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【逢魔ヶ刻の少女、人間に非ず】その8
しおりを挟むシャンと剣鈴が鳴る。
月光の差し込む理科室で、円がくるくると、回る。
シャンと剣鈴が鳴る。
円が、私には理解出来ない言葉で、言祝ぐ。
――いつもながら、気分悪いわね。
耀子を見れば、少しは気が安まった様子で、落ち着いた表情をしている。
祝詞というものは、神に捧げる言葉、そしてその加護は、常世の人間のみ効力を発揮する。
つまり、私のようなバケモノは、別ということだ。
私は円と契約で繋がっているから、彼の祝詞で苦しみ、のたうち回るような事は無いものの――。
「ガアアアアアアアアアアアア!!」
獣の怒号とでも形容できない声を上げ、風流センセイはこちらに怒りの目を見せ、全身を立っていられないほどの苦痛で震わせながら、這い寄ろうしていた。
円の祝詞は産まれたてのバケモノである彼女には、効果覿面ということである。
「センセイ、どうしたんですか? 随分とご気分が悪そうですが」
私がそう嘲笑った時、円の準備が整った。
「――御影様、願い奉る。火澄!」
「任されたわ!」
次の瞬間、周囲の景色がぐにゃりと曲がり、どことも知れない教室と変貌した。
窓を見れば、冬特有の吸いこまれそうな夜空であったものが、不気味なほどに鈍い、深い橙色をした逢魔ヶ刻へと変わっていく。
つまりは。
――私の時間。
人でも無く、バケモノにも成りきれない、狭間にある私を象徴する空間。
日常で架せられてきた、枷が全て外れる。
全身から力が吹き出し世界と交わりあい、森羅万象に存在する全ての不自然なモノ、歪みと同一化が果たされる。
「さあ、平伏しなさい」
私は世界の陰と一体化した体を使い、漆黒の触手を伸ばし、風流センセイを床に絡め捕り口枷をした。
「ア、アナタ何なんですの! 只のバケモノじゃあ……」
枷から解放されて上機嫌でいる中、酷く怯え驚愕した声の主に視線を向ける。
「あら、耀子いたの」
「いたの。じゃありませんわ! どうなっているんですの!」
本来ならば、ここは私と浄化の目標だけが入ることのできる結界だが、耀子は私にくっ付いていた為、入り込んでしまったようだ。
「ここは、逢魔ヶ刻。人の住む昼とバケモノの住む夜、その狭間を具現化した結界の中」
「……」
「私は『歪み』、嘗て矮小な弱者であった者が、この地全ての歪みを飲み込んで、バケモノと成った存在」
「……」
「……わかった?」
私の言葉を聞いた耀子は、神妙そうな悲しそうな瞳をし、黙り込む。
その様子を見て、私は風流センセイの対処に専念する事にした。
「それで? センセイ、晴れてバケモノになった気分はどう?」
私は風流センセイの口枷を解き、嗜虐的な笑みを向ける。
彼女の姿は人で在った頃より、酷く様変わりしていた。
髪は色褪せ灰色に染まり、伸び放題伸び、全身を覆い隠さんというほどだ。
目は極端に大きくなり、血走っている。
口は大きく裂け、ギザギザの歯が見えている。
肌は皺くちゃになり、浅黒く変色している。
右腕は肥大し、鉤爪になっている。
足に至っては間接が逆になり、まともに歩くことが困難に思える。
唯一、面影を残すのは、元のまま変わらない左腕だけだ。
「ぅあっぁぁぁぁうぅぅぅぁ」
風流センセイは私の言葉を理解せず、自身の変貌を掠れた声で嘆いていた。
「……ああ、そんな事って、ありませんわ」
人間がバケモノに堕ちる一部始終を目撃したらしく、耀子はボロボロと大粒の涙をこぼしながら、悔しそうな声を出している。
「どうしたの、耀子? アレは貴女を犯そうとしたのよ。いい気味じゃない」
「ッアナタは! この人で無しッ!」
私の言葉に、耀子は激昂した。
「へぇ、じゃあ貴女は、風流センセイが哀れで、悲しそうで、可哀想とでも、言うつもり?」
「貴女も、同じ女でしょう! 先生が何の罪を犯したのか知りませんが、これはあまりに……!」
耀子の言っていることは、理解できなくもない。
しかし――
「仕方ないわ」
私はどうでもよさそうに、冷たく言い放った。
「仕方ないですって!」
「ええ、このセンセイは罪人よ。人の世で裁かれても、きっと誰かに殺されるわ」
「……」
「貴女も解っているのでしょう。この地でバケモノになるのは、只、心の闇が、負の感情が、溢れるだけではない。と」
耀子は押し黙った。
頭脳では理解しているが、心が付いていかない、という所だろう。
私は、もう一押しする為に、言葉を紡ぐ。
「風流さゆり、彼女は人を殺したわ、己の欲望の為に、この地に死の汚れをもたらしたわ。彼女の喰らった無垢なる魂は、人の理を外れ、汚れし魂に取り込まれてしまった。だから――」
「――だからって、そうやってバケモノにして、殺すのですか?、人の手で裁くことを、させないのですか?」
耀子は、敬虔な使徒が神に問うような、しかし地獄のそこから生み出されるような、やり場のない怒りを声に満ちさせて、私に問うた。
――この様子だと、遅かれ早かれバケモノになると言っても、耳を貸さないでしょうね。
