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第四章 不死身の魔獣と太陽の弓使い
誰も知らない怪物
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漆黒の魔獣が狂戦士化の呪いに身を染めていた頃。
時をほぼ同じくして、四つの人影が雪原を進んでいた。
先頭を進むのは、革と金属を組み合わせた鎧を着た戦士だ。その後ろを斥候の少女、魔術師の青年、そして弓使いの少年が続いていた。
「ちょっと待って」
緩やかな丘を登りきったところで、斥候役の少女が猫耳をピクリと動かした。残りの全員も足を止める。
「……皆、何かいるみたいだよ」
少女の耳が感じ取ったのは、獣の咆哮のような声だった。どうやら進む先に、その声の主が居るらしい。
「あっち?」
「うん。まだだいぶ遠いと思うけれど」
「……本当だ。リップの言う通り、何か黒いのがいる」
仲間内で最も目の良い弓使いの少年も何かを見つけたようだ。
続いて、腰のポーチから双眼鏡を取り出した魔術師の青年もその姿を確認する。
「……なんでしょうね、アレは?」
魔術師の青年が見たのは、雪原の真ん中に佇む漆黒の魔獣であった。
だが、その姿は、彼の知識にない未知の存在だ。
「グランツさんはアレ、見たことあります?」
魔術師は戦士の男に双眼鏡を渡す。
魔獣狩りの経験が豊富な彼なら、あの正体不明の魔獣を見たことがあるかもしれない……そんな期待をしてだ。
戦士は双眼鏡を受け取って覗いてみる。
「……なんだぁ、あんなヤツ見たことねぇぞ」
しかし、レンズの向こうに見えた魔獣は、ベテランの彼でさえ全く知らない存在だった。
黒い魔獣の姿を確認した戦士は魔術師に双眼鏡を返した。
「グランツさんも初見、ですか」
自分も彼も知らないのなら、下手すると大陸中の誰も知らないだろう。
ここに来て、完全に新種の魔獣。
今までが順調だっただけに、魔術師の青年は僅かな不安を覚えた。
双眼鏡を受け取りながら、魔術師はとりあえず自分の考察を述べる。
「頭部にはウルフ種に近い特徴が見られますが、完全に二足歩行していますね。しかし人狼にしては大きすぎますし、ツノがあるのも不自然です」
「ツノがあって二本足で歩いているなら、大鬼の新種かな?」
弓使いの少年が意見を出した。
「いいえ、それだとあのリザード種のような長い尾の説明が付きません……まさか、合成獣系ではないでしょうね……」
合成獣とは、なんらかの原因によって複数の魔獣が融合した存在である。それが人為的に合成された魔獣であろうと、あるいは自然発生であろうと、強力な魔獣となることが多い。
もし本当にそうならば、かなり厄介な相手だ。魔術師の青年はそう思った。
ぶつぶつと呟きながら考察する魔術師の横から、斥候の少女が口を挟む。
「二足歩行のトカゲなら、ラプトルってやつじゃない?」
「おい、冗談はよしてくれ」
斥候の思いつきの発言に、今度は戦士が心底嫌そうな顔をした。
「ラプトルっつったら、最下級でもドラゴンの一種だぞ。たまたま見つけたからって、気楽に討伐できる獲物じゃない」
実際、この戦士にはラプトルの群れと戦って、痛い目を見た経験があった。
戦士の言う通り、ラプトルとは群れでの狩りを得意とするドラゴンの一種だ。
厳密には四肢に加えて一対の翼をもつ、いわゆるドラゴンとは完全に別系統の生物なのだが、一般的にはそう認識されている。
ラプトルを一体ずつ見れば、その体躯は決して大きくない。
しかし、それでも奴らはトカゲとドラゴンの中間のような存在。
そもそも大きくないと言ったって、それはあくまでも本物のドラゴンと比較した場合の話――実際は成人男性とほぼ同じぐらいの大きさがある。普通の人間にとっては、決して雑魚扱いできる相手ではない。
そしてさらに、そんな魔獣が群れを成して、この地のオオカミのように連携を駆使してくるのだ。
かつて一人だったときに、運悪く目を付けられた戦士。彼も危うく命を落とすところであった。
戦士はその時の経験をざっくりと語った。
「うわぁ……」
戦士の話を聞いて、同じように嫌そうな顔をする斥候の少女。
「……まあ、アレは、そいつらとは完全に別種だろうがな。群れてもいないし、そもそも大きさが倍は違え」
戦士はそう付け加えたが、その情報はなんの慰めにもなっていなかった。
普通に考えれば、体が大きければ大きいほど、魔獣は強くなるはずである。
つまりあの漆黒の魔獣は、単純計算でもラプトルたちの倍以上は強いと考えられた。
「でも、あいつは一頭だけだ。オレたちなら、なんとかなるんじゃないか?」
弓使いの少年が戦士に尋ねた。
その甘い見通しに、戦士は怖い話で子供を脅すときみたいに、好戦的に笑いながら凄む。
「オイオイ、それは軽率過ぎないか? 一頭だけの理由がはぐれだからなのか、そもそも群れる必要が無いからなのか、まだ分からねえが……試してみるか?」
それを聞いて斥候の少女はうげぇ~と、さらに嫌そうな顔をした。
「……私としましては、可能なら無視したい相手ですねえ」
魔術師の青年はメガネの位置を直しながら、彼なりの結論を述べる。
そう述べつつも、それができるかどうかはまた別問題ですが、と最後に付け加えた。
「とりあえず、草食ってますって面じゃねえのは確かだな。刺激しなけりゃ襲いかかってこねえ……なんてことを期待するのは、ちょいとムシがよすぎる話だ」
ただの野生動物ならまだ戦闘にならない可能性もあるが、肉食獣が基礎となった魔獣はほぼ例外なく好戦的だ。
大抵の場合、人間が近づけば積極的に向かって来る。
「でもスルーするのも無理っぽいよ? 冬のお城に行こうと思ったら、あいつの居る平原を突っ切らないとダメ。姿を隠しながら移動するのはできなさそう」
斥候の少女が周囲の地形を見渡し、皆に報告した。
つまり最終的な結論として、四人が冬の城に辿り着くためには、あの黒い魔獣をどうにかしなければならない。
「冬の城はあの先……ソフィア姉ちゃんは、無事なのかな……」
弓使いの少年は心配そうに言った。
「……まあ、俺たちが色々言ったところで、結局はお前次第だ。どうしたいよ? 俺たちはその意思を尊重するぜ」
戦士は弓使いの少年に問いかけた。
弓使いの少年は少しの間だけ悩んだが、すぐさま結論を出す。
「……戦ってみるしかないか」
その答えに戦士は少し驚いたような顔を見せる。
「お、意外だな。もしかして、焦っているのか? らしくない無謀な判断じゃねえか」
普段ならこの少年は、迷わず撤退を選択しただろう。
しかし、弓使いの少年は覚悟を決めた笑みを浮かべて言った。
「威力偵察ってやつだよ。引き返すにしても、最低限の情報がないと。そうだろ?」
「……まあ、確かに。今回は要人の救助依頼でもありますからねえ、多少の無茶は仕方ないと割り切りましょうか」
話を聞いていた魔術師は渋々といった様子で了承した。
「それに、これ以上何を準備するのです? 一度戻ったところで、状況が好転するとは限らないですし」
一方で戦士の男は、「ああ、そいつがあったか」と、思い出したように頭をかいた。
「要人の救助依頼……確かに言われてみりゃ、そりゃそうだな。知らねえ魔獣だからって毎回尻尾を巻いていたら、何も進まねえか……しゃあねえ、これも仕事だ。腹を括るか!」
当然のことだが、戦士はその場のノリでこんなふうに言っているわけではない。
この地の魔獣の強さや傾向、今までの経験から考慮して、最悪の場合でも自分が囮になれば逃げるには問題ないだろうと判断したからである。
ベテランなだけあって、戦士はなかなか計算高かった。
「だが、マジでヤバそうだったら速攻で逃げるぞ。時間は俺が稼ぐ。いいな?」
もちろん、最悪の場合における念押しも忘れない。
それだけは譲れないところであった。
「了解。判断はグランツに任せるよ」
少年の了解を得て、戦士の纏う空気が変わる。
その真剣な眼差しは、間違いなく歴戦の戦士のものであった。
「ねえ、本当に行くの? いったん戻って日を改めたほうがいいんじゃない?」
怖気付いた斥候の少女は生き急ぐ三人に不安そうに問いかける。
