上 下
68 / 91
第三章 新しい未来

69. 不穏な動き、マリアンとジェラン侯爵父娘

しおりを挟む

 アレル子爵家から侯爵夫人とパトリックが戻ってからというもの、ベリル侯爵家の雰囲気は以前と全く違ったものになり、事情を知らない多くの使用人達は戸惑いを隠せないでいた。
 しかし人の良い使用人達が揃っていた事もあり、新しい家族の形を喜ぶのであった。

 ピリピリと緊張感を孕み、ひどく息苦しかった屋敷内は明るく穏やかな空気感となった。

 パトリックは父親と長い時間語り合い、今後は宮殿の医務室に通う事を決めた。将来の薬師見習いとしてアヌビスの元で学ぶのだ。
 とはいっても、ファブリスは既に優秀な魔術師といっても良いほどの腕であったから、忙しいアヌビスの仕事を手伝う事が主な業務となるだろうが。
 それにはアヌビスも大変嬉しそうで、今後はパトリックと共存するファブリスともゆっくり話す事が出来るだろう。アヌビスは師として、危うい所のあるファブリスを導く役割もある。

 その代わりレティシアが医務室に通う時間は減り、皇后付き女官として過ごす割合が増えたのである。
 風が少し強いこの日も、レティシアはソフィー皇后の使いから戻って来たところであった。皇后宮の庭園に咲き誇る花々を目で楽しみながらも、レティシアは皇后の居室へと早足で進んで行く。

「え……?」

 レティシアが目にしたのは、カタリーナの侍女となったはずのイリナとその父親ジェラン侯爵であった。
 ジェラン侯爵を見ると、レティシアはスウッと体が冷えていくような心地がし、手足が小刻みに震えてくる。

 二人は垣根の影で他の誰かと会話しているようだった。その表情は険しく、嫌な予感がしたレティシアは近くの植木の後ろに隠れて様子を窺う事にする。
 そもそもここは皇后宮の敷地であり、いくら官僚のジェラン侯爵といえども簡単には出入りを許されている場所では無い。
 カタリーナ付きのイリナに至っては、ソフィー皇后の招きでも無い限りは足を踏み入れられるはずもないのだが。

 二人は怒りを露わにした様子で誰かと会話をし、その相手はちょうどレティシアの居る場所からは確認出来ないが、本来ここに居られるはずのない人物二人と人目を憚って会っている時点で罰せられてもおかしくは無い。

 どのくらいそうしていただろうか。ジェラン侯爵とイリナは不機嫌な様子のままでその場を去った。彼らは皇后宮の守りの盲点をよく理解しているようで、慣れた様子は侵入したのが一度や二度では無い事を物語っている。

「あの方は……マリアン様」

 ジェラン侯爵達が去った後に分厚い垣根の向こうから姿を見せたのは、皇后宮の中でも明るく仕事が出来ると評判の侍女の一人で、まだ二十代と若いながらもソフィー皇后からの信頼が厚い人物であった。
 随分と年下の女官であるレティシアにもマリアンは常に笑顔で優しく接し、彼女自身の本質は決して悪人では無いと思われた。

「どうしてマリアン様がジェラン侯爵らと……」

 突然の展開にレティシアは混乱しつつも、暗い表情で黙々と庭園を進むマリアンに気付かれないよう、慎重に後をつけた。
 マリアンが皇后宮の建物内へ入ると、レティシアは皇后の居室へ急ぐ。
 まだ何も分からない状況でソフィー皇后に自身が見たものを話すべきかどうか、マリアンの後を追いつつ考えていたが、何かあってからでは遅い。
 後悔しない為にも、レティシアはソフィー皇后に今後の判断を委ねる事にしたのだった。

