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3話 仲間を集める姫
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「どっひゃああああぁ~~っっ!!」
あたしは腹の底から感嘆と歓喜の入り混じった大声を大空にぶっ放した。
でもよ、あたしの声なんて、ここじゃあまりにちっぽけで、遥かな情景に吹かれてなくなっちまう!
いや、だってよ、そうなったって仕方がねぇって! 雲の上っ、雲の上だぞ!
「クロクロクロクロクロロクロっ! よっしゃーっ! 宙返りだ!!」
「どうなってもしりませんよ。では、姫さまの御年に合わせて、『十五回転宙返り』」
「ふひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃ~~っ、ーーあ」
あー、落ちた。
クロの竜頭から、雲の中に。
……って、もしかして、これって不味いんじゃねぇか。子供ん頃、雲に乗りてぇとか夢見てたけどよ、現実ってのは湿っぽいもんなんだなぁ。
クロがさっき、雨の素だ、みてぇなこと言ってたけどよ、湿っててちょいと寒ぃし、……ってか何だ、笑いが込み上げてくる、ふはっ! なんも見えねぇ! 真っ白白だ!
「一日、お休みになったのは失敗だったかもしれません。飽和していた神聖力に、姫さまの頭が侵されてしまわれました」
「酷ぇこと言うな。クロの言う通り、どっかに疲れが溜まってたみてぇだな。めっちゃ頭がすっきりしてやがる」
雲を出る直前に、クロの竜頭に着地、というか着頭か? 雲底から雲を押し退けるように巨体が姿を現す。
ほんと、笑っちまうくれぇの、これが生き物かよって思っちまう、生物種の頂点。
あたしは角につかまりながら身を乗り出して、もう一度「竜化」したクロをざっと概観する。
鱗やなんやで、もっとゴツゴツしてるかと思ったが、見た目は滑らかっていうか、艶めかしくもある。敵として現れたんなら恐怖しかねぇだろうが、こうやって見ると、本当に、美しい生き物だ。
物事を極めると美しくなる、とか誰かが言ってたが、最強っていうのは機能的にも見応えがあるってことかね。
「……んー?」
まあ、そうなんだけどな。なんか違和感もあるんだよなぁ。
喉に引っ掛かるどころか、まだお腹ん中って感じなんだけどよ、なんつーか、「これじゃねぇ感」ってのがある。
「悪ぃな、クロ。実はよ、宝窟での竜頭は、魔術か何かで竜を騙ってるんじゃねぇかとか思ってたんだけどよ。……ぅうおぉ~っ、黒竜様っ、万歳!!」
「はいはい。黒竜様は凄いですから、少しは落ち着いてください、姫さま」
くっ、あたしがはしゃいでる分、逆にクロは冷静になっちまってるのか、黒竜の癖して白い目で見てきやがる。
「もう着いたのか? さすが竜の翼、一っ飛びだな」
クロが降下し始めた。って、何だこりゃ。うぞぞって感じの、用を足したくなるみてぇな変な心地は。
「近場にありますからね。一年に一度、三日間だけ休日をいただいていた理由です」
「ああ、クロがいねぇ『御褒日』か」
「姫さまが造語を用いるくらいに、楽しみにされていた期間ですね。傅役がいぬ間の、ご友人方とのご旅行は楽しかったですか?」
「ったく、態々傷口抉ってくれんな」
ミースや孤児院の餓鬼たち。楽しかった思い出。
軋もうが、前に進む。それができねぇ弱さなんてもんは捨てた。あたしは、あたしができる最後のことをーー。
「姫さまのことですから、もう瘡蓋になっているでしょう。いつでもお申しつけください。このクロッツェ、瘡蓋を剥がす準備は出来ております」
ちくしょうめが。さすがに竜相手じゃ、殴ってもあたしの手が痛ぇだけだ。
「山脈ーーみてぇだが、どこなんだかなぁ?」
アペリオテス国から北へ。
さすがに地図がねぇと、どこの国だがわかんねぇ。隣か、そのまた隣の国か、高嶺に向かって舞い降りて……ん?
「なぁ、クロ。これって、黒竜様が現れたって、地上じゃ大騒ぎになってるんじゃねぇか?」
今更気づいたんだが、あれ? もしかしてこれって、あたしの所為か?
「何を仰っているのですか。姫さまが『クロに乗っていく』と宣言され、私が嫌がって断ると問答無用で顔面を殴られ、『げっへっへっ、秘密をバラされたくなけりゃ、言うこと聞きやがれ』と脅されたので、泣く泣くこうして姫さま専用騎竜になっていますのに」
半分くれぇは本当のことだから、面倒臭くて黙ってると。更に余計なことまで言ってきやがったから、うっかり反応しちまった。
「『騎竜姫』とでも名乗られては?」
「やめろって。あたしは狩人じゃねぇし、卑怯な手段で勝った奴と番になるつもりはさらさらねぇ」
だがまぁ、考えさせられる話ではある。
「薔薇の姫」を巡って、他国の王族同士で様々な駆け引きがあったとか聞いてる。ラスを選んだあとも、横槍が多かったって、兄貴が教えてくれた。
親父のことだから、あたしがラスに決めなけりゃ、クロの入れ知恵を採用して、「姫さま争奪戦争」とか開催しかねなかったーーって、クロが変なこと言うから、妄想が大爆発しちまったじゃねぇか。
「あー、クロの『三日間』って来月だったっけか?」
「そうですね。黒の月の、建国日のあとにいただいていました」
「予定より早く来ても、怒ったりしねぇか?」
「はっはっはっ、姫さまではないのですから、シロンは、そのようなことで怒ったりなどしませんよ」
あたしだって、ちゃんとした理由があって早く、或いは遅れたんなら怒りゃしねぇよ。
どういうわけか「薔薇の姫」は病弱とか思われてたからよ、ふざけた理由で遅れた奴がいたときは、倒れた振りして非難囂々に。場合によっちゃあ「薔薇の姫」争奪から脱落させてやった。
「何の変哲もねぇ入り口だな」
山肌に、ぽっかり空いた穴。クロだと少し屈まねぇといけねぇか。
見回すと、まさに大自然って感じの光景。こんなとこ、千年に一度だって人はやってこねぇだろ。この穴の奥に、シロがいるのか。
ーーまあ、初対面だしな。
猫万匹は大袈裟だし、半分くれぇにしとくか。
うしっ、猫ども! ここは寒ぃから、温泉にでも浸かるぞっ、こいやぁ!
にゃー。にゃ~。
にゃー。にゃ~。
にゃー。にゃ~。
にゃー。にゃ~。
にゃー。にゃ~。
くぅ~、防寒着は着たけど、それだけじゃ足りないわ! にゃんこ温泉でぬっくぬくよ!
「『光球』だけじゃなくて、『炎』ーーは不味いわね。『熱』の魔術か何かを使ってくれてもいいのよ?」
「『熱』ですか? できないことはありませんが、基本、温めた分だけ冷やさないといけません。帰り道が寒くなっても構わないのでしたら、やって差し上げましょう」
クロッツェは嘘吐きだから、どこまで本当かわかったものではないけど。大抵のことには代償が必要だってことは、よくわかるわ。ここまで乗せてきてくれたのだから、それだけで満足すべきね。
魔術で均したのか、歩きやすい通路。
天然の洞窟を整備したのかしら? と岩肌に触ったら、前方で明かりが灯った。
どくんっ、と脈打った心臓を宥めるために、はい、深呼吸~。
……もう一度よ、ふぅ~。
「…………」
よしっ、女は度胸! ああ、でも愛嬌もほどほどに持っておかないとね。
クロッツェは大丈夫だって言ったけど、だからこそ信用ならないというか。いえ、自分で決めてここまで来たんだもの、あとは前進あるのみ。
心持ちゆっくりと、通路の先の、淡い空間に足を踏み入れるとーー。
すたすたすたすた。がばっ。
「見て見てっ! クロッツェっ、白いっ、白いっ、白いわ! クロッツェの黒ばっかり見てたからっ、すっごい白くて新鮮よ!」
「クロッツェは寂しゅうございます。姫さまは、黒よりも白のほうがお好きなのですね」
「ねぇ、ねぇっ! シロンっ、シロンって呼んでもいい!?」
「私のことは無視でございますか。シロン、嫌だったら嫌だと、はっきりと現実を突きつけてあげるのも優しさというものですよ」
「はふ? クロッツェさんが連れてきた人間なら、クロッツェさんみたいなものなので、クロッツェさんみたいに、シロン、と呼んでもらっても構わないです」
「うっわ~、凄いわっ、クロッツェ! これまでで最高の毛ざわりだった『猫姫』よりも上質な髪ざわりよ!!」
「姫さまの二つ名には『髪姫』もあったはずですから、ご自身の髪を触られればよろしいのでは?」
そう言いつつ、私とシロンの髪を触って確かめるクロッツェ。
ーーにしても、ここは物がないわね。
竜が寝転がれるくらいの大きさの空間に、絨毯がぽつんと申し訳程度に置かれているだけ。もとは良質なものだったのかもしれないけど、どれだけ使っているのか、色落ちした絨毯はボロボロだった。
そんなボロ絨毯に座っていた、同い年くらいの少年。あまりの白さに物珍しくて、背後からがばっと抱きついちゃったけど。
物凄く失礼なのかもしれないけど、シロンは怒ってないようだし、肌の触り心地も途轍もなくて、うん、拒否されるまではくっつき決定よ!
