40 / 91
第一章 逆行したレティシア(幼少期)
40. リュシアンと、レティシアは語る
しおりを挟む翌日、レティシアはリュシアンの為に刺繍を施したハンカチを包むと、宮殿へと出仕する父親と共に馬車に乗り込んだ。
以前ならば重苦しく苦痛であっただろう馬車の中での時間が、父親との語らいの場になるなどという事は、以前のレティシアならば想像もつかなかった事である。
「お前の話によって婚約破棄の事に関してはまだ教皇庁に受理されていないという事が分かったが、まだ信じられんな。皇后陛下と教皇聖下が知り人であるなどと、初耳だが」
「私も驚きました。ですがなんだかソフィー様の話ぶりからすると、遠い母国の関係かと」
「ソフィー皇后の母国は遥か遠くのセフィーロ王国で、先々帝が彼の国の国王と親しかったのだという事以外は、高官である私でも詳しくは知らんのだ」
セフィーロ王国はこの帝国フォレスティエと距離的に離れているという事もあって今ではほとんど行き来が無く、現在の王国の内情などは謎に包まれている。
ソフィー皇后も帝国に輿入れしてからというもの、どういった事情かは不明だが一度も母国に帰った事が無いのだった。
「とにかく、私はリュシアン様と話し合ってみます。せっかくソフィー様が時間を稼いでくださっているのですから」
「万が一、本当にどうしようもなく婚約破棄する事になったとしても、お前が気にする事は無い。元々は皇帝陛下の決めた政略結婚だったのだから」
このような言葉をベリル侯爵が口にするなど、過去のレティシアが聞けば驚いただろう。それどころか、あまりの驚愕で腰を抜かしてしまったかも知れない。
しかし今のレティシアには、目の前の座席に腰掛け口をへの字にして厳しい顔をする父の心が、すぐ近くにあるように感じられている。
もう過去とは色々な事柄が全く違うのだ。
それだけでレティシアは、この世界に逆行して来た意味を感じ取り、その幸せを噛み締めた。
馬車どめで侯爵と別れたレティシアは、まずは皇太子宮へと向かった。
今はまだ午前中の早い時間、リュシアンはきっと皇太子宮で日々の公務をこなしていると思ったからだ。
そして目の前に皇太子の居室が見えて来ると、レティシアの心は不安にざわついた。
いくら決心を固めてきたのだとしても、やはり緊張は隠せずに手足はカタカタと震えた。
ふと、皇太子宮のすぐ近くに咲くヒソップが視界に入る。紫色の花弁をつけたその花は、風に揺られレティシアに向かって優しく手を振っているように見えた。
「大丈夫、全ては変わったのだから。きっとリュシアン様とも話せば分かり合えるわ」
そう言って少しだけ足取りが軽くなったレティシアは、皇太子の執務室の前へとぐんぐん進んで行った。
そして部屋を守る者にリュシアンへの取り次ぎを頼む。今会ってくれなかったとしても、待ち伏せしてでも必ず今日は話し合いをするのだと、レティシアはそこまで考えていた。
「レティシア嬢、お入りください」
意外な事で、リュシアンはレティシアに会ってくれるようだ。レティシアはとても久しぶりに皇太子執務室へと足を踏み入れる事となった。
「リュシアン様、ごきげんよう。本日は私にお会いしてくださり光栄です」
「……今日は一体、何の用だ」
「あの……人払いをお願いいたします」
緊張で震える声をしたレティシアの頼みに、リュシアンは素直に侍従達を部屋の外へと出した。
昨日はもっと不機嫌そうな雰囲気であったが、今日のリュシアンは少しだけ表情が穏やかであるような、レティシアにはそんな気がしたのである。
やがてリュシアンは執務机の前から立ち上がり、レティシアのいる方へとゆっくり歩み寄った。
以前ならば当たり前に見ていたその何気ない姿に、レティシアはじんわり瞳を潤ませる。そして今にも眦から大粒の涙が零れようするのを、気付かれまいと瞬きをする事で誤魔化したのだった。
「願いを聞き入れてくださって、ありがとうございます」
「いや、構わない。それと……その、昨日はきつい物言いをしてしまってすまなかった」
リュシアンからの意外な言葉に、レティシアは驚きを隠せずにいた。まさか謝罪を受けるとは思わなかったし、昨日のリュシアンの言葉はレティシアに当てたものというよりも、自分自身に苛立っているような、そんな気がしていたからだ。
「え……、いえ。そのような事、全く気にしておりません」
リュシアンの久しぶりに聞く穏やかな言葉遣いに、レティシアは懐かしくて不思議な感情を覚えた。
二人は一人掛け用のソファーへそれぞれ腰掛けると、まず口火を切ったのはレティシアであった。
