上 下
5 / 55

4. 感謝を込めた一針ひと針

しおりを挟む
 ワルターに伝えた通り、それから王城の中も外もクニューベル帝国からの賓客を受け入れる準備の為に、落ち着かない日々が続いた。

 私の住まう別棟だって、万が一将軍達が訪れては一大事と、いつもは居ないような侍女や侍従達が何人も来ては、忙しそうに掃除をしたり部屋の補修をしたりしている。元々私と侍女一人だけしか過ごしていないこの別棟は、お父様の関心を失ったあの時から一切きちんとした手入れがなされていなかったので、所々が傷んでいた。

 ワルターと私は普段城の地下を通る秘密の通路を使って城下町へと出ていたけれど、流石にこうも人が多いと私が誰にも気づかれずに外へ出ることは難しいだろう。ワルターはそれでも時々人目を忍んで夜に顔を見せに来てくれたけれど、私が一緒に外出する事は無かった。

「エリザベート様、お元気がありませんね」

 周囲に誰も居ないことを確認して、レンカがお茶を淹れつつ私の憂い顔に心配の言葉を掛ける。このサロンには今、私とレンカの二人だけ。他の者には、私が口を聞いているところを見られては困るから。

「もう二回もミーナとして出る筈だった舞台を休んでいるから。どうしても気になってしまうのよ」
「そうですよね。ミーナが居ないと知ると舞台を観に来た民衆も少しガッカリして帰るようです。エリザベート様の歌声を、皆楽しみにしているんですもの」

 侍女のレンカと乳兄妹のワルターは偶然にも同郷の幼馴染らしく、城の外でも時々会っていると聞く。ワルターから舞台を観に来た民衆の様子を聞いたのだろう。

「クニューベル帝国の皇帝陛下とアルフレート様が無事お帰りになったらまた私もミーナとして舞台に立てるわ。もう少しの辛抱よね」
「エリザベート様……。エリザベート様が将軍閣下の奥方に選ばれるとは、微塵もお考えにならないのですね」
「まさか。私は呪われた声を持つ人形姫よ。わざわざ三人もいる王女の中から選ばれるとは思えないわ」

 私の言葉に、レンカは珍しく苦笑いを浮かべた。その時の表情は、ワルターに同じような事を言った時のものにも似ているような気がしたけれど、大人しい性質のレンカはワルターのように怒る事はなかった。

「エリザベート様はご自分の価値を全く分かってらっしゃらないから」
「レンカ、私に価値があるとすれば、ミーナとして舞台に立って民に歌を届ける事くらいよ」
「それも大切なエリザベート様にしか出来ないお務めですけれど。エリザベート様は美しく、優しく、そして強い方です。分かる人にはそれが分かるのですよ。このように寂れた場所でこれからずっと過ごして良い方ではありません」

 数少ない味方でとても思いやりのある優しい娘レンカ。私の為に何度も涙を流してくれた。

「ありがとう、レンカ。私は今のままで十分幸せだし、ここでの暮らしが気に入っているの。レンカも居てくれるしね」
「ああ、エリザベート様ぁ! おいたわしい!」

 お仕着せのポケットから出したハンカチで目元を拭うレンカの背にそっと触れ、その温かさに私の胸もポウッと温かくなる。ツンとする鼻の奥の痛みを誤魔化すように、レンカの淹れてくれたお茶を口に運んだ。

 サロンの窓から見えるこじんまりとした庭園では、庭師が侍従の指示に従って伸び放題だった樹木の手入れを行なっている。賓客が別棟まで訪れるとは思えないけれど、このゼラニウムの香りに包まれた庭が手入れをされて美しくなるのは嬉しい。

「さぁ、お茶を飲んでしまったら昨日の続きをしましょうか。刺繍って本当に難しいのね」
「エリザベート様は飲み込みが早くていらっしゃるから。すぐに美しい刺繍が出来るようになりますよ」

 少し前からレンカに教えてもらいながら刺繍をはじめた。練習で小物をいくつか作ってから、今はワルターに渡すハンカチの刺繍をしているところだった。感謝を込めて一針ひと針刺していくのはとても楽しい。

「ワルターに渡すハンカチが出来上がったら、今度は衣装に使っているストールに刺繍をしてみようと思うの」
「まぁ、それはいいですね。あのハンカチはもうあと少しで出来上がりそうですし。ストールに刺繍をされるのでしたら、図案に合わせてまた新しい刺繍糸を買ってきます」
「ええ、そうね。ありがとう」

 爽やかな風が頬を撫でていくのを感じながら、私は自分の少し先の未来だって今と変わりなく穏やかに過ぎていくのだと、そう信じて疑っていなかった。

 






しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

王妃の手習い

桃井すもも
恋愛
オフィーリアは王太子の婚約者候補である。しかしそれは、国内貴族の勢力バランスを鑑みて、解消が前提の予定調和のものであった。 真の婚約者は既に内定している。 近い将来、オフィーリアは候補から外される。 ❇妄想の産物につき史実と100%異なります。 ❇知らない事は書けないをモットーに完結まで頑張ります。 ❇妄想スイマーと共に遠泳下さる方にお楽しみ頂けますと泳ぎ甲斐があります。

【完結】身を引いたつもりが逆効果でした

風見ゆうみ
恋愛
6年前に別れの言葉もなく、あたしの前から姿を消した彼と再会したのは、王子の婚約パレードの時だった。 一緒に遊んでいた頃には知らなかったけれど、彼は実は王子だったらしい。しかもあたしの親友と彼の弟も幼い頃に将来の約束をしていたようで・・・・・。 平民と王族ではつりあわない、そう思い、身を引こうとしたのだけど、なぜか逃してくれません! というか、婚約者にされそうです!

