竜の国の侍従長

風結

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四章 英雄王と侍従長

炎竜に食べられちゃった少年

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「じゃあ、テルミナ。エクーーエクーリ・イクリアという〝目〟のことは知っているかな」
「ああ、母から聞かされた。その男に気を付けろ、と。それがどうかしたか?」
「いえ、こちらの事情なんですが、今僕は、そのエクと行動を共に、というか、彼を雇って使っています。エクに気を付けろ、と言われたのは、ですか?」

 言い方は悪いが、エクがこんな美味しい状況を見逃すだろうか。

 彼は、王城の近くに居た。僕と再会してから、この一件に係わるようになったと思っていたが、いや、魔力の発生源に係わるようになったのは、そのときだったのかもしれないが、それ以外のことにはすでに根を張っていたと見て間違いないような気がする。

 はぁ、エクのことは、雇用者責任があるので、ぽいっとするわけにはいかないので、まったくもって、非常に面倒くさい。

「五度目の聖伐を止めることは敵わなかった。王権が弱まり、貴族たちが蠢動している。彼らは母の策謀を知らない。功を競う彼らは三つ目の罠の、餌にされる。戦渦を撒き散らして、被害を拡大させて、今ある秩序を破壊してーー。
 私が恐れているのは、フフスルラニード王だ。彼の王が、母より劣るとは到底思えないのだ。現在の、緩んだ国に、危機感を抱かせる為に、敢えて民を犠牲に、差し出そうとしているのではないか。そう思えてならないのだ」

 テルミナの予想通りなら、結果として、犠牲は少なくなるかもしれない。然し、それは正しい遣り方なのだろうか。能力が足りず、そうなるのならわからないでもないがーー、

「ーーっ」

 ずざっ、と魂を引っ掻くようにして吹き抜けた。

 ゆくりなく生じた、不安というか猜疑というか、空恐ろしいような違和感、とでも表現するのが適当かーー。

「百。テルミナ。何か感じた?」

 僕と同じく、北東に顔を向けている一竜と一人に尋ねる、というか、確認する。

「何か……、魔力の塊というか、予感のようなーー」
「ここまで気付かぬとは、抜かったわ。魔力をまったく抑えておらんな。余裕でも噛ましているつもりか」

 迷っている間などない。僕は歯を食い縛って立ち上がる。

「テルミナ。兵の後退を急がせて。僕たちは最前に出る」
「り、了解したっ。ご武運を!」

 〝目〟を母に持つだけあって聡明らしい、察したテルミナが僕たちから距離を取る。

 百の肩に手を置いて、飛び乗るように跳躍すると、百が「人化」を解いて、ぎぃぃっづぅ!?

「っ!!」

 我慢我慢我慢っりゅうもがまん平気へっちゃらへのへのへっひゅるるんひゃっこいがちがちあっちっちーで百や花咲く竜日和っしったものか

 百の炎を身の内に、循環させるように、襲われるとわかっていた、ずきずきずきんっなあんちくしょうの撃退に向かわせる。

 然ても、酷いものだが、大丈夫、体は動かせる。僕が座り込んだ瞬間、いや、それを待ってから百が舞い上がる。

 僕の気を逸らす為だろうか、百が話し掛けてくる。

「然ても、主よ、気付いておらぬのか? 『異を唱える者などいはしない』とテルミナという女が言うておったが」
「ん? それがどうかした?」
「主が勘違いしやると、あの女があわれ故、言うのであるがな。異を唱える者はいない、と言い寄られたことを自覚しやれ」
「は……?」
「名を呼び捨てにしろ、との求めに、主は応えた。要は、思わせ振りな態度を取るな、ということだ」
「……そう、なのかな?」
「知らぬ」

 ぶぶー、との鼻息。拗ねている、のかな?

 男女の間に友情など存在しない、と断言する人間がいるが、たぶん、きっと、そんなことはないと思う。

 僕の周りに……いないのは、うん、やめよう、落ち込む結果にしかならないのだから、風竜の風に乗せてーーと、ラカの風の心地を溢れさせて、前方の魔力以外の雑多なものを吹き払う。

「間に合う、かな?」

 レイドレイク軍の先鋒、火付け役は、今や火消し役、最後尾となっている。

 テルミナの、「豪弓」の威光か、フフスルラニード軍の追撃があるわけでもないのに、武器や防具を捨てての全力での遁走、いやさ撤退である。

 どうやら見誤っていたようだ、彼女は少ない情報の中から、最善手をった。いや、それを最善となさしむる為には、テルミナの期待に応えなければならない。

 レイドレイク軍は、真っ直ぐ、線状となるように退いていた。

「失敗しようものなら、主の名誉が傷付こう……」
「僕の名誉なんてどうでもいいんだけどね。竜との断絶、何よりラカとナトラ様に、ーーさせるわけになんかいかない」

 両の手を握り締める。痛みより、怒りが勝る。

 まただ、また。僕の思慮が足りない所為で、見逃してしまった。気付いてみれば、予想できた、予測できたことだったのに。

 ボルンさんが言った、妄信。何度同じことを繰り返せば気が済むのか。今回は更に酷い。僕は、その為の機会を態々与えてしまったのだ。

 いや、そうではない。今すべきことは、後悔している暇があったら、心に抱け。これから来る、桁違いの魔力ものに、抗うーー受け容れられるだけのものを。

「ーー百。僕が飛び出したら、減速して、後ろの、皆を護ってあげて」
「……主よ、失敗など許さぬ。我にここまでしておいて、先に還るなど、ーー呪ってやろうぞ」
「百の呪いねがいなら、それもいいかもしれないけど。嘘吐きな百には『おしおき』しないと。だから大丈夫、失敗はするかもしれないけど、百の許に戻ってくるよ」
「…………」

