上 下
57 / 91
第二章 美しく成長したレティシア

58. ニコラ第二皇子、魔術師ファブリスについて語る

しおりを挟む

 靴の先からその上に伸びる下肢を辿ると、レティシアの視線の先にいる人物の全体が見えた。

 輝くような金髪に栗色の瞳。まさにこの国の皇帝と同じ色味を持つ少年は、少しつり目がちなその瞳を細め、悪戯っぽい笑みを浮かべレティシアを見つめていた。

「殿下……」

 慌てて立ち上がったレティシアは、その場でカーテシーを披露しながら目を伏せた。
 ニコラを何度か遠くから見かける事はあっても、このように至近距離で言葉を交わすのは初めてのことであった。

「帝国の光、ニコラ第二皇子殿下に拝謁いたします」
「そういうの、堅苦しくて苦手なんだよね。いくら認知されてるからって、僕はソフィー皇后陛下の息子じゃないんだし」
「いえ……それは……」
「それに、将来僕の義姉様になるんだよね? 仲良くしようよ」

 皇帝の愛人であるカタリーナは、認知されているとはいえ、妾の子という微妙な立場のニコラをあまり外に出したがらなかった。
 皇后派や皇太子派の、誰がニコラを陥れようとするか分からないと考えていたからだ。

「それに、この前はシャルルがお姉さんに助けられたって……。僕がちょっと風邪をひいている間にシャルルったら、危うく罰を受けるところだったみたいで。お姉さんのおかげで助かったよ」
「そんな、全くの偶然ですから。あの時もここでシャルルに会って……」
「らしいね。シャルルがそう言ってた。それで、お姉さんは何の本を探しているの? 僕はこの図書室にある本に詳しいから、教えてあげられるかも知れないよ」

 年相応の少年らしく、人懐っこい雰囲気を纏うニコラはレティシアを警戒する様子がない。周囲にカタリーナの息のかかった近衛兵が居ないことを確認した上で、レティシアは自身の探し物について語り始めた。

「なるほどね。それならきっとこの図書室に、お姉さんの言うような人物の話が記録されているものがある。数百年前に存在した、偉大なる魔術師の話だよ」
「偉大なる……魔術師?」
「その魔術師は夫婦のどちらとも違った色味である黒髪と黒い瞳で生まれた。ゆえに、当時は呪われた子と周囲から疎まれていたらしい。僕は昔話みたいにしか聞いた事が無かったけれど、実在の人物なんだって」
「今殿下がおっしゃったような魔術師の本が、この図書室のどこかにあるのですね?」

 レティシアは広大な図書室の中をぐるりと見渡してみたが、どこにそのような本があるのか見当もつかなかった。

「だから言ったでしょ。僕はこの図書室には詳しいんだ。全ての本を読んだわけじゃないけれど、大体どの辺りにどんな本があるかは把握してる。お姉さんの探している本はあっちにあるよ」

 ニコラはグイグイとレティシアの手を引っ張って、高い書架の間を進んでいく。近衛兵や、その他の誰かに見られたら少々面倒だとレティシアは心配したものの、幸い目的の書架の前に来るまで誰にも会わなかった。

「えっと……あの棚の辺りが『魔術師ファブリス』についての本だと思う」
「ファブリスという名なのですか?」
「そう、ファブリス・ド・アレルだよ」
「……アレル」

 アレルという名を聞いて、レティシアは胸がいやにざわつくのを感じた。
 キィーンと耳鳴りがして、思わず顔をしかめる。

「僕が梯子に登って何冊か見繕ってくるから、待ってて」
「えっ、殿下! 私が!」
「別にいいけど、お姉さんのドレスじゃこの梯子に登るのは無理じゃ無いかな」

 大抵の書架には階段が付いているが、この辺りの古い書架は梯子を使わなければ高いところの本を取る事は出来ない。
 確かに頼りない梯子を登る事に恐怖を覚えたレティシアは、慣れていると言うニコラの指示に従い、梯子を根元でしっかりと支える事に徹した。

「ほら、多分この三冊がファブリスについて分かりやすく書いてあると思うよ。伝記みたいなものだけど」

 スルスルと慣れた様子で梯子を降りて来たニコラは、手に持った布袋に入れていた本を三冊取り出してレティシアへ手渡した。

「ありがとうございます。殿下は梯子を使うのに慣れてらっしゃるのですね」
「母上はダメだって怒りそうだけどね、だって高い所ってワクワクするじゃないか。シャルルに木登りを教えてもらってから、高い所が好きになったんだ」
「まぁ! 木登り⁉︎」
「シャルルには僕が勉強を教える代わりに、遊びを教えてもらっているんだ。僕だって、同い年くらいの友達が欲しいよ。でも、宮からみだりに出る事は許されていないから。何とか図書室だけは出入りを許してもらってるんだ」

 カタリーナは息子を溺愛していると聞く。どこに自分達の敵が潜んでいるか分からない宮殿では、ニコラが自由に出歩く事を禁じているのだろう。
 社交界に出るようになればまた違うだろうが、今のニコラには母親と皇帝くらいしか、身近な人間は居ないのだった。

「ひょっとして、殿下はリュシアン様と交流を持ちたいとお考えでしょうか?」

 ニコラが皇太子宮の庭師の孫と出会うには、ニコラ自身が皇太子宮に近づかなければ無理な事である。何故ならば、庭師も勿論その孫も、皇太子宮の敷地を出る事は許されていないのだから。
 そしてニコラが皇太子宮へ足を運んだのは、兄であるリュシアンと関わりたいと思ったからでは無いかと、そうレティシアは考えた。

「お願い、兄上には言わないで! 恥ずかしいから! 僕、兄上とはあまりゆっくりお話しした事は無いんだけど、英雄ディーンの弟子で、僕くらいの頃には既に騎士達を負かすくらいに剣の腕がたって、いつもかっこいい兄上に憧れているんだ」
「そうですか。きっとリュシアン様も、出来る事ならニコラ殿下とゆっくりお話ししたいと思ってらっしゃいますよ」
「本当⁉︎ でも、僕は兄上や皇后陛下に恨まれても当然の立場だから……」

 空気が抜けた風船のように一気にシュンとしてしまったニコラに、レティシアは優しく話しかけた。

「お二人は、殿下の事を恨んだりなどしておりませんよ。私が困っていたら、こうやって手助けしてくださったではありませんか。殿下はとてもお優しい方です。リュシアン様もソフィー様も、殿下のお気持ちをきっと分かってくださいます」
「そ、そうかなぁ……」

 まだまだ不安そうに肩を落としたままのニコラは、やはりどこか憎めないどころか放って置けないいじらしさがある。

「いつかきっと、リュシアン様とお話し出来る機会が参りますわ」
「うん、ありがとう。兄上が大事にしているお姉さんが言うなら間違いないね」

 二人で顔を見合わせて、ふわっと優しい微笑みを交わし合った時、遠くの方でニコラを探す声がした。近衛兵だろう。

「お姉さん、ありがとう! また機会があればお話してくれる? 僕、友達は大歓迎だよ」
「ええ、きっと。殿下、本を探してくださってありがとうございました」
「うん。またね」

 パタパタとまだ軽い足音を立てて書架の間を走って行ったニコラの背中を、レティシアは眩しそうに眺めていた。
 やがて遠くでニコラと近衛兵らしき男が話す声が聞こえ、それもそのうち遠ざかって行く。

「きっと、此度の人生ではリュシアン様とニコラ様は分かり合えるに違いないわ」

 レティシアはニコラに手渡された古い本を大切そうに胸に抱え、図書室をあとにした。

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

俺の婚約者は地味で陰気臭い女なはずだが、どうも違うらしい。

ミミリン
恋愛
ある世界の貴族である俺。婚約者のアリスはいつもボサボサの髪の毛とぶかぶかの制服を着ていて陰気な女だ。幼馴染のアンジェリカからは良くない話も聞いている。 俺と婚約していても話は続かないし、婚約者としての役目も担う気はないようだ。 そんな婚約者のアリスがある日、俺のメイドがふるまった紅茶を俺の目の前でわざとこぼし続けた。 こんな女とは婚約解消だ。 この日から俺とアリスの関係が少しずつ変わっていく。

【完結】愛され令嬢は、死に戻りに気付かない

かまり
恋愛
公爵令嬢エレナは、婚約者の王子と聖女に嵌められて処刑され、死に戻るが、 それを夢だと思い込んだエレナは考えなしに2度目を始めてしまう。 しかし、なぜかループ前とは違うことが起きるため、エレナはやはり夢だったと確信していたが、 結局2度目も王子と聖女に嵌められる最後を迎えてしまった。 3度目の死に戻りでエレナは聖女に勝てるのか? 聖女と婚約しようとした王子の目に、涙が見えた気がしたのはなぜなのか? そもそも、なぜ死に戻ることになったのか? そして、エレナを助けたいと思っているのは誰なのか… 色んな謎に包まれながらも、王子と幸せになるために諦めない、 そんなエレナの逆転勝利物語。

【完結】妖精姫と忘れられた恋~好きな人が結婚するみたいなので解放してあげようと思います~

塩羽間つづり
恋愛
お気に入り登録やエールいつもありがとうございます! 2.23完結しました! ファルメリア王国の姫、メルティア・P・ファルメリアは、幼いころから恋をしていた。 相手は幼馴染ジーク・フォン・ランスト。 ローズの称号を賜る名門一族の次男だった。 幼いころの約束を信じ、いつかジークと結ばれると思っていたメルティアだが、ジークが結婚すると知り、メルティアの生活は一変する。 好きになってもらえるように慣れないお化粧をしたり、着飾ったりしてみたけれど反応はいまいち。 そしてだんだんと、メルティアは恋の邪魔をしているのは自分なのではないかと思いあたる。 それに気づいてから、メルティアはジークの幸せのためにジーク離れをはじめるのだが、思っていたようにはいかなくて……? 妖精が見えるお姫様と近衛騎士のすれ違う恋のお話 切なめ恋愛ファンタジー

【完結】その溺愛は聞いてない! ~やり直しの二度目の人生は悪役令嬢なんてごめんです~

Rohdea
恋愛
私が最期に聞いた言葉、それは……「お前のような奴はまさに悪役令嬢だ!」でした。 第1王子、スチュアート殿下の婚約者として過ごしていた、 公爵令嬢のリーツェはある日、スチュアートから突然婚約破棄を告げられる。 その傍らには、最近スチュアートとの距離を縮めて彼と噂になっていた平民、ミリアンヌの姿が…… そして身に覚えのあるような無いような罪で投獄されたリーツェに待っていたのは、まさかの処刑処分で── そうして死んだはずのリーツェが目を覚ますと1年前に時が戻っていた! 理由は分からないけれど、やり直せるというのなら…… 同じ道を歩まず“悪役令嬢”と呼ばれる存在にならなければいい! そう決意し、過去の記憶を頼りに以前とは違う行動を取ろうとするリーツェ。 だけど、何故か過去と違う行動をする人が他にもいて─── あれ? 知らないわよ、こんなの……聞いてない!

【完結】双子の伯爵令嬢とその許婚たちの物語

ひかり芽衣
恋愛
伯爵令嬢のリリカとキャサリンは二卵性双生児。生まれつき病弱でどんどん母似の美女へ成長するキャサリンを母は溺愛し、そんな母に父は何も言えない……。そんな家庭で育った父似のリリカは、とにかく自分に自信がない。幼い頃からの許婚である伯爵家長男ウィリアムが心の支えだ。しかしある日、ウィリアムに許婚の話をなかったことにして欲しいと言われ…… リリカとキャサリン、ウィリアム、キャサリンの許婚である公爵家次男のスターリン……彼らの物語を一緒に見守って下さると嬉しいです。 ⭐︎2023.4.24完結⭐︎ ※2024.2.8~追加・修正作業のため、2話以降を一旦非公開にしていました。  →2024.3.4再投稿。大幅に追加&修正をしたので、もしよければ読んでみて下さい(^^)

不憫な妹が可哀想だからと婚約破棄されましたが、私のことは可哀想だと思われなかったのですか?