【完結】妖精姫と忘れられた恋~好きな人が結婚するみたいなので解放してあげようと思います~

塩羽間つづり
恋愛
お気に入り登録やエールいつもありがとうございます! 2.23完結しました! ファルメリア王国の姫、メルティア・P・ファルメリアは、幼いころから恋をしていた。 相手は幼馴染ジーク・フォン・ランスト。 ローズの称号を賜る名門一族の次男だった。 幼いころの約束を信じ、いつかジークと結ばれると思っていたメルティアだが、ジークが結婚すると知り、メルティアの生活は一変する。 好きになってもらえるように慣れないお化粧をしたり、着飾ったりしてみたけれど反応はいまいち。 そしてだんだんと、メルティアは恋の邪魔をしているのは自分なのではないかと思いあたる。 それに気づいてから、メルティアはジークの幸せのためにジーク離れをはじめるのだが、思っていたようにはいかなくて……? 妖精が見えるお姫様と近衛騎士のすれ違う恋のお話 切なめ恋愛ファンタジー

悪役令嬢は毒を食べた。

桜夢 柚枝*さくらむ ゆえ
恋愛
婚約者が本当に好きだった 悪役令嬢のその後

挙式後すぐに離婚届を手渡された私は、この結婚は予め捨てられることが確定していた事実を知らされました

結城芙由奈 
恋愛
【結婚した日に、「君にこれを預けておく」と離婚届を手渡されました】 今日、私は子供の頃からずっと大好きだった人と結婚した。しかし、式の後に絶望的な事を彼に言われた。 「ごめん、本当は君とは結婚したくなかったんだ。これを預けておくから、その気になったら提出してくれ」 そう言って手渡されたのは何と離婚届けだった。 そしてどこまでも冷たい態度の夫の行動に傷つけられていく私。 けれどその裏には私の知らない、ある深い事情が隠されていた。 その真意を知った時、私は―。 ※暫く鬱展開が続きます ※他サイトでも投稿中

俺の妖精すぎるおっとり妻から離縁を求められ、戦場でも止まらなかった心臓が止まるかと思った。何を言われても別れたくはないんだが?

イセヤ レキ
恋愛
「離縁致しましょう」 私の幸せな世界は、妻の言い放ったたった一言で、凍りついたのを感じた──。 最愛の妻から離縁を突きつけられ、最終的に無事に回避することが出来た、英雄の独白。 全6話、完結済。 リクエストにお応えした作品です。 単体でも読めると思いますが、 ①【私の愛しい娘が、自分は悪役令嬢だと言っております。私の呪詛を恋敵に使って断罪されるらしいのですが、同じ失敗を犯すつもりはございませんよ?】 母主人公 ※ノベルアンソロジー掲載の為、アルファポリス様からは引き下げております。 ②【私は、お母様の能力を使って人の恋路を邪魔する悪役令嬢のようです。けれども断罪回避を目指すので、ヒーローに近付くつもりは微塵もございませんよ?】 娘主人公 を先にお読み頂くと世界観に理解が深まるかと思います。

旦那様の様子がおかしいのでそろそろ離婚を切り出されるみたいです。

バナナマヨネーズ
恋愛
 とある王国の北部を治める公爵夫婦は、すべての領民に愛されていた。  しかし、公爵夫人である、ギネヴィアは、旦那様であるアルトラーディの様子がおかしいことに気が付く。  最近、旦那様の様子がおかしい気がする……。  わたしの顔を見て、何か言いたそうにするけれど、結局何も言わない旦那様。  旦那様と結婚して十年の月日が経過したわ。  当時、十歳になったばかりの幼い旦那様と、見た目十歳くらいのわたし。  とある事情で荒れ果てた北部を治めることとなった旦那様を支える為、結婚と同時に北部へ住処を移した。    それから十年。  なるほど、とうとうその時が来たのね。  大丈夫よ。旦那様。ちゃんと離婚してあげますから、安心してください。  一人の女性を心から愛する旦那様(超絶妻ラブ)と幼い旦那様を立派な紳士へと育て上げた一人の女性(合法ロリ)の二人が紡ぐ、勘違いから始まり、運命的な恋に気が付き、真実の愛に至るまでの物語。 全36話

【改稿版・完結】その瞳に魅入られて

おもち。
恋愛
「——君を愛してる」 そう悲鳴にも似た心からの叫びは、婚約者である私に向けたものではない。私の従姉妹へ向けられたものだった—— 幼い頃に交わした婚約だったけれど私は彼を愛してたし、彼に愛されていると思っていた。 あの日、二人の胸を引き裂くような思いを聞くまでは…… 『最初から愛されていなかった』 その事実に心が悲鳴を上げ、目の前が真っ白になった。 私は愛し合っている二人を引き裂く『邪魔者』でしかないのだと、その光景を見ながらひたすら現実を受け入れるしかなかった。  『このまま婚姻を結んでも、私は一生愛されない』  『私も一度でいいから、あんな風に愛されたい』 でも貴族令嬢である立場が、父が、それを許してはくれない。 必死で気持ちに蓋をして、淡々と日々を過ごしていたある日。偶然見つけた一冊の本によって、私の運命は大きく変わっていくのだった。 私も、貴方達のように自分の幸せを求めても許されますか……? ※後半、壊れてる人が登場します。苦手な方はご注意下さい。 ※このお話は私独自の設定もあります、ご了承ください。ご都合主義な場面も多々あるかと思います。 ※『幸せは人それぞれ』と、いうような作品になっています。苦手な方はご注意下さい。 ※こちらの作品は小説家になろう様でも掲載しています。

処理中です...