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第二章 亡国の姫君と冬に閉ざされた平穏

魔女と魔獣の魔術教室

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 城に戻った俺は厨房の裏手で、魔女に教わりながら蒼シカの解体作業をおこなっていた。
 前回は捨てた血や内臓も、今回はきちんと処理をしている。
 バケツになみなみと注がれた鹿の血。好奇心で少し舐めてみたが、本当に甘い。生の血だとは思えない美味さに驚かされた。

 蒼シカの処理がひと段落ついたところで、放浪の魔女による魔術講座が開講された。
 シカの血が抜けきるまで待機するである。

「まず魔術を扱う前提として、お主のチャネルを開く必要がある。チャネルというのは……簡単に説明すれば、『モノの見方』のことじゃよ」
「モノの見方?」
 意味がよく理解できず、俺はオウム返しに聞き返した。

「左様。例えばここの風景を見て、お主は何を思う?」
 魔女が示す先を見れば、相変わらず壮大な冬に呪われた雪景色が広がっていた。

「……雪景色だな」
「ふむ、面白みのない答えじゃな。他には?」
「他に?」
 そんなこと言われても……特に語るべきものは見当たらない。
「なにも。ただ真っ白だ。雪と氷と枯れ木以外は、何も見えない」
 たかが景色の感想に何を求めているんだ。そう思いながら俺は答えた。

「そうか。ならばここで質問じゃ。この景色に『青いモノ』はあるか?」
「はぁ?」
 そんなことを聞かれても……雲の隙間から見える空ぐらいしか青いものは見つからない。
「……空?」
 こんな当たり前の回答で良いのか疑問に思いながら、俺はぽつりと答えた。

「正解じゃ。だが、それだけじゃなかろう?」
 魔女から正解と言われて少しだけホッとする。とりあえず、この答えで良かったらしい。

 しかし……まだあるのか。
 だが俺の目に映る範囲には、青いものはもう見当たらない。
 せいぜい日陰になっている所の雪が、若干じゃっかん青味がかって見えるくらいである。

「そう、それも正解じゃ」
 魔女が唐突にそう言った。どうやら、俺の考えを読んだらしい。
「ところで気が付いたか? お主はさっき、この景色を『真っ白だ』と言ったな? じゃが、実際には空は青く、光の加減によっては白いはずの雪も青く見える。どうじゃ? それを意識した今のお主に見えておるのは、もはや単に真っ白な景色ではないじゃろ?」
「いや、それは見方ではなく、単に言葉選びの問題じゃないか?」
 ただの詭弁きべんじゃないか。空が青いのは当たり前だし、わざわざ口にする必要性を感じていなかっただけだ。
 現に俺は、まだこの景色を『真っ白な雪景色』だと表現できる。

 しかし、魔女の考えでは、ただの言葉遊びの問題とは違うらしい。
「言葉にするのに何を意識するか、何に注目するか、何を要らん情報として切り捨てるか。これはそういう問題じゃよ」
 そう言われても……いまいちピンとこない。
 なんと言われようと、目に映っている景色そのものは全く変わっていないのだ。
 意識することで見えているものが変わってくるなんて言われたところで……俺にはとてもそうは思えなかった。

「ふむ……ならば第二問といこう。この景色の中に、実は空よりもなお青いモノがある。それを見つけて、ここに持ってくるのじゃ」
 急に難問になったな。ついでに魔法の鏡も没収された。

 仕方なく自分の目でざっと見渡したが、そんな鮮やかな色は景色の中に見当たらない。
 もし蒼シカが見つかればそれで終わりだったんだが……。

「ヒントは『花』じゃよ。森まで行けば見つけやすいはずじゃ。できれば二十輪は欲しいが、根こそぎ採ってくるのはいかんぞ」
 魔女はヒントを出した。だが……はたして、これはヒントと言えるのだろうか。
 むしろ事実上の条件追加だ。
 てか、後半に至ってはただの要望だ。

 こんな調子で、本当に俺は魔術を習得できるのだろうか。
 俺は少しばかり不安になる。だが魔女のヒントに従って、とりあえず森に向かった。



 冬に呪われた森は、雪の中に枯れ木が立ち並んでいるだけの殺風景な場所だ。
 夜に来ればまた違った印象を受けるが、昼間だとただ物寂しさだけが感じられる。

 とはいえ、実際はオオカミや蒼シカみたいな魔獣ならそれなりに生息しているはずだ。あっちから俺に近づいてくることは基本的にないが。
 そのせいもあって、ここがなおさら生命の気配が感じられない死の森のように感じられた。

 冬の森の中で咲いている花を探せって……普通に考えれば、色指定なんかなくてもかなりの難問だ。
 魔法の鏡を使えばすぐに見つかるだろうが、残念ながら今回は使用禁止。
 これは長期戦になりそうだな。

「だいたい、空よりも青い花? この枯れ木の森に、そんな目立つもの……」
 あればすぐに分かる。
 そう思いながらふと枯れ木の根元を見ると、視界に青いモノが入った。