「マリアンが……」
「はい。ジェラン侯爵とイリナ嬢が、許可なく皇后宮の敷地に入れる事自体も大問題です。もしかすると他にも彼らの協力者が居るかも知れません」

 じっと黙ってレティシアの言葉に耳を傾けていた皇后は、こめかみに手をやり頭が痛いといった仕草を見せる。

「きっと心配するからレティシアには言いたく無かったのだけれど、近頃食事やお茶に毒が混入している事があるの。幸いな事にアヌビスから解毒剤を処方されている事もあって、たとえ口に入っても大事には至っていないのだけれど」
「そんな……!」
「私は元々多くの毒に耐性があるから。母国の方針で、幼い頃からそのように育てられてきたお陰ね。けれど、ジェラン侯爵が関わっていたとは思わなかったわ。てっきりの手の者かと」

 皇后の言う「あちら」というのは皇帝の愛人カタリーナの事である。
 ニコラは皇帝の子と認知されたものの、自身はいつまで経っても愛人、寵姫という立場のままで不平不満が募っている事は周知の事実であった。
 帝国の長い歴史に於いても、愛人や皇妃が皇后を手にかけ、その地位を奪おうとする出来事は少なく無かった。

「話してくれてありがとう、レティシア。協力者に関してはこちらで調べてみるわ。マリアンにも、貴女はこれまで通り接してちょうだいね」
「はい。でも、ソフィー様……」
「大丈夫、心配いらないわ」

 不安げなレティシアを、皇后は優しく抱きしめた。
 帝国フォレスティエに於ける皇后付きの女官というのは、皇后が第二の母となり女官達を立派な人材に育て上げ、結果的にそういった人材が帝国に貢献するという仕組みである。
 ある者は数少ない女性官僚として手腕を発揮し、ある者は皇女に匹敵する教育を受け、立派なレディーとなって他国の権力者へ嫁ぎ帝国との友好関係を築く。
 またある者は女官としての日々を妃教育代わりとして、将来の皇后となるのだった。

「さぁ、気分を切り替えていつもの業務に戻って。ほら、心配要らないわ」

 レティシアの頬を優しく撫でた皇后は、ポンポンとその両肩を叩いて業務に戻るよう促した。
 居室からレティシアが出て行った事を扉の音で確認した皇后は、そっと目を閉じるとフウッと大きく息を吐き出した。
 やがてバッと大きく目を見開いた時、リュシアンと同じ青い瞳には強い光が宿っていた。

「リュシアンとレティシアの時代には、必ず帝国フォレスティエは民の為の国になる」
 
 遠く異国から来た皇后はこの帝国に嫁いだ時から分かっていた。自分の夫は名君の器では無いのだと。
 だからこそひたすらに皇后である自分が、民の為、帝国の為に努力してきた結果、なおさらに劣等感を強めた皇帝を追い詰める事になってしまった。

「だからそれまでに、この国に蔓延る膿を出し切らなければならない」

 ソフィー皇后は広々としたバルコニーに出る。頬を撫でる風は少し冷たく、彼女の持つ美しいプラチナブロンドの前髪が乱れた。
 美しい庭園、堅牢な城壁、その向こう側に広がる帝都の街並みを、皇后はリュシアンと同じ青い瞳に焼き付けた。
 
 

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

俺の婚約者は地味で陰気臭い女なはずだが、どうも違うらしい。

ミミリン
恋愛
ある世界の貴族である俺。婚約者のアリスはいつもボサボサの髪の毛とぶかぶかの制服を着ていて陰気な女だ。幼馴染のアンジェリカからは良くない話も聞いている。 俺と婚約していても話は続かないし、婚約者としての役目も担う気はないようだ。 そんな婚約者のアリスがある日、俺のメイドがふるまった紅茶を俺の目の前でわざとこぼし続けた。 こんな女とは婚約解消だ。 この日から俺とアリスの関係が少しずつ変わっていく。

【完結】愛され令嬢は、死に戻りに気付かない

かまり
恋愛
公爵令嬢エレナは、婚約者の王子と聖女に嵌められて処刑され、死に戻るが、 それを夢だと思い込んだエレナは考えなしに2度目を始めてしまう。 しかし、なぜかループ前とは違うことが起きるため、エレナはやはり夢だったと確信していたが、 結局2度目も王子と聖女に嵌められる最後を迎えてしまった。 3度目の死に戻りでエレナは聖女に勝てるのか? 聖女と婚約しようとした王子の目に、涙が見えた気がしたのはなぜなのか? そもそも、なぜ死に戻ることになったのか? そして、エレナを助けたいと思っているのは誰なのか… 色んな謎に包まれながらも、王子と幸せになるために諦めない、 そんなエレナの逆転勝利物語。