「服は、凄いわね。ふわふわのひらひら、斬新ーーというか、これは古風?」
「ふゆっ! そうなんです! 僕の服はっ、クロッツェさんが作ってくれたんです!」
おー、なんかわんこみたいね。尻尾があったら、竜巻が起こりそうなくらい、ぶんぶん振られてるかしら。
顔の作りも繊細で、ーー男の子よね?
「シロンは、男の子?」
「ほふ? 女の子のほうが良いですか?」
「え? それってどういう……」
「ああ、姫さまはご存じありませんでしたか。竜は、男性体と女性体の、どちらにでもなれるのですよ」
何ですって? この傅役っ、どうしてそういう大事なことを先に言わないのよ!
「シロンっ、女の子! 女の子に変身よ!!」
「それですと陳腐な感じがするので、格調高く『変身』くらいのことは言ってください」
ほんと、うるさいわね! 用語なんてどうでもいいのよ!
今っ、重要なのはっ、シロンが女の子になれるっていうーーもっと可愛くなれるかもしれないっていう蓋然性の話なのよ!
「なふ。僕の服には魔術が掛けられているので、お姫さんは……」
「リップスよっ、リップス! シロンは名前で呼ばなくちゃ駄目よ! 次点で、『お姉さん』でもいいわよ!」
「……ほむ? とりあえず、危ないのでいったん離れてください、リップスさん」
むむ? シロン、意外に冷静なのね。柔らかい雰囲気で、言葉もふわふわしてるけど、芯はしっかりしてるのかしら?
わくわくどきどきそわそわ、の「わく」の時点でーーちょっと残念ね、もっと神秘的なものが見られると期待してたのに。
あっさりと、入れ替わるようにして女性体になった。
肩までだった白髪が、ふわりと舞って、絨毯まで。これもクロッツェのデザインなのかしら、ドレスとも違う花のような服がシロンを飾り立てる。
惹き込まれるような金の瞳が、少し大きくなったような? ーーと、冷静さを装えるのもここまでで……。
……いえ、ね。……その、ね。……、ーーくっ、もう! 無理よっ、不可能よっっ!!
「何これっ! 欲しいっっ!! 持って帰るわっっっ!!!」
うっ……きゃああああああああああああっっ!!
抱きついただけじゃ足りないわ! すりすりもっ、もみもみも必須よ! 必至よ!
「姫さま。持って帰るとは、どこへ持って帰られるのでしょう。竜が飼える場所など、用意できるのですか? それに、飼うなら、最期まで世話をしなければいけません。途中で投げ出されてはいけませんよ?」
「……わかってるわよ。言ってみただけよ。言葉の文というやつよ」
もみもみもみ、私は、もみもみもみ、負け惜しみを、もみもみもみ、言った、もみもみもみ。
すりすりすり、どうしよう、もみもみもみ、止まんない、すりすりすり、私のより一回り大きくて、もみもみもみ、ーーん? すりすりすり、あれ……?
「ーーーー」
シロンを見ると、駄々洩れだった私の、よくわからないものが潮が引くように萎えていって。
見兼ねたのか、クロッツェは私ーーじゃなくて、シロンを戒める。
「ほら、シロン。演技を忘れていますよ。人間は状況というものを大事にするのですから、無反応はよくありません」
「もふ? ーーあっ! 女の子になったのは久し振りなので、クロッツェさんに教えてもらったことを忘れていました」
もみもみしても、すりすりしても人形のようだったシロン。言い終えると、ぐにゃっと体から力が抜けて、私に寄り掛かってきた。
抱き留めた私は、意図せず、もみっとしてしまったんだけどーー。
「きゃふっ…あんっ、……リップ…スさん、そこは…ぁ、もっと優しく……してくだ…やぁんっ」
不味いわ、どうしよう、手が止まらないーーもみもみもみもみもみもみもみもみ……ごふっ。
……大丈夫、私はまだ大丈夫、鼻血は出てないし、お持ち帰りしたいけど、子供は自分で産みたいと思ってるし、可愛いものが大好きなだけで、男より女が好きとかそういうわけじゃないからーー。
「凄いわね、これってクロッツェの仕込みなの? シロンの体温が上がって、心臓が脈打って、汗で湿って、……これは媚薬? 凄くいい匂いがするんだけど」
「何を仰います。姫さまだって、『媚薬』とか陰で囁かれていましたよ」
違うわよ。聞いてるのはそんなことじゃないわ。
これが演技というのは凄いわね。体の状態まで操れるなんて。
クロッツェに仕込まれたそうだから、傅役の振りつけの手腕が優れてたのかしら?
「でも、まあ、褒めてあげるわ。巨匠の称号をあげるわ」
「いえいえ、私など、名匠で十分でございます。気に入られたのでしたら、姫さまにも仕込んで差し上げましょうか?」
やめて。これ以上、クロッツェの玩具になるつもりはないわ。
より高みを目指そうという気概は買うけどね。
「り…リップスさん……、も、もう……堪忍して…つかぁさい……」
……堪忍?
クロッツェを見ると、すぃ~と目を逸らされた。
まあ、仕込んだのは相当昔のことだろうから、傅役の趣味嗜好についてとやかく言うつもりはないわ。
「被害者第一号」とか言いたくなってくるけど、「第二号」とか言われるのは嫌だから、口に出すのは控えておこうかしら。
「ん~、シロン、何だかクロッツェの言いなりみたいだけど、それでいいの?」
「わふ? 僕には、何かしたい、とか、どうしたい、とか、そういうのはないので、クロッツェさんが僕で遊んでくれるのは、凄く嬉しいです」
やりすぎてないわよね? とクロッツェに非難の眼差しを向けたら、ああ、見なければよかった、煌びやかな笑顔を返してきやがったわ。
さて、どうしようかしら。
言葉は悪いけど、シロンはクロッツェに服従と言える水準で制御下にある。クロッツェを通してとなると、不確実性が高くなってしまうからーー。
「シロンは、白竜ーーハクイルシュルターナ様は……」
「まふ? 僕はクロッツェさんーー白竜のハクイルシュルターナではなくて、黒竜のクログスヴェルナーです」
……何ですって?
「あわっ! そういえば、見た目からではわからないです。僕はクロッツェさんに改造されたので、見た目は白竜っぽくなっています」
「……クロッツェ?」
「私は、自身が白竜であることに違和感を抱いておりました。ただ、私が黒竜になると、黒竜が二竜になってしまうので、シロンには白竜になってもらうことにしました。まず、シロンを改造して、安全性が確かめられたので、自身にも施しました」
今、洒落にならないことをクロッツェが言ったのだけど。シロンはまったく気にしてないわね。
どれだけおかしいと思っても、当人同士が納得しているのなら、口出しすべきではないわね。私は、自分の価値観が絶対だと思っている馬鹿じゃないから、悪感情を持ったとしても、否定だけはしないようにしてるのよ。
「というか、シロンに夢中になって忘れてたけど、クロッツェも女性体になれるのよね?」
「いえ、私は女性体にはなれませんよ」
「え?」
なになに? もしかして、クロッツェの弱点発見?
