上 下
64 / 91
第二章 美しく成長したレティシア

65. アレル子爵家にて、ベリル侯爵夫人は安心する

しおりを挟む

 祖父母と共にサロンで過ごしていると、しばらくしてベリル侯爵夫人がやって来た。しかしパトリックは一緒ではないようだ。

「レティシア……」

 離れていたのはほんの数日だというのに、夫人は目に見えてやつれてしまったように感じ、レティシアは不貞を疑われて傷ついた母を思って胸を痛めた。

「お母様、お父様からお手紙を預かって来ました。それと、パトリックの事でお話が」
「フィリップから手紙ですって? まさか」
「本当よ。お父様が、一晩かけて書いたお手紙です。ほら、ここに」

 レティシアは蝋で封印された手紙を母親に手渡した。それを恐る恐る受け取り、そっと封を開いた夫人は読み進めていくうちにみるみる瞳に涙を溜め込み、やがて堰を切ったように透明の雫が頬を伝うと、顎からドレスへととめどなく流れ落ちていく。

「あのフィリップが……これを……」

 中にどんな事が書かれてあるのかはレティシアには分からない。けれども確かにその手紙が、凝り固まってしまった夫人の心を溶かしたのだと分かり、ホッとした。

「隔世遺伝とは……本当に、そんな事が?」
「ええ、本当に。実は、アヌビス様がその事を教えてくださったの。アレル家には三百年ほど前にパトリックと同じような外見の人がいたのです。名前は、ファブリス・ド・アレル。お祖父様、ご存知ないですか?」

 レティシアは祖父を振り返り、ファブリスの事を尋ねた。まさかアヌビスがファブリス自身を知っているとは言えるわけもなく、そのような物言いになったのだが。

「さぁ……、三百年前ともなると……。しかしアレル家代々の系譜が私の部屋にある。取ってこよう」

 その後アレル子爵が持って来た分厚い系譜によって、確かに三百年ほど前にファブリス・ド・アレルという男が存在した事が証明された。

「そういえば、昔むかしに曾祖父から黒髪の魔術師がアレル家に居たと聞いた事があったが、ファブリス・ド・アレルの事であったのか」
「話にしか聞いた事がない魔術師というものがこの帝国にも居ただなんて。しかもアレル家に。知らなかったわ」

 アレル子爵も子爵夫人も驚きを隠せないようで、それはレティシアの母親も同じだった。
 魔術師というのはそもそもこの帝国には存在していないとされており、全世界を探してもその存在は貴重で珍しい。彼らは迫害や戦争の道具となる事を避けるために、普段から人と距離を置いて隠れ住んでいる。
 よって、未だ多くの謎に包まれた存在である事から、血脈にそのような人物が居るという事がにわかには信じがたいのであろう。

「でも……パトリックには特別な力は無いわ。ただその黒い色味だけを受け継いだのね、きっと。私自身もどうしたらパトリックがフィリップの子であると証明する事が出来るのかずっと分からなかったの。レティシア、ありがとう」
「ええ、ですからお母様、パトリックを連れてそろそろ屋敷へ帰りましょう。私もお父様も随分と寂しく思っているのです」
「そうね。私も、パトリックが不憫だと……あの子にばかりかまけてきたものだから。レティシアはしっかり者だから私なんか居なくとも平気だと思って……。ごめんなさい、まだ子どもの貴女に甘え過ぎていたわ」

 母親であるベリル侯爵夫人はそう言って、どこかほっとしたようにため息を吐く。
 やはりマヤの言う通り、飛び出していった手前、自分からは帰るに帰れなくなってしまったのだろう。

「そうだ、パトリックは?」
「パトリックなら、まだ外から帰っていないようよ。あの子、ここに来てから毎日のように出掛けていくの。どうやら、教会までお祈りに行っているようよ」

 ベリル侯爵夫人が窓の外を指差した。その先、窓越しに月の光を浴びて浮かび上がるのは、古びた教会のシルエットであった。
 ここに来る途中、アヌビスは子爵邸の近くにある教会の事をレティシアに話してくれた。小さな教会の裏手にある墓地に、アリーナが眠っているのだと。
 