【完結】妖精姫と忘れられた恋~好きな人が結婚するみたいなので解放してあげようと思います~

塩羽間つづり
恋愛
お気に入り登録やエールいつもありがとうございます! 2.23完結しました! ファルメリア王国の姫、メルティア・P・ファルメリアは、幼いころから恋をしていた。 相手は幼馴染ジーク・フォン・ランスト。 ローズの称号を賜る名門一族の次男だった。 幼いころの約束を信じ、いつかジークと結ばれると思っていたメルティアだが、ジークが結婚すると知り、メルティアの生活は一変する。 好きになってもらえるように慣れないお化粧をしたり、着飾ったりしてみたけれど反応はいまいち。 そしてだんだんと、メルティアは恋の邪魔をしているのは自分なのではないかと思いあたる。 それに気づいてから、メルティアはジークの幸せのためにジーク離れをはじめるのだが、思っていたようにはいかなくて……? 妖精が見えるお姫様と近衛騎士のすれ違う恋のお話 切なめ恋愛ファンタジー

【完結】その溺愛は聞いてない! ~やり直しの二度目の人生は悪役令嬢なんてごめんです~

Rohdea
恋愛
私が最期に聞いた言葉、それは……「お前のような奴はまさに悪役令嬢だ!」でした。 第1王子、スチュアート殿下の婚約者として過ごしていた、 公爵令嬢のリーツェはある日、スチュアートから突然婚約破棄を告げられる。 その傍らには、最近スチュアートとの距離を縮めて彼と噂になっていた平民、ミリアンヌの姿が…… そして身に覚えのあるような無いような罪で投獄されたリーツェに待っていたのは、まさかの処刑処分で── そうして死んだはずのリーツェが目を覚ますと1年前に時が戻っていた! 理由は分からないけれど、やり直せるというのなら…… 同じ道を歩まず“悪役令嬢”と呼ばれる存在にならなければいい! そう決意し、過去の記憶を頼りに以前とは違う行動を取ろうとするリーツェ。 だけど、何故か過去と違う行動をする人が他にもいて─── あれ? 知らないわよ、こんなの……聞いてない!

【完結】双子の伯爵令嬢とその許婚たちの物語

ひかり芽衣
恋愛
伯爵令嬢のリリカとキャサリンは二卵性双生児。生まれつき病弱でどんどん母似の美女へ成長するキャサリンを母は溺愛し、そんな母に父は何も言えない……。そんな家庭で育った父似のリリカは、とにかく自分に自信がない。幼い頃からの許婚である伯爵家長男ウィリアムが心の支えだ。しかしある日、ウィリアムに許婚の話をなかったことにして欲しいと言われ…… リリカとキャサリン、ウィリアム、キャサリンの許婚である公爵家次男のスターリン……彼らの物語を一緒に見守って下さると嬉しいです。 ⭐︎2023.4.24完結⭐︎ ※2024.2.8~追加・修正作業のため、2話以降を一旦非公開にしていました。  →2024.3.4再投稿。大幅に追加&修正をしたので、もしよければ読んでみて下さい(^^)

不憫な妹が可哀想だからと婚約破棄されましたが、私のことは可哀想だと思われなかったのですか?