「リュシアン様、私……実はイリナ嬢に自分が討たれた事を存じあげております。あの革命の日、愚かな傀儡であった私がお父様を庇って刺された、あの時の事です」
リュシアンはその深い青色をした目を大きく見開いて、今日初めて真っ直ぐにレティシアの方を見た。
レティシアの告げた言葉の後に、ひゅっと息を呑むような音がしたのは、決して空耳では無かったのだろう。その証拠に、唇が色を失ってしまっている。
「まさか……」
「そのまさかです。私自身も何故このような事になったのか分かりません。けれど確かに私はあの時イリナ嬢に討たれ、命を落としたのです。そして、此処へ回帰した。リュシアン様は……あの時私の命を……助けようと……してくださったのですね」
「レティシア……俺は」
途中からレティシアの声は途切れ途切れとなり、嗚咽混じりのものに変わった。
リュシアンはまだ呆然としているような、そんな気配でレティシアの様子をじっと見つめる。ただ先ほどよりも感情が乱れているのか、呼吸は荒く浅くなっているようだ。
「私の事を、助けてくださろうとした。それなのに何故……何故……突然婚約破棄をしようとなさったのです?」
14
お気に入りに追加
1,938
あなたにおすすめの小説
【完結】 いいえ、あなたを愛した私が悪いのです
冬馬亮
恋愛
それは親切な申し出のつもりだった。
あなたを本当に愛していたから。
叶わぬ恋を嘆くあなたたちを助けてあげられると、そう信じていたから。
でも、余計なことだったみたい。
だって、私は殺されてしまったのですもの。
分かってるわ、あなたを愛してしまった私が悪いの。
だから、二度目の人生では、私はあなたを愛したりはしない。
あなたはどうか、あの人と幸せになって ---
※ R-18 は保険です。
【完結】妖精姫と忘れられた恋~好きな人が結婚するみたいなので解放してあげようと思います~
塩羽間つづり
恋愛
お気に入り登録やエールいつもありがとうございます!
2.23完結しました!
ファルメリア王国の姫、メルティア・P・ファルメリアは、幼いころから恋をしていた。
相手は幼馴染ジーク・フォン・ランスト。
ローズの称号を賜る名門一族の次男だった。
幼いころの約束を信じ、いつかジークと結ばれると思っていたメルティアだが、ジークが結婚すると知り、メルティアの生活は一変する。
好きになってもらえるように慣れないお化粧をしたり、着飾ったりしてみたけれど反応はいまいち。
そしてだんだんと、メルティアは恋の邪魔をしているのは自分なのではないかと思いあたる。
それに気づいてから、メルティアはジークの幸せのためにジーク離れをはじめるのだが、思っていたようにはいかなくて……?
妖精が見えるお姫様と近衛騎士のすれ違う恋のお話
切なめ恋愛ファンタジー
所詮、わたしは壁の花 〜なのに辺境伯様が溺愛してくるのは何故ですか?〜
しがわか
ファンタジー
刺繍を愛してやまないローゼリアは父から行き遅れと罵られていた。
高貴な相手に見初められるために、とむりやり夜会へ送り込まれる日々。
しかし父は知らないのだ。
ローゼリアが夜会で”壁の花”と罵られていることを。
そんなローゼリアが参加した辺境伯様の夜会はいつもと雰囲気が違っていた。
それもそのはず、それは辺境伯様の婚約者を決める集まりだったのだ。
けれど所詮”壁の花”の自分には関係がない、といつものように会場の隅で目立たないようにしているローゼリアは不意に手を握られる。
その相手はなんと辺境伯様で——。
なぜ、辺境伯様は自分を溺愛してくれるのか。
彼の過去を知り、やがてその理由を悟ることとなる。
それでも——いや、だからこそ辺境伯様の力になりたいと誓ったローゼリアには特別な力があった。
天啓<ギフト>として女神様から賜った『魔力を象るチカラ』は想像を創造できる万能な能力だった。
壁の花としての自重をやめたローゼリアは天啓を自在に操り、大好きな人達を守り導いていく。
逆行令嬢は何度でも繰り返す〜もう貴方との未来はいらない〜
みおな
恋愛
私は10歳から15歳までを繰り返している。
1度目は婚約者の想い人を虐めたと冤罪をかけられて首を刎ねられた。
2度目は、婚約者と仲良くなろうと従順にしていたら、堂々と浮気された挙句に国外追放され、野盗に殺された。
5度目を終えた時、私はもう婚約者を諦めることにした。
それなのに、どうして私に執着するの?どうせまた彼女を愛して私を死に追いやるくせに。
私が死んで満足ですか?