 年月を経てかなり外観も古びたその教会の建物は、随分前に他の教会と統合され、平常時にはほとんど使われる事が無く、今では非常時の避難場所や備蓄庫としてそこにあるのだと言う。

「パトリックは何故教会に?」

 レティシアは不思議に思って母に尋ねた。侯爵邸で居る時も、特にそう信心深い様子は無かったので疑問を抱いたのだった。

「あの子はフィリップが自分の事を息子だと認めてくれるよう、神様にお祈りしているのだと言っていたけれど。今回、あの子の髪と瞳の色が私達と違うという謎が解けたのも、そのお祈りの効果かしらね」

 そう言って、侯爵夫人は嬉しそうに笑った。

「とにかく今日はゆっくり休んでいきなさい。すぐに二人の部屋を用意させよう」

 アレル子爵と夫人はそう言って、使用人にゲストルームの手配を命じた。
 レティシアとアヌビスは、二人でアリーナの眠る教会の墓地へ向かうつもりで、パトリックの迎えを買って出る。侯爵夫人は何の疑いも無くにこやかに了承した。

「今日の晩餐は賑やかになりそうね。楽しみだわ」

 庶民派で、自身も料理をする事がある子爵夫人は得意の手料理を振る舞おうと張り切り、娘である侯爵夫人もその手伝いをする為にサロンを出る。

 帝国の中心に近い侯爵家よりも煌めく星が綺麗に見える澄んだ空の下、レティシアはアヌビスと共に教会へと向かう。

 

 
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

婚約「解消」ではなく「破棄」ですか? いいでしょう、お受けしますよ?

ピコっぴ
恋愛
7歳の時から婚姻契約にある我が婚約者は、どんな努力をしても私に全く関心を見せなかった。 13歳の時、寄り添った夫婦になる事を諦めた。夜会のエスコートすらしてくれなくなったから。 16歳の現在、シャンパンゴールドの人形のような可愛らしい令嬢を伴って夜会に現れ、婚約破棄すると宣う婚約者。 そちらが歩み寄ろうともせず、無視を決め込んだ挙句に、王命での婚姻契約を一方的に「破棄」ですか? ただ素直に「解消」すればいいものを⋯⋯ 婚約者との関係を諦めていた私はともかく、まわりが怒り心頭、許してはくれないようです。 恋愛らしい恋愛小説が上手く書けず、試行錯誤中なのですが、一話あたり短めにしてあるので、サクッと読めるはず? デス🙇

俺の婚約者は地味で陰気臭い女なはずだが、どうも違うらしい。

ミミリン
恋愛
ある世界の貴族である俺。婚約者のアリスはいつもボサボサの髪の毛とぶかぶかの制服を着ていて陰気な女だ。幼馴染のアンジェリカからは良くない話も聞いている。 俺と婚約していても話は続かないし、婚約者としての役目も担う気はないようだ。 そんな婚約者のアリスがある日、俺のメイドがふるまった紅茶を俺の目の前でわざとこぼし続けた。 こんな女とは婚約解消だ。 この日から俺とアリスの関係が少しずつ変わっていく。

【完結】愛され令嬢は、死に戻りに気付かない

かまり
恋愛
公爵令嬢エレナは、婚約者の王子と聖女に嵌められて処刑され、死に戻るが、 それを夢だと思い込んだエレナは考えなしに2度目を始めてしまう。 しかし、なぜかループ前とは違うことが起きるため、エレナはやはり夢だったと確信していたが、 結局2度目も王子と聖女に嵌められる最後を迎えてしまった。 3度目の死に戻りでエレナは聖女に勝てるのか? 聖女と婚約しようとした王子の目に、涙が見えた気がしたのはなぜなのか? そもそも、なぜ死に戻ることになったのか? そして、エレナを助けたいと思っているのは誰なのか… 色んな謎に包まれながらも、王子と幸せになるために諦めない、 そんなエレナの逆転勝利物語。

王妃さまは断罪劇に異議を唱える

土岐ゆうば(金湯叶)
恋愛
パーティー会場の中心で王太子クロードが婚約者のセリーヌに婚約破棄を突きつける。彼の側には愛らしい娘のアンナがいた。 そんな茶番劇のような場面を見て、王妃クラウディアは待ったをかける。 彼女が反対するのは、セリーヌとの婚約破棄ではなく、アンナとの再婚約だったーー。 王族の結婚とは。 王妃と国王の思いや、国王の愛妾や婚外子など。 王宮をとりまく複雑な関係が繰り広げられる。 ある者にとってはゲームの世界、ある者にとっては現実のお話。

