72 / 91
第三章 新しい未来
73. デビュタントの夜、二人初めての口付け
しおりを挟む丸い月の明かり、それと所々に設置されたランプや松明の温かみある光の中、リュシアンとレティシアはヒソップの咲いている辺りまで並んで歩いた。
会場を出た後から、いつの間にか口数が少なくなっていた二人の沈黙を破ったのはリュシアンであった。
「以前、今宵と同じデビュタントの日に……お前にはひどい事を言ってすまなかった。もう一度、きちんと謝っておきたかったんだ」
あの日と同じ、風に揺れるヒソップはサラサラと音を立てている。
レティシアはリュシアンからの思いがけない言葉に思わず足を止めた。真剣な眼差しのリュシアンは、レティシアの瞳をしっかりと捉えた。
「私、過去にあった諍い事に関しては、もう気にしない事にしたのです。リュシアン様の事だけでなく、両親の事であっても、今はもう、過去とは違うのですから。私も、過去とは違った生き方を心掛けております。既に色々な出来事も人も変化しておりますもの。ですからリュシアン様も、もう謝るのはおやめくださいませ」
ヒソップと同じ、美しく輝くような紫色の目を細め、レティシアはフワリと優しく笑った。少しだけ、小首を傾げて笑うのは彼女の昔からの癖であり、リュシアンはレティシアのその仕草が好きだった。
自然と微笑みを返すリュシアンに、レティシアは胸が高鳴る。と同時に、大きな幸福感を感じて何とも言えない切ない胸の締め付けを感じた。
「ありがとう。それで実は……レティシアに頼みがあるんだ」
「頼みですか? 珍しいですね。リュシアン様から私にお願い事だなんて」
「実は……」
リュシアンは懐から小さな何かを取り出した。今宵の為に着飾った豪華な服とは不似合いな、年季の入ったそれを取り出した時、何とも気まずそうな苦い顔をしたのをレティシアは不思議に思う。
リュシアンからレティシアにそっと手渡されたそれが何かを理解した瞬間、レティシアの目には一気に涙が膜を張り、「まさか……」と、息が詰まったような声を上げた。
「過去で……レティシアに出征の時にもらった守り袋が……こうして常に持っているうちに擦り切れてしまった」
「これを……ずっと……お持ちだったのですか?」
「ああ、おかしいと思うだろうが……過去で距離を置いていた時も、未熟な俺がお前に辛く当たってしまった時さえ、どうしてもこれだけは捨てる事が出来なかった」
レティシアは過去でのリュシアンを恨んだりなどしていない。
けれど、理解し合えずに辛いという気持ちは確かにあった。しかしそんな時でもリュシアンは心に葛藤を抱き、この守り袋を捨てずに持っていてくれたのだと思えば、感情の高ぶりを抑えることなど出来なかった。
「私が作った物を……持っていてくださって、嬉しいです……とても」
レティシアは堪えきれずに流れ落ちる涙をハンカチで押さえたかったが、両手で大切に持った守り袋を離すことが出来ずにいた。
「すまないが、直してくれないか? これからもずっと、持っていたいんだ」
嗚咽混じりに、心からの喜びを伝える言葉を紡いだレティシアの頬に流れる涙を、リュシアンは自分の持つハンカチでそっと拭った。まるで壊れ物を扱うようなその仕草に、レティシアは胸が引き絞られる思いがする。
「はい。勿論です」
今宵デビュタントを迎えたレティシア。潤んだ紫色の瞳には、愛するリュシアンが映っている。
「レティシア……」
その時、煌めく銀糸のようなレティシアの前髪をさらりと揺らすように風が吹き、ヒソップがさわさわと動く気配がした。二人にとって慣れ親しんだ爽やかな香りが、辺りを包み込んでいる。
「はい、リュシアン様」
リュシアンに名を呼ばれ、いつものように優しく返事をするレティシア。幼い頃に比べて、当然の事ながら少しばかり大人びた声になった二人だった。