マチバリ
恋愛
王太子に婚約破棄を告げられた伯爵令嬢ロロナが死んだ。
ある者は面倒な婚約破棄の手続きをせずに済んだと安堵し、ある者はずっと欲しかった物が手に入ると喜んだ。
全てが上手くおさまると思っていた彼らだったが、ロロナの死が与えた影響はあまりに大きかった。
書籍化にともない本編を引き下げいたしました
出来レースだった王太子妃選に落選した公爵令嬢 役立たずと言われ家を飛び出しました でもあれ? 意外に外の世界は快適です
流空サキ
恋愛
王太子妃に選ばれるのは公爵令嬢であるエステルのはずだった。結果のわかっている出来レースの王太子妃選。けれど結果はまさかの敗北。
父からは勘当され、エステルは家を飛び出した。頼ったのは屋敷を出入りする商人のクレト・ロエラだった。
無一文のエステルはクレトの勧めるままに彼の邸で暮らし始める。それまでほとんど外に出たことのなかったエステルが初めて目にする外の世界。クレトのもとで仕事をしながら過ごすうち、恩人だった彼のことが次第に気になりはじめて……。
純真な公爵令嬢と、ある秘密を持つ商人との恋愛譚。
選ばれたのは私以外でした 白い結婚、上等です!
凛蓮月
恋愛
【第16回恋愛小説大賞特別賞を頂き、書籍化されました。
紙、電子にて好評発売中です。よろしくお願いします(*ᴗ͈ˬᴗ͈)⁾⁾⁾】
婚約者だった王太子は、聖女を選んだ。
王命で結婚した相手には、愛する人がいた。
お飾りの妻としている間に出会った人は、そもそも女を否定した。
──私は選ばれない。
って思っていたら。
「改めてきみに求婚するよ」
そう言ってきたのは騎士団長。
きみの力が必要だ? 王都が不穏だから守らせてくれ?
でもしばらくは白い結婚?
……分かりました、白い結婚、上等です!
【恋愛大賞(最終日確認)大賞pt別二位で終了できました。投票頂いた皆様、ありがとうございます(*ᴗ͈ˬᴗ͈)⁾⁾⁾応援ありがとうございました!
ホトラン入り、エール、投票もありがとうございました!】
※なんてあらすじですが、作者の脳内の魔法のある異世界のお話です。
※ヒーローとの本格的な恋愛は、中盤くらいからです。
※恋愛大賞参加作品なので、感想欄を開きます。
よろしければお寄せ下さい。当作品への感想は全て承認します。
※登場人物への口撃は可ですが、他の読者様への口撃は作者からの吹き矢が飛んできます。ご注意下さい。
※鋭い感想ありがとうございます。返信はネタバレしないよう気を付けます。すぐネタバレペロリーナが発動しそうになります(汗)
婚約破棄をされた悪役令嬢は、すべてを見捨てることにした
アルト
ファンタジー
今から七年前。
婚約者である王太子の都合により、ありもしない罪を着せられ、国外追放に処された一人の令嬢がいた。偽りの悪業の経歴を押し付けられ、人里に彼女の居場所はどこにもなかった。
そして彼女は、『魔の森』と呼ばれる魔窟へと足を踏み入れる。
そして現在。
『魔の森』に住まうとある女性を訪ねてとある集団が彼女の勧誘にと向かっていた。
彼らの正体は女神からの神託を受け、結成された魔王討伐パーティー。神託により指名された最後の一人の勧誘にと足を運んでいたのだが——。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる