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6. マリア嬢が語ったこと
しおりを挟む「坊ちゃん、今日も一日お疲れ様でございました」
夜遅くまでの執務を終えて、もう後は寝るだけとなった僕に、従者であるユージンは労いの言葉を掛ける。
「ユージン、お前はいつまで僕のことを坊ちゃんと呼ぶんだ?」
婚約者であったマリアの、あの衝撃の告白から一年。
つい先日、僕はマリアと婚姻を結んだ。
政略結婚なんかつまらないと思っていたけど、マリアのおかげで僕の結婚生活は非常に充実して、とても幸せな日々を送っているんだ。
今はまだ父上がお元気だから、僕はブラッドリー侯爵家が所有する子爵位を名乗っている。
つまり、れっきとした当主なのだ。
それなのに、この従者は僕のことを未だに『坊ちゃん』と呼ぶ。
「良いではありませんか。私が坊ちゃんと呼ぶのは、こうして二人きりの時だけなのですから」
「……まあ、お前がそれが良いなら別にいいけど」
僕がそう言うと、美形の従者は嬉しそうに瞳を細めて微笑んだ。
この笑顔、ユージン信者である令嬢方に見せたら気絶するのではないだろうか。
「さあ、坊ちゃん。今日は記念日ですから、良いワインを用意しましたよ」
「記念日……。ああ、もう一年か……」
「左様でございます」
ワイングラスを傾けながら、僕はあの日に想いを巡らせた。
花が咲き乱れるあの場所で、今では妻となったマリアと、お互いの幸せを誓った日。
「ユージン。未だにあの日の事を思い出すと衝撃的だよ」
「確かに、私も印象深い日でした。坊ちゃんのあの時の顔ときたら……ふふっ……」
「いや、笑い事ではないぞ。普通の人間はああなるもんだ」
――美しい花が咲き乱れる場所でマリアが語ったこと。
「ノエル様は、ユージンとこれからも末永く仲睦まじく過ごしていただけたらと。それが私の望みですわ」
婚約破棄はしない。
だが、僕がユージンと仲睦まじく過ごす。
それがマリアの望みだと聞かされて、僕は混乱した。
「あの、全く話が見えないのだが……。申し訳ない。どうやら随分と混乱しているようだ……」
そりゃあ混乱するだろう。
婚約者から、同性の従者とこれからも末永く睦み合えと言われたのだから。
「お嬢様。そのような伝え方では、ノエル様が混乱するのも当然だと思いますよ」
突然割って入ったマリアの侍女レベッカの言葉にも、まだ僕は理解が追いつかなかった。
「ノエル様、貴方はユージンの事を愛してらっしゃいますわよね?」
「……あ、愛⁉︎」
突然のマリアの言葉に、僕は図星を突かれて言葉を失った。
しかしマリアは、僕の返事などどうでも良いように、そのまま話を続けた。
「ユージン、まずは貴方から主人であるノエル様に、自分の気持ちを伝えた方が良いと思うわ」
「何? ユージンの気持ち?」
僕が聞き返しても、マリアは微笑むだけで。
そうこうしているうちに、ユージンが僕の方へと歩み寄った。
「坊ちゃん……。坊ちゃんは、マリア嬢といずれ婚姻を結ばれて夫婦となられる方。いくら私が坊ちゃんのことを愛しく思おうが、いつかは離れなければならないのだと、諦めておりました」
「ユージン……?」
ユージンも僕のことを好きだったのだと、初めて知った。
「ですが、マリア嬢からこの計画の全容を伺った時、驚きと共に好機だと思ったものですから」
「計画……?」
僕はみんなの言葉に聞き返すばかりだった。
だってそれほどまでに、僕が予想もしていなかったような話が繰り広げられていたんだから。
「そうですわ。ノエル様が十八の誕生日を迎えられた日、私はユージンに計画を伝えたのです。ノエル様に使うようにと媚薬も手渡しました」
そういえばあの日、マリアも僕の誕生日を祝う為に邸に滞在していた。
「ノエル様もユージンの事を愛してらっしゃるのだから、誕生日のお祝いに是非初めてを奪ってさしあげてと伝えたのです」
「な……っ、何故マリア嬢はそのような……!」
どうして婚約者であったはずのマリアがそのような事をユージンに言ったのか。
到底理解できる事ではなかった僕は、目の前のマリアが、何だか長年見てきたはずの婚約者とは違って見えた。
彼女は頬を紅潮させて、少し息も荒い気がする。
マリアのエメラルドグリーンの瞳は、眼鏡のレンズの向こう側で恍惚として潤んでいた。
「私、殿方同士の恋愛や交わりに、大変興味があるのです」
「……へ?」
そしてマリアは、巷の令嬢方に今人気だという本を、侍女のレベッカから受け取り何冊も僕の前に広げて見せた。
そのどれもが、男同士の恋愛や交わりを書いた物だと言う。
「だからあの日も、ノエル様がユージンに初めての痛みを与えられるのを、私はこっそりバルコニーから覗いていたのですわ」
ホウッと熱いため息を漏らすマリア。
婚約者にアレを見られていたと思えば、僕はもう両手で顔を隠してしゃがみ込むしかなかった。
「ひどいじゃないか……。何故僕に内緒で……」
僕のユージンへの気持ちが知られていた事も、まさか婚約者にお膳立てされてユージンと初めて交わったという事も、そしてそれを見られていた事も、全てが酷く滑稽な事に思えた。
「だってノエル様ったら、いつまで経ってもユージンに気持ちをお伝えする様子がありませんでしたもの」
「そりゃあ、僕はマリア嬢との事を考えて……」
結ばれる訳もないユージンに気持ちを伝えても、自分が惨めになるだけだと思って我慢していたんだ。
それに政略結婚とはいえ、婚約者のマリア嬢のことも考えて僕は……。
「折角見ているだけで絵になる、美形の殿方同士が愛し合っているというのに、私からすれば焦れじれったいったらないですわ」
「はあ……そうなのか?」
僕は理解しきれずに、非常に間抜けな顔をしていただろう。
疑うような上目遣いで、マリアを見ながら尋ねた。
「そうですわ! だから私は決めたのです! 私は必ずやノエル様とユージンの愛を成就させ、一番近くでその成り行きを鑑賞させていただくと!」
「マリア嬢は! ……マリア嬢は、それで幸せなのですか? 夫となる僕が……、貴女よりユージンを愛する事を許せると?」
婚姻を結べば長い時を共に過ごすのに、その相手が他の者を愛してそばに置くなんて、そのようなこと許されるのだろうかと、僕は不思議だった。
「許せるものなにも、私がそれを望んでおりますの。ノエル様、私は二人の愛を近くで見届けながら、自分はこのレベッカと共に過ごせればそれで幸せなのですわ」
マリアは侍女のレベッカと愛し合っていた。
だから僕のような夫を持つ事が、彼女にとっても好都合なのだ。
こうして僕とユージン、マリアとレベッカは共に生活する事になった。
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