 まさかと思いながら、その青い物体に近づいてよく見てみる。
 するとそこには、半分ほど雪に埋もれながら、空よりも青いあい色の花が咲き誇っていた。

「……あったよ。青い花」

 それも一本や二本ではない。
 一か所に群生しているわけではないが、枯れた木々の根元を注視すれば、その花は森中に点々と藍色の花弁を広げていた。

「なんだ。よく見ると、そこらじゅうに生えているじゃねえか」

 探すまでもなかった。
 魔女の難題、あっさりとクリアである。

 とりあえず俺は、目の前に咲いていた一本目の花を手折ってみた。
 下向きに咲く藍色の花。
 細長い六枚の花弁は大きく反り返っており、その中央には鮮やかな黄色のしべが存在を主張している。

 決して目立たない花ではない。
 むしろ可憐な見た目とは裏腹に、雪を押しのけて咲き誇るたくましい姿。
 これほど存在感があるのに、今まで気付かなかった事実のほうが不自然に思えた。

 ――いや、違う。
 今まで見ようとしていなかったから、見えていなかっただけなのだ。
 こんな風に、今までも多くの景色を見過ごしていたのだろうか。

「……ってことは、俺って、思っている以上に、いろんなものを見落としているんだな」
 意識一つでここまで見える世界が変わってくるなんて……。

 そう言えば、朝の出来事も同じだった。
 あの朝食事件の発端は、俺が当たり前のことを忘れていた――感謝するという当たり前の気持ちを見落としていたからだ。

 そして今は、見えているはずのものを見落としていた。
 どちらも、見方を変えるだけで、あっさりと解決する問題だったのに……。

 気付いてしまえば、森の中は枯れ木だけが立ち並ぶ殺風景な世界ではなかった。
 昨日まで見過ごしていたモノが、少しずつ見えるようになってくる。

 魔女の言う『モノの見方』。
 その意味が分かった気がした。



 ――俺は無数に咲いていた花の中から適当に二十本を見繕って、魔女の元に持ち帰った。
「その顔を見るに、どうやら儂の言った意味が理解できたようじゃな」
 戻ってきた俺を見るなり、魔女はそう言った。
「お主はどうも、見えているものを無視する癖があるからのう。まあ、気付きさえすれば、後は練習あるのみじゃ」
 ……全部お見通しってわけか。俺は採ってきた花を二十本、そっと作業台の上に置いた。

 魔女は花を確認すると、おもむろに懐から細長いガラス瓶を取り出す。
「なんだ。その花、食堂にでも飾るのか?」
「それでもよいが……この花の名はフランドロープというてな、しべは乾燥させると高価な香辛料スパイスとなるんじゃ。せっかくじゃから集めておこうと思っての」
 そう言うと、魔女はその花のしべを手際よく取って瓶の中に集めていった。

 どうやら魔女は授業にかこつけて、俺に雑用を押し付けていたらしい。
 俺はしべが香辛料となる珍しい異世界の花よりも、魔女のしたたかさに舌を巻いた。

 * * *

「さて、お主が魔術を使うためには、たった今お主が体験したことを、第六感を含めた全ての感覚で再現する必要がある」
 フランドロープのしべを集め終えた魔女は講義を再開する。
「口で言うのは簡単じゃが、開くチャネルを間違えると、取り返しのつかないことになるぞ。心して掛かるように」
「取り返しのつかない? 具体的にはどうなるんだ?」
 俺は好奇心から軽い気持ちで質問した。
「そうじゃな……例えば、死してなお彷徨さまよう亡者や、この世ならざるモノ共の眷属なんかが『見える』ようになる。そうでなくとも、知らなくてもよいことに、気が付いてしまいがちになるかのう」
 ケッケッケッと、魔女はわざとらしく恐ろしげに笑った。

 ……いきなりのホラーだな。
 怖いもの見たさで気になるが……今回は見送らせてもらおう。

死霊術師ネクロマンサーのように、流派によってはそれらのチャネルを開く猛者もさもおるが……お主は無難に自然魔術のチャネルでよいじゃろう」
「自然魔術……響きからすると、火・水・地・風の四属性を扱う魔術か?」
「ほほう、お主は四属性主義者か。これは少し意外じゃったの……」
 その言い方から察するに、他にも属性があるみたいだな。
「地球でポピュラーな考えだったってだけだよ。追加するなら光と闇で六属性とかか?」
「いや、さらに凍結と雷鳴を合わせて八属性。今はこれが主流じゃな」
 八属性か、結構多い。
 なんとなくだけど、氷と雷属性が入ると急にチープというか、ゲームの属性っぽくなるよな。
「ちなみに自然魔術以外に話を広げれば、霊界に繋がるのが冥属性、この世ならざるモノ共と関わるのが裏属性とか邪属性なんて呼ばれることもある……一般的に知られとるのはこの辺りまでじゃの」
 なるほど。“一般的に知られている”のは、ね。
「つまり、そうじゃない属性がもっと存在するんだな」
「うむ! よい着眼点じゃな。なかなか熱心な生徒じゃ」
 魔女は俺のたてがみをモフモフと撫でた。