しかし、弓使いの少年は首を横に振った。
「ごめん。でも、もう八年も待たせているんだ。やっとここまで来られた。これ以上立ち止まるわけにはいかない」
弓使いの少年は同行する三人に信頼を寄せた笑みを見せた。
皆がいれば大丈夫。
言葉にしなくても、彼の思いは伝わった。
その屈託のない笑みを見て、魔術師がやれやれと肩をすくめる
「全く、一応は無茶をするんですから、報酬にボーナス付けてくださいよ、王子サマ。あ、私の分はお金じゃなくて希少な魔石か魔道具で支払ってくださいね」
「ハハッ……勘弁してくれよ。今の俺は、ただのアレックスだって」
二人が掛けあっている間に、斥候の少女も覚悟を決めたようだ。赤い髪を払いながら冗談めかして言う。
「……仕方ないにゃあ。ボクは、ご飯おごってくれればいいかな~」
どうやら、彼女も気を取り直したようだ。
強敵を前にして和気藹々とやり取りをしているメンバー。
緊張感のない彼らを見ていた戦士は深いため息を吐いたが、緊張でガチガチなのよりはましかと思い直し、自分も凶悪な笑みをうかべた。
「意見はまとまったみてえだな。よし――じゃあ、いっちょ殺るか」
その決定を皮切りに、四人は臨戦態勢に入った。
「初撃はオレに任せてくれ」
少年は弓をつがえる。
狙いは、あの黒き魔獣。
魔獣の鋭い聴覚を以ってしても気付かれないほどの、超遠距離からの確実な狙撃。
普通に射れば、弓矢なんて届きえないほどの遠い距離だが、少年にとってはそれでも射程圏内だ。
それに、魔獣は雪原の真ん中でじっとしている。
動かない的ならば、まず外さない――それどころか、多少動かれたところで魔力の込められた矢は追尾する。
「ヘヘッ。ま、意外とアルくんなら一撃で仕留められるかもね」
斥候の少女がお気楽な調子で言った。
「ありがとう。ご期待に沿えるよう、全力を尽くすよ」
少年もその声援に軽く答えた。
太陽の国の王子は、不死の魔獣に弓を引く。
弦がギリギリと軋んだ音を立てる。
「風よ、矢に集いて貫きの加護を……奪われる生に、一撃の慈悲を……」
矢に魔力を込める。
指輪についていた装飾の宝石――高純度の魔石が一つ砕ける。
これは少年の切り札だ。
残る指輪はあと二つ。
膨大な魔力を丁寧に編みこんで、遠く、鋭く、そして静かなる必殺の一撃を作り上げる。
その繊細な魔力操作は、鉄と火薬に頼らない弓矢だからこそできる芸当。
これは幼い頃からの夢を犠牲にして手に入れた技術だった。
ゆえに少年は、自分の腕に絶対の自信を持っていた。
矢に込められた魔力は研ぎ澄まされていく。
……準備は、整った。
「――行けッ!」
その言葉と共に、運命の矢は放たれた。
* * *
俺は狂戦士化実用化のための特訓を続けていた。
「グルルルルルル……」
獣の唸り声が、喉の奥から漏れる。
怒りの感情で、無理やり獣の血を騒がせる。
だが、ふと気を抜いた瞬間に、滾っていた熱が引いてしまった。
「……むう、駄目だな」
例えるなら、バンジージャンプで最後の一線が越えられない……そんな気分だ。
「怒るのって、疲れるな……」
どんな怒りも長続きしない。真面目に考えれば考えるほど、どうしようもなくて、そして最終的にはどうでもよくなってくる。
そのせいか、何度も練習してみたが、いまいち切り替えが上手くいかない。
「でも、切っ掛けさえあれば、あっさりといけそうな気がするんだよなー……」
例えば、倒すべき敵が目の前に居れば、あっさりと完成しそうな気がする。
しかし、そうなると狂戦士化の実用化がぶっつけ本番になる。それはなるべく避けたい。
「まあ、何度も試してみるしかないか……」
俺は狂戦士状態の完成度を高めるため、再び目を閉じた。
燻ぶった怒りの感情を呼び覚ます。
気が昂る。血が滾る。
獣の本能が、原初の衝動が、全身を駆け巡ってゆく。
――しかし、今回は暗闇に落ちた視界に違和感があった。
ああ、まただ。
また余計なことが気になって、全然集中できない。
俺は自分にうんざりしながらその原因について考えた。
違和感の正体は……音、かな?
聞き覚えのない、珍しい風の音。
鋭くなった獣の聴覚は、たびたび余計な音まで拾ってくる。
普段なら全く気にならないのだが、狂戦士状態が昂った状態だと、些細なことでも神経が逆撫でられて集中力が途切れてしまうのだ。
それにしてもこの音、だんだんと大きくなってきているような……。
俺はその雑音に苛々しながら過ぎ去るのを待ちぼうけていたが、その正体に気が付きハッとする。
……いや、違う!
これは、何かが風を切りながら近づいている音だ!
俺は咄嗟に身を翻した。
だが、気付いたのがあまりにも直前すぎた。間一髪で避け切れず、それは俺の頬の肉を切り裂く。
飛来したものの正体は、魔力の込められた矢だった。
しかも、鏃には毒が塗られていたらしい。魔獣の修復能力が過剰に反応する。小賢しい真似をしやがって。
矢が飛んできた方向を睨むと、そこには複数人の小さな人影が見えた。
なるほど。どうやら奴らが、丘の上から俺を狙撃したらしい。
――普段の俺ならば、甘ちゃんな俺の思考の俺ならば、まだ対話の可能性も残っていただろう。
しかし、今はあまりにもタイミングが最悪であった。
「糞どもが、無礼た真似しやがって……」
アドレナリンの影響で、短絡的になった頭脳。
怒りに染まった思考が、暴力的な最適解を導き出す。
奴らは、先に攻撃してきた。ならば、敵であるに違いない。いや、まぎれもない敵だ。
だから殺す。慈悲はない。
「ぶち殺ス……!!」
そう、俺たちを害する敵は――皆殺しだ!
皮肉にもこの瞬間、俺は狂戦士状態を完成させてしまった。
頬の傷を再生しながら、俺は怒りのエネルギーを全身に巡らせる。
そして、目障りな敵を排除するため、全身をバネのように縮め、白銀の大地を蹴った。
時をほぼ同じくして、四つの人影が雪原を進んでいた。
先頭を進むのは、革と金属を組み合わせた鎧を着た戦士だ。その後ろを斥候の少女、魔術師の青年、そして弓使いの少年が続いていた。
「ちょっと待って」
緩やかな丘を登りきったところで、斥候役の少女が猫耳をピクリと動かした。残りの全員も足を止める。
「……皆、何かいるみたいだよ」
少女の耳が感じ取ったのは、獣の咆哮のような声だった。どうやら進む先に、その声の主が居るらしい。
「あっち?」
「うん。まだだいぶ遠いと思うけれど」
「……本当だ。リップの言う通り、何か黒いのがいる」
仲間内で最も目の良い弓使いの少年も何かを見つけたようだ。
続いて、腰のポーチから双眼鏡を取り出した魔術師の青年もその姿を確認する。
「……なんでしょうね、アレは?」
魔術師の青年が見たのは、雪原の真ん中に佇む漆黒の魔獣であった。
だが、その姿は、彼の知識にない未知の存在だ。
「グランツさんはアレ、見たことあります?」
魔術師は戦士の男に双眼鏡を渡す。
魔獣狩りの経験が豊富な彼なら、あの正体不明の魔獣を見たことがあるかもしれない……そんな期待をしてだ。
戦士は双眼鏡を受け取って覗いてみる。
「……なんだぁ、あんなヤツ見たことねぇぞ」
しかし、レンズの向こうに見えた魔獣は、ベテランの彼でさえ全く知らない存在だった。
黒い魔獣の姿を確認した戦士は魔術師に双眼鏡を返した。
「グランツさんも初見、ですか」
自分も彼も知らないのなら、下手すると大陸中の誰も知らないだろう。
ここに来て、完全に新種の魔獣。
今までが順調だっただけに、魔術師の青年は僅かな不安を覚えた。
双眼鏡を受け取りながら、魔術師はとりあえず自分の考察を述べる。
「頭部にはウルフ種に近い特徴が見られますが、完全に二足歩行していますね。しかし人狼にしては大きすぎますし、ツノがあるのも不自然です」
「ツノがあって二本足で歩いているなら、大鬼の新種かな?」
弓使いの少年が意見を出した。
「いいえ、それだとあのリザード種のような長い尾の説明が付きません……まさか、合成獣系ではないでしょうね……」
