28 / 91
第一章 逆行したレティシア(幼少期)
28. 十四歳のレティシア、その悪夢(後編)
しおりを挟むそのうち店内の貴族らしき夫婦がレティシアのそばでヒソヒソと話し始める。
「嫌ねぇ、あんな浮浪者の子どもが表を堂々とウロウロするなんて。それにしても、近頃浮浪者が増えたわよね。スリや犯罪も増えたし」
「奴らは貴族や金持ちの商人を目の敵にしている。皇帝陛下のお陰で私達貴族は益々優遇されているが、その分平民の暮らし向きは厳しくなったからな」
「その点、私達は貴族で良かったわ。飢えることも寒さに震えることも無いんだから。戦争にだって行かなくていいし」
隣国との国境が近頃特にきな臭いというのは噂になっていた。近いうちに戦争になるだろうと。戦争に参加すれば帝国から賃金が支払われる。
貴族達は目先の金よりも命が大事だと見向きもしないが、平民は家族の暮らしの為にと自ら戦争に身を投じる者が多くいるだろう。
「どうせなら、裏道の浮浪者達を戦争で一掃できたらすっきりするのに」
「確かに。奴らが居るから街を歩く時にはスリに気を張り、いつ強盗に遭うか分からんから常に護衛をつけねばならんのも面倒だしな」
「戦争に行って帝国の為に命を捧げてくれれば、それこそあんな人達でも役に立つのよ」
見ず知らずの身勝手な貴族の言い分にレティシアは眩暈を覚えた。
だからと言って彼らに意見するような勇気も無く、レティシアはそっと目を伏せるしか無い。出来ることならば耳をも塞いでしまいたかった。
「レティシア、貴女が何も言わないから適当に選んだわよ。もう、どうして貴女ってこうも優柔不断なのかしら。さ、帰りましょう」
「はい、お母様」
レティシアが菓子店を出て馬車に乗り込む時、先程の二人の子どもに支えられて何とか歩く、頭から血を流す一番小さな子どもを見た。
ぐったりとしたその子は足取りもふらついており、頬も赤く腫れ上がっている。
「お母様、あの子酷い怪我をしているようよ」
「なぁに? あら、浮浪者の子どもね。放っておきなさい。怪我をしているふりをして、襲って来ることもあるんだから」
「でも……」
「レティシア、いい加減になさい。帰るわよ」
幼い頃から両親の言いなりになるよう、厳しく育てられてきたレティシアは、それ以上強く母親に訴える事は出来なかった。
「どうか、あの子の傷がきちんと治りますように……」
街中を走る馬車にガタガタと揺られながら、レティシアは囁くような声で願った。向かいに座る侯爵夫人は憮然とした表情で窓の外を眺めているから気付いてはいない。
ふと、頭の中で声がする。
「偽善者。口で祈るだけならば誰でも出来る。可哀想、可哀想と言うだけでお前は高価な菓子を食べ、貴重な茶を軽々しく口にしているではないか。そのドレスや装飾品だって、平民が一年間に稼ぐ金額に等しい」
「……っ! ごめんなさい……ごめんなさい」
「やはりお前は何も分かっていない。知ろうとしていない。お前のような愚かな皇后など、この帝国に必要無い」
頭の中で響く声は声量を増し、ガンガンと痛みを伴うほどになってきた。レティシアは両手で耳を塞ぎ、ぎゅっと目を瞑る。
向かいに座る夫人は窓の方を向いていて、レティシアの異変を感じ取る気配もない。
「リュシアン様、私……」
「母上を殺したのも、ディーンを罠にかけたのも、そして俺の心を踏み躙ったのも、レティシア、お前だ。そんな愚かなお前はイリナに殺されて当然。幼い頃の愛らしいレティシアはもうとっくの昔に死んでしまったのだから」
「そんな……っ! リュシアンさま……っ」
「お前など、もっと早く婚約破棄をしていれば……」
