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第五章 魔獣が生きる永遠と少女が生きる明日

束の間の休息

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 ソフィアに告白して、そして見事に撃沈した弓使いのアレックス。
 彼を励ます役目は一番年配である戦士のグランツに回っていた。
「ま、まあ。生きてりゃ、こういうこともあるだろ。だから、な? そろそろ元気出せよ、な?」
 しかし、つい先ほど八年越しの初恋が玉砕した少年に、その言葉は酷ではないだろうか。
「うん…………」
 グランツに背中を叩かれる少年の反応は、生気のない生返事だった。

 食事を終えて、場所はいつもの暖炉の部屋。
 寝室の用意ができるまで、彼らにはこの部屋で待機してもらっていた。
 今ここに居るのは、俺と男衆三人だけ。
 この場に居ない二人――ソフィアとネコミミ斥候リップの女子組は、二人仲良く入浴中だ。
 ちなみにリップはあの浴場が気に入ったらしく、二回目の入浴である。ネコはお風呂が嫌いだという印象があるが、あのネコミミ少女は違ったようだ。

 暗い窓の外は深々しんしんと雪が降っていた。
 静かな夜だ。冬に呪われた地ではこれが平常なのだが。

 もし明日の天気が猛吹雪でもなければ、今夜はソフィアのいる最後の夜――その事実に俺の心は何度もざわめき立ったが、なるべく考えないようにつとめる。
 そうすることで幸いにも、俺の心情は表に出ることなくおさえ切れていた。



 落ち込んだ少年のひざの上には、いつの間にか白いふわふわの毛玉が抱かれている。
 その正体はクソウサギのペトラだ。
 奴も空気を読んでいるのか、少年をはげますかのように、前脚でポンポンと軽くその頬を叩いていた。
 こいつめ、俺には全然懐かないくせに……悔しくなんか、ないんだからな!

 まあ、若干羨ましいのは確かだが、そんなことはどうでもいい。
 俺がこの部屋に来たのは他でもない。この冒険者たちに確認しておきたいことができたからである。
「何か御用でしょうか? 私達にきたいことでも?」
 タイミングよく、魔術師のジーノが声を掛けてきてくれた。
「ほう、察しが良いな」
「逆にそれ以外の理由なんて無いでしょうに……それとも、今さら私達のことを処分しに来たので?」
 まさか、そんなことが有り得るわけがない。
 一見するとなかなか素敵な計画だが、万が一実行すれば……たとえ刹那的な利益があったとしても、ソフィアには間違いなく嫌われるだろうからな。

「なるほど、言われてみれば簡単な推理だな。そう、俺が知りたいのは、星詠ほしよみの魔女の居場所についてだ」
「おや? これはなんとも意外なところ。もしやお知り合いだったり?」
 逆にジーノが質問を返してくるが、俺はそれを適当に流す。
「少し、知り合いの魔女がな。それで、お前たちが彼女に会ったのは、ヘーリオス王国で間違いないよな?」
「ええ、そうですね。より正確に言えば、首都の冒険者ギルドを兼任した『運河の跳ね馬亭』という酒場です」
 問われたジーノは詳細な情報を教えてくれた。
「そうか、首都の酒場だな。感謝するぞ」
 俺はこころよい情報提供に礼を言った。

 俺がこんなことを尋ねたのは、星詠ほしよみという呼び名に心当たりがあったからである。
 確かそれは、放浪の魔女がさがしていた魔女の二つ名だった。
 だから話題に出た時からずっと気になっていたのである。
 情報の確認も取れたし、今度あの魔女がこの城に寄ったら教えてやろう。

「……しかし、こうなってみると、結局何もかもが彼女の予言どおりでしたね」
 魔術師のジーノが思い出したように言った。
「目的を果たす前には大いなる困難が存在する。しかし、誰一人欠けることなく目的を達成できる――」
「……ほう、それが星詠みの魔女の予言か?」
 俺が質問すると、ジーノは肯定した。
「大いなる困難とは、おそらく貴方のことを指していたのでしょう。結果も含めて、完全に的中していたと言えますね」
 つまり彼女には、初めからこの結果が見えていたということか。
 すごいな、星詠みの魔女。
 俺は素直に感心した。

 星詠ほしよみ――現代風に言えば占星術せんせいじゅつとか星占いのことである。
 しかし、たかが星占いでここまで完璧に未来を読み切るなんて、ちょっと想像ができない。
 彼女もまた、とてつもないチカラを持った魔女のようだ。