合成獣とは、なんらかの原因によって複数の魔獣が融合した存在である。それが人為的に合成された魔獣であろうと、あるいは自然発生であろうと、強力な魔獣となることが多い。
もし本当にそうならば、かなり厄介な相手だ。魔術師の青年はそう思った。
ぶつぶつと呟きながら考察する魔術師の横から、斥候の少女が口を挟む。
「二足歩行のトカゲなら、ラプトルってやつじゃない?」
「おい、冗談はよしてくれ」
斥候の思いつきの発言に、今度は戦士が心底嫌そうな顔をした。
「ラプトルっつったら、最下級でもドラゴンの一種だぞ。たまたま見つけたからって、気楽に討伐できる獲物じゃない」
実際、この戦士にはラプトルの群れと戦って、痛い目を見た経験があった。
戦士の言う通り、ラプトルとは群れでの狩りを得意とするドラゴンの一種だ。
厳密には四肢に加えて一対の翼をもつ、いわゆるドラゴンとは完全に別系統の生物なのだが、一般的にはそう認識されている。
ラプトルを一体ずつ見れば、その体躯は決して大きくない。
しかし、それでも奴らはトカゲとドラゴンの中間のような存在。
そもそも大きくないと言ったって、それはあくまでも本物のドラゴンと比較した場合の話――実際は成人男性とほぼ同じぐらいの大きさがある。普通の人間にとっては、決して雑魚扱いできる相手ではない。
そしてさらに、そんな魔獣が群れを成して、この地のオオカミのように連携を駆使してくるのだ。
かつて一人だったときに、運悪く目を付けられた戦士。彼も危うく命を落とすところであった。
戦士はその時の経験をざっくりと語った。
「うわぁ……」
戦士の話を聞いて、同じように嫌そうな顔をする斥候の少女。
「……まあ、アレは、そいつらとは完全に別種だろうがな。群れてもいないし、そもそも大きさが倍は違え」
戦士はそう付け加えたが、その情報はなんの慰めにもなっていなかった。
普通に考えれば、体が大きければ大きいほど、魔獣は強くなるはずである。
つまりあの漆黒の魔獣は、単純計算でもラプトルたちの倍以上は強いと考えられた。
「でも、あいつは一頭だけだ。オレたちなら、なんとかなるんじゃないか?」
弓使いの少年が戦士に尋ねた。
その甘い見通しに、戦士は怖い話で子供を脅すときみたいに、好戦的に笑いながら凄む。
「オイオイ、それは軽率過ぎないか? 一頭だけの理由がはぐれだからなのか、そもそも群れる必要が無いからなのか、まだ分からねえが……試してみるか?」
それを聞いて斥候の少女はうげぇ~と、さらに嫌そうな顔をした。
「……私としましては、可能なら無視したい相手ですねえ」
魔術師の青年はメガネの位置を直しながら、彼なりの結論を述べる。
そう述べつつも、それができるかどうかはまた別問題ですが、と最後に付け加えた。
「とりあえず、草食ってますって面じゃねえのは確かだな。刺激しなけりゃ襲いかかってこねえ……なんてことを期待するのは、ちょいとムシがよすぎる話だ」
ただの野生動物ならまだ戦闘にならない可能性もあるが、肉食獣が基礎となった魔獣はほぼ例外なく好戦的だ。
大抵の場合、人間が近づけば積極的に向かって来る。
「でもスルーするのも無理っぽいよ? 冬のお城に行こうと思ったら、あいつの居る平原を突っ切らないとダメ。姿を隠しながら移動するのはできなさそう」
斥候の少女が周囲の地形を見渡し、皆に報告した。
つまり最終的な結論として、四人が冬の城に辿り着くためには、あの黒い魔獣をどうにかしなければならない。
「冬の城はあの先……ソフィア姉ちゃんは、無事なのかな……」
弓使いの少年は心配そうに言った。
「……まあ、俺たちが色々言ったところで、結局はお前次第だ。どうしたいよ? 俺たちはその意思を尊重するぜ」
戦士は弓使いの少年に問いかけた。
弓使いの少年は少しの間だけ悩んだが、すぐさま結論を出す。
「……戦ってみるしかないか」