「おふっ、惜しいです、勿体ないです、また見たいです。クロッツェさんは、華やか、というか華美という感じなので、ーーあ、でも、胸がおっきくて邪魔なので、くっつくなら今のままのほうが良いです」
シロンの言い様から、絶世の美女とか、そんな感じなのかしらね。今が今だけに、それには驚かないけど。
さても、女性体になれない理由を、根掘り葉掘り聞かないといけないわね。
「それについては、次の竜に会ってからにしましょう。それに止まらず、姫さまには知っていただかなくてはならないことがありますので、そのほうが効率が良いでしょう」
先手を打たれた、ということではなく、ただ事実を言ってるだけ、に見えるけど。
まあ、いいわ、クロッツェが言うのなら、きっとそうなんでしょうし。であれば、もう一つのことに目を向けないと。
シロンは、私がクロッツェの玩具だから、それなりに尊重してくれてるし、たぶん、お願いも聞いてくれるかもしれないけど。
当然、それは傅役の言葉には優先されないのよね。
この部分をどうにかしないと、どこかでしっぺ返しを食らうことになるかもしれない。
「そうね。シロン、私と戦ってみない?」
「ふみ? それは、ちょっと……。クロッツェさんのものを消滅させてしまうのは、あまりやりたくないです」
元々そんなつもりはなかったけど、何気なく口から零れたシロンの言葉に、冷や汗を掻いてしまったわ。
これ以上くっついていると、竜の鋭い感覚で私の状態を察知されてしまうから。シロンの背中から離れて、正面に回る。
「ふふっ、戦うと言ってもね、方法は様々よ。だから、今回はね、私とシロン、どっちがクロッツェのことに詳しいか、『謎掛けクロッツェ』で勝負よ!」
どどんっ、と大袈裟な演技で差し出したら。
ーーどうしたのかしら。二竜とも黙りなんだけど。
「申し訳ございません、姫さま。傅役として、私の力不足でした。姫さまの才能を伸ばすことができませんでした」
「何よ、クロッツェだって、命名に関しては、私と同水準じゃない。いいわよ、なら、略して『謎クロ』。クロッツェに関することを出題して、間違えたら負けよ」
「まふ! クロッツェさんのことならっ、僕は負けません!」
「あらあら、凄い自信ね。じゃあ、私から出題するわよ、答えられるかしら?」
「がふっ、どんと来てください!」
ふふっ、単純ね。先手を取った以上、これで勝ちも同然。
卑怯とか言わないでね。戦いというのはそういうものなのよ。クロッツェには及ばないけど、嘘吐きーー猫被りでは、早々負けたりなんかしないんだから。
「じゃあ、簡単な問題からね。ーークロッツェの好物はな~んだ? さあ、答えて!」
「わふ! 答えはっ、ユファです!」
速攻で断言するシロン。
これで私の勝ちーーなんだけど、何か腑に落ちないわね。そもそも、ユファというのは何なのかしら? 食べ物よね?
クロッツェは、前回の「三日間」のあと、店長さんの新作パン、「姫パン」ーー「薔薇の姫」をイメージして作ったものらしいわーーが好物になって、毎日毎日四つ買ってきては、一つを私に渡してきたのよ。
まあ、美味しいから勿論食べるんだけどね。
私の変装に、女将さんは気づいていたのに、店長さんはまったくで。「薔薇の姫」の笑顔だという、猫の顔みたいな形のパンを私に渡してきた。
ーーととっ、そんなことを思い出してる場合じゃなかったわね。
兎にも角にも、これで私の勝ち、勝利宣言をーー、
「シロン。ユファは、もう絶滅していますよ」
何かしら、クロッツェが口を挟んでくる。
ユファが何なのかわからないけど、どちらにせよ絶滅してるのなら、なおさら答えからは遠ざかったわね。
「あふ? そうなんですか? でも、それは問題ないので、正解です」
は? どういうこと?
「ええ、シロンの答えで合っています。私は、ユファが絶滅する前に、冷凍保存しておいたので、今度、シロンにも振る舞いましょう」
「ふわっ! クロッツェさんの手料理は久し振りです! 楽しみです!」
ちょっと盛り上がってるところ悪いんだけど、私にもわかるように言ってくれないかしら。などと戸惑っていたら、笑顔満面のシロンが出題してくる。
「はふ。では、次は僕の番です。リップスさんが簡単な問題を出したので、僕も簡単なものにします。ん~ふ? そうですっ、これにします! クロッツェさんがこれまで倒した敵の数を答えてください!」
「…………」
……やばい。これ、何かおかしいわ。
なぜか勝負は続いて、私が答える番になってるし、クロッツェもシロンも、当然という顔をしてるのよね……。
くっ! でも、負けるわけにはいかないから、答えなければいけないんだけど……、だけど……っ!
クロッツェが倒した敵の数なんて知るわけないじゃない!!
でもでもっ、そんなこと考えてる場合じゃない!
これは普通に答えても駄目。とりあえず、答えの候補は幾つかある。クロッツェが審判みたいなものだから、これはイカサマのない歴っきとした純然たる勝負ーーん?
「どうしました? 姫さまが答える番ですよ?」
また、クロッツェが絶好の時機で邪魔してくるけど。
ーーああ、わかった気がするわ。
「ふふっ、簡単ね! 答えはね、たくさん、よ!」
内心の動揺を兆すことなく、一番可能性が高そうな答えを、ざらっと差し出す。
「あふっ、正解です! 僕はクロッツェさんが倒した敵の数を知らないので、たくさん、とか、いっぱい、とか、でら、が正解です!」
……でら?
いえいえ、そんなことに構ってる場合じゃないわ!
これは不味いっ、でら不味いわ!
片目を瞑って、小首を傾げて、顔の前で指を振ってるシロンが可愛すぎるけどっ、抱きついて撫で撫でしたいけどっ、一切合切ぜんぶ後回しよ!
シロンがふわふわしてるから、私の精神もふわんふわんしちゃって、完全に勘違いしてたわ。
そう、これは竜との勝負なのよ。竜とのーー対等な勝負。
私は、一度だけクロッツェに勝った。でも、それだって、クロッツェの失言と、ラスティが落命しているという偶然の上に成り立つものだった。
ラスティが生きていれば、私は財宝に手をつけることなんてしなかったし、勝ちを拾うことはできなかった。
さっき、クロッツェが審判ーーということを考えて、遅蒔きながら気づいた。
対等な勝負であるなら、相手が答えられないような問題を出す場合には、後先は関係なく、お互いが問題を答えたあとに勝負が決まる。
でも私は、「私から出題する」と言った。
先手が有利にならない勝負。
つまりこれが対等な勝負なら、相手が答えられるーー答えにつながらない、答えられないような問題は出してはいけないってことになるのよ。もしそんな問題を出したら、その時点で負けが決定。
「ーーっ」
シロンは、ユファのことを私が知ってると、それだけでなく、クロッツェが冷凍保存してることまで知った上で問題を出したと、そう誤解したのよ。
誤解ではあったんだけど、シロンはそこまで考えて、見通して答えた。私は偶々負けなかっただけ。運が良かっただけ。
シロンの出題もそう、自分がクロッツェが倒した敵の数を知らないことを前提に、きちんと私が答えられる出題をしてきた。
これってーー、
「姫さま。何か誤解しているのかもしれませんが、シロンは竜です。こんな風に、ぽわぽわしているように見えても、竜なのですよ」
そうよ、これって、完全に「知恵比べ」じゃない!
……しくじったわ。「私から出題する」という言葉は、どうとでも取れる表現だった。
当然、クロッツェが見逃すはずがない。私が自身の落ち度に気づけない内に、傅役好みの流れに誘導されてしまった。
「ぶふっ! クロッツェさんが僕を馬鹿にしています! 僕だって竜です! 僕より賢かった人間なんて、ほとんどいませんでした!」
「おや? シロンより賢い人間がいたのですか?」
「んふ? そういえば、いなかったような気がします」
やばいっやばいっやばいっやばいっっ、ヤバすぎるわ!!
勿論、そっち方面のことだって、手は抜かなかったわ。でも、私は「聖女」と呼ばれはしても「賢者」とは呼ばれなかった。
実際、父さんや兄さんには、頭では敵わなかった。
そんな私が、父兄よりも断然上であるだろう竜に勝てるとでも?
いえっ、勝負を始めてしまった以上、投げ出すなんて断じて許されない!
それは私の矜持が許さないし、クロッツェにも幻滅される! やるのなら玉砕よ! 全力でぶっ倒れるのよ!
じゃあ、まずは内心だけ緩めるわ! にゃんこたち、あんまり離れると寂しいから、ちょっと近場で遊んでらっしゃい!!
脱ぎ。脱ぎっ。
脱ぎ。脱ぎっ。
ちっ、猫どもを見送ってる暇もねぇ。あんま猶予はねぇ、あたしは即座に頭を回転させる。
あたしが考えた問題は三つ。それで十分勝てると、甘ぇこと考えてた。
二つ目の問題はーーこりゃ駄目だ。シロが答えられる問題になってねぇ。一つ目の出題みてぇに運に頼るのは駄目だ。勝つんなら、きっちりと勝ち切らねぇと。
そうなっと、もう選択肢は三つ目の問題しかねぇわけだが。ーーおおっ、こりゃ悪くねぇんじゃねぇか?
いやいや、顔に出すな。シロに深読みさせねぇようにするには、余裕の態度を崩すわけにはいかねぇ。
つまり、これで駄目なら、負けは確定ってわけだ。なら、覚悟を決める他ねぇ。
「さ~てさて、次は私ね。さっきよりは難しいわよ。答えられるかしらね?」
ちくしょう! 内心は「ばくばく」どころか「くばくば」だが、シロに気づかれるわけにはいかねぇ。
あたしの苦労を知ってか知らずか、のほほんとシロは言いやがる。
「ばふ! 『謎クロ』で勝負を挑んだのがリップスさんの運の尽きです! 世界の法則は覆せません! 僕が勝利します!」
こんなときだが、思っちまうな。これも、シロの演技なのかね?
クロへの執着。これが偽物であるとは思えねぇんだが。
いやいや、今は全力でやらなくちゃいけねぇ。集中しろ、あたし。最大限の努力は、相手への礼儀でもある。
「ふっふ~ん、じゃあ、いくわよ~。クロッツェの一番好きな竜は、だ~れだ?」
「ぼわ! そんなの決まってます! クロッツェさんが一番好きなのはっ、僕です!!」
う……っ、しゃああああああああああああっっ!!
うしっ、うしっ、うしっ、うしっ! 勝った! 勝ったぞ! 偉いっ! あたし! 頑張った!!
爆発するような喜びで、気が緩みそうになっが、最後まできっかり遣り切らねぇと。
「残念! 私の勝ちね! クロッツェの一番好きな竜は、シロンじゃないわ!」
後腐れがねぇように、えっへんっ! と晴れやかに勝ち誇ってやる。
「ぎゃふっ! 異議あり! 異議ありです! クロッツェさんが一番好きな竜はっ、僕で間違いありません!!」
「まあまあ、落ち着きなさい、シロン。それはこれから、ゆっくりと説明してあげるわ」
まだ油断は禁物だ。あたしが気づいてねぇ抜けがあっかもしんねぇからな。ひとつひとつ確認しながらやってかねぇと。
「じゃあ、まず、クロッツェ。私の問題を復唱して」
「はい、姫さま。姫さまの出題は、『ふっふ~ん、じゃあ、いくわよ~。クロッツェの一番好きな竜は、だ~れだ?』でございます」
出題の部分だけでいいってのに。まあ、クロには何を言っても無駄か。
それよりも、だ。相変わらず演技が上手くて、いけ好かねぇ、馬鹿にされてん気分になるが。
ふう、我慢だ、あたし。あのにやけ面を殴んのは、次の機会だ。くそっ、覚えてやがれ!
「次は事実確認。クロッツェは、シロンのことが好きよね?」
「いえ、姫さま。私は、シロンのことは好きではありません」
「えふ!? クロッツェさんっ、僕のこと好きではなかったんですか?!」
「ええ、シロン。私は、シロンのことが好き、なのではなく、シロンのことが大好き、なのです」
「ぼはっ! もうっ、クロッツェさん! 驚かせないでください!!」
言いたいことは山程あんが、今はクロの策に嵌まって進行を乱しちゃならねぇ。
「さてさて、シロンのことが大っ大っ大っっ好き! なクロッツェに聞くわ。シロンと茶竜、赤竜と青竜ね。この四竜の中で、クロッツェが一番好きなのは、シロンで間違いないわよね?」
これで違うとか言いやがったら気不味くなんから、余計なことはしてくれんなよ?
目線で釘を刺しておく。結論は変わらねぇとしても、引っ掻き回すくれぇのことはしてくるからな。
「ええ、間違いありません」
「どふ! ほらほらっ、クロッツェさんが一番大好きなのは僕です! だからっ、正解です!!」
あ~、何だかこれだけ一生懸命だと認めてやりてぇ気分にもなっちまうが、そういうわけにもいかねぇ。
じゃあ、そろそろ決着をつけるとするか。
「ねえ、シロン。よく思い出して? 私は、『クロッツェの一番好きな竜』と言ったのよ」
「ぶふっ。言いました。ちゃんと覚えています」
ここまで言っても、シロは気づきやがらねぇ。
そんだけクロのことが好きなんだろうけど、う~ん、でもなぁ、シロのこれは「好き」で括っていいもんなんかわかんねぇな。って、そんな場合じゃねぇ、シロが拗ねちまわねぇうちに、とっとと言っちまわねぇと。
「私は、『竜』と言ったわ。それは、シロンと茶竜、赤竜と青竜ーーだけでなく、もう一竜含まれるの。そう、その一竜とは、黒竜……じゃなくて白竜、クロッツェのことよ」
「ほ…ふ? ……っ、クロッツェさんっ、酷いです! 僕は僕のことよりもクロッツェさんのことが好きなのに! クロッツェさんはっ、僕よりクロッツェさんのほうが好きなんですか!」
「そこは難しいところですね。シロンも、私自身と同じくらい大切ですが、若干、ほんのわずかに、自身のほうが大切だと、判定せざるを得ません」
なんだそのお為ごかしは。と言いてぇところだが、クロがこんな言い方するくれぇだから、シロが大好きだと言った言葉に嘘はねぇんだろう。
「……っ」
ぶっっはぁああああああああああああぁ~~。
薄氷どころか水の上を歩いてるみてぇな感じだったが、海の底に沈んでる宝物を見っけるみてぇに、勝ちを引き寄せることができた。
運が良かったからだが、途中で自分の馬鹿さ加減に気づけた故の勝利でもある。卑下する必要はねぇ、これもまた、誇りある勝利って奴だ。
「姫さま。次は赤竜ーーアカンテに会いに行きますが、赤竜と『知恵比べ』しようなどとは、くれぐれも思わないようお願いいたします」
「あふ? あれれ、クロッツェさん。次はチャエンさんに会いに行くのではないのですか?」
アカンテにチャエンーー初めて聞く名だな。
察するに、人間形態のときに名乗ってる偽名ってとこか。ってか、クロもシロも、竜でいるより人間に化けてるほうが長ぇようだが、ーーまあ、答えの候補は少ねぇし、考えんより聞いたほうが早ぇか。
「クロッツェとシロンは、普段から人間になってるようだけど、何か利点とか意味とかがあるのかしら?」
「それもアカンテに会ってからーーと言いたいところですが、それくらいのことであればお答えしましょう。竜は大食いです。『人化』すれば、通常の人間よりは食べますが、それでも竜と比べれば、比較にならないほど少量で済みます」
「う~ん? 『竜化』した姿が本体、というか本当の姿なわけよね。食べる量が少なくなっても、問題ないの?」
「ええ、成竜となったときに、その存在の根幹は出来上がりましたから。それに、結構面倒なんですよ、大量の餌を探すのは。生態系を崩すのは本意ではありませんし」
なんだか凄ぇ話になってんな。「五色の竜」が人前に姿を現さず伝説になってんのも、これが理由なのか?
「はふ。最初リップスさんを見たときは、僕のための『おやつ』を持ってきてくれたのかと思いました」
「あらあら、酷いわね。そんなこと言う竜には、欲望に取り憑かれた人間がどれほど恐ろしいか、思い知らせてやらないといけないわね」
「やぁんっ、リップスさんっ、そこはぁ…そこはぁ……駄目でぇ…はぅっ……あぅんっ!」
やべぇな、こりゃ病みつきになっちまいそうだ。
あたしがおっさん風味な所為なのか、シロの奴は、ずきゅんずきゅん急所を突いてきやがる。シロンに仕込んだ傅役の勝ち誇った顔がムカつくからよ、聞いてやることにした。
「人間は美味しかったかしら?」
「人間は食い出がありませんからね。吸い取ったことはありますが、大抵濁っていますから、好きではありません」
「吸い取った? 体力や気力、精神、あとは神聖力に魔力ってとこかしら?」
「あと、生命力ーー寿命と言ったほうがわかり易いですね。吸い取る、と言いましたが、正確には、魔力に変換して奪い取る、ということです。人間に起こる症状は、その結果ーーということですね。神聖力は竜にとって毒となるので、悪食となりますね」
神聖力も無理すれば食べられねぇことはねぇってことか。
「むふっ! もう怒りました! 僕だってっ、やられっ放しではないです!」
うおっ、振り返ったシロが抱きついてきやがった。って、おいおいっ、胸を……ほぎゃっ! って、そこは卑怯だろ!
にゃろうっ! 負けてたまっかっ、噛みついてやる!!
「ふむ。仔猫と仔犬がじゃれると、このような感じなのでしょうか」
だぁ~っ! やっぱ竜相手じゃ、あたしのほうが劣勢だ! そこの傅役っ、観察してねぇで助けやがれ!