木山楽斗
恋愛
子爵令嬢であるイルリアは、婚約者から婚約破棄された。 彼は、イルリアの妹が婚約破棄されたことに対してひどく心を痛めており、そんな彼女を救いたいと言っているのだ。 混乱するイルリアだったが、婚約者は妹と仲良くしている。 そんな二人に押し切られて、イルリアは引き下がらざるを得なかった。 当然イルリアは、婚約者と妹に対して腹を立てていた。 そんな彼女に声をかけてきたのは、公爵令息であるマグナードだった。 彼の助力を得ながら、イルリアは婚約者と妹に対する抗議を始めるのだった。 ※誤字脱字などの報告、本当にありがとうございます。いつも助かっています。

忘れられた幼な妻は泣くことを止めました

帆々
恋愛
アリスは十五歳。王国で高家と呼ばれるう高貴な家の姫だった。しかし、家は貧しく日々の暮らしにも困窮していた。 そんな時、アリスの父に非常に有利な融資をする人物が現れた。その代理人のフーは巧みに父を騙して、莫大な借金を負わせてしまう。 もちろん返済する目処もない。 「アリス姫と我が主人との婚姻で借財を帳消しにしましょう」 フーの言葉に父は頷いた。アリスもそれを責められなかった。家を守るのは父の責務だと信じたから。 嫁いだドリトルン家は悪徳金貸しとして有名で、アリスは邸の厳しいルールに従うことになる。フーは彼女を監視し自由を許さない。そんな中、夫の愛人が邸に迎え入れることを知る。彼女は庭の隅の離れ住まいを強いられているのに。アリスは嘆き悲しむが、フーに強く諌められてうなだれて受け入れた。 「ご実家への援助はご心配なく。ここでの悪くないお暮らしも保証しましょう」 そういう経緯を仲良しのはとこに打ち明けた。晩餐に招かれ、久しぶりに心の落ち着く時間を過ごした。その席にははとこ夫妻の友人のロエルもいて、彼女に彼の掘った珍しい鉱石を見せてくれた。しかし迎えに現れたフーが、和やかな夜をぶち壊してしまう。彼女を庇うはとこを咎め、フーの無礼を責めたロエルにまで痛烈な侮蔑を吐き捨てた。 厳しい婚家のルールに縛られ、アリスは外出もままならない。 それから五年の月日が流れ、ひょんなことからロエルに再会することになった。金髪の端正な紳士の彼は、彼女に問いかけた。 「お幸せですか?」 アリスはそれに答えられずにそのまま別れた。しかし、その言葉が彼の優しかった印象と共に尾を引いて、彼女の中に残っていく_______。 世間知らずの高貴な姫とやや強引な公爵家の子息のじれじれなラブストーリーです。 古風な恋愛物語をお好きな方にお読みいただけますと幸いです。 ハッピーエンドを心がけております。読後感のいい物語を努めます。 ※小説家になろう様にも投稿させていただいております。

悪役令息、拾いました~捨てられた公爵令嬢の薬屋経営~

山夜みい
恋愛
「僕が病気で苦しんでいる時に君は呑気に魔法薬の研究か。良いご身分だな、ラピス。ここに居るシルルは僕のために毎日聖水を浴びて神に祈りを捧げてくれたというのに、君にはがっかりだ。もう別れよう」 婚約者のために薬を作っていたラピスはようやく完治した婚約者に毒を盛っていた濡れ衣を着せられ、婚約破棄を告げられる。公爵家の力でどうにか断罪を回避したラピスは男に愛想を尽かし、家を出ることにした。 「もううんざり! 私、自由にさせてもらうわ」 ラピスはかねてからの夢だった薬屋を開くが、毒を盛った噂が広まったラピスの薬など誰も買おうとしない。 そんな時、彼女は店の前で倒れていた男を拾う。 それは『毒花の君』と呼ばれる、凶暴で女好きと噂のジャック・バランだった。 バラン家はラピスの生家であるツァーリ家とは犬猿の仲。 治療だけして出て行ってもらおうと思っていたのだが、ジャックはなぜか店の前に居着いてしまって……。 「お前、私の犬になりなさいよ」 「誰がなるかボケェ……おい、風呂入ったのか。服を脱ぎ散らかすな馬鹿!」 「お腹空いた。ご飯作って」 これは、私生活ダメダメだけど気が強い公爵令嬢と、 凶暴で不良の世話焼きなヤンデレ令息が二人で幸せになる話。

処理中です...