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3. 銀髪の歌姫ミーナ

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 ゼラニウムに囲まれた別棟は、いつも爽やかな香りで私を守ってくれている。

「今日は月が綺麗ね。あれからお父様の呼び出しも無いし、ずっとこのままでいられたらいいのに」

 少ない記憶にしかないお母様は「ゼラニウムが私とエリザベートを守ってくれるわ。あの人はゼラニウムの香りが嫌いだから」と悲しげに笑っていた。『あの人』が誰の事なのか、まだ幼かった私には分からなかったけれど。

 お母様の事を考えると、決まってぐっと目頭が熱くなる。喉が詰まって苦しくなった。

「エリザベート様、お支度は出来ましたか?」
「ええ、ワルターがいつ迎えに来ても大丈夫よ」

 私の住まう別棟には、侍女のレンカ以外誰もいない。呼び出しがない限り私は別棟から出られないし、お父様達の住む王城の中心部へ自ら出向く事も許されない。このゼラニウムの別棟が、罪人である私を捕らえておく牢獄だった。

! 準備出来たか?」

 いつもこの時間になると別棟に侵入してくるのは、乳兄妹でもある旅芸人のワルター。茶色の柔らかな眼差しを持つ彼は、私にとって数少ない味方の一人。

 幼い頃はワルターと、ワルターの母親で私の乳母だったソフィーもこのゼラニウムの別棟に住んでいた。私の事をミーナと呼び始めたのもワルターで、まだ元気だった母と過ごしたごく短い期間が私の幸せの絶頂だった。

「勿論よ、ワルター。この衣装、新しく縫ってみたの。どう?」

 何もする事がないこの別棟での時間をなるべく楽しく過ごす為、私はワルターや侍女のレンカに頼んで布地や飾りを手に入れてもらった。レンカに教えてもらいながら裁縫を始めたばかりの頃は、とてもじゃないけれど衣装を縫える腕前では無かったけれど。今では随分上達した。

「お! いいじゃねぇか。ミーナの新しい衣装に、観客達も喜ぶよ」

 ワルターの前でクルクルと回って見せたら、彼はいつものように目を細め、ニカっと大きく口を開けた明るい笑顔で褒めてくれる。

「じゃあ、早速行きましょう」

 城では人形姫と呼ばれ、呪われるからとまともに口を聞く事を許されていない私には、とある秘密がある。

「ミーナー!」
「キャー! 綺麗! こっち向いて! ミーナ!」
「待ってたぞー!」
「新しい衣装可愛いー!」

 紺色の夜空に浮かぶ月が、優しい光をぼうっと降らせる広場に集まった多くの民達。そこで、夜にだけ催される旅芸人達の歌や舞に酔いしれるのが、彼等にとってひとときの楽しみだった。

「さぁ! 今宵は我らがミーナも新しい衣装で登場だ! 謎多き銀髪の歌姫ミーナの歌声に今日も酔いしれてくれ!」

 異国の服を纏った旅芸人の一座が、不思議な旋律の曲を奏でる中で、歌を歌うのが私、の役割。流石に王女エリザベートと知られる訳にはいかないから顔はベールで隠している。月の光と松明の明かりしか無い広場では、私の顔をしっかりと見られる者はいない。

「夜のとばり、しろがね色の月明かりに照らされる生命いのちの花」
追憶おもいでを背負い、浅き夢見じと思っても」
「空を見上げ、幾年いくとせ静寂しじまに包まれれば」
「つい願ってしまう、運命さだめを変えたいと」
「月を見上げて 夢を見させて 、そのうち蒼穹そらへと変わる」
「風に守られた花は永遠とわに咲く」
「過ぎて行く時の流れに身を寄せて、風が止まるその時まで」
もとそらに願うのは、栄華に咲く花がこの先も此処に存在続けられるようにと」

 呪われた声と言われる私の嗄れた声で奏でる旋律を、民達は静かに聴き入ってくれる。この声を深みのある声だと誉めてくれ、掠れ気味で魅力的だと真似する民も増えているという。

 そう、私の声で人は死なない。『エリザベート王女の呪われた声』というのは、白の王妃であったお母様を亡き者にした者達によって仕組まれた虚言なのだから。

 お父様をはじめ、周囲の者は誰もそれが虚言だと信じようとしなかった。突然お父様が寵愛していた王妃が亡くなって、誰かのせいにしなければ自分が罰を受けると思ったのだろうか。だから幼く力の無かった私が罰を受けた。

「ミーナ! ありがとう!」
「銀の歌姫ミーナ!」

 熱狂する民達を前に歌を歌うようになって随分経つ。はじめはワルターと抜け出して、夜空を見上げたながら二人で歌った。そのうち旅芸人の皆と。そして、いつからか仲間と一緒に民衆の前に立ち、月夜に祈るようにして歌うようになった。

 私が歌うのはたった一曲だけ。お母様が歌ってくれていたこの子守唄。幼い頃の記憶の一部が朧げな中、この歌だけは鮮明に覚えている。

「今日も大成功だったな、ミーナ。次は三日後だから、よろしく」

 私の歌は旅芸人の演目の最後。民達がゾロゾロと広場から解散して行くのを確認して、ワルターは私の側へ近寄り肩を叩いてくれる。

「……うん」
「どうした? 何かあったのか?」

 私の変化にすぐさま気付いて、どうしたのかと尋ねてくれるワルターには敵わない。

 もうすぐクニューベル帝国の皇帝コンラート陛下とその右腕であるアルフレート将軍がこの国を訪れ、三人の王女の中から将軍の妻を選ぶという話をした。人形姫である自分が選ばれる筈が無いにしても、そのような公式の場に出向くのは苦手だとワルターは知っていてくれるから。

「まさか……。それじゃあ、もしミーナが選ばれたらクニューベル帝国に行っちまうって事か? 血も涙も無い、冷徹で戦狂いだって評判の将軍に輿入れするだと⁉︎」
「ワルター、アルフレート様は我がアルント王国を救ってくださった方なのよ。人形姫である私はきっと選ばれたりしないけれど、そんな言い方は良くないわ」
「だってあんな意地悪な妹達なんか、どう考えたって頭脳明晰だとも言われる将軍が選ぶ訳ないだろ! 頭空っぽの見た目だけ派手な女だって、すぐに分かるよ!」

 何故だかワルターは顔を赤くして怒り始めてしまった。拳を握って、唇を強く噛んでいる。

 きっと乳兄妹である私の事を心配して言ってくれているのだろうけど、誰が聞いているか分からないのに危険だわ。

「落ち着いて、ワルター。とにかく、もしかしたらこれからは夜に抜け出すのが難しくなるかも知れないから。私が出演するのが無理な時には上手くやってね」

 眉間に皺を寄せて何か考え込む様子のワルター。その首元に垂れる結われた一房の茶色い髪を、私はいつものように優しく手櫛で梳いた。





 

 
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