そうして竜に挑んだあたしは、不毛な戦いがあるということを知ったのだったーーがくっ。
あたしは腹の底から感嘆と歓喜の入り混じった大声を大空にぶっ放した。
でもよ、あたしの声なんて、ここじゃあまりにちっぽけで、遥かな情景に吹かれてなくなっちまう!
いや、だってよ、そうなったって仕方がねぇって! 雲の上っ、雲の上だぞ!
「クロクロクロクロクロロクロっ! よっしゃーっ! 宙返りだ!!」
「どうなってもしりませんよ。では、姫さまの御年に合わせて、『十五回転宙返り』」
「ふひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃ~~っ、ーーあ」
あー、落ちた。
クロの竜頭から、雲の中に。
……って、もしかして、これって不味いんじゃねぇか。子供ん頃、雲に乗りてぇとか夢見てたけどよ、現実ってのは湿っぽいもんなんだなぁ。
クロがさっき、雨の素だ、みてぇなこと言ってたけどよ、湿っててちょいと寒ぃし、……ってか何だ、笑いが込み上げてくる、ふはっ! なんも見えねぇ! 真っ白白だ!
「一日、お休みになったのは失敗だったかもしれません。飽和していた神聖力に、姫さまの頭が侵されてしまわれました」
「酷ぇこと言うな。クロの言う通り、どっかに疲れが溜まってたみてぇだな。めっちゃ頭がすっきりしてやがる」
雲を出る直前に、クロの竜頭に着地、というか着頭か? 雲底から雲を押し退けるように巨体が姿を現す。
ほんと、笑っちまうくれぇの、これが生き物かよって思っちまう、生物種の頂点。
あたしは角につかまりながら身を乗り出して、もう一度「竜化」したクロをざっと概観する。
鱗やなんやで、もっとゴツゴツしてるかと思ったが、見た目は滑らかっていうか、艶めかしくもある。敵として現れたんなら恐怖しかねぇだろうが、こうやって見ると、本当に、美しい生き物だ。
物事を極めると美しくなる、とか誰かが言ってたが、最強っていうのは機能的にも見応えがあるってことかね。
「……んー?」
まあ、そうなんだけどな。なんか違和感もあるんだよなぁ。
喉に引っ掛かるどころか、まだお腹ん中って感じなんだけどよ、なんつーか、「これじゃねぇ感」ってのがある。
「悪ぃな、クロ。実はよ、宝窟での竜頭は、魔術か何かで竜を騙ってるんじゃねぇかとか思ってたんだけどよ。……ぅうおぉ~っ、黒竜様っ、万歳!!」
「はいはい。黒竜様は凄いですから、少しは落ち着いてください、姫さま」
くっ、あたしがはしゃいでる分、逆にクロは冷静になっちまってるのか、黒竜の癖して白い目で見てきやがる。
「もう着いたのか? さすが竜の翼、一っ飛びだな」
クロが降下し始めた。って、何だこりゃ。うぞぞって感じの、用を足したくなるみてぇな変な心地は。
「近場にありますからね。一年に一度、三日間だけ休日をいただいていた理由です」
「ああ、クロがいねぇ『御褒日』か」
「姫さまが造語を用いるくらいに、楽しみにされていた期間ですね。傅役がいぬ間の、ご友人方とのご旅行は楽しかったですか?」
「ったく、態々傷口抉ってくれんな」
ミースや孤児院の餓鬼たち。楽しかった思い出。
軋もうが、前に進む。それができねぇ弱さなんてもんは捨てた。あたしは、あたしができる最後のことをーー。
「姫さまのことですから、もう瘡蓋になっているでしょう。いつでもお申しつけください。このクロッツェ、瘡蓋を剥がす準備は出来ております」
ちくしょうめが。さすがに竜相手じゃ、殴ってもあたしの手が痛ぇだけだ。
「山脈ーーみてぇだが、どこなんだかなぁ?」
アペリオテス国から北へ。
さすがに地図がねぇと、どこの国だがわかんねぇ。隣か、そのまた隣の国か、高嶺に向かって舞い降りて……ん?
「なぁ、クロ。これって、黒竜様が現れたって、地上じゃ大騒ぎになってるんじゃねぇか?」
今更気づいたんだが、あれ? もしかしてこれって、あたしの所為か?
「何を仰っているのですか。姫さまが『クロに乗っていく』と宣言され、私が嫌がって断ると問答無用で顔面を殴られ、『げっへっへっ、秘密をバラされたくなけりゃ、言うこと聞きやがれ』と脅されたので、泣く泣くこうして姫さま専用騎竜になっていますのに」
半分くれぇは本当のことだから、面倒臭くて黙ってると。更に余計なことまで言ってきやがったから、うっかり反応しちまった。
「『騎竜姫』とでも名乗られては?」
「やめろって。あたしは狩人じゃねぇし、卑怯な手段で勝った奴と番になるつもりはさらさらねぇ」
だがまぁ、考えさせられる話ではある。
「薔薇の姫」を巡って、他国の王族同士で様々な駆け引きがあったとか聞いてる。ラスを選んだあとも、横槍が多かったって、兄貴が教えてくれた。
親父のことだから、あたしがラスに決めなけりゃ、クロの入れ知恵を採用して、「姫さま争奪戦争」とか開催しかねなかったーーって、クロが変なこと言うから、妄想が大爆発しちまったじゃねぇか。
「あー、クロの『三日間』って来月だったっけか?」
「そうですね。黒の月の、建国日のあとにいただいていました」
「予定より早く来ても、怒ったりしねぇか?」
「はっはっはっ、姫さまではないのですから、シロンは、そのようなことで怒ったりなどしませんよ」
あたしだって、ちゃんとした理由があって早く、或いは遅れたんなら怒りゃしねぇよ。
どういうわけか「薔薇の姫」は病弱とか思われてたからよ、ふざけた理由で遅れた奴がいたときは、倒れた振りして非難囂々に。場合によっちゃあ「薔薇の姫」争奪から脱落させてやった。
「何の変哲もねぇ入り口だな」
山肌に、ぽっかり空いた穴。クロだと少し屈まねぇといけねぇか。
見回すと、まさに大自然って感じの光景。こんなとこ、千年に一度だって人はやってこねぇだろ。この穴の奥に、シロがいるのか。
ーーまあ、初対面だしな。
猫万匹は大袈裟だし、半分くれぇにしとくか。
うしっ、猫ども! ここは寒ぃから、温泉にでも浸かるぞっ、こいやぁ!
にゃー。にゃ~。
にゃー。にゃ~。
にゃー。にゃ~。
にゃー。にゃ~。
にゃー。にゃ~。
くぅ~、防寒着は着たけど、それだけじゃ足りないわ! にゃんこ温泉でぬっくぬくよ!
「『光球』だけじゃなくて、『炎』ーーは不味いわね。『熱』の魔術か何かを使ってくれてもいいのよ?」
「『熱』ですか? できないことはありませんが、基本、温めた分だけ冷やさないといけません。帰り道が寒くなっても構わないのでしたら、やって差し上げましょう」
クロッツェは嘘吐きだから、どこまで本当かわかったものではないけど。大抵のことには代償が必要だってことは、よくわかるわ。ここまで乗せてきてくれたのだから、それだけで満足すべきね。
魔術で均したのか、歩きやすい通路。
天然の洞窟を整備したのかしら? と岩肌に触ったら、前方で明かりが灯った。
どくんっ、と脈打った心臓を宥めるために、はい、深呼吸~。
……もう一度よ、ふぅ~。
「…………」
よしっ、女は度胸! ああ、でも愛嬌もほどほどに持っておかないとね。
クロッツェは大丈夫だって言ったけど、だからこそ信用ならないというか。いえ、自分で決めてここまで来たんだもの、あとは前進あるのみ。
心持ちゆっくりと、通路の先の、淡い空間に足を踏み入れるとーー。
すたすたすたすた。がばっ。
「見て見てっ! クロッツェっ、白いっ、白いっ、白いわ! クロッツェの黒ばっかり見てたからっ、すっごい白くて新鮮よ!」
「クロッツェは寂しゅうございます。姫さまは、黒よりも白のほうがお好きなのですね」
「ねぇ、ねぇっ! シロンっ、シロンって呼んでもいい!?」
「私のことは無視でございますか。シロン、嫌だったら嫌だと、はっきりと現実を突きつけてあげるのも優しさというものですよ」
「はふ? クロッツェさんが連れてきた人間なら、クロッツェさんみたいなものなので、クロッツェさんみたいに、シロン、と呼んでもらっても構わないです」
「うっわ~、凄いわっ、クロッツェ! これまでで最高の毛ざわりだった『猫姫』よりも上質な髪ざわりよ!!」
「姫さまの二つ名には『髪姫』もあったはずですから、ご自身の髪を触られればよろしいのでは?」
そう言いつつ、私とシロンの髪を触って確かめるクロッツェ。
ーーにしても、ここは物がないわね。
竜が寝転がれるくらいの大きさの空間に、絨毯がぽつんと申し訳程度に置かれているだけ。もとは良質なものだったのかもしれないけど、どれだけ使っているのか、色落ちした絨毯はボロボロだった。
そんなボロ絨毯に座っていた、同い年くらいの少年。あまりの白さに物珍しくて、背後からがばっと抱きついちゃったけど。
物凄く失礼なのかもしれないけど、シロンは怒ってないようだし、肌の触り心地も途轍もなくて、うん、拒否されるまではくっつき決定よ!