【完結】妖精姫と忘れられた恋~好きな人が結婚するみたいなので解放してあげようと思います~

塩羽間つづり
恋愛
お気に入り登録やエールいつもありがとうございます! 2.23完結しました! ファルメリア王国の姫、メルティア・P・ファルメリアは、幼いころから恋をしていた。 相手は幼馴染ジーク・フォン・ランスト。 ローズの称号を賜る名門一族の次男だった。 幼いころの約束を信じ、いつかジークと結ばれると思っていたメルティアだが、ジークが結婚すると知り、メルティアの生活は一変する。 好きになってもらえるように慣れないお化粧をしたり、着飾ったりしてみたけれど反応はいまいち。 そしてだんだんと、メルティアは恋の邪魔をしているのは自分なのではないかと思いあたる。 それに気づいてから、メルティアはジークの幸せのためにジーク離れをはじめるのだが、思っていたようにはいかなくて……? 妖精が見えるお姫様と近衛騎士のすれ違う恋のお話 切なめ恋愛ファンタジー

【完結】その溺愛は聞いてない! ~やり直しの二度目の人生は悪役令嬢なんてごめんです~

Rohdea
恋愛
私が最期に聞いた言葉、それは……「お前のような奴はまさに悪役令嬢だ!」でした。 第1王子、スチュアート殿下の婚約者として過ごしていた、 公爵令嬢のリーツェはある日、スチュアートから突然婚約破棄を告げられる。 その傍らには、最近スチュアートとの距離を縮めて彼と噂になっていた平民、ミリアンヌの姿が…… そして身に覚えのあるような無いような罪で投獄されたリーツェに待っていたのは、まさかの処刑処分で── そうして死んだはずのリーツェが目を覚ますと1年前に時が戻っていた! 理由は分からないけれど、やり直せるというのなら…… 同じ道を歩まず“悪役令嬢”と呼ばれる存在にならなければいい! そう決意し、過去の記憶を頼りに以前とは違う行動を取ろうとするリーツェ。 だけど、何故か過去と違う行動をする人が他にもいて─── あれ? 知らないわよ、こんなの……聞いてない!

【完結】双子の伯爵令嬢とその許婚たちの物語

ひかり芽衣
恋愛
伯爵令嬢のリリカとキャサリンは二卵性双生児。生まれつき病弱でどんどん母似の美女へ成長するキャサリンを母は溺愛し、そんな母に父は何も言えない……。そんな家庭で育った父似のリリカは、とにかく自分に自信がない。幼い頃からの許婚である伯爵家長男ウィリアムが心の支えだ。しかしある日、ウィリアムに許婚の話をなかったことにして欲しいと言われ…… リリカとキャサリン、ウィリアム、キャサリンの許婚である公爵家次男のスターリン……彼らの物語を一緒に見守って下さると嬉しいです。 ⭐︎2023.4.24完結⭐︎ ※2024.2.8~追加・修正作業のため、2話以降を一旦非公開にしていました。  →2024.3.4再投稿。大幅に追加&修正をしたので、もしよければ読んでみて下さい(^^)

不憫な妹が可哀想だからと婚約破棄されましたが、私のことは可哀想だと思われなかったのですか?

木山楽斗
恋愛
子爵令嬢であるイルリアは、婚約者から婚約破棄された。 彼は、イルリアの妹が婚約破棄されたことに対してひどく心を痛めており、そんな彼女を救いたいと言っているのだ。 混乱するイルリアだったが、婚約者は妹と仲良くしている。 そんな二人に押し切られて、イルリアは引き下がらざるを得なかった。 当然イルリアは、婚約者と妹に対して腹を立てていた。 そんな彼女に声をかけてきたのは、公爵令息であるマグナードだった。 彼の助力を得ながら、イルリアは婚約者と妹に対する抗議を始めるのだった。 ※誤字脱字などの報告、本当にありがとうございます。いつも助かっています。

処理中です...