その答えに戦士は少し驚いたような顔を見せる。
「お、意外だな。もしかして、焦っているのか? らしくない無謀な判断じゃねえか」
普段ならこの少年は、迷わず撤退を選択しただろう。
しかし、弓使いの少年は覚悟を決めた笑みを浮かべて言った。
「威力偵察ってやつだよ。引き返すにしても、最低限の情報がないと。そうだろ?」
「……まあ、確かに。今回は要人の救助依頼でもありますからねえ、多少の無茶は仕方ないと割り切りましょうか」
話を聞いていた魔術師は渋々といった様子で了承した。
「それに、これ以上何を準備するのです? 一度戻ったところで、状況が好転するとは限らないですし」
一方で戦士の男は、「ああ、そいつがあったか」と、思い出したように頭をかいた。
「要人の救助依頼……確かに言われてみりゃ、そりゃそうだな。知らねえ魔獣だからって毎回尻尾を巻いていたら、何も進まねえか……しゃあねえ、これも仕事だ。腹を括るか!」
当然のことだが、戦士はその場のノリでこんなふうに言っているわけではない。
この地の魔獣の強さや傾向、今までの経験から考慮して、最悪の場合でも自分が囮になれば逃げるには問題ないだろうと判断したからである。
ベテランなだけあって、戦士はなかなか計算高かった。
「だが、マジでヤバそうだったら速攻で逃げるぞ。時間は俺が稼ぐ。いいな?」
もちろん、最悪の場合における念押しも忘れない。
それだけは譲れないところであった。
「了解。判断はグランツに任せるよ」
少年の了解を得て、戦士の纏う空気が変わる。
その真剣な眼差しは、間違いなく歴戦の戦士のものであった。
「ねえ、本当に行くの? いったん戻って日を改めたほうがいいんじゃない?」
怖気付いた斥候の少女は生き急ぐ三人に不安そうに問いかける。
しかし、弓使いの少年は首を横に振った。
「ごめん。でも、もう八年も待たせているんだ。やっとここまで来られた。これ以上立ち止まるわけにはいかない」
弓使いの少年は同行する三人に信頼を寄せた笑みを見せた。
皆がいれば大丈夫。
言葉にしなくても、彼の思いは伝わった。
その屈託のない笑みを見て、魔術師がやれやれと肩をすくめる
「全く、一応は無茶をするんですから、報酬にボーナス付けてくださいよ、王子サマ。あ、私の分はお金じゃなくて希少な魔石か魔道具で支払ってくださいね」
「ハハッ……勘弁してくれよ。今の俺は、ただのアレックスだって」
二人が掛けあっている間に、斥候の少女も覚悟を決めたようだ。赤い髪を払いながら冗談めかして言う。
「……仕方ないにゃあ。ボクは、ご飯おごってくれればいいかな~」
どうやら、彼女も気を取り直したようだ。
強敵を前にして和気藹々とやり取りをしているメンバー。
緊張感のない彼らを見ていた戦士は深いため息を吐いたが、緊張でガチガチなのよりはましかと思い直し、自分も凶悪な笑みをうかべた。
「意見はまとまったみてえだな。よし――じゃあ、いっちょ殺るか」
その決定を皮切りに、四人は臨戦態勢に入った。
「初撃はオレに任せてくれ」
少年は弓をつがえる。
狙いは、あの黒き魔獣。
魔獣の鋭い聴覚を以ってしても気付かれないほどの、超遠距離からの確実な狙撃。
普通に射れば、弓矢なんて届きえないほどの遠い距離だが、少年にとってはそれでも射程圏内だ。
それに、魔獣は雪原の真ん中でじっとしている。
動かない的ならば、まず外さない――それどころか、多少動かれたところで魔力の込められた矢は追尾する。
「ヘヘッ。ま、意外とアルくんなら一撃で仕留められるかもね」
斥候の少女がお気楽な調子で言った。
「ありがとう。ご期待に沿えるよう、全力を尽くすよ」
少年もその声援に軽く答えた。
太陽の国の王子は、不死の魔獣に弓を引く。
弦がギリギリと軋んだ音を立てる。
「風よ、矢に集いて貫きの加護を……奪われる生に、一撃の慈悲を……」