「服は、凄いわね。ふわふわのひらひら、斬新ーーというか、これは古風?」
「ふゆっ! そうなんです! 僕の服はっ、クロッツェさんが作ってくれたんです!」
おー、なんかわんこみたいね。尻尾があったら、竜巻が起こりそうなくらい、ぶんぶん振られてるかしら。
顔の作りも繊細で、ーー男の子よね?
「シロンは、男の子?」
「ほふ? 女の子のほうが良いですか?」
「え? それってどういう……」
「ああ、姫さまはご存じありませんでしたか。竜は、男性体と女性体の、どちらにでもなれるのですよ」
何ですって? この傅役っ、どうしてそういう大事なことを先に言わないのよ!
「シロンっ、女の子! 女の子に変身よ!!」
「それですと陳腐な感じがするので、格調高く『変身』くらいのことは言ってください」
ほんと、うるさいわね! 用語なんてどうでもいいのよ!
今っ、重要なのはっ、シロンが女の子になれるっていうーーもっと可愛くなれるかもしれないっていう蓋然性の話なのよ!
「なふ。僕の服には魔術が掛けられているので、お姫さんは……」
「リップスよっ、リップス! シロンは名前で呼ばなくちゃ駄目よ! 次点で、『お姉さん』でもいいわよ!」
「……ほむ? とりあえず、危ないのでいったん離れてください、リップスさん」
むむ? シロン、意外に冷静なのね。柔らかい雰囲気で、言葉もふわふわしてるけど、芯はしっかりしてるのかしら?
わくわくどきどきそわそわ、の「わく」の時点でーーちょっと残念ね、もっと神秘的なものが見られると期待してたのに。
あっさりと、入れ替わるようにして女性体になった。
肩までだった白髪が、ふわりと舞って、絨毯まで。これもクロッツェのデザインなのかしら、ドレスとも違う花のような服がシロンを飾り立てる。
惹き込まれるような金の瞳が、少し大きくなったような? ーーと、冷静さを装えるのもここまでで……。
……いえ、ね。……その、ね。……、ーーくっ、もう! 無理よっ、不可能よっっ!!
「何これっ! 欲しいっっ!! 持って帰るわっっっ!!!」
うっ……きゃああああああああああああっっ!!
抱きついただけじゃ足りないわ! すりすりもっ、もみもみも必須よ! 必至よ!
「姫さま。持って帰るとは、どこへ持って帰られるのでしょう。竜が飼える場所など、用意できるのですか? それに、飼うなら、最期まで世話をしなければいけません。途中で投げ出されてはいけませんよ?」
「……わかってるわよ。言ってみただけよ。言葉の文というやつよ」
もみもみもみ、私は、もみもみもみ、負け惜しみを、もみもみもみ、言った、もみもみもみ。
すりすりすり、どうしよう、もみもみもみ、止まんない、すりすりすり、私のより一回り大きくて、もみもみもみ、ーーん? すりすりすり、あれ……?
「ーーーー」
シロンを見ると、駄々洩れだった私の、よくわからないものが潮が引くように萎えていって。
見兼ねたのか、クロッツェは私ーーじゃなくて、シロンを戒める。
「ほら、シロン。演技を忘れていますよ。人間は状況というものを大事にするのですから、無反応はよくありません」
「もふ? ーーあっ! 女の子になったのは久し振りなので、クロッツェさんに教えてもらったことを忘れていました」
もみもみしても、すりすりしても人形のようだったシロン。言い終えると、ぐにゃっと体から力が抜けて、私に寄り掛かってきた。
抱き留めた私は、意図せず、もみっとしてしまったんだけどーー。
「きゃふっ…あんっ、……リップ…スさん、そこは…ぁ、もっと優しく……してくだ…やぁんっ」
不味いわ、どうしよう、手が止まらないーーもみもみもみもみもみもみもみもみ……ごふっ。
……大丈夫、私はまだ大丈夫、鼻血は出てないし、お持ち帰りしたいけど、子供は自分で産みたいと思ってるし、可愛いものが大好きなだけで、男より女が好きとかそういうわけじゃないからーー。
「凄いわね、これってクロッツェの仕込みなの? シロンの体温が上がって、心臓が脈打って、汗で湿って、……これは媚薬? 凄くいい匂いがするんだけど」
「何を仰います。姫さまだって、『媚薬』とか陰で囁かれていましたよ」
違うわよ。聞いてるのはそんなことじゃないわ。
これが演技というのは凄いわね。体の状態まで操れるなんて。
クロッツェに仕込まれたそうだから、傅役の振りつけの手腕が優れてたのかしら?
「でも、まあ、褒めてあげるわ。巨匠の称号をあげるわ」
「いえいえ、私など、名匠で十分でございます。気に入られたのでしたら、姫さまにも仕込んで差し上げましょうか?」
やめて。これ以上、クロッツェの玩具になるつもりはないわ。
より高みを目指そうという気概は買うけどね。
「り…リップスさん……、も、もう……堪忍して…つかぁさい……」
……堪忍?
クロッツェを見ると、すぃ~と目を逸らされた。
まあ、仕込んだのは相当昔のことだろうから、傅役の趣味嗜好についてとやかく言うつもりはないわ。
「被害者第一号」とか言いたくなってくるけど、「第二号」とか言われるのは嫌だから、口に出すのは控えておこうかしら。
「ん~、シロン、何だかクロッツェの言いなりみたいだけど、それでいいの?」
「わふ? 僕には、何かしたい、とか、どうしたい、とか、そういうのはないので、クロッツェさんが僕で遊んでくれるのは、凄く嬉しいです」
やりすぎてないわよね? とクロッツェに非難の眼差しを向けたら、ああ、見なければよかった、煌びやかな笑顔を返してきやがったわ。
さて、どうしようかしら。
言葉は悪いけど、シロンはクロッツェに服従と言える水準で制御下にある。クロッツェを通してとなると、不確実性が高くなってしまうからーー。
「シロンは、白竜ーーハクイルシュルターナ様は……」
「まふ? 僕はクロッツェさんーー白竜のハクイルシュルターナではなくて、黒竜のクログスヴェルナーです」
……何ですって?
「あわっ! そういえば、見た目からではわからないです。僕はクロッツェさんに改造されたので、見た目は白竜っぽくなっています」
「……クロッツェ?」
「私は、自身が白竜であることに違和感を抱いておりました。ただ、私が黒竜になると、黒竜が二竜になってしまうので、シロンには白竜になってもらうことにしました。まず、シロンを改造して、安全性が確かめられたので、自身にも施しました」
今、洒落にならないことをクロッツェが言ったのだけど。シロンはまったく気にしてないわね。
どれだけおかしいと思っても、当人同士が納得しているのなら、口出しすべきではないわね。私は、自分の価値観が絶対だと思っている馬鹿じゃないから、悪感情を持ったとしても、否定だけはしないようにしてるのよ。
「というか、シロンに夢中になって忘れてたけど、クロッツェも女性体になれるのよね?」
「いえ、私は女性体にはなれませんよ」
「え?」
なになに? もしかして、クロッツェの弱点発見?
