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2章 アルバイト開始

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 素手で掴もうとしてから、思い出す。ナイフとフォークを使って切り分けて食べることを。
 昔、手で掴んで食べていた兄がカッコよく見えて、その真似をしたら母に「淑女のすることではありません」と、扇子をずっと手で叩いていた姿は、本当に恐ろしかった。
 我が家を支配しているのは、父ではなく母ではないかと本気で考えたくらいに。
 なかなか、ナイフとフォークを使うということに慣れなかったことをユーゴは知っている。というよりも、ユーゴと出会ってから私が素手で掴んでいると言うことを母に知られたのだから、それを矯正されている姿を何度も見られている。あの時は、恥ずかしいというよりも兄と同じことをしたくて仕方がなかっただけで、何故私だけが怒られるのかと悲しくなっていた。
「僕とふたりだけから、作法は気にしなくていいよ」
「えっ、でも…」
「なら、僕もこうして食べる」
 ユーゴはあの時と同じで私に優しい。
 手で掴んで頬張る姿を久しぶりに見るが、違和感しかない。彼の切れ長な瞳と整った顔は、年々男性としての魅力をあげていた。兄のようにガサツな一面を見ていると違和感がないが、彼の仕草はひとつひとつが洗礼されているためなのか。
 それでも、たまに見せる一面が幼い頃の面影に重なる。
「アン、どうしたの?いまここにいるのは、僕だけだから君を咎める人はいないよ」
「わかっているけど、ユーゴは食事もお上品に摂る人だと思ってた」
「そんな風に思っていてくれたのは光栄だけれど、僕はアンの前では飾らない自分でいたいんだ」
 飾らない…ということは、私はユーゴにとって妹ぐらいにしか思われていないのか。だから、兄と同じで作法に対してもうるさいくない。ただ、妹を甘やかしているだけなんだ。
「そ、そうなんだ」
「それに、殿下の執務室の軽食は殆ど素手で掴んで食べる形式だから癖のようなものだよ。皆、正式な場では作法は気にするけど」
 皆と言っていたその姿を思い出したのか、穏やかそうに笑う。
 その表情にズキと胸が締め付けられるように痛くる。その痛みを忘れようと、クラブサンドに齧りつく。
 みっともなくてもいい。いつものように、リスみたいに頬張っていると言われてもいい。
 ただ、この胸の痛みを忘れさせてくれるなんだっていい。
「口元にソースが付いている」
 私の荒れた気持ちを知ることもないユーゴは、乗り出し口元のソースを親指で拭き取り、そのまま指に着いたソースを舐める。その仕草が色っぽくて見惚れるが、私の心は痛みを感じてしまって鈍くなっているのか、今度はドキッとする。
 自分の胸の中がわからない。痛みばかり感じているようなら、医者に罹るべきなのだろう。私は健康だけが取り柄なのに、このままで胸の痛みで婚約の続行が出来なくなってしまう。
 私は愛されなくてもいい。大好きなユーゴの側に死ぬまで一緒にいたいと思っていたけれど、妹ぐらいにしか見られていないようでは、私の心が壊れてしまいそうだ。
「このソースは甘いね」
「そうかしら?ちょうどいいと思うわ」
 精一杯の強がりだ。先程から、食べ物の味がしない。
 咀嚼すらしたくないが、それは不自然だから致し方なくしている。
 そして、ユーゴの淹れてくれた紅茶を口に含むが時間が経ったからか、渋く感じた。それでも、私は「ユーゴの淹れてくれたお茶、美味しい」と嘘を吐く。
 その嘘に気付いているのか、顔を歪めながら「本当にそうならいいけど」と冷たく言い放たれる。
 私の心はこの短時間で、どれだけ掻き乱されればいいのか。
 訪れた沈黙を破るのはすぐだった。
 コンコンと聞こえるノック音。入室の許可をしてもいないのに、開かれた扉から足と共に「ここにいたのか。はやく、職務に戻れ」と踏み入れてきたのは、ジェード殿下だった。
 私は気まずさから逃げたくなり、ユーゴがこの部屋からはやく退出してくれることを願った。自分のことしか考えられない何て、最低な婚約者なのだろう。
 そう自嘲するしかなかった。
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