ハッと息を呑んだレティシアが大きく目を見開くと、そこには見慣れた天蓋が緩やかに垂れていた。
ドクドクと大きく脈打つ心臓が苦しくて、思わず胸に手を当てる。びっしょりと濡れた汗で、髪の毛も夜着も湿っていた。
「……夢?」
やけにリアルな夢だったから、レティシアは先ほどの出来事が本当に夢なのかどうか判断がつかない。
早鐘を打つように跳ねる鼓動が落ち着くまで、しばらくの時間がかかった。
「いいえ、夢では無いわ。確かにあの菓子店にはお母様と行ったもの。以前の人生で、確かに」
所々記憶と違っている所はあるものの、あれは過去に実際に起きた出来事が元になっている。頭の中で響いたリュシアンの声に苦しんだ辺りからは、レティシアの罪悪感がもたらした妄想だろう。
そっと寝台から起き上がったレティシアは、ベッドサイドチェストの上に置いてあった水をそっと口に含んだ。
ミントの葉が爽やかな香味を運び、カサついた唇からほうっと息を吐き出せば、幾分か心が落ち着いてきた気がする。
「あれほど覚悟していたはずなのに、余程堪えたのかしら」
実は、レティシアがディーンに会いに行ってからしばらくして、ベリル侯爵とレティシアは皇帝によって呼び出された。
そして告げられたのは、正式にレティシアとリュシアンの婚約を破棄するという事、婚約破棄後のレティシアの処遇であった。
3
お気に入りに追加
1,938
あなたにおすすめの小説
俺の婚約者は地味で陰気臭い女なはずだが、どうも違うらしい。
ミミリン
恋愛
ある世界の貴族である俺。婚約者のアリスはいつもボサボサの髪の毛とぶかぶかの制服を着ていて陰気な女だ。幼馴染のアンジェリカからは良くない話も聞いている。
俺と婚約していても話は続かないし、婚約者としての役目も担う気はないようだ。
そんな婚約者のアリスがある日、俺のメイドがふるまった紅茶を俺の目の前でわざとこぼし続けた。
こんな女とは婚約解消だ。
この日から俺とアリスの関係が少しずつ変わっていく。
【完結】愛され令嬢は、死に戻りに気付かない
かまり
恋愛
公爵令嬢エレナは、婚約者の王子と聖女に嵌められて処刑され、死に戻るが、
それを夢だと思い込んだエレナは考えなしに2度目を始めてしまう。
しかし、なぜかループ前とは違うことが起きるため、エレナはやはり夢だったと確信していたが、
結局2度目も王子と聖女に嵌められる最後を迎えてしまった。
3度目の死に戻りでエレナは聖女に勝てるのか?
聖女と婚約しようとした王子の目に、涙が見えた気がしたのはなぜなのか?
そもそも、なぜ死に戻ることになったのか?
そして、エレナを助けたいと思っているのは誰なのか…
色んな謎に包まれながらも、王子と幸せになるために諦めない、
そんなエレナの逆転勝利物語。
【完結】妖精姫と忘れられた恋~好きな人が結婚するみたいなので解放してあげようと思います~
塩羽間つづり
恋愛
お気に入り登録やエールいつもありがとうございます!
2.23完結しました!
ファルメリア王国の姫、メルティア・P・ファルメリアは、幼いころから恋をしていた。
相手は幼馴染ジーク・フォン・ランスト。
ローズの称号を賜る名門一族の次男だった。
幼いころの約束を信じ、いつかジークと結ばれると思っていたメルティアだが、ジークが結婚すると知り、メルティアの生活は一変する。
好きになってもらえるように慣れないお化粧をしたり、着飾ったりしてみたけれど反応はいまいち。
そしてだんだんと、メルティアは恋の邪魔をしているのは自分なのではないかと思いあたる。
それに気づいてから、メルティアはジークの幸せのためにジーク離れをはじめるのだが、思っていたようにはいかなくて……?
妖精が見えるお姫様と近衛騎士のすれ違う恋のお話
切なめ恋愛ファンタジー
【完結】名ばかりの妻を押しつけられた公女は、人生のやり直しを求めます。2度目は絶対に飼殺し妃ルートの回避に全力をつくします。
yukiwa (旧PN 雪花)
恋愛
*タイトル変更しました。(旧題 黄金竜の花嫁~飼殺し妃は遡る~)
パウラ・ヘルムダールは、竜の血を継ぐ名門大公家の跡継ぎ公女。
この世を支配する黄金竜オーディに望まれて側室にされるが、その実態は正室の仕事を丸投げされてこなすだけの、名のみの妻だった。
しかもその名のみの妻、側室なのに選抜試験などと御大層なものがあって。生真面目パウラは手を抜くことを知らず、ついつい頑張ってなりたくもなかった側室に見事当選。
もう一人の側室候補エリーヌは、イケメン試験官と恋をしてさっさと選抜試験から引き揚げていた。
「やられた!」と後悔しても、後の祭り。仕方ないからパウラは丸投げされた仕事をこなし、こなして一生を終える。そしてご褒美にやり直しの転生を願った。
「二度と絶対、飼殺しの妃はごめんです」
そうして始まった2度目の人生、なんだか周りが騒がしい。
竜の血を継ぐ4人の青年(後に試験官になる)たちは、なぜだかみんなパウラに甘い。
後半、シリアス風味のハピエン。
3章からルート分岐します。
小説家になろう、カクヨムにも掲載しています。
表紙画像はwaifulabsで作成していただきました。
https://waifulabs.com/
【完結】双子の伯爵令嬢とその許婚たちの物語
ひかり芽衣
恋愛
伯爵令嬢のリリカとキャサリンは二卵性双生児。生まれつき病弱でどんどん母似の美女へ成長するキャサリンを母は溺愛し、そんな母に父は何も言えない……。そんな家庭で育った父似のリリカは、とにかく自分に自信がない。幼い頃からの許婚である伯爵家長男ウィリアムが心の支えだ。しかしある日、ウィリアムに許婚の話をなかったことにして欲しいと言われ……
リリカとキャサリン、ウィリアム、キャサリンの許婚である公爵家次男のスターリン……彼らの物語を一緒に見守って下さると嬉しいです。
⭐︎2023.4.24完結⭐︎
※2024.2.8~追加・修正作業のため、2話以降を一旦非公開にしていました。
→2024.3.4再投稿。大幅に追加&修正をしたので、もしよければ読んでみて下さい(^^)
不憫な妹が可哀想だからと婚約破棄されましたが、私のことは可哀想だと思われなかったのですか?
木山楽斗
恋愛
子爵令嬢であるイルリアは、婚約者から婚約破棄された。
彼は、イルリアの妹が婚約破棄されたことに対してひどく心を痛めており、そんな彼女を救いたいと言っているのだ。
混乱するイルリアだったが、婚約者は妹と仲良くしている。
そんな二人に押し切られて、イルリアは引き下がらざるを得なかった。
当然イルリアは、婚約者と妹に対して腹を立てていた。
そんな彼女に声をかけてきたのは、公爵令息であるマグナードだった。
彼の助力を得ながら、イルリアは婚約者と妹に対する抗議を始めるのだった。
※誤字脱字などの報告、本当にありがとうございます。いつも助かっています。
【完結】その溺愛は聞いてない! ~やり直しの二度目の人生は悪役令嬢なんてごめんです~
Rohdea
恋愛
私が最期に聞いた言葉、それは……「お前のような奴はまさに悪役令嬢だ!」でした。
第1王子、スチュアート殿下の婚約者として過ごしていた、
公爵令嬢のリーツェはある日、スチュアートから突然婚約破棄を告げられる。
その傍らには、最近スチュアートとの距離を縮めて彼と噂になっていた平民、ミリアンヌの姿が……
そして身に覚えのあるような無いような罪で投獄されたリーツェに待っていたのは、まさかの処刑処分で──
そうして死んだはずのリーツェが目を覚ますと1年前に時が戻っていた!
理由は分からないけれど、やり直せるというのなら……
同じ道を歩まず“悪役令嬢”と呼ばれる存在にならなければいい!
そう決意し、過去の記憶を頼りに以前とは違う行動を取ろうとするリーツェ。
だけど、何故か過去と違う行動をする人が他にもいて───
あれ?
知らないわよ、こんなの……聞いてない!
義妹がすぐに被害者面をしてくるので、本当に被害者にしてあげましょう!
新野乃花(大舟)
恋愛
「フランツお兄様ぁ〜、またソフィアお姉様が私の事を…」「大丈夫だよエリーゼ、僕がちゃんと注意しておくからね」…これまでにこのような会話が、幾千回も繰り返されれきた。その度にソフィアは夫であるフランツから「エリーゼは繊細なんだから、言葉や態度には気をつけてくれと、何度も言っているだろう!!」と責められていた…。そしてついにソフィアが鬱気味になっていたある日の事、ソフィアの脳裏にあるアイディアが浮かんだのだった…!
※過去に投稿していた「孤独で虐げられる気弱令嬢は次期皇帝と出会い、溺愛を受け妃となる」のIFストーリーになります!
※カクヨムにも投稿しています!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる