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4. 感謝を込めた一針ひと針
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ワルターに伝えた通り、それから王城の中も外もクニューベル帝国からの賓客を受け入れる準備の為に、落ち着かない日々が続いた。
私の住まう別棟だって、万が一将軍達が訪れては一大事と、いつもは居ないような侍女や侍従達が何人も来ては、忙しそうに掃除をしたり部屋の補修をしたりしている。元々私と侍女一人だけしか過ごしていないこの別棟は、お父様の関心を失ったあの時から一切きちんとした手入れがなされていなかったので、所々が傷んでいた。
ワルターと私は普段城の地下を通る秘密の通路を使って城下町へと出ていたけれど、流石にこうも人が多いと私が誰にも気づかれずに外へ出ることは難しいだろう。ワルターはそれでも時々人目を忍んで夜に顔を見せに来てくれたけれど、私が一緒に外出する事は無かった。
「エリザベート様、お元気がありませんね」
周囲に誰も居ないことを確認して、レンカがお茶を淹れつつ私の憂い顔に心配の言葉を掛ける。このサロンには今、私とレンカの二人だけ。他の者には、私が口を聞いているところを見られては困るから。
「もう二回もミーナとして出る筈だった舞台を休んでいるから。どうしても気になってしまうのよ」
「そうですよね。ミーナが居ないと知ると舞台を観に来た民衆も少しガッカリして帰るようです。エリザベート様の歌声を、皆楽しみにしているんですもの」
侍女のレンカと乳兄妹のワルターは偶然にも同郷の幼馴染らしく、城の外でも時々会っていると聞く。ワルターから舞台を観に来た民衆の様子を聞いたのだろう。
「クニューベル帝国の皇帝陛下とアルフレート様が無事お帰りになったらまた私もミーナとして舞台に立てるわ。もう少しの辛抱よね」
「エリザベート様……。エリザベート様が将軍閣下の奥方に選ばれるとは、微塵もお考えにならないのですね」
「まさか。私は呪われた声を持つ人形姫よ。わざわざ三人もいる王女の中から選ばれるとは思えないわ」
私の言葉に、レンカは珍しく苦笑いを浮かべた。その時の表情は、ワルターに同じような事を言った時のものにも似ているような気がしたけれど、大人しい性質のレンカはワルターのように怒る事はなかった。
「エリザベート様はご自分の価値を全く分かってらっしゃらないから」
「レンカ、私に価値があるとすれば、ミーナとして舞台に立って民に歌を届ける事くらいよ」
「それも大切なエリザベート様にしか出来ないお務めですけれど。エリザベート様は美しく、優しく、そして強い方です。分かる人にはそれが分かるのですよ。このように寂れた場所でこれからずっと過ごして良い方ではありません」
数少ない味方でとても思いやりのある優しい娘レンカ。私の為に何度も涙を流してくれた。
「ありがとう、レンカ。私は今のままで十分幸せだし、ここでの暮らしが気に入っているの。レンカも居てくれるしね」
「ああ、エリザベート様ぁ! おいたわしい!」
お仕着せのポケットから出したハンカチで目元を拭うレンカの背にそっと触れ、その温かさに私の胸もポウッと温かくなる。ツンとする鼻の奥の痛みを誤魔化すように、レンカの淹れてくれたお茶を口に運んだ。
サロンの窓から見えるこじんまりとした庭園では、庭師が侍従の指示に従って伸び放題だった樹木の手入れを行なっている。賓客が別棟まで訪れるとは思えないけれど、このゼラニウムの香りに包まれた庭が手入れをされて美しくなるのは嬉しい。
「さぁ、お茶を飲んでしまったら昨日の続きをしましょうか。刺繍って本当に難しいのね」
「エリザベート様は飲み込みが早くていらっしゃるから。すぐに美しい刺繍が出来るようになりますよ」
少し前からレンカに教えてもらいながら刺繍をはじめた。練習で小物をいくつか作ってから、今はワルターに渡すハンカチの刺繍をしているところだった。感謝を込めて一針ひと針刺していくのはとても楽しい。
「ワルターに渡すハンカチが出来上がったら、今度は衣装に使っているストールに刺繍をしてみようと思うの」
「まぁ、それはいいですね。あのハンカチはもうあと少しで出来上がりそうですし。ストールに刺繍をされるのでしたら、図案に合わせてまた新しい刺繍糸を買ってきます」
「ええ、そうね。ありがとう」
爽やかな風が頬を撫でていくのを感じながら、私は自分の少し先の未来だって今と変わりなく穏やかに過ぎていくのだと、そう信じて疑っていなかった。
私の住まう別棟だって、万が一将軍達が訪れては一大事と、いつもは居ないような侍女や侍従達が何人も来ては、忙しそうに掃除をしたり部屋の補修をしたりしている。元々私と侍女一人だけしか過ごしていないこの別棟は、お父様の関心を失ったあの時から一切きちんとした手入れがなされていなかったので、所々が傷んでいた。
ワルターと私は普段城の地下を通る秘密の通路を使って城下町へと出ていたけれど、流石にこうも人が多いと私が誰にも気づかれずに外へ出ることは難しいだろう。ワルターはそれでも時々人目を忍んで夜に顔を見せに来てくれたけれど、私が一緒に外出する事は無かった。
「エリザベート様、お元気がありませんね」
周囲に誰も居ないことを確認して、レンカがお茶を淹れつつ私の憂い顔に心配の言葉を掛ける。このサロンには今、私とレンカの二人だけ。他の者には、私が口を聞いているところを見られては困るから。
「もう二回もミーナとして出る筈だった舞台を休んでいるから。どうしても気になってしまうのよ」
「そうですよね。ミーナが居ないと知ると舞台を観に来た民衆も少しガッカリして帰るようです。エリザベート様の歌声を、皆楽しみにしているんですもの」
侍女のレンカと乳兄妹のワルターは偶然にも同郷の幼馴染らしく、城の外でも時々会っていると聞く。ワルターから舞台を観に来た民衆の様子を聞いたのだろう。
「クニューベル帝国の皇帝陛下とアルフレート様が無事お帰りになったらまた私もミーナとして舞台に立てるわ。もう少しの辛抱よね」
「エリザベート様……。エリザベート様が将軍閣下の奥方に選ばれるとは、微塵もお考えにならないのですね」
「まさか。私は呪われた声を持つ人形姫よ。わざわざ三人もいる王女の中から選ばれるとは思えないわ」
私の言葉に、レンカは珍しく苦笑いを浮かべた。その時の表情は、ワルターに同じような事を言った時のものにも似ているような気がしたけれど、大人しい性質のレンカはワルターのように怒る事はなかった。
「エリザベート様はご自分の価値を全く分かってらっしゃらないから」
「レンカ、私に価値があるとすれば、ミーナとして舞台に立って民に歌を届ける事くらいよ」
「それも大切なエリザベート様にしか出来ないお務めですけれど。エリザベート様は美しく、優しく、そして強い方です。分かる人にはそれが分かるのですよ。このように寂れた場所でこれからずっと過ごして良い方ではありません」
数少ない味方でとても思いやりのある優しい娘レンカ。私の為に何度も涙を流してくれた。
「ありがとう、レンカ。私は今のままで十分幸せだし、ここでの暮らしが気に入っているの。レンカも居てくれるしね」
「ああ、エリザベート様ぁ! おいたわしい!」
お仕着せのポケットから出したハンカチで目元を拭うレンカの背にそっと触れ、その温かさに私の胸もポウッと温かくなる。ツンとする鼻の奥の痛みを誤魔化すように、レンカの淹れてくれたお茶を口に運んだ。
サロンの窓から見えるこじんまりとした庭園では、庭師が侍従の指示に従って伸び放題だった樹木の手入れを行なっている。賓客が別棟まで訪れるとは思えないけれど、このゼラニウムの香りに包まれた庭が手入れをされて美しくなるのは嬉しい。
「さぁ、お茶を飲んでしまったら昨日の続きをしましょうか。刺繍って本当に難しいのね」
「エリザベート様は飲み込みが早くていらっしゃるから。すぐに美しい刺繍が出来るようになりますよ」
少し前からレンカに教えてもらいながら刺繍をはじめた。練習で小物をいくつか作ってから、今はワルターに渡すハンカチの刺繍をしているところだった。感謝を込めて一針ひと針刺していくのはとても楽しい。
「ワルターに渡すハンカチが出来上がったら、今度は衣装に使っているストールに刺繍をしてみようと思うの」
「まぁ、それはいいですね。あのハンカチはもうあと少しで出来上がりそうですし。ストールに刺繍をされるのでしたら、図案に合わせてまた新しい刺繍糸を買ってきます」
「ええ、そうね。ありがとう」
爽やかな風が頬を撫でていくのを感じながら、私は自分の少し先の未来だって今と変わりなく穏やかに過ぎていくのだと、そう信じて疑っていなかった。
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