですが、どうか許していただけませんか」
アルフレート将軍はふいと眼差しをコンラート皇帝陛下の方へと向けた。陛下はお父様と王妃の言い争いをさも面白そうに見ていたが、アルフレート将軍の視線に気づくと肩をすくめて小首を傾げる。
「我々の婚姻は、クニューベル帝国とアルント王国の強固な繋がりとなるでしょう」
そう告げられて、ハッとする。そうだ、アルフレート将軍はクニューベル帝国と皇帝陛下に身を捧げられたお方。この輿入れの話だって、元々は両国の友好と関係の強化の為の政略結婚で、その他の意味なんて無かった。私ったらレンカがおかしな事を言うものだから変に意識していたけれど、馬鹿みたい。
「私と来て、いただけますね?」
改めてアルフレート将軍に尋ねられ、私は大きく頷いた。
それを見てお父様は少しホッとしていたし、王妃はその場に崩れ落ちた。皇帝陛下は満足げに声を出して笑っていて、将軍は……やはり私にはその瞳に隠された感情を読み取る事が出来なかった。
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