 だが穿うがった見方をすれば、八年前にはもうすでに星詠ほしよみの魔女はソフィアの居場所を――それどころか、本当に何もかもを把握していたと推測できる。
 それだけ情報がそろっていたなら、もっと早くソフィアを迎えに来る方法もあったと思うのだが……。
 結局、星詠ほしよみの魔女は何がしたかったんだ?
「いや、魔女共の考えなんて、俺に理解できるわけがないか」
「ですね。そもそも見えている世界が違うのです。考えるだけ無駄ですよ」
 おっと、知らないうち考えている事が声に出ていたらしい。
 声に出たのはひとごとにすぎなかったが、魔術師のジーノはその言葉に賛同してくれた。

 思えば“放浪”や“鎖”の魔女もそうだった。
 魔女ってやつらは全体的に手段が回りくど過ぎる。
 一番交流のある小さな魔女でさえ、その行動原理は未だ謎だらけなのだ。
 ましてや直接会ったこともない魔女の考えなんて、理解の範疇はんちゅうを越えているだろう。
 俺が頭を悩ませるべきことでもない。
 魔女には魔女たちのルールがあるのだ。

「しかし、仲間が欠けることはありませんでしたが……約一名、心に深い傷を負ってしまったようです。流石に魔女様でも、ここまではめなかったようですね」
 魔術師のジーノはヤレヤレと、冗談めかした調子で言う。
 その視線の先を見てみると、そこには未だ落ち込んだままの弓使いの少年が居た。

「ねえ、グランツ……」
 俺たちが様子を眺めていると、暗い雰囲気のままで弓使いの少年はぽつりと口を開いた。
「お? なんだ?」
「オレってさ、もしかして男としての魅力、全然無いのかな……」
 今にも泣き出しそうなほどに瞳をうるわせた少年は、クソウサギをぎゅっと抱きしめ、ふわふわの毛皮に顔を埋める。
 癖っ毛気味の、桃色が混じったブロンド髪に。サファイア色の瞳。そして、陶磁器のような白い肌の美少年。
 その姿は地球のアイドルも顔負けの一枚絵だった。

 ……うん。まあ、あれだ。
 可愛いショタ少年が好きなお姉さん方々には、大人気だと思うぞ?
 それが彼の望む『男としての魅力』なのかどうかは、俺には判断つかないが。
「……俺から見れば、お前はまだまだ子供ガキだよ。そういうことは、成長しきって限界が見えてから悩め」
 戦士のグランツは大人目線のフォローをした。
「大体、姫様のほうからしても、お前の印象は八年前で止まってたんだ。仕方ねえって」
 グランツはぐりぐりと少年の頭を撫でた。
「そうですよ。厳密にはフラれたわけでないし、今後の頑張り次第で十分巻き返せます」
 ジーノも外野から弓使いの少年を無責任に励ました。

 とは言ってもなあ……そもそも少年の側からして、ソフィアの呼び方が「ソフィア姉ちゃん」なのだ。
 これでは二人の関係性が「姉弟きょうだい」で固定されるのも自然な流れだろう。
 ちなみに、ソフィアが断った理由も「アルくんのことは好きだけど、わたしにとってアルくんは弟みたいな存在だったから、そういうふうに意識したことはなくて……」というものだった。

 こうしている間にも、少年の思考はますますどつぼにはまっているようだ。
 周囲のはげましも一切効果がなく、彼を元気付けることは誰もできなかった。
「でもオレって、“カワイイ”とか、社交界でも“美しい”ってめられることはよくあったけど、格好良いって言われたことは……一度も無いんだ。やっぱりオレって……」
 自分で口にして、弓使いの少年はますます落ち込んでいた。
 どうやら彼の中性的、もっと言えば女の子染みた外見は、以前からコンプレックスだったらしい。

「だぁ~もうッ! ウジウジしてても始まんねえ。こういうときは体を動かせ! 表で剣を振ってりゃ気も晴れるッ! おら、外に出るぞ!!」
 立ち直るどころか、明日以降も引きずりかねない少年に対し、戦士グランツはとうとう強硬手段に出るようだ。
 ただ、少年の獲物は弓なのに、「剣を振れ」とはこれ如何いかに。

 ずるずると戦士に引きずられながら、外へ連行される弓使いの少年。
「せっかくですし、私達も行ってみますか。貴方の下さったという剣も気になりますし」
 付き合いの良い魔術師の青年と、ちゃっかりクソウサギもそれに付いて行く。
「……いや待て、お前ら今から外に出る気か?」
 俺は咄嗟とっさに呼び止める。しかし誰ひとり聞いちゃいねえ。
 そして部屋には誰も居なくなった。

 どうしてこんなにも奴らは自由なんだ? ここは仮にも“冬に呪われた地”と呼ばれる危険な領域で、この城も一応は恐ろしい魔獣の根城なのに。
 ちっともジッとしてくれない。
 彼らを引き留める機を掴めなかった俺は、軽い頭痛に悩まされる。

 ……仕方ない。
 一応俺も付いて行くか。
 俺に管理責任は無いはずだが、万が一にも遭難して死なれたら目覚めが悪い。
 それに、変なところで暴れられたら、後々面倒だし。
 俺は自ら寒空の下に向かう酔狂な冒険者たちに続いて、ぬくぬくと暖かな暖炉の燃える部屋を出た。



 城の外に出ると冷たい空気が全身を包む。
 流れる冷たい風に、チラチラと舞い落ちる雪。
 雪が降っているということは、当然空には雲が広がっているということでもあって……つまり星の明かりも月の明かりも頼りにできない外の世界は、必然的に真っ暗闇の中だった。

あかりが必要だな」
 俺は夜目がくが、他の者はそうもいかないだろう。
 中から魔石のランタンを持ってくるか。
 そう思っているとおもむろに魔術師のジーノが何やら呪文を唱え始める。
夜の闇をリヒト・クーゲル照らす・ブリフト光よ・ナハト
 詠唱が終わるとその手の中に光のたまが生み出され、周囲を明るく照らした。
「……ま、こんなもので充分でしょ」
 ジーノは生み出した光のたまを頭上に飛ばしながら、自信有り気な顔をした。

わりいな、ジーノ」
 戦士グランツは礼を言う。
 そして弓使いのアレックス少年と中庭の中央に出た。
「よし……じゃあ、始めるとすっか。準備はいいか?」
「うん。もう、大丈夫」
 弓使いの少年は流石に立ち直ったようだ。稽古のために剣を構える。
 彼らが使っている武器は、飾られていた甲冑かっちゅうから拝借したものだ。
「ならいつも通りだ、好きに打ち込んで来い」
 その言葉を皮切りに、二人の模擬戦が始まった。

 さっきまでの落ち込んだ様子とは打って変わって、軽い身のこなしで舞うように剣を振るう弓使いの少年。
 一方、戦士のグランツはその剣をひたすら見切り、かわし、受け止める。
 稀に繰り出す反撃も、弓使いの少年がギリギリけられる程度の速さだ。さっきの戦闘と比べれば、明らかに手加減しているのが見て取れた。
 やはり弓のあつかいはともかく、近接戦闘だと圧倒的な実力差だな。
 その内容は模擬戦と言うより、息の合った剣道の掛かり稽古に近い。
 弓使いの少年は遥か格上の戦士に向かって、一心不乱に攻め続けていた。

「なあ、実際のところ……お前たちの強さは冒険者の中でどのくらいのものなんだ?」
 俺は隣にいた魔術師のジーノに、ふとした疑問を尋ねる。
 ジーノは少し考えるそぶりを見せた後、ざっくりと答えた。
「うーん、そうですね。それぞれ得意分野が異なるので、一概に比較することはできませんが……まあ、普通にトップクラスですよ。アレックス君やリップさんも、上位一割以内に入っていると思います」
 もっとも、冒険者ギルド内の功績を基準とした目安に過ぎませんが……と、ジーノは付け加えた。

「そうか。それだけの実力があるのに、さらにあの特訓とは……あの弓使いは強くなることに貪欲だな」
 俺は目の前で激しい打ち合いをする二人を眺めながら、感想を述べた。
 その力への渇望は、いったいどこから生まれて来るのだろうか。
「アレックス君の場合は、文字通り英雄になる必要があったのですよ。第三王子という血筋がかすむくらいのね」
「……それはどういうことだ?」
「本人は王族の身分を捨てたつもりでも、周囲は放って置かなかったということです。悪意を持った人間はもちろんですが……善意ですらも、アレックス君にとっては自身をからめ捕ろうとする障害だったでしょう」
 だからこそ、少年には実績と、それ以上の力が必要だった。
 そのしがらみから逃れるための、戦うちからを。

「そうか……あの少年も、なかなか苦労しているんだな」
 たとえ世界を敵に回しても、ソフィアを救って見せる……晩餐ばんさんの折に確認した少年の覚悟、その裏付けを見せつけられたような気がした。

 ほぼ完ぺきな美少年の、ほおに残る深い傷跡。今の俺にはそれすらも、戦い続ける覚悟の証に見えてしまう。

 かつての俺は、そんな覚悟を持つことができただろうか?
 少年の生きざまと、過去の自分を比べてみる。

 俺はどちらかと言えば、周囲に流されて生きてきた人間だった。
 おぼれないようにするのが精一杯で、流され続け、気付けば流れ着いた先は社会の底辺だ。

 流れ着いた先に、自身の幸福は無かった。
 誰かのために頑張って、誰からも認められることはなく。
 自分であることに意味は無く、自我を持つことは許されず、“まともな”社会人として搾取され続ける。
 それでも、ただ生きてもいいって許されたくて、人並みの人生を送れる保証が欲しくて、周囲の無責任な言葉に従っていた。

 もし、覚悟を持って一歩を踏み出せていれば、何か違った結末を迎えられたのだろうか。
 全てを捨てて冒険者となった、この弓使いの少年のように。

「いやー、ああも自己じこ研鑽けんさんを積まれると、あっという間に追い付かれそうです。先輩冒険者としましては若い才能に戦々恐々ですよ」
 ジーノが冗談めかすと、打ち合いしている二人のほうから声が飛んでくる。
「いや、お前も十分若いだろ!」
 どうやら俺たちの声が聞こえていたようだ。
 向こうで戦士からツッコミを入れながら、少年の剣を弾いていた。



 あれから三十分ほど打ち合いは続いただろうか。
 少年の限界が見えてきたところで掛かり稽古は終了となった。

 特訓を終えた弓使いの少年は、へとへとになって雪の上に座りこむ。
 対して戦士のグランツは殆ど疲れていない様子だった。
「明日もあるからな、このぐらいにしとくぞ。あとは疲れを残さないようにゆっくり休め」
 そう言いながらも戦士グランツは自分の――俺がくれてやった代用の大剣に持ち替え、素振りを始めていた。
 その底なしの体力に、俺は戦慄せんりつする。
 流石は冒険者としてトップクラスなだけあって、魔法で不死の力を得ている俺なんかよりもよっぽど化け物染みているな。

 一方で、魔術師のジーノは戦士の振るう大剣のほうに注目した。
「おお、それが噂の……!」
 その大剣は俺が斬られた尻尾を変形させて作った大剣だ。

 わにの皮膚のような質感で、甲虫の殻のように並ぶ漆黒のうろこ
 しなやかに曲がるそれは戦士が振るたびに切っ先から鋭く風を切る音がする。
 規則的に並んだ刃物のようなとげがこの武器の凶悪さを増していた。

 一部残った獣の毛皮がもともと俺の体の一部だったことを証明しており、斬り落とされた俺の魔力さついを内包したそれはほとんど魔剣と化している。

「素晴らしい、魔獣の素材を活かした装備品で、これほどの業物わざものは間違いなく国宝級でしょう」
 魔術師のジーノは過剰なほどめてくれるが、斬り落とされた自分の尻尾が評価されても複雑な心境だ。
 異世界に行った者が現地人からチヤホヤされる物語の展開はよくあるが……読者が求めているのは決してこんな持ち上げられ方じゃないだろう。
「有り合わせを渡しただけだ。帰路の間に合わせにはなるだろう。それはもうお前のものだ。不要なら売り飛ばしても、なんだったらバラして素材にしてくれても構わない」
 素材という単語にジーノの目が輝くが、戦士グランツはそれを制す。
「いや、これで十分過ぎるぜ。有り難く最後まで使わせてもらう」
 戦士グランツが改めて礼を言った。

「そうか。慣れない武器で大丈夫か?」
「大丈夫だ。正味しょうみ問題ねえ。護衛対象も細い見た目してなかなか肝っ玉が据わっているし、最低限の場数は踏んでいる。むしろ帰りは、思ったよりも楽できそうだ」
「場数……?」
 確かにソフィアは最低限戦うすべを得ているはずだが、この戦士がどこからそう判断したのかが気になった。
「あの姫様は戦いを知っているってことだ。なにせ、出会いがしらに水のたまおどしてくるぐらいだからな」
 おそらく、最初に会った時の話だろう。
「なるほど、そんなやり取りがあったのか」
 どうやら流石のソフィアも、最初から友好的に接していたわけではないらしい。
 なんとなく不謹慎な気もするが、少しだけ安心した。

「それにしても……お前ほどの戦士相手に、水の玉程度がおどしになるのか?」
 水の玉は黒騎士が襲来した時もソフィアが使っていた魔術だが、バケツの水をひっくり返す以上の威力があるように思えない。

 俺の質問に対して、戦士は一瞬ぽかんとした顔をする。
 そして、その直後にはこらえきれないといった感じで、笑いながら言った。
「ククク……そうか、お前さんには効かないのか」
「む? どういう意味だ?」
 疑問が解けない俺に、戦士は解説する。
「オイオイ、魔獣さんよぉ……普通の生き物には、っつうのがるんだぜ? 知ってるか? 人間は、息ができないと、死んじまうんだ」
「な、なるほど……!」
 あの魔術は、そうやって使うものだったのか。

 凍った泥に足を固定され動けなかったはずの戦士グランツ。そんな彼に対して、なかなかえげつない脅し方だ。
 意外と殺意の高かったソフィアの戦い方に、今さらながら戦慄した。
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