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第二章 美しく成長したレティシア

61. ファブリスという男、若かりし頃のアヌビス(中編)

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 アヌビスが子爵家へと戻って来た日、その時ばかりは閉じこもりがちだったファブリスも自室から出て、久方ぶりの来て再会を喜んだ。

「おかえり、アヌビス。薬草集めの旅はどうだったんだ? 珍しい薬草はあった? 僕も随分色々な魔術が使えるようになったんだよ」

 子爵家のサロンで、少し日焼けをして体付きも逞しくなったように見えるアヌビスに、ファブリスは次々と言葉を投げかける。
 人見知りで普段は大人しいファブリスもアヌビスには心を開いていて、旅の成果を早く聞きたいと急かし、不在の間の自分の努力を認めてもらいたくて仕方がなかった。
 姉のアリーナも久しぶりの再会に婚約者と話したい事がたくさんあったに違いなかったが、弟の嬉しそうな顔を見て、黙って二人の様子を見守っている。

「まぁまぁ……落ち着け、ファブリス。後で薬草についてはお前の部屋で見せてやるから。魔術の練習、きちんとしていたようだな」
「うん! アヌビスが僕に魔術の素質があると言ってくれたから。こんな見た目の僕が次期当主だと皆に認めてもらうには、この帝国にはアヌビス以外に存在しない魔術師として名を上げるしか無いと思ったんだ。それに、きっと僕はアヌビスを超える魔術師になってみせる」

 ファブリスの外見はアレル子爵夫妻のどちらとも似つかない黒髪と黒い瞳で、周囲からはその珍しい色味から不貞の子だと囁かれたり、不吉の象徴だと言われたりした。
 その根も葉もない社交界での噂話のせいで、アレル子爵夫妻は随分と傷ついて来たのである。姉のアリーナも、これまでは嫁ぎ先も見つからずに将来は行かず後家となってしまうのでは無いかと嘲笑の的となっていたのだ。

 それでも気のいい夫妻はファブリスへの愛情をアリーナと同じだけ目一杯注ぎ、決して贔屓する事なく育てて来た。アリーナも、弟の事を責める事も避ける事もせずに仲の良い姉弟として過ごして来た。
 
 ファブリスは家族への恩返しと、周囲を見返す為にアヌビスが見出してくれた魔術師としての力を高めるとを心に決めたのである。
 アレル子爵家から帝国フォレスティエ初の魔術師が誕生すれば、当主として認められるばかりか、伯爵位を賜る事だってあるかも知れないと。そうすればファブリスの事で肩身の狭い思いをしている姉のアリーナだって、きっと喜んでくれると信じていた。

「ファブリス、お前は私などより余程素質がある。人間に……いや、帝国の人間にどうしてファブリス程の魔力が備わっているのかは分からぬが、私と出会ったのも必然だったのだろう。きっと練習を積めば、私などより強い力を備えた魔術師になる」

 師であるアヌビスの言葉に、ファブリスは嬉しくなって大きく頷いた。
 齢十八になるファブリスは、閉じこもっていた期間が長い為か同じ年頃の令息に比べて精神が幼いきらいがある。
 しかしアヌビスは、その素直で純粋なファブリスの持つ魔力が、旅立ち前よりも明らかに強い力を放っている事に驚くと共に、将来は義弟となるこの青年が魔術師として腕を振るう未来が楽しみでもあったのだ。

「さぁさぁ、そろそろ私がアヌビスを独占してもいいかしら? お父様達ももう少ししたら戻って来ると思うけれど、それまで私に今回の旅のとっておきの話をしてちょうだい」
「ははっ! いいよ、アリーナ。君も相変わらず元気そうで何よりだ」
「相変わらずって何よ。貴方が旅に出ている間、私は一人で結婚式の準備を進めて来て大変だったのよ。もう! ファブリス、また後でアヌビスに貴方の部屋に行ってもらうから、少しの間二人きりにしてくれない? 練習していた魔術の披露をする準備をしておくといいわ」

 ファブリスが楽しみにしていたように、アリーナだって久しぶりの婚約者との再会なのだ。
 その事に思いが至らなかった未熟な自分に、ファブリスは少々落ち込んだが、アリーナはそんなファブリスの性質を良く知っていたから、明るい声色で分かりやすい指示をくれた。

「うん、ごめんね……姉さんも、アヌビスも。僕、またやっちゃった」
「いいのよ。貴方が私の将来の旦那様と仲良くしてくれて嬉しいわ」
「じゃあ、部屋で待ってるよ」

 そう言ってファブリスはアリーナとアヌビスを残してサロンを出ていく。
 廊下を進んで部屋に戻ろうとした時、先程出てきた扉からアリーナの楽しそうな笑い声が聞こえて来た。

 幼い頃からファブリスの良き理解者だった明るくて優しくて美しい姉は、もうすぐアヌビスの元へ嫁いでしまう。いき遅れだ、行かず後家だと言われ続けた姉がとうとうこの屋敷から去ってしまう事に、寂しい気持ちは確かにあった。
 しかしそれよりも二人には幸せになって欲しいと、そうファブリスは心から願っていたのである。

「必ず、結婚式を彩る特大のハナビを打ち上げてみせるよ」

 ファブリスは決心を込めて呟いて、自室への道のりを足取り軽く進んでいった。
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