その後、リュシアンは何故かなかなか口を開こうとしない。涙に濡れた後の頬に風が吹いて、ひやりと冷たく感じたレティシアだったが、いつの間にか距離を詰めたリュシアンに抱きすくめられてしまう。
「寒いのか?」
「頬が……冷たくて。でも、今は……温かいです」
柔らかな光を二人に浴びせていた月に雲が掛かり、広大な庭園は暗闇の方が優勢になる。
それを合図に今宵のデビュタントによって大人の仲間入りをしたレティシアとリュシアンは、ヒソップの香りと色に包まれて、初めての口付けを交わしたのであった。
12
お気に入りに追加
1,938
あなたにおすすめの小説
【完結】 いいえ、あなたを愛した私が悪いのです
冬馬亮
恋愛
それは親切な申し出のつもりだった。
あなたを本当に愛していたから。
叶わぬ恋を嘆くあなたたちを助けてあげられると、そう信じていたから。
でも、余計なことだったみたい。
だって、私は殺されてしまったのですもの。
分かってるわ、あなたを愛してしまった私が悪いの。
だから、二度目の人生では、私はあなたを愛したりはしない。
あなたはどうか、あの人と幸せになって ---
※ R-18 は保険です。
私が死んで満足ですか?
マチバリ
恋愛
王太子に婚約破棄を告げられた伯爵令嬢ロロナが死んだ。
ある者は面倒な婚約破棄の手続きをせずに済んだと安堵し、ある者はずっと欲しかった物が手に入ると喜んだ。
全てが上手くおさまると思っていた彼らだったが、ロロナの死が与えた影響はあまりに大きかった。
書籍化にともない本編を引き下げいたしました
【完結】妖精姫と忘れられた恋~好きな人が結婚するみたいなので解放してあげようと思います~
塩羽間つづり
恋愛
お気に入り登録やエールいつもありがとうございます!
2.23完結しました!
ファルメリア王国の姫、メルティア・P・ファルメリアは、幼いころから恋をしていた。
相手は幼馴染ジーク・フォン・ランスト。
ローズの称号を賜る名門一族の次男だった。
幼いころの約束を信じ、いつかジークと結ばれると思っていたメルティアだが、ジークが結婚すると知り、メルティアの生活は一変する。
好きになってもらえるように慣れないお化粧をしたり、着飾ったりしてみたけれど反応はいまいち。
そしてだんだんと、メルティアは恋の邪魔をしているのは自分なのではないかと思いあたる。
それに気づいてから、メルティアはジークの幸せのためにジーク離れをはじめるのだが、思っていたようにはいかなくて……?
妖精が見えるお姫様と近衛騎士のすれ違う恋のお話
切なめ恋愛ファンタジー
婚約破棄をされた悪役令嬢は、すべてを見捨てることにした
アルト
ファンタジー
今から七年前。
婚約者である王太子の都合により、ありもしない罪を着せられ、国外追放に処された一人の令嬢がいた。偽りの悪業の経歴を押し付けられ、人里に彼女の居場所はどこにもなかった。
そして彼女は、『魔の森』と呼ばれる魔窟へと足を踏み入れる。
そして現在。
『魔の森』に住まうとある女性を訪ねてとある集団が彼女の勧誘にと向かっていた。
彼らの正体は女神からの神託を受け、結成された魔王討伐パーティー。神託により指名された最後の一人の勧誘にと足を運んでいたのだが——。
選ばれたのは私以外でした 白い結婚、上等です!
凛蓮月
恋愛
【第16回恋愛小説大賞特別賞を頂き、書籍化されました。
紙、電子にて好評発売中です。よろしくお願いします(*ᴗ͈ˬᴗ͈)⁾⁾⁾】
婚約者だった王太子は、聖女を選んだ。
王命で結婚した相手には、愛する人がいた。
お飾りの妻としている間に出会った人は、そもそも女を否定した。
──私は選ばれない。
って思っていたら。
「改めてきみに求婚するよ」
そう言ってきたのは騎士団長。
きみの力が必要だ? 王都が不穏だから守らせてくれ?