 わからないけど、わかる。

 判別できないくらいに小さいが、間違えようがない。ラカの魔力と、ナトラ様の魔力。敵意を、いや、それすらない純粋な暴虐な、君臨する者の意思ちから。それがねじ曲げられている。

 体が震える。これは怒りなのだろうか。嘗て、みーを操ったエルタスに対しての感情と、似ているようで似ていない、近付いてしまったが故の、理解してしまったが故の、遣る瀬無い何か。然りとて、想いに引き摺られるわけにはいかない。

「……、ーーっ!!」

 東域を呑み込むが如き魔力の伸張、爆発的なようで、狙いは確実に一つに、僕たちを捉えている。

 空間が軋むような暴風と、巨大過ぎてもはやどう譬えたらいいのかわからない岩の塊が、須臾、心を軋ませて、怯ませるが。皆の安否だけでなく、二竜の心胆まで、百の炎で身を焦がして、純粋な衝動として昇華させて駆け出す。

 鼻先から飛び上がって、世界を覆い尽くすほどのーー僕の存在の矮小さ故に思ってしまった、その間際に、その余りに小さな、微かな痕跡のような風と岩を高みから見下ろしてーー。

 ああ、意識が引き寄せられる、見える、見えてしまう、ナトラ様の竜頭の上で、エルタスと「英雄王」が、彼の表情が、千周期の行き所を失ったーー、

「邪魔をするなっ!!」

 しゃしゃり出てきた「千竜王ばかやろう」を、駆逐して破砕して撃滅して、それでも何事もなかったかのように存在だけがなくなった余計な「千竜王もの」を踏み付けて、圧倒的な、コウさんの魔法に匹敵するのではないかと思えてしまうくらいの、世界そのものを相手にするような、絶望的なちからの前に身を投げ出して。

「…………」

 先ず、大気を引き裂くような、風の悲鳴が消えた。鼓膜こまくが破れたのかもしれない。

 痛みが消えた。痛みが過ぎて、何も感じなくなっているのかもしれない。

 視界が途切れる前に目を閉じて、喉が潰れる前に口を閉じて。もう、何もなくなってしまったのかもしれないけど。

 ーーそれでも。それでも僕が残っているのは、留まっていられるのは、これがラカの風だから。性質が変わっただけで、意思を歪められているだけで、僕が風竜のここちを見失うはずがない。

 風が僕を壊しているような感触が伝わってくるが、僕は風を受け容れて、そこに重たいものがぶつかってきて。

 見えないのは、実感できないのは良かったのかもしれない。体が弾かれる、刹那に、風を溢れさせて、巨岩を粉微塵にする。

 竜の魔力が世界に還っていくのを感受しながら、消し飛びそうな意識を繋ぎ止めて、こんなところで、中途半端なままで人任せに、竜任せになど出来るわけがない。

「……っ」

 この速度、勢いは不味い。

 左腕は駄目になっている。残り三本を使って、百の頭と背中か、減速しながら、手足は壊れてもいい、命さえ拾えれば僕の治癒能力でーー、

 ぱくっ。

 ーー、……あ、と、その……、いや、実際にそんな音がしたわけじゃなくて、何だか弾力があって凄くぬくくて気持ちいいような感じなんだけど、って、そんなしみじみと浸っている場合じゃなくてっ!

 機転を利かせてくれた百が、僕を口で受け止めてくれたようだ。恐らく、ぷっ、と地面に吐き出すか、空中に噴いて竜頭の上に乗せるかしてくれるのだろう。

 僕は、口から出し易いように体を丸めて、意図を了解してくれたのか、百は僕を、

 ごっくんっ。

 ……は? ……へ?

 食べた? 食べられました!? 食べられてしまいました??

 いや、正確には呑み込んだというほうが、って、そんな表現の仕方を気にしているーーん?

「……、ーー」

 僕の居周りが明るかった。

 目が見えないのに見えるという、いや、感覚を超えた何かが知覚しているのか。自覚した途端に、氷竜と雷竜がわさわさと、本当に遣って来てくれたならどれほど良かったものか、明かりは僕から発して、いやさ、溶け出して、或いは抜け出していた。

 ーー竜は食べたものを魔力に還元する。

 思い至ったことが原因なのか、爆発的に拡がって、明る過ぎて先が見通せないほどの、光竜の息吹を……あ、これはやばい……。

 僕にも魔力があったのか、と思ったが、どちらだとしても、それは僕が失われていっているということの証左なわけで……。ああ、わかる。わかってしまう。そろそろ駄目だ。駄目そうだ。身動きどころか……、もう…考えることさえ……。

 ぺっ。

 意識を失う瞬間、まるで祝福のような、炎竜びゃくぼくを吐き出す音が聞こえたのだった。
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