そう思いながらも、私は耀子に答える。
「ええ、だって彼女はバケモノになってしまったから、仕方ないわ」
「……仕方、ない?」
「ええ、運が悪かったとでも、言い換えましょうか? この地でなければ、ただの狂人が起こした凶行、で済んだかもしれないのにね」
「……それでもッ!」
「それでも? 今この瞬間何も出来ず、私の側で座り込んでいる小娘が? 何が出来るというの?」
私の言葉に、耀子は血を流すほど強く唇を噛んで私を睨む。
――ふふ、うふふふふ、ふふふふふ。
私は、哂う。
――ああ、楽しい、楽しくて仕方が無いわ。
風流さゆりの、醜い末路も、その末、死に際さえ、この世にでないその人生に。
阿久津耀子の、己の無力さ故に、打ちひしがれ、憎悪と怒りを加速させる魂に。
私は、哂った、狂ったように哂い続けた。
下腹から、昏く甘い、蜜のような毒の悦楽が噴出し、全身へと迸る。
「ふふふふ、ふふふふふふふ、ふふふはははは、あはははっははっはははっはは」
気が済むまで哂うと、私は風流センセイに向き直る。
「楽しい、一時だったわセンセイ。名残惜しいけれど、これでお仕舞いにしましょう。これでも仕事なのよ、円に時間掛けすぎだと怒られてしまうわ」
「ッ!」
隣で、耀子が息を飲んだ。
何一つ見逃すまいと、食い入る様に見ている。
「地獄の閻魔様ではないけれど、貴女に沙汰を申し渡すわ」
私は、風流さゆり、その総てをこの眼で視た。
彼女の人生が、産まれてからずっと、その思いの様まで伝わってくる。
「みぃるなぁぁぁぁ! みぃるなぁぁぁ!」
私に総てを視られている事を察したのだろう。
彼女は拘束を外そうと、もがきながら訴える。
――けれど、そんなの関係ないわ。
「貴女、その体醜いわね。その右手、愛する者を殺した手ね、汚らわしい。――切り落とすわ」
私の操る触手によって彼女は磔にされ、あっけなく右腕を切り落とされる。
「――――――――ぁ」
耳障りな声で喚く彼女を無視し、私は続ける。
「その足、みっともないわ。前に進む事をしなかったのね、ならいらない。――潰すわ」
彼女の足が、圧殺される。
私は、少し彼女に歩み寄る
「その肌、中途半端な色ね。罪悪感を感じるなら引き返してもよかったのに。――燃えなさい」
彼女の肌だけが、黒い炎に包まれる。
私は、少し彼女に歩み寄る
「その口、気味が悪いわ。求めても求めても足りないのはこの世の常だけど、節度を知りなさい、――閉じてあげる」
彼女の口が、黒く、細い触手で縫い合わされる。
私は、少し彼女に歩み寄る
「その目、便利よね、折角見たいものだけみれるようになったのに、ここでは無駄よ、どうせなら選りすぐりしないで、全部見ないほうがいいわ。――抉ってあげる」
彼女の目が、抉り取られる。
私は、少し彼女に歩み寄る。
「その髪、まるでお婆さんみたいね、まだ若いのに。ねえ、そんなに心を隠したかった? 愛する者にさえも、傷を見せるのがいやだった? ――駄目よ。曝け出してあげる」
彼女の髪が、乱雑に引き抜かれる。
「その左腕。……そう、貴女のたった一つの本当なのね。小指から見える赤い糸。貴女の中に続いている」
私は彼女の側に来た。
そして、左腕を優しく撫でた後、その全身を抱きしめた。
「辛かったでしょう? 両親から愛されずに育って、初めて愛を知った男に裏切られ、女に走って、満たされた?
違うわね。愛する事に、愛される事に自信の持てなかった貴女は、常にその証を探していた。
けれど彼女達が、その死を以って証としたのに貴女は満たされなかった、解らなかったわね。
心が痛くて、寒くて、堪らなかったわね。
でも、いいの。いいのよ。私が全部許すわ、貴女の過ちも罪も。……貴女はただ、自分に正直だっただけ。
そう、寂しかっただけなのよね」
私がそう言うと、彼女の縫い合わされた瞼から、一筋の涙が流れた。
「もう、安心して良いわ。貴女はこれ以上傷つかないでいいし、悲しい思いもしない。その証をあげる」
彼女がその身を震わせた。
私は彼女の額に、優しく口付けをすると、世界の闇に自身を融かした。
闇が、彼女を包む。この世全ての歪んだ想いが、彼女と全てを共有し始める。
「……でも、死んだ生徒の魂は解放してやってくれないかしら。私、独占欲強いのよ。貴女だけが欲しいわ」
彼女は、風流さゆりは、私の言葉に答えた。
三つの光が彼女から立ち上る。
天へ熔けて行くその光、その内の一つは、彼女の体を一周した後、他の二つと同じ様に昇って行く。
その光には、彼女の小指から赤い糸が途切れず繋がり、やがて見えなくなった。
「ではセンセイ。そろそろ逝きましょうか」
センセイは頷く。
私は、闇をその身に収め始める。
そして――。
「おやすみなさい」
そう言った刹那、骨が押しつぶされ粉々に折れる音がし、闇がなくなって私という姿になる。
そして、彼女が履いていたハイヒールが一つ、コロンと転がった。
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