木山楽斗
恋愛
子爵令嬢であるイルリアは、婚約者から婚約破棄された。 彼は、イルリアの妹が婚約破棄されたことに対してひどく心を痛めており、そんな彼女を救いたいと言っているのだ。 混乱するイルリアだったが、婚約者は妹と仲良くしている。 そんな二人に押し切られて、イルリアは引き下がらざるを得なかった。 当然イルリアは、婚約者と妹に対して腹を立てていた。 そんな彼女に声をかけてきたのは、公爵令息であるマグナードだった。 彼の助力を得ながら、イルリアは婚約者と妹に対する抗議を始めるのだった。 ※誤字脱字などの報告、本当にありがとうございます。いつも助かっています。

忘れられた幼な妻は泣くことを止めました

帆々
恋愛
アリスは十五歳。王国で高家と呼ばれるう高貴な家の姫だった。しかし、家は貧しく日々の暮らしにも困窮していた。 そんな時、アリスの父に非常に有利な融資をする人物が現れた。その代理人のフーは巧みに父を騙して、莫大な借金を負わせてしまう。 もちろん返済する目処もない。 「アリス姫と我が主人との婚姻で借財を帳消しにしましょう」 フーの言葉に父は頷いた。アリスもそれを責められなかった。家を守るのは父の責務だと信じたから。 嫁いだドリトルン家は悪徳金貸しとして有名で、アリスは邸の厳しいルールに従うことになる。フーは彼女を監視し自由を許さない。そんな中、夫の愛人が邸に迎え入れることを知る。彼女は庭の隅の離れ住まいを強いられているのに。アリスは嘆き悲しむが、フーに強く諌められてうなだれて受け入れた。 「ご実家への援助はご心配なく。ここでの悪くないお暮らしも保証しましょう」 そういう経緯を仲良しのはとこに打ち明けた。晩餐に招かれ、久しぶりに心の落ち着く時間を過ごした。その席にははとこ夫妻の友人のロエルもいて、彼女に彼の掘った珍しい鉱石を見せてくれた。しかし迎えに現れたフーが、和やかな夜をぶち壊してしまう。彼女を庇うはとこを咎め、フーの無礼を責めたロエルにまで痛烈な侮蔑を吐き捨てた。 厳しい婚家のルールに縛られ、アリスは外出もままならない。 それから五年の月日が流れ、ひょんなことからロエルに再会することになった。金髪の端正な紳士の彼は、彼女に問いかけた。 「お幸せですか?」 アリスはそれに答えられずにそのまま別れた。しかし、その言葉が彼の優しかった印象と共に尾を引いて、彼女の中に残っていく_______。 世間知らずの高貴な姫とやや強引な公爵家の子息のじれじれなラブストーリーです。 古風な恋愛物語をお好きな方にお読みいただけますと幸いです。 ハッピーエンドを心がけております。読後感のいい物語を努めます。 ※小説家になろう様にも投稿させていただいております。

裏切りの代償~嗤った幼馴染と浮気をした元婚約者はやがて~

柚木ゆず
恋愛
※6月10日、リュシー編が完結いたしました。明日11日よりフィリップ編の後編を、後編完結後はフィリップの父(侯爵家当主)のざまぁに関するお話を投稿させていただきます。  婚約者のフィリップ様はわたしの幼馴染・ナタリーと浮気をしていて、ナタリーと結婚をしたいから婚約を解消しろと言い出した。  こんなことを平然と口にできる人に、未練なんてない。なので即座に受け入れ、私達の関係はこうして終わりを告げた。 「わたくしはこの方と幸せになって、貴方とは正反対の人生を過ごすわ。……フィリップ様、まいりましょう」  そうしてナタリーは幸せそうに去ったのだけれど、それは無理だと思うわ。  だって、浮気をする人はいずれまた――

処理中です...