18 / 91
第一章 逆行したレティシア(幼少期)
18. 誤算に落ち込むレティシア、アヌビスの瞳
しおりを挟むいつものように宮殿を訪れたレティシアは、ソフィー皇后が第二皇子を死産したという報告を皇后宮付きの侍女から聞かされた。
だから今日はいくらレティシアであっても皇后の居室へは入る事が出来ないという。
「まさか……」
レティシアの記憶では、死産の時期はもう少し後になるはずであった。少なくとも、あと二週間ほどは猶予があったはずで。
「暫くは皇后陛下のお気持ちを汲み、死産の件はしばらくの間最高機密とされます。ですからご家族にも内密に。レティシア様だからこそ、皇后陛下のご意向でお話したのです」
侍女は深い悲しみを湛えた面持ちでレティシアに告げる。
二週間の誤差は、このようにして生まれたのだ。過去と違って毎日のように皇后宮へ通っていたからこそレティシアは今知る事になったが、実際には二週間後に発表されるのだろう。
「そんな……。ソフィー様……ごめんなさい」
「決してレティシア様のせいではございません。ご自分をお責めになりませんよう」
「違うの……わたしは……ごめんなさい、ごめんなさい……」
レティシアはソフィー皇后が死産する事を知っていたのだ。だからこそ、何とか出来ないかと毎日皇后宮へ通った。死産の原因になりそうな事をあらかじめ書籍で調べ、皇后が無理をする事がないようにさりげなく注意していた。
それなのにこのような結末になった事が悔しくて、情けなくて、レティシアは閉ざされた皇后の居室の前で自身を責めた。
そのうち、過呼吸を起こしたレティシアは侍女の呼んだ衛兵によって医務室へと運ばれる。
初めての苦しさに喘ぐレティシアは、この苦しさが自分への罰だと思った。もっと気をつけるべきだったのだと。
「なるほど。それではレティシア嬢、ゆっくり息を吐き出してくだされ。ゆっくりゆーっくり、そうじゃ」
長くて白い髭が特徴的な老人薬師アヌビスが、衛兵からレティシアを預かった。
ゆったりとした雰囲気と、のんびりした言葉かけに、レティシアは徐々に身体が楽になっていくのを感じた。
「ほぅら、随分楽になって来たじゃろ。もう少し、そう、ふぅーっとな」
青白くなっていたレティシアの顔も唇も、爪も、元の色を取り戻していく。
薬も使っていないのに不思議だと、すっかり呼吸の整ったレティシアは感心した。
「アヌビス様、ありがとうございます。楽になりました」
「なぁに、お礼には及ばんよ。楽になったのなら良かった良かった」
レティシア達のいる薄暗い部屋は普段は足を踏み入れることの無い医務室の奥にある場所のようで、アヌビスはここで薬の調合を行っている途中で衛兵に呼ばれたようだった。
「あの、お仕事の邪魔をしてごめんなさい。もう大丈夫です」
「もしや……皇后陛下の事情をお聞きになったのですかな? レティシア嬢はここのところ毎日のように皇后陛下にお会いしていたとか。それはショックじゃったろう」
真っ直ぐにレティシアの目を覗き込むこの老人の何とも言えない不思議な雰囲気は、レティシアの心の内を全て曝け出してしまいそうになる。話せばもしかしたら協力してくれるのかも知れないと、そんな期待さえ覚えさせた。
「あの……私がもう少し、気に掛けていれば。このような事にならなかったのでは無いかと」
「ほぅ、何故そう思われるのか」
「え? 何故って……」
「薬師の私ならともかく、レティシア嬢はまだ幼い子どもではありませんか。出来る事など限られております。それに、こればっかりはどうしようもない事だったのですよ。私の手にも負えない事でございました」