「おふっ、惜しいです、勿体ないです、また見たいです。クロッツェさんは、華やか、というか華美という感じなので、ーーあ、でも、胸がおっきくて邪魔なので、くっつくなら今のままのほうが良いです」
シロンの言い様から、絶世の美女とか、そんな感じなのかしらね。今が今だけに、それには驚かないけど。
さても、女性体になれない理由を、根掘り葉掘り聞かないといけないわね。
「それについては、次の竜に会ってからにしましょう。それに止まらず、姫さまには知っていただかなくてはならないことがありますので、そのほうが効率が良いでしょう」
先手を打たれた、ということではなく、ただ事実を言ってるだけ、に見えるけど。
まあ、いいわ、クロッツェが言うのなら、きっとそうなんでしょうし。であれば、もう一つのことに目を向けないと。
シロンは、私がクロッツェの玩具だから、それなりに尊重してくれてるし、たぶん、お願いも聞いてくれるかもしれないけど。
当然、それは傅役の言葉には優先されないのよね。
この部分をどうにかしないと、どこかでしっぺ返しを食らうことになるかもしれない。
「そうね。シロン、私と戦ってみない?」
「ふみ? それは、ちょっと……。クロッツェさんのものを消滅させてしまうのは、あまりやりたくないです」
元々そんなつもりはなかったけど、何気なく口から零れたシロンの言葉に、冷や汗を掻いてしまったわ。
これ以上くっついていると、竜の鋭い感覚で私の状態を察知されてしまうから。シロンの背中から離れて、正面に回る。
「ふふっ、戦うと言ってもね、方法は様々よ。だから、今回はね、私とシロン、どっちがクロッツェのことに詳しいか、『謎掛けクロッツェ』で勝負よ!」
どどんっ、と大袈裟な演技で差し出したら。
ーーどうしたのかしら。二竜とも黙りなんだけど。
「申し訳ございません、姫さま。傅役として、私の力不足でした。姫さまの才能を伸ばすことができませんでした」
「何よ、クロッツェだって、命名に関しては、私と同水準じゃない。いいわよ、なら、略して『謎クロ』。クロッツェに関することを出題して、間違えたら負けよ」
「まふ! クロッツェさんのことならっ、僕は負けません!」
「あらあら、凄い自信ね。じゃあ、私から出題するわよ、答えられるかしら?」
「がふっ、どんと来てください!」
ふふっ、単純ね。先手を取った以上、これで勝ちも同然。
卑怯とか言わないでね。戦いというのはそういうものなのよ。クロッツェには及ばないけど、嘘吐きーー猫被りでは、早々負けたりなんかしないんだから。
「じゃあ、簡単な問題からね。ーークロッツェの好物はな~んだ? さあ、答えて!」
「わふ! 答えはっ、ユファです!」
速攻で断言するシロン。
これで私の勝ちーーなんだけど、何か腑に落ちないわね。そもそも、ユファというのは何なのかしら? 食べ物よね?
クロッツェは、前回の「三日間」のあと、店長さんの新作パン、「姫パン」ーー「薔薇の姫」をイメージして作ったものらしいわーーが好物になって、毎日毎日四つ買ってきては、一つを私に渡してきたのよ。
まあ、美味しいから勿論食べるんだけどね。
私の変装に、女将さんは気づいていたのに、店長さんはまったくで。「薔薇の姫」の笑顔だという、猫の顔みたいな形のパンを私に渡してきた。
ーーととっ、そんなことを思い出してる場合じゃなかったわね。
兎にも角にも、これで私の勝ち、勝利宣言をーー、
「シロン。ユファは、もう絶滅していますよ」
何かしら、クロッツェが口を挟んでくる。
ユファが何なのかわからないけど、どちらにせよ絶滅してるのなら、なおさら答えからは遠ざかったわね。
「あふ? そうなんですか? でも、それは問題ないので、正解です」
は? どういうこと?
「ええ、シロンの答えで合っています。私は、ユファが絶滅する前に、冷凍保存しておいたので、今度、シロンにも振る舞いましょう」
「ふわっ! クロッツェさんの手料理は久し振りです! 楽しみです!」
ちょっと盛り上がってるところ悪いんだけど、私にもわかるように言ってくれないかしら。などと戸惑っていたら、笑顔満面のシロンが出題してくる。
「はふ。では、次は僕の番です。リップスさんが簡単な問題を出したので、僕も簡単なものにします。ん~ふ? そうですっ、これにします! クロッツェさんがこれまで倒した敵の数を答えてください!」
「…………」
……やばい。これ、何かおかしいわ。
なぜか勝負は続いて、私が答える番になってるし、クロッツェもシロンも、当然という顔をしてるのよね……。
くっ! でも、負けるわけにはいかないから、答えなければいけないんだけど……、だけど……っ!
クロッツェが倒した敵の数なんて知るわけないじゃない!!
でもでもっ、そんなこと考えてる場合じゃない!
これは普通に答えても駄目。とりあえず、答えの候補は幾つかある。クロッツェが審判みたいなものだから、これはイカサマのない歴っきとした純然たる勝負ーーん?
「どうしました? 姫さまが答える番ですよ?」
また、クロッツェが絶好の時機で邪魔してくるけど。
ーーああ、わかった気がするわ。
「ふふっ、簡単ね! 答えはね、たくさん、よ!」
内心の動揺を兆すことなく、一番可能性が高そうな答えを、ざらっと差し出す。
「あふっ、正解です! 僕はクロッツェさんが倒した敵の数を知らないので、たくさん、とか、いっぱい、とか、でら、が正解です!」
……でら?
いえいえ、そんなことに構ってる場合じゃないわ!
これは不味いっ、でら不味いわ!
片目を瞑って、小首を傾げて、顔の前で指を振ってるシロンが可愛すぎるけどっ、抱きついて撫で撫でしたいけどっ、一切合切ぜんぶ後回しよ!
シロンがふわふわしてるから、私の精神もふわんふわんしちゃって、完全に勘違いしてたわ。
そう、これは竜との勝負なのよ。竜とのーー対等な勝負。
私は、一度だけクロッツェに勝った。でも、それだって、クロッツェの失言と、ラスティが落命しているという偶然の上に成り立つものだった。
ラスティが生きていれば、私は財宝に手をつけることなんてしなかったし、勝ちを拾うことはできなかった。
さっき、クロッツェが審判ーーということを考えて、遅蒔きながら気づいた。
対等な勝負であるなら、相手が答えられないような問題を出す場合には、後先は関係なく、お互いが問題を答えたあとに勝負が決まる。
でも私は、「私から出題する」と言った。
先手が有利にならない勝負。
つまりこれが対等な勝負なら、相手が答えられるーー答えにつながらない、答えられないような問題は出してはいけないってことになるのよ。もしそんな問題を出したら、その時点で負けが決定。
「ーーっ」
シロンは、ユファのことを私が知ってると、それだけでなく、クロッツェが冷凍保存してることまで知った上で問題を出したと、そう誤解したのよ。
誤解ではあったんだけど、シロンはそこまで考えて、見通して答えた。私は偶々負けなかっただけ。運が良かっただけ。
シロンの出題もそう、自分がクロッツェが倒した敵の数を知らないことを前提に、きちんと私が答えられる出題をしてきた。
これってーー、
「姫さま。何か誤解しているのかもしれませんが、シロンは竜です。こんな風に、ぽわぽわしているように見えても、竜なのですよ」
そうよ、これって、完全に「知恵比べ」じゃない!
……しくじったわ。「私から出題する」という言葉は、どうとでも取れる表現だった。
当然、クロッツェが見逃すはずがない。私が自身の落ち度に気づけない内に、傅役好みの流れに誘導されてしまった。
「ぶふっ! クロッツェさんが僕を馬鹿にしています! 僕だって竜です! 僕より賢かった人間なんて、ほとんどいませんでした!」
「おや? シロンより賢い人間がいたのですか?」
「んふ? そういえば、いなかったような気がします」
やばいっやばいっやばいっやばいっっ、ヤバすぎるわ!!
勿論、そっち方面のことだって、手は抜かなかったわ。でも、私は「聖女」と呼ばれはしても「賢者」とは呼ばれなかった。
実際、父さんや兄さんには、頭では敵わなかった。
そんな私が、父兄よりも断然上であるだろう竜に勝てるとでも?
いえっ、勝負を始めてしまった以上、投げ出すなんて断じて許されない!
それは私の矜持が許さないし、クロッツェにも幻滅される! やるのなら玉砕よ! 全力でぶっ倒れるのよ!
じゃあ、まずは内心だけ緩めるわ! にゃんこたち、あんまり離れると寂しいから、ちょっと近場で遊んでらっしゃい!!
脱ぎ。脱ぎっ。
脱ぎ。脱ぎっ。
ちっ、猫どもを見送ってる暇もねぇ。あんま猶予はねぇ、あたしは即座に頭を回転させる。
あたしが考えた問題は三つ。それで十分勝てると、甘ぇこと考えてた。
二つ目の問題はーーこりゃ駄目だ。シロが答えられる問題になってねぇ。一つ目の出題みてぇに運に頼るのは駄目だ。勝つんなら、きっちりと勝ち切らねぇと。
そうなっと、もう選択肢は三つ目の問題しかねぇわけだが。ーーおおっ、こりゃ悪くねぇんじゃねぇか?