「実際には、先の八属性だけだと分類不可能な事例が多々ある。
 例えば、生命力そのものを扱う『気』の属性――まあ、無意識の肉体強化も含む属性じゃな。これはエルフ族の間では大樹の属性という意味で『樹』属性とも呼ばれておる」
 生命エネルギーか……なんか、そこからさらに強化系とか変化系とか、具現化系とかに細分化されそうな属性だな。
「……なあ。それって、オーラを飛ばしたりできる?」
 俺がそう尋ねると、魔女はどうしてそんな質問が出たのか首をひねりながらも、彼女の知る限りを答えてくれた。
「以前は気功砲なる技を放つ者もおったらしいが……儂の知る限り、近づいて殴ったほうが早いと豪語する脳筋ばかりの集団じゃのう」
 魔女いわく、彼らの気質は魔術師というよりも武闘家に近いらしい。
「例外は治癒の魔術を扱う者だったり、植物を操るエルフの術師くらいじゃ」
 なるほど、基本的に気属性の方々は、狩人ハンター×狩人ハンターじゃなくて龍玉の世界観で生きているようだ。

「他の例をあげると、最も根源に近い力を扱えるとされる虚無きょむの属性なんかも有名じゃな」
 今度は使い魔を召喚しそうな属性だ。
虚無きょむの属性――それはもしかして、爆発するとか?」
 突拍子もない質問に、魔女は再び首をかしげた。
「爆発……? すまんが儂はそこまで詳しくない。機会があれば本人に直接聞いとくれ。あとは……そうじゃな、執着や妄執に依存した固有属性なんてのもある」
「なんか急にふわっとした分類だな」
 そんな定義では、人それぞれでなんでもありの属性になってしまうだろう。
 強いて具体例を出すとしたら、武器限定でどんな伝説級の奇跡でも投影できたりする……そんな属性だろうか?
 おおう、封印した黒歴史ちゅうにびょううずく。
 特殊な属性って、主人公っぽいよな。いいなぁ、俺も何か目覚めねえかな……。

 その後も講義は続き、魔女はかつての英雄たちが扱っていた固有属性についても軽く教えてくれた。だが最終的に、例外を挙げればきりがないと彼女は結論付ける。
 そもそも属性という概念は、あくまで魔法・魔術を分類して体系化するための目安にすぎないとのこと。
「魔力の在り方など、一人ひとり異なるのが当たり前じゃ。それを明確に分けることなぞ、元より不可能じゃよ。儂の魔法なんかもそうじゃ。一応は風属性となっとるが、その本質はもっと別じゃしな」
 結局、自分が一番納得できる考え方を模索するのが大事なのだ。魔女はそう教えてくれた。

「……なあ、今さらで悪いんだが、魔法と魔術の違いってなんだ? いまいちよく分かってないんだが」
「ふむ……簡単に言えば、学ぶ難易度の違いじゃな。体系化されていて、誰でも学問として研究できれば、それは魔術。体系化ができんほど謎で、原理がよく分からんかったり、あるいは生まれ持った適性や才能に依存する技術だったら魔法じゃ。
 だから儂がお主に教えられるのは、体系化された魔術と、儂自身が持っておる魔法だけってことじゃな」
「あんたが持っている?」
「魔女と称されるものは例外なく、『魔法』の領域にある技術を持っておる――ちなみに、儂の魔法はこれじゃ」
 作業台の上に、どこからともなくもう一頭の蒼シカの死体がドスンと現れた。

「こ、これは……!」
 何もない空間から突然現れた。作業台の上に横たわっているのは、間違いなく俺が昨日獲ってきた蒼シカだ。
 もしや、異世界転移モノの定番の――。
空間収納アイテムボックス……!」
「理解が早いの。そう、儂の魔法は『空間』じゃよ。見てのとおり、作り出した空間にモノを収納したり、あるいは空間転移をおこなうことができる」

 昨日の狩りの成果。
 いつの間にか消えていて、どこへ行ったか行方知れずだったが、魔女が空間収納の魔法で保管していたようだ。
 しかも丸一日放置された割に、昨日から鮮度が変化していない様子。

「まさか……収納中は時間も止まっている?」
「ふふん。もっと儂のことをあがめてもいいんじゃぞ?」
 自慢気な表情で魔女は暗に肯定した。

「これは――素直にすごいな。でも魔法ってことは、これを俺が覚えるのは難しいのか?」
「いんや、空間収納やただの転移に限って言えばそうでもない」

 空間魔法の体系化はできていないため多少才能に左右されるそうだが……それでも、使える者は結構いるとのこと。
 才能と頑張り次第では、俺にも使えるようになる……かもしれないらしい。
 それはいいことを聞いた。この魔法は最優先で練習しよう。

「もっとも、ともなれば儂ほど気軽にできる者はおらんがの――故に、わしの二つ名は『放浪』。何人なんびとたりとも捕らえられぬ『放浪の魔女』じゃ!」
 ここで彼女の口から二つ名の理由が明かされた。

 目の前で得意気に振る舞う幼女。
 この魔法が当たり前に存在する世界においてでも、ほぼ唯一となる異世界転移能力者。

 俺が思っていた以上に、彼女はとんでもない魔法使いだったようだ。
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