深い皺で囲まれた黄金色の瞳、全てを見透かしているような不思議なその輝きに、レティシアは知らず知らずのうちに見惚れていた。
「此度の事に関して、貴女に出来る事は無かった。責められるべきは、子どものレティシア嬢ではなく大人の方じゃ」
その言葉にどんな意味が含まれているのか、レティシアはどこか引っ掛かりを覚えたが、その違和感の正体をはっきりさせる事は出来なかった。
「暫くは殿下も気を落とされるでしょうな。レティシア嬢にしか、殿下の悲しみを癒せる方は居ないのです。あの方も、多くの物を背負っておられる。どうか、頼みますぞ」
「あの、私……」
「フォッフォッ……ほれ、治ったのでしたらこのような辛気臭い所から早く出て行きなされ。外の衛兵に馬車どめまで送らせましょう」
決して有無を言わさない、けれど自然な流れでレティシアを医務室から追い出すと、アヌビスは奥の部屋で古びた揺り椅子へと腰を下ろす。
長い髭を右手で弄ぶのは、考え事をする際の癖であった。
壁には数々の薬草などが収納された引き出し、机の上や戸棚には年季の入った道具が重ねられている。そこへ置いてある紙に記してあるのは皇族達への処方箋。
薬師の元へは皇族達から様々な症状の訴えがあり、それに応じて薬を処方するのだ。
その中の一枚にはカタリーナの表記がある。皇族では無いものの、皇帝の寵愛を受ける愛人カタリーナには例外的に、特別に、処方がなされていた。
しかしカタリーナの担当は他の薬師に任せており、ベテランのアヌビスは専ら妊娠中のソフィー皇后の担当であった。
「全く、狡猾で残忍な女子よのぅ」
薄暗い部屋の中で蝋燭の灯りが揺らめき、黄金色の瞳に燃える炎を映したアヌビスは、ため息と共に独り言を吐き出した。
13
お気に入りに追加
1,938
あなたにおすすめの小説
【完結】 いいえ、あなたを愛した私が悪いのです
冬馬亮
恋愛
それは親切な申し出のつもりだった。
あなたを本当に愛していたから。
叶わぬ恋を嘆くあなたたちを助けてあげられると、そう信じていたから。
でも、余計なことだったみたい。
だって、私は殺されてしまったのですもの。
分かってるわ、あなたを愛してしまった私が悪いの。
だから、二度目の人生では、私はあなたを愛したりはしない。
あなたはどうか、あの人と幸せになって ---
※ R-18 は保険です。
私が死んで満足ですか?
マチバリ
恋愛
王太子に婚約破棄を告げられた伯爵令嬢ロロナが死んだ。
ある者は面倒な婚約破棄の手続きをせずに済んだと安堵し、ある者はずっと欲しかった物が手に入ると喜んだ。
全てが上手くおさまると思っていた彼らだったが、ロロナの死が与えた影響はあまりに大きかった。
書籍化にともない本編を引き下げいたしました
【完結】妖精姫と忘れられた恋~好きな人が結婚するみたいなので解放してあげようと思います~
塩羽間つづり
恋愛
お気に入り登録やエールいつもありがとうございます!
2.23完結しました!
ファルメリア王国の姫、メルティア・P・ファルメリアは、幼いころから恋をしていた。
相手は幼馴染ジーク・フォン・ランスト。
ローズの称号を賜る名門一族の次男だった。
幼いころの約束を信じ、いつかジークと結ばれると思っていたメルティアだが、ジークが結婚すると知り、メルティアの生活は一変する。
好きになってもらえるように慣れないお化粧をしたり、着飾ったりしてみたけれど反応はいまいち。
そしてだんだんと、メルティアは恋の邪魔をしているのは自分なのではないかと思いあたる。
それに気づいてから、メルティアはジークの幸せのためにジーク離れをはじめるのだが、思っていたようにはいかなくて……?
妖精が見えるお姫様と近衛騎士のすれ違う恋のお話
切なめ恋愛ファンタジー
出来レースだった王太子妃選に落選した公爵令嬢 役立たずと言われ家を飛び出しました でもあれ? 意外に外の世界は快適です
流空サキ
恋愛
王太子妃に選ばれるのは公爵令嬢であるエステルのはずだった。結果のわかっている出来レースの王太子妃選。けれど結果はまさかの敗北。
父からは勘当され、エステルは家を飛び出した。頼ったのは屋敷を出入りする商人のクレト・ロエラだった。
無一文のエステルはクレトの勧めるままに彼の邸で暮らし始める。それまでほとんど外に出たことのなかったエステルが初めて目にする外の世界。クレトのもとで仕事をしながら過ごすうち、恩人だった彼のことが次第に気になりはじめて……。
純真な公爵令嬢と、ある秘密を持つ商人との恋愛譚。
婚約破棄をされた悪役令嬢は、すべてを見捨てることにした
アルト
ファンタジー
今から七年前。
婚約者である王太子の都合により、ありもしない罪を着せられ、国外追放に処された一人の令嬢がいた。偽りの悪業の経歴を押し付けられ、人里に彼女の居場所はどこにもなかった。
そして彼女は、『魔の森』と呼ばれる魔窟へと足を踏み入れる。
そして現在。
『魔の森』に住まうとある女性を訪ねてとある集団が彼女の勧誘にと向かっていた。
彼らの正体は女神からの神託を受け、結成された魔王討伐パーティー。神託により指名された最後の一人の勧誘にと足を運んでいたのだが——。
選ばれたのは私以外でした 白い結婚、上等です!
凛蓮月
恋愛
【第16回恋愛小説大賞特別賞を頂き、書籍化されました。
紙、電子にて好評発売中です。よろしくお願いします(*ᴗ͈ˬᴗ͈)⁾⁾⁾】
婚約者だった王太子は、聖女を選んだ。
王命で結婚した相手には、愛する人がいた。
お飾りの妻としている間に出会った人は、そもそも女を否定した。
──私は選ばれない。
って思っていたら。
「改めてきみに求婚するよ」
そう言ってきたのは騎士団長。
きみの力が必要だ? 王都が不穏だから守らせてくれ?
でもしばらくは白い結婚?
……分かりました、白い結婚、上等です!
【恋愛大賞(最終日確認)大賞pt別二位で終了できました。投票頂いた皆様、ありがとうございます(*ᴗ͈ˬᴗ͈)⁾⁾⁾応援ありがとうございました!
ホトラン入り、エール、投票もありがとうございました!】
※なんてあらすじですが、作者の脳内の魔法のある異世界のお話です。
※ヒーローとの本格的な恋愛は、中盤くらいからです。
※恋愛大賞参加作品なので、感想欄を開きます。
よろしければお寄せ下さい。当作品への感想は全て承認します。
※登場人物への口撃は可ですが、他の読者様への口撃は作者からの吹き矢が飛んできます。ご注意下さい。
※鋭い感想ありがとうございます。返信はネタバレしないよう気を付けます。すぐネタバレペロリーナが発動しそうになります(汗)
【完結】不誠実な旦那様、目が覚めたのでさよならです。
完菜
恋愛
王都の端にある森の中に、ひっそりと誰かから隠れるようにしてログハウスが建っていた。
そこには素朴な雰囲気を持つ女性リリーと、金髪で天使のように愛らしい子供、そして中年の女性の三人が暮らしている。この三人どうやら訳ありだ。
ある日リリーは、ケガをした男性を森で見つける。本当は困るのだが、見捨てることもできずに手当をするために自分の家に連れて行くことに……。
その日を境に、何も変わらない日常に少しの変化が生まれる。その森で暮らしていたリリーには、大好きな人から言われる「愛している」という言葉が全てだった。
しかし、あることがきっかけで一瞬にしてその言葉が恐ろしいものに変わってしまう。人を愛するって何なのか? 愛されるって何なのか? リリーが紆余曲折を経て辿り着く愛の形。(全50話)
妹に婚約者を取られましたが、辺境で楽しく暮らしています
今川幸乃
ファンタジー
おいしい物が大好きのオルロンド公爵家の長女エリサは次期国王と目されているケビン王子と婚約していた。
それを羨んだ妹のシシリーは悪い噂を流してエリサとケビンの婚約を破棄させ、自分がケビンの婚約者に収まる。
そしてエリサは田舎・偏屈・頑固と恐れられる辺境伯レリクスの元に厄介払い同然で嫁に出された。
当初は見向きもされないエリサだったが、次第に料理や作物の知識で周囲を驚かせていく。
一方、ケビンは極度のナルシストで、エリサはそれを知っていたからこそシシリーにケビンを譲らなかった。ケビンと結ばれたシシリーはすぐに彼の本性を知り、後悔することになる。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる