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第一章 逆行したレティシア(幼少期)

41. 自分の弱さを認めるリュシアン、支えるレティシア

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 嗚咽に震える声で何とか言葉に出来た疑問。その時リュシアンは明らかに肩をビクリと震わせた。

「今度こそ其方を守るなら、そうするしか無いのだと……遠ざければ傷付ける事も、革命に巻き込む事も無いと思った。とにかく其方の命さえ守れればいいと」
「私は……っ、リュシアン様の事をお慕いしています! 今も昔もずっと……!」

 レティシアにとってみれば、とても勝手なリュシアンの守り方に腹が立ち、いつの間にか声を荒らげていた。

「それなのに、どうしてあんなにすれ違ってしまったのか、ある時からリュシアン様のお気持ちが分からなくなって……っ」
「俺は……! 其方を嫌っていたわけではない。むしろ嫌っていたならば、あれ程苦しむ事も無かっただろう。しかし、だからこそ……どうしても許せなかった! 母上の事を思う気持ちが……民を思って共にこの帝国を作ろうと語った夢が、俺だけのものになってしまったのだと、そう思って……」

 リュシアンはレティシアを想っていたからこそ、過去でレティシアが変わっていく事をどうしても受け入れられなかった。
 何故レティシアが突然変わってしまったのか、どうしてリュシアンの敵である皇帝とカタリーナの肩を持つのか、その理由が分からずにただただ苛立ちと悲しみに暮れてしまった。
 
 それだけ、あまりにも母の死に対する悲しみと恨みが大き過ぎた。あの頃のリュシアンには身近に頼れる者がおらず、冷静になれる機会が無かった。
 ディーンやアヌビスが彼のそばに居たならば、また違ったかも知れないのに。

「今思えば……どうしてもっと深く考えなかったのかと、其方が本当に心から変わってしまったのかどうかを確かめる方法はあったはずなのにと、そう感じる。罪悪感なのだろうな、其方を愚かだと罵りながらも自分自身に言っているような気持ちになっていたのは。言い訳にしかならぬが、あの時の俺は冷静さを失い、どうかしていたのだろう」

 リュシアンは自嘲の笑みを浮かべつつ自分の過ちを振り返る。膝の上に置かれた拳は、ギシギシと骨が軋むほど強く握られていた。
 
「……私は、あの時愚かだった自分を、此度の人生でこそ変えようと……そう思っております。やり直しの機会が与えられたのであれば、もう絶対に後悔したく無い。リュシアン様も、同じですか?」
「俺も……あの時其方を失って感じた無力感と絶望感を、決して忘れてはならないと思う。今回奇跡的に母上を助けられたとはいえ、皇帝やカタリーナに対する怒りはどうしたって消えない。其方がまさか俺と同じく回帰しているなどと思わなかったから、またいつか過去と同じようにあいつらの方に傾いてしまったらと思うと、怖かった」
 
 目の前で、あの凍り付くような冷たい仮面をすっかり脱ぎ捨ててしまったこの不器用な人を、レティシアは自分と同じ未熟で弱い人だったのだと今度こそ理解した。
 過去でレティシアは、リュシアンの事を誰よりも強くて常に正しい心を持つ人間なのだと思っていたから。だからこそ、自分だけが過ちを犯す愚かな存在だと思っていた。
 しかし、そうではない。リュシアンも、過ちを犯す人間なのだ。

「すまなかった、レティシア。俺は未熟で、愚かで、子どもじみた感情にいつまでも振り回される、不出来な人間だ」
「リュシアン様……」
「すまない。許してくれと、そう言える事こそが奇跡だろう。本来ならば俺の過ちによって其方は永遠にこの世から居なくなり、このような機会を与えられる事も無かった。俺の未熟さのせいで……痛く辛い思いをさせ、本当にすまなかった」
 
 そう言ってリュシアンは俯き、片手で顔を覆うと肩を震わせる。その上堪えきれずに小さく嗚咽をも漏らすリュシアンに、レティシアは以前は知り得なかった至極人間らしい一面を見た。

「リュシアン様、泣かないで」
「俺を……情けないと思うだろう。其方の事となると、本当に俺は情けない男に成り下がる。笑えるほどに」

 情けないと自分を責めるリュシアンに、レティシアは胸が痛んだ。十歳の身体を持つ今も、そしてもっと成長していた昔も、リュシアンは決して完璧な人間などでは無かったのだ。
 そしてそれがレティシアの強い庇護欲を掻き立てられ、やはり目の前のこの人を、心から愛しいと思ったのだった。
 
 レティシアはそっと立ち上がり、リュシアンの身体を抱き締めた。
 昨日ソフィー皇后がレティシアにそうしてくれたように、優しく真心を込めて愛情を伝えるように。
 
「リュシアン様。私も……きちんと謝りたいのです」
「……何を」

 いつの間にか溢れて止まらない涙を引っ込ませようと、リュシアンを抱きすくめたままのレティシアは天井を見た。
 きちんと話さねばならない。泣いてばかりではダメだ。此度の生では必ず強くなろうと、自分を変えようと決心したのだから。
 
「私、あちらではとても弱くて愚かで、そして大人の傀儡となって貴方を深く傷つけてしまった」
「しかしそれは……」

 じっと抱かれていたリュシアンが、モゾモゾと細いレティシアの腕の中から抜け出そうとする。しかしレティシアがそれを許すまいとしてぎゅっと腕に力を入れると、リュシアンは諦めたようにじっとした。

「ソフィー様が儚くなられた後、私はもっと貴方の心に寄り添うべきだったのに。皇太子という貴方の立場ばかりを守ろうとしてしまい、ごめんなさい。貴方は私と違って強いのだと思い込んでいたから、そんな風に苦しんでいた事に気付けなかった」

 レティシアが一息にそう告げると、リュシアンは苦しげな泣き声を噛み殺すようにして一層その身体を震わせる。レティシアの謝罪によって、リュシアンの中の凝り固まった何かが、ガラガラと崩れ落ちるように、そしてその澱んだ何かは涙によって外に流れ出していくようであった。

「レティシア……許してくれ。俺はもう……今度こそ間違わない」
「はじめから怒ってなんかいないわ、リュシアン様。貴方が必要としてくださるなら、私はずっとそばにいる」
 
 過去でソフィー皇后を喪ったリュシアンを見舞いで訪れた時のように、青年らしく逞しい背中が震えるのを、レティシアは小さな手で優しく何度も撫でさすってやった。


 
 
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