矢に魔力を込める。
指輪についていた装飾の宝石――高純度の魔石が一つ砕ける。
これは少年の切り札だ。
残る指輪はあと二つ。
膨大な魔力を丁寧に編みこんで、遠く、鋭く、そして静かなる必殺の一撃を作り上げる。
その繊細な魔力操作は、鉄と火薬に頼らない弓矢だからこそできる芸当。
これは幼い頃からの夢を犠牲にして手に入れた技術だった。
ゆえに少年は、自分の腕に絶対の自信を持っていた。
矢に込められた魔力は研ぎ澄まされていく。
……準備は、整った。
「――行けッ!」
その言葉と共に、運命の矢は放たれた。
* * *
俺は狂戦士化実用化のための特訓を続けていた。
「グルルルルルル……」
獣の唸り声が、喉の奥から漏れる。
怒りの感情で、無理やり獣の血を騒がせる。
だが、ふと気を抜いた瞬間に、滾っていた熱が引いてしまった。
「……むう、駄目だな」
例えるなら、バンジージャンプで最後の一線が越えられない……そんな気分だ。
「怒るのって、疲れるな……」
どんな怒りも長続きしない。真面目に考えれば考えるほど、どうしようもなくて、そして最終的にはどうでもよくなってくる。
そのせいか、何度も練習してみたが、いまいち切り替えが上手くいかない。
「でも、切っ掛けさえあれば、あっさりといけそうな気がするんだよなー……」
例えば、倒すべき敵が目の前に居れば、あっさりと完成しそうな気がする。
しかし、そうなると狂戦士化の実用化がぶっつけ本番になる。それはなるべく避けたい。
「まあ、何度も試してみるしかないか……」
俺は狂戦士状態の完成度を高めるため、再び目を閉じた。
燻ぶった怒りの感情を呼び覚ます。
気が昂る。血が滾る。
獣の本能が、原初の衝動が、全身を駆け巡ってゆく。
――しかし、今回は暗闇に落ちた視界に違和感があった。
ああ、まただ。
また余計なことが気になって、全然集中できない。
俺は自分にうんざりしながらその原因について考えた。
違和感の正体は……音、かな?
聞き覚えのない、珍しい風の音。
鋭くなった獣の聴覚は、たびたび余計な音まで拾ってくる。
普段なら全く気にならないのだが、狂戦士状態が昂った状態だと、些細なことでも神経が逆撫でられて集中力が途切れてしまうのだ。
それにしてもこの音、だんだんと大きくなってきているような……。
俺はその雑音に苛々しながら過ぎ去るのを待ちぼうけていたが、その正体に気が付きハッとする。
……いや、違う!
これは、何かが風を切りながら近づいている音だ!
俺は咄嗟に身を翻した。
だが、気付いたのがあまりにも直前すぎた。間一髪で避け切れず、それは俺の頬の肉を切り裂く。
飛来したものの正体は、魔力の込められた矢だった。
しかも、鏃には毒が塗られていたらしい。魔獣の修復能力が過剰に反応する。小賢しい真似をしやがって。
矢が飛んできた方向を睨むと、そこには複数人の小さな人影が見えた。
なるほど。どうやら奴らが、丘の上から俺を狙撃したらしい。
――普段の俺ならば、甘ちゃんな俺の思考の俺ならば、まだ対話の可能性も残っていただろう。
しかし、今はあまりにもタイミングが最悪であった。
「糞どもが、無礼た真似しやがって……」
アドレナリンの影響で、短絡的になった頭脳。
怒りに染まった思考が、暴力的な最適解を導き出す。
奴らは、先に攻撃してきた。ならば、敵であるに違いない。いや、まぎれもない敵だ。
だから殺す。慈悲はない。
「ぶち殺ス……!!」
そう、俺たちを害する敵は――皆殺しだ!
皮肉にもこの瞬間、俺は狂戦士状態を完成させてしまった。
頬の傷を再生しながら、俺は怒りのエネルギーを全身に巡らせる。
そして、目障りな敵を排除するため、全身をバネのように縮め、白銀の大地を蹴った。
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