いやいや、顔に出すな。シロに深読みさせねぇようにするには、余裕の態度を崩すわけにはいかねぇ。
つまり、これで駄目なら、負けは確定ってわけだ。なら、覚悟を決める他ねぇ。
「さ~てさて、次は私ね。さっきよりは難しいわよ。答えられるかしらね?」
ちくしょう! 内心は「ばくばく」どころか「くばくば」だが、シロに気づかれるわけにはいかねぇ。
あたしの苦労を知ってか知らずか、のほほんとシロは言いやがる。
「ばふ! 『謎クロ』で勝負を挑んだのがリップスさんの運の尽きです! 世界の法則は覆せません! 僕が勝利します!」
こんなときだが、思っちまうな。これも、シロの演技なのかね?
クロへの執着。これが偽物であるとは思えねぇんだが。
いやいや、今は全力でやらなくちゃいけねぇ。集中しろ、あたし。最大限の努力は、相手への礼儀でもある。
「ふっふ~ん、じゃあ、いくわよ~。クロッツェの一番好きな竜は、だ~れだ?」
「ぼわ! そんなの決まってます! クロッツェさんが一番好きなのはっ、僕です!!」
う……っ、しゃああああああああああああっっ!!
うしっ、うしっ、うしっ、うしっ! 勝った! 勝ったぞ! 偉いっ! あたし! 頑張った!!
爆発するような喜びで、気が緩みそうになっが、最後まできっかり遣り切らねぇと。
「残念! 私の勝ちね! クロッツェの一番好きな竜は、シロンじゃないわ!」
後腐れがねぇように、えっへんっ! と晴れやかに勝ち誇ってやる。
「ぎゃふっ! 異議あり! 異議ありです! クロッツェさんが一番好きな竜はっ、僕で間違いありません!!」
「まあまあ、落ち着きなさい、シロン。それはこれから、ゆっくりと説明してあげるわ」
まだ油断は禁物だ。あたしが気づいてねぇ抜けがあっかもしんねぇからな。ひとつひとつ確認しながらやってかねぇと。
「じゃあ、まず、クロッツェ。私の問題を復唱して」
「はい、姫さま。姫さまの出題は、『ふっふ~ん、じゃあ、いくわよ~。クロッツェの一番好きな竜は、だ~れだ?』でございます」
出題の部分だけでいいってのに。まあ、クロには何を言っても無駄か。
それよりも、だ。相変わらず演技が上手くて、いけ好かねぇ、馬鹿にされてん気分になるが。
ふう、我慢だ、あたし。あのにやけ面を殴んのは、次の機会だ。くそっ、覚えてやがれ!
「次は事実確認。クロッツェは、シロンのことが好きよね?」
「いえ、姫さま。私は、シロンのことは好きではありません」
「えふ!? クロッツェさんっ、僕のこと好きではなかったんですか?!」
「ええ、シロン。私は、シロンのことが好き、なのではなく、シロンのことが大好き、なのです」
「ぼはっ! もうっ、クロッツェさん! 驚かせないでください!!」
言いたいことは山程あんが、今はクロの策に嵌まって進行を乱しちゃならねぇ。
「さてさて、シロンのことが大っ大っ大っっ好き! なクロッツェに聞くわ。シロンと茶竜、赤竜と青竜ね。この四竜の中で、クロッツェが一番好きなのは、シロンで間違いないわよね?」
これで違うとか言いやがったら気不味くなんから、余計なことはしてくれんなよ?
目線で釘を刺しておく。結論は変わらねぇとしても、引っ掻き回すくれぇのことはしてくるからな。
「ええ、間違いありません」
「どふ! ほらほらっ、クロッツェさんが一番大好きなのは僕です! だからっ、正解です!!」
あ~、何だかこれだけ一生懸命だと認めてやりてぇ気分にもなっちまうが、そういうわけにもいかねぇ。
じゃあ、そろそろ決着をつけるとするか。
「ねえ、シロン。よく思い出して? 私は、『クロッツェの一番好きな竜』と言ったのよ」
「ぶふっ。言いました。ちゃんと覚えています」
ここまで言っても、シロは気づきやがらねぇ。
そんだけクロのことが好きなんだろうけど、う~ん、でもなぁ、シロのこれは「好き」で括っていいもんなんかわかんねぇな。って、そんな場合じゃねぇ、シロが拗ねちまわねぇうちに、とっとと言っちまわねぇと。
「私は、『竜』と言ったわ。それは、シロンと茶竜、赤竜と青竜ーーだけでなく、もう一竜含まれるの。そう、その一竜とは、黒竜……じゃなくて白竜、クロッツェのことよ」
「ほ…ふ? ……っ、クロッツェさんっ、酷いです! 僕は僕のことよりもクロッツェさんのことが好きなのに! クロッツェさんはっ、僕よりクロッツェさんのほうが好きなんですか!」
「そこは難しいところですね。シロンも、私自身と同じくらい大切ですが、若干、ほんのわずかに、自身のほうが大切だと、判定せざるを得ません」
なんだそのお為ごかしは。と言いてぇところだが、クロがこんな言い方するくれぇだから、シロが大好きだと言った言葉に嘘はねぇんだろう。
「……っ」
ぶっっはぁああああああああああああぁ~~。
薄氷どころか水の上を歩いてるみてぇな感じだったが、海の底に沈んでる宝物を見っけるみてぇに、勝ちを引き寄せることができた。
運が良かったからだが、途中で自分の馬鹿さ加減に気づけた故の勝利でもある。卑下する必要はねぇ、これもまた、誇りある勝利って奴だ。
「姫さま。次は赤竜ーーアカンテに会いに行きますが、赤竜と『知恵比べ』しようなどとは、くれぐれも思わないようお願いいたします」
「あふ? あれれ、クロッツェさん。次はチャエンさんに会いに行くのではないのですか?」
アカンテにチャエンーー初めて聞く名だな。
察するに、人間形態のときに名乗ってる偽名ってとこか。ってか、クロもシロも、竜でいるより人間に化けてるほうが長ぇようだが、ーーまあ、答えの候補は少ねぇし、考えんより聞いたほうが早ぇか。
「クロッツェとシロンは、普段から人間になってるようだけど、何か利点とか意味とかがあるのかしら?」
「それもアカンテに会ってからーーと言いたいところですが、それくらいのことであればお答えしましょう。竜は大食いです。『人化』すれば、通常の人間よりは食べますが、それでも竜と比べれば、比較にならないほど少量で済みます」
「う~ん? 『竜化』した姿が本体、というか本当の姿なわけよね。食べる量が少なくなっても、問題ないの?」
「ええ、成竜となったときに、その存在の根幹は出来上がりましたから。それに、結構面倒なんですよ、大量の餌を探すのは。生態系を崩すのは本意ではありませんし」
なんだか凄ぇ話になってんな。「五色の竜」が人前に姿を現さず伝説になってんのも、これが理由なのか?
「はふ。最初リップスさんを見たときは、僕のための『おやつ』を持ってきてくれたのかと思いました」
「あらあら、酷いわね。そんなこと言う竜には、欲望に取り憑かれた人間がどれほど恐ろしいか、思い知らせてやらないといけないわね」
「やぁんっ、リップスさんっ、そこはぁ…そこはぁ……駄目でぇ…はぅっ……あぅんっ!」
やべぇな、こりゃ病みつきになっちまいそうだ。
あたしがおっさん風味な所為なのか、シロの奴は、ずきゅんずきゅん急所を突いてきやがる。シロンに仕込んだ傅役の勝ち誇った顔がムカつくからよ、聞いてやることにした。
「人間は美味しかったかしら?」
「人間は食い出がありませんからね。吸い取ったことはありますが、大抵濁っていますから、好きではありません」
「吸い取った? 体力や気力、精神、あとは神聖力に魔力ってとこかしら?」
「あと、生命力ーー寿命と言ったほうがわかり易いですね。吸い取る、と言いましたが、正確には、魔力に変換して奪い取る、ということです。人間に起こる症状は、その結果ーーということですね。神聖力は竜にとって毒となるので、悪食となりますね」
神聖力も無理すれば食べられねぇことはねぇってことか。
「むふっ! もう怒りました! 僕だってっ、やられっ放しではないです!」
うおっ、振り返ったシロが抱きついてきやがった。って、おいおいっ、胸を……ほぎゃっ! って、そこは卑怯だろ!
にゃろうっ! 負けてたまっかっ、噛みついてやる!!
「ふむ。仔猫と仔犬がじゃれると、このような感じなのでしょうか」
だぁ~っ! やっぱ竜相手じゃ、あたしのほうが劣勢だ! そこの傅役っ、観察してねぇで助けやがれ!
そうして竜に挑んだあたしは、不毛な戦いがあるということを知ったのだったーーがくっ。
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