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第三章 新しい未来
75. 飄々としたエドガー、イリナも唇を噛む
しおりを挟むやがて多く集う貴族達の合間を縫うようにして、また「殿下!」とそこかしこで口々に呼び止められながらも、ヒラヒラと手を振って返事をするだけでまっすぐこちらへ向かって来る人物がいた。
「あら、ちょうど良かったわ! やっと貴族達から解放されたみたい。今宵のパートナーをご紹介いたします。殿下、さぁさぁ、こちらへどうぞ!」
先程までの悔しげな表情から一転し、自信満々の様子でレティシアとベリル侯爵に勝ち誇ったような顔を見せるイリナは、パートナーの男性を隣に迎えた。
「やぁ、レティシア嬢。今宵の君も、帝国で二番目に素晴らしい美しさだ。それに、ドレスはリュシアンの瞳と全く同じ色味だねぇ。姉上と同じその色はなかなか染色するのが難しい。きっと、帝国でも特に腕の良い職人が仕立てたのだろう」
ふんぞり返るようなイリナの隣に立ちはしたものの、目の前に立つレティシアだけを熱く見つめて褒め称えるのは、褐色の肌を帝国とは違った服装で包んだエドガーであった。
「エドガー王子殿下に拝謁いたします」
ベリル侯爵とレティシアは、その場ですぐに他国の王族であるエドガーに礼を尽くした挨拶を行う。
その様子に、エドガーの隣に立つイリナはまるで自分に二人が傅いているかのように思い、満足げな表情を浮かべているのだった。
「帝国一美しいのはソフィー姉上だけど、今宵のレティシア嬢も負けてないよ。美しくてとても可憐だ。ジェラン侯爵令嬢の熱心な誘いで参加した夜会だけど、これだけでも来た甲斐があったなぁ」
垂れ目がちな瞳を細め、のんびりした口調でそう語るエドガーからは遠く離れた異国の服から覗く胸元や、ふとした仕草の合間に色気のようなものが垂れ流しとなっている。
フィジオ王国の男達は皆このように情熱的で、女性の扱いが上手く、明るくおしゃべりが好きだとは聞いていたが、このエドガーという男は特に甥っ子の婚約者であるレティシアの事を気に入っていた。
「ありがとうございます。殿下がお妃様方を先に王国へ帰してしまって、もうしばらくこの国に滞在なさると聞いた時には大変驚きましたけれど、帝国の貴族達も殿下とお会いできる機会が増えて喜んでいる事でしょう」
「そうかなぁ? まだ新しい妻になる女性を見つけられていないからね。外交も兼ねて、もうしばらく帝国の社交界の場に顔を出させてもらうよ。ベリル侯爵も、レティシアのような素晴らしい令嬢を娘に持って羨ましいねぇ」
いつの間にやら置いてけぼりをくらった形になっているイリナの事など忘れているかのように、エドガーは続けてベリル侯爵に声を掛ける。
パートナーの存在を無視するなど非常に失礼ともいえるその行為が、のんびりとした口調と独特の雰囲気を持つエドガーにかかるとあまりにも自然で、当のイリナでさえ呆然としたままでいた。
「そうですな、幼い頃からレティシアは私の……自慢の娘です」
一度は引っ込んだレティシアの涙も再び溢れ出そうになったところで、エドガーが「あぁ、そうだ!」と両の手をパンっと打った。
「美しいレディー、僕と踊ってくれませんか?」
「は、はい……」
エドガーの隣に立つイリナは、パートナーである自分でさえお愛想程度にしかエドガーと踊っていない事を不満に思い、すぐにレティシアの方を鋭く睨みつける。
「エドガー王子殿下! 今宵は私のパートナーではありませんか! ダンスならば私が……」
実は、イリナのパートナーとはいえども、幾度となく頼み込んで今宵何とかこの場に連れ出したのだ。
大国フィジオの王子がジェラン侯爵家と親しいとなれば、近頃疎遠になりがちな貴族達もジェラン侯爵家を見直すだろうとの魂胆だった。
その為には、イリナがプレイボーイなエドガーを籠絡し妻達の一人に加わろうという大胆な計画すらあった。
「いいかい、イリナ嬢。嫉妬深いリュシアンがいない時しかレティシア嬢を独占出来ないからね。こんな機会はそうそう無いんだよ。悪いが君はあちらの令息達と踊っていてくれるかな?」
「な……っ⁉︎」
明らかにレティシアと踊る為に声を掛けるのをチラチラと窺いつつ待っている令息達と踊っていろと言われ、イリナのプライドは今度こそズタズタになった。
しかし相手は大国の王子、いつものように怒鳴り散らす訳にもいかず、暴力を振るうわけにもいかない。
イリナに出来る事といえば、真っ赤な紅の引かれた唇に血が滲む程、強く噛み締めてこの屈辱的な時間を堪えるしかなかったのだった。
「さ、レティシア嬢、行こうか。侯爵はあちらでゆっくり酒でも飲んで待っていてくれるかな。こんな機会だ、到底一曲だけじゃ終わらないと思うからね」
戸惑うレティシアの腰を抱き颯爽とホールの真ん中へ向かうエドガーは、肩をすくめつつ苦笑を浮かべたベリル侯爵に向け、いつかのように垂れ目がちな目をパチリと片方閉じた。
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