でもしばらくは白い結婚?
……分かりました、白い結婚、上等です!
【恋愛大賞(最終日確認)大賞pt別二位で終了できました。投票頂いた皆様、ありがとうございます(*ᴗ͈ˬᴗ͈)⁾⁾⁾応援ありがとうございました!
ホトラン入り、エール、投票もありがとうございました!】
※なんてあらすじですが、作者の脳内の魔法のある異世界のお話です。
※ヒーローとの本格的な恋愛は、中盤くらいからです。
※恋愛大賞参加作品なので、感想欄を開きます。
よろしければお寄せ下さい。当作品への感想は全て承認します。
※登場人物への口撃は可ですが、他の読者様への口撃は作者からの吹き矢が飛んできます。ご注意下さい。
※鋭い感想ありがとうございます。返信はネタバレしないよう気を付けます。すぐネタバレペロリーナが発動しそうになります(汗)
【完結】不誠実な旦那様、目が覚めたのでさよならです。
完菜
恋愛
王都の端にある森の中に、ひっそりと誰かから隠れるようにしてログハウスが建っていた。
そこには素朴な雰囲気を持つ女性リリーと、金髪で天使のように愛らしい子供、そして中年の女性の三人が暮らしている。この三人どうやら訳ありだ。
ある日リリーは、ケガをした男性を森で見つける。本当は困るのだが、見捨てることもできずに手当をするために自分の家に連れて行くことに……。
その日を境に、何も変わらない日常に少しの変化が生まれる。その森で暮らしていたリリーには、大好きな人から言われる「愛している」という言葉が全てだった。
しかし、あることがきっかけで一瞬にしてその言葉が恐ろしいものに変わってしまう。人を愛するって何なのか? 愛されるって何なのか? リリーが紆余曲折を経て辿り着く愛の形。(全50話)
妹に婚約者を取られましたが、辺境で楽しく暮らしています
今川幸乃
ファンタジー
おいしい物が大好きのオルロンド公爵家の長女エリサは次期国王と目されているケビン王子と婚約していた。
それを羨んだ妹のシシリーは悪い噂を流してエリサとケビンの婚約を破棄させ、自分がケビンの婚約者に収まる。
そしてエリサは田舎・偏屈・頑固と恐れられる辺境伯レリクスの元に厄介払い同然で嫁に出された。
当初は見向きもされないエリサだったが、次第に料理や作物の知識で周囲を驚かせていく。
一方、ケビンは極度のナルシストで、エリサはそれを知っていたからこそシシリーにケビンを譲らなかった。ケビンと結ばれたシシリーはすぐに彼の本性を知り、後悔することになる。
所詮、わたしは壁の花 〜なのに辺境伯様が溺愛してくるのは何故ですか?〜
しがわか
ファンタジー
刺繍を愛してやまないローゼリアは父から行き遅れと罵られていた。
高貴な相手に見初められるために、とむりやり夜会へ送り込まれる日々。
しかし父は知らないのだ。
ローゼリアが夜会で”壁の花”と罵られていることを。
そんなローゼリアが参加した辺境伯様の夜会はいつもと雰囲気が違っていた。
それもそのはず、それは辺境伯様の婚約者を決める集まりだったのだ。
けれど所詮”壁の花”の自分には関係がない、といつものように会場の隅で目立たないようにしているローゼリアは不意に手を握られる。
その相手はなんと辺境伯様で——。
なぜ、辺境伯様は自分を溺愛してくれるのか。
彼の過去を知り、やがてその理由を悟ることとなる。
それでも——いや、だからこそ辺境伯様の力になりたいと誓ったローゼリアには特別な力があった。
天啓<ギフト>として女神様から賜った『魔力を象るチカラ』は想像を創造できる万能な能力だった。
壁の花としての自重をやめたローゼリアは天啓を自在に操り、大好きな人達を守り導いていく。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる