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第一章 逆行したレティシア(幼少期)
3. 二人の軋轢、決して交わらない二人
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定期的に宮殿で開かれるプライベートな茶会。まだデビュタントを済ませる前の婚約者同士は、夜会で会えない代わりに、そこで交流を図るのが皇族の決まり事である。
リュシアンとレティシアも、今日は定期の茶会の日。美しい花々が咲き誇る庭園のガゼボで、テーブルを挟んで向き合っていた。
昔は会話が途切れる事なくお互いに沢山のことを話したり、庭園を駆け回ったりしたものだが、ある時から二人の関係は気まずいものになってしまった。
「あの……リュシアン様、今日のお菓子、とても美味しいですね」
もうレティシアは、リュシアンの事を舌足らずに「ルシアン」と呼ぶ事はない。
五歳の頃だったか、初めて「リュシアン様」と呼べた時には、まだ今よりは関係が良好であったリュシアンが、少しだけ寂しそうな顔を見せたのを思い出す。
「そうか」
「はい、とても」
デビュタントまであと二年ほど。
十四歳のレティシアはその日が来るのを楽しみにしていたし、いつの間にか分からなくなってしまったリュシアンの気持ちも、そのうち分かるようになって以前のように仲の良い二人に戻れるのだと信じて疑っていなかった。
「あ、あの。我が家の馬が子を産んだのです。とても可愛らしいのですよ」
「……そうか」
「最近……剣術の方はいかがですか?」
レティシアを前にしても、リュシアンの表情は冷たく、言葉も少ない上に上の空の時も多い。
「其方に話したところで、分かるまい。剣術の事など興味もないくせに」
「……でも、リュシアン様のお言葉を聞きたくて」
いくら話しかけても冷淡な声色で突き放すリュシアンの言葉に、レティシアは涙目になって声を震わせる。
そんなレティシアの様子に、リュシアンは苛立ちを隠さずに大きく荒く息を吐き出した。そして今にもレティシアを射殺さんとする程の鋭い眼差しを向けた。
「皇帝やベリル侯爵に何を言われているのかは知らんが。俺はもう、昔のように其方と親しくするつもりも好意を抱く事も無い。其方は変わった。奴らに操り人形のように使われて、おおかたこうやって会っていても、俺の弱みを握ろうとでもしているのだろう」
「そんな……っ!」
もう、名前を呼ぶことすらしてくれなくなったリュシアンに、レティシアの心は引き裂かれる思いだった。
「それでは、何故突然態度を変えた? 其方はいつの間にか皇帝と侯爵の言いなりで、奴らを憎む俺の気持ちを裏切った。母上がどんな気持ちであの女と皇帝の事を見ていたと思う? 何故あの女と親しくするんだ?」
「それは……」
リュシアンは皇帝のことを父上とは決して呼ばない。けれどソフィー皇后の事は母上だと呼び、今でも大切に思っているのだ。
「お前は、母上の悲しみを……苦しみを忘れたのか。あれほど懐いていたのに、えらく非情なんだな」
「リュシアン様……」
レティシアはあの時幼いながらに反抗し、躾の名目で暴力を振るわれた事を思い出す。とても痛くて、辛くて、悲しかった。もう二度と同じ痛みに遭いたくない。そう思って傀儡となったのだ。
「カタリーナ様は……良き、皇后になろうと、されております」
その言葉はリュシアンの求めていたものでは無かった。その上これが会心の一撃となり、二人の仲を決定的に裂く事になったのだった。
「あの女が皇后だと⁉︎ 笑わせる。そうなれば帝国は終わりだ。愚かな皇帝と皇后に、帝国の民を殺させるのか。其方は感じ取る事が出来ないのか? 彼らはとっくに皇族に対し期待する事をやめているというのに」
ここのところ隣国との諍いが絶えず、民達が飢え、傷付いている事はレティシアも噂で知っていた。
けれど、だからといって従順な傀儡令嬢であるレティシアに出来る事など無かった。
「俺は民達を救う為に隣国との国境へ向かう。皇族が進んで解決せねばならない問題だ。生きていれば母上もそうしろと言うだろう。皇帝から行けと言われたから行くのでは無い」
「そんな……、戦へ……?」
「其方は……俺が死ねば弟ニコラと共にこの国の頂点に立つのだろうな。どちらにしても皇后となれるのだからベリル侯爵家は困るまい」
皮肉な笑いを浮かべそれだけ言うと、リュシアンは席を立った。呆然とするレティシアの方を振り返る事も無く去って行く。その後ろ姿を見つめる事しか出来ないレティシア。
「あれは……」
リュシアンは庭園を進み、その先で数名の騎士達と合流した。何か報告をうけているようだが、その中には騎士団で活躍するイリナの姿がある。
紺色の髪を高いところで一つに結い上げた騎士服のイリナと並んで会話するリュシアンを見つめていると、胸を刃物で突き刺されたような痛みが走った。
「どうして……」
数週間後、リュシアンは第一、第二騎士団を引き連れ、隣国との国境へと静かに遠征に出た。
華々しい式典も、皇帝や大勢の見送りも無く、宮殿の裏門から粛々と戦地へと向かう一行をレティシアと数名の者は見送った。結局、最後までリュシアンとは一言も口を聞けずにいた。
一度だけ馬上のリュシアンと視線が合ったような気がしたが、鎧と兜に包まれたその様子からは感情が読み取れ無い。そんなリュシアンのそばに堂々と控える馬上のイリナに、レティシアは羨望と嫉妬の入り混じった視線を送る。
同じ帝国の高位貴族令嬢であるにも関わらず、自由に剣を振り馬で駆けるイリナと、見えない鎖で雁字搦めにされ、良いように操られる傀儡令嬢レティシア。
戦に向かうリュシアンを中心にしてまさに対局にあるこの二人は、同じ相手に恋心を胸に抱く者同士でありつつも、決して交わることの無い性質の持ち主なのである。
「どうか……ご無事で」
レティシアは数日前、思い出のヒソップを刺繍したお守りを手紙と共に皇太子宮へと送った。
これほど拗れた仲では、それを持って行ってくれているかどうかは分からない。だが、作らずにはいられなかった。
「ソフィー様、リュシアン様をお守りください」
手を組み小さく呟いたレティシアの祈りの言葉は、宮殿を去って行く騎士団の蹄音にかき消された。
リュシアンとレティシアも、今日は定期の茶会の日。美しい花々が咲き誇る庭園のガゼボで、テーブルを挟んで向き合っていた。
昔は会話が途切れる事なくお互いに沢山のことを話したり、庭園を駆け回ったりしたものだが、ある時から二人の関係は気まずいものになってしまった。
「あの……リュシアン様、今日のお菓子、とても美味しいですね」
もうレティシアは、リュシアンの事を舌足らずに「ルシアン」と呼ぶ事はない。
五歳の頃だったか、初めて「リュシアン様」と呼べた時には、まだ今よりは関係が良好であったリュシアンが、少しだけ寂しそうな顔を見せたのを思い出す。
「そうか」
「はい、とても」
デビュタントまであと二年ほど。
十四歳のレティシアはその日が来るのを楽しみにしていたし、いつの間にか分からなくなってしまったリュシアンの気持ちも、そのうち分かるようになって以前のように仲の良い二人に戻れるのだと信じて疑っていなかった。
「あ、あの。我が家の馬が子を産んだのです。とても可愛らしいのですよ」
「……そうか」
「最近……剣術の方はいかがですか?」
レティシアを前にしても、リュシアンの表情は冷たく、言葉も少ない上に上の空の時も多い。
「其方に話したところで、分かるまい。剣術の事など興味もないくせに」
「……でも、リュシアン様のお言葉を聞きたくて」
いくら話しかけても冷淡な声色で突き放すリュシアンの言葉に、レティシアは涙目になって声を震わせる。
そんなレティシアの様子に、リュシアンは苛立ちを隠さずに大きく荒く息を吐き出した。そして今にもレティシアを射殺さんとする程の鋭い眼差しを向けた。
「皇帝やベリル侯爵に何を言われているのかは知らんが。俺はもう、昔のように其方と親しくするつもりも好意を抱く事も無い。其方は変わった。奴らに操り人形のように使われて、おおかたこうやって会っていても、俺の弱みを握ろうとでもしているのだろう」
「そんな……っ!」
もう、名前を呼ぶことすらしてくれなくなったリュシアンに、レティシアの心は引き裂かれる思いだった。
「それでは、何故突然態度を変えた? 其方はいつの間にか皇帝と侯爵の言いなりで、奴らを憎む俺の気持ちを裏切った。母上がどんな気持ちであの女と皇帝の事を見ていたと思う? 何故あの女と親しくするんだ?」
「それは……」
リュシアンは皇帝のことを父上とは決して呼ばない。けれどソフィー皇后の事は母上だと呼び、今でも大切に思っているのだ。
「お前は、母上の悲しみを……苦しみを忘れたのか。あれほど懐いていたのに、えらく非情なんだな」
「リュシアン様……」
レティシアはあの時幼いながらに反抗し、躾の名目で暴力を振るわれた事を思い出す。とても痛くて、辛くて、悲しかった。もう二度と同じ痛みに遭いたくない。そう思って傀儡となったのだ。
「カタリーナ様は……良き、皇后になろうと、されております」
その言葉はリュシアンの求めていたものでは無かった。その上これが会心の一撃となり、二人の仲を決定的に裂く事になったのだった。
「あの女が皇后だと⁉︎ 笑わせる。そうなれば帝国は終わりだ。愚かな皇帝と皇后に、帝国の民を殺させるのか。其方は感じ取る事が出来ないのか? 彼らはとっくに皇族に対し期待する事をやめているというのに」
ここのところ隣国との諍いが絶えず、民達が飢え、傷付いている事はレティシアも噂で知っていた。
けれど、だからといって従順な傀儡令嬢であるレティシアに出来る事など無かった。
「俺は民達を救う為に隣国との国境へ向かう。皇族が進んで解決せねばならない問題だ。生きていれば母上もそうしろと言うだろう。皇帝から行けと言われたから行くのでは無い」
「そんな……、戦へ……?」
「其方は……俺が死ねば弟ニコラと共にこの国の頂点に立つのだろうな。どちらにしても皇后となれるのだからベリル侯爵家は困るまい」
皮肉な笑いを浮かべそれだけ言うと、リュシアンは席を立った。呆然とするレティシアの方を振り返る事も無く去って行く。その後ろ姿を見つめる事しか出来ないレティシア。
「あれは……」
リュシアンは庭園を進み、その先で数名の騎士達と合流した。何か報告をうけているようだが、その中には騎士団で活躍するイリナの姿がある。
紺色の髪を高いところで一つに結い上げた騎士服のイリナと並んで会話するリュシアンを見つめていると、胸を刃物で突き刺されたような痛みが走った。
「どうして……」
数週間後、リュシアンは第一、第二騎士団を引き連れ、隣国との国境へと静かに遠征に出た。
華々しい式典も、皇帝や大勢の見送りも無く、宮殿の裏門から粛々と戦地へと向かう一行をレティシアと数名の者は見送った。結局、最後までリュシアンとは一言も口を聞けずにいた。
一度だけ馬上のリュシアンと視線が合ったような気がしたが、鎧と兜に包まれたその様子からは感情が読み取れ無い。そんなリュシアンのそばに堂々と控える馬上のイリナに、レティシアは羨望と嫉妬の入り混じった視線を送る。
同じ帝国の高位貴族令嬢であるにも関わらず、自由に剣を振り馬で駆けるイリナと、見えない鎖で雁字搦めにされ、良いように操られる傀儡令嬢レティシア。
戦に向かうリュシアンを中心にしてまさに対局にあるこの二人は、同じ相手に恋心を胸に抱く者同士でありつつも、決して交わることの無い性質の持ち主なのである。
「どうか……ご無事で」
レティシアは数日前、思い出のヒソップを刺繍したお守りを手紙と共に皇太子宮へと送った。
これほど拗れた仲では、それを持って行ってくれているかどうかは分からない。だが、作らずにはいられなかった。
「ソフィー様、リュシアン様をお守りください」
手を組み小さく呟いたレティシアの祈りの言葉は、宮殿を去って行く騎士団の蹄音にかき消された。
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