46 / 49
炎の凪唄
ベルニナ・ユル・ビュジエ 17
しおりを挟む
「ラクンさん……」
じんわりと広がっていった、心地好くも、温かな熱がーー。
「っ!?」
ぼっ、と燃え上がった。
ラクンさんが、顔を逸らしたから。
ーーさっきまで、全然、大丈夫だったのに。
途端に、素っ裸の姿の自分が、破廉恥に思えてきてしまった。
あの青年が、大きな布を持ってきたことも、一因。
体を隠す手段があるのに、それを選択しなかったら、あたしの意思ということになってしまう。
「……っ」
いそいそと容器から出て、布を体に巻くとーー。
「お嬢っ!」
「え……?」
この声はーー?
聞き覚えのある声に、顔を上げると、果たして、父様の護衛の、巨漢の姿があった。
「ビアンカ?」
ーーどうして、ここに?
「まずは、確認のために、ビアンカさんに来てもらいました」
ビアンカに尋ねようとしたところで、青年が、中途半端に説明する。
ーーやっぱり、この、アルという青年は。
悪辣、というより、意地悪、のようね。
「おっ、ラクン、魔法使いを取り押さえたのか。まぁ、お前さんなら、当然ってとこだな」
裏表のない性格の、ビアンカが、にかっと笑う。
さすがは、元B級の冒険者。
ラクンさんの実力がわかるのね。
「ビアンカさん。力自慢のあなたに、お願いします。こちらの、倒れている女性を、ベルニナさんがいる容器に、入れてください」
「そういや、倒れてる……って、でかっ」
ーーそうね、彼女の、それは、驚くほど、大きいわ。
でも、気持ちはわかるけれど、そこは心に留めておいて欲しかった。
「……ビアンカ。そこは、素直な、お前の良いところだと、俺は思うが。そういうことは、なるべく、心の中だけに、留めておこうな」
たった、これだけのことで。
体が、心臓が、ーー不味い。
ーーラクンさんと、同じことを考えていた。
本当に、それだけのことなのに。
あたしは、不治の病に、罹かってしまったのかもしれない。
「あ、と…、う……?」
あたしの、倍くらいの年齢でありながら、純朴な、女性慣れしていない、ビアンカが、戸惑っていた。
「少しだけ、お待ちください。雑務は、僕に、お任せを」
逆に、こちらは、女性慣れしていそうな青年が、テキパキと、倒れた女性に、解けないように布を巻いていく。
ーーまさか、女とか、ないわよね?
中性的な顔立ち。
若い裸身の異性に、触れても、一切の、感情のブレがない。
あの青年が、もし、女だったら、恋敵にーー。
「ーーーー」
ーー死にたくなってしまった。
どこまで、あたしは、嫉妬深いのよ。
ボルネアとオルタンスの、想い人なのだからーー。
そうよね、あの青年が女なら、二人は、子供が産めないわけだし、彼は、恋敵ではなく、敵ね。
などと、妄想を逞しくしていたら、女性を抱えた、ビアンカが、階段を上がってくる。
「布を巻いたまま、入れても大丈夫ですよ」
それは、助かるけれど。
いまいち、あの青年は、信用が置けない。
「呼吸はできるから、ゆっくりと、足から入れてあげて」
ビアンカは巨漢なので、容器の縁に片足を乗せて、空間を作ってあげる。
「お嬢。旦那たちも来てるっす。これから、俺が、問題ないってことで、呼んでくる」
「あ……」
思い出した。
あのときは、別段、気にしていなかったけれど。
ーー明日は、ビュジエ伯に会いに行くわ!
人猫が、そう言っていた。
てっきり、護衛だけで来ているものだと、思っていたけれど。
ーー父様。
ーー母様。
結局、二人に、知られてしまった。
あたしを心配して。
来てくれたのは、嬉しいのにーー。
「ベルニナ」の内の、「あたし」が育んでしまった、凝りが、あたしを苦しめる。
「アルーーと言ったか。お主、何をするつもりなのだ?」
「イオアニス様。それは、これから起こることを、見ていただければ、わかります」
こんなときでも、青年は、胡散臭い微笑を浮かべながら、はぐらかす。
「アル。大丈夫、なのか?」
ラクンさんの、気遣うような、言葉に。
「問題ありません。装置は、すでに完成しているので、触れれば、装置のほうから、干渉してきます」
彼に対して、少しは、心を開いているのか、青年は、説明を加える。
とはいえ、それは、ラクンさんに対してのもので、あたしや獣種の二人には、ちんぷんかんぷんなものだった。
ーーイオアニスは、理解しているようね。
その上で、今は、静観しているようだった。
ラクンさんが抑え込んでいるから、何もできないはずだけれどーー。
「終わりました」
「ーーは?」
「一つ時ほどで、目を覚ますでしょう」
「え…と、ーービアンカ。彼女を、下で、寝かせてあげて」
「おう! 任されたっす!」
容器の中から、軽々と女性を持ち上げると、宝物のように大事に抱えて、危なげなく階段を下りていく。
それから、女性を横たえると、自分の上着を脱いで、床に敷いて、その上に彼女を寝かせた。
ーーそういえば。
あたしと同年代の使用人に、ビアンカに懸想している、娘がいた。
同じ年頃の使用人は少ないので、あたしのほうから声を掛けて、仲良くなった。
そこで、恋の相談をされてしまった。
母様は、……たぶん、大変なことになってしまうので、父様のほうから、ビアンカに話をしてもらうことにした。
父様は、面倒見も良いので、使用人の娘とも話してくれたようだった。
ーーでも、特に、進展はなかったのよね。
今度は、逃げずに、あたし自身が、あの娘に協力しよう。
そんな風に、思えるようになったのも、ラクンさんにーー。
「ビアンカさん。それでは、皆さんを呼びにいってください。ーーただ、そうですね。使用人と護衛二人は、一応、外で待機させておいたほうが、良いかもしれません」
「そう、だな。旦那に伝えておく」
一瞬。
頭が真っ白になる。
父様と母様のーー「ベルニナ」。
たとえ、ここで本当のことを口にして、拒絶されるのだとしても、ーーもう、目を背けることなんてできない。
ーーこの熱は。
ラクンさんが、くれたもの。
彼が、あれだけ傷ついても、守ってくれた、あたしが。
立ち向かわないなんて、ーー有り得ない。
あたしが弱いままなら。
ラクンさんがしてくれた行為を、貶めてしまうことになる。
そう、弱いままなら、もう、後ろを追い掛けることさえ、できなくなってしまう。
「ラクンさん。イオアニス様を解放してしまって、問題ありませんよ」
青年が、おかしなことを言ったかと思ったら。
「そうか」
「え……?」
あっさりと、イオアニスを解放してしまう、ラクンさん。
……いえいえ、嫉妬なんて、したらいけないわ。
「にゃー」
「わーん」
でも、二人のように、嫉妬した姿を見せるほうが、逆に、好印象かもーーなどと考えている内に、もう、イオアニスは、容器の下まで来ていた。
「…………」
彼も、怪訝そうに周囲を見ていたけれど、一連の行いの真相を知るために、青年と同じく、容器に触れた。
ーー一拍。
「ガアァっ!?」
獣のような叫びを上げた、イオアニスが、容器から離れる。
「なっ、何なのだ!? 何なのだっ、これは!!」
怒りーーのようでは、あるのだけれど。
ーーそれだけじゃないわね。
イオアニスの、それには、悲痛な成分が含まれているようだった。
まるで、人生を懸けて、研究してきたものを、台無しにされてしまったようなーー。
「先程も言いましたが、この装置は、完成しています」
「あー、そういうことか。あまりに高度すぎて、使用するどころか、理解すらできないんだな、イオアニスは」
ーーどういうこと?
「ふっ、ふざけるな! このようなことっ、このようなことがだ! あって、良いはずがない!!」
歯を剥き出しに、涎まで垂らして、駄々っ子のように、イオアニスは、抵抗する。
「ラクン。説明しなさいよ」
「今なら、許してあげる」
座り込んだまま、二人は、ジト目でラクンさんを見る。
ーーでも、その範囲でなら、全力で、やる。
犬人は、そう言ってくれた。
どうやら、彼女たちは、魔法陣がどういうものなのかも知らずに、力を尽くしてくれたようだ。
「あたしからも、お願いします。全力でやってくれた、二人のためにも、説明してあげてください」
二人と目が合ったので、軽く頭を下げると、にっこりと笑ってくれる。
「そうですね、ラクンさん、お願いします」
今は、ラクンさんの代わりに、魔法を使っているらしい、青年が、後押しすると。
何故か、困ったような顔をしたまま、ラクンさんが説明を始める。
「イオアニス。第五段階、と言ったら、何のことかわかるか?」
「何を言っている。ヘルマンは、第三段階ーー」
「それは、初期の著作での記述だな。後に、ヘルマンは、第五段階まで見通した」
ーーさすがラクンさん、知っていたのね。
そう思って、益々好感を抱いた、あたしは、彼の、続く言葉を聞いて、ーー震撼した。
あたしでも、そうだったのだから、イオアニスは。
冥界の神に抱かれるような、底なしの恐怖に、襲われたに違いない。
「第二段階。完成間近だった、この装置を、第五段階まで、完成させた。つまり、ーーこの装置は、完成品ということだ。どうせ、あとでわかることだから、今、言ってやる。ーーイオアニス。完成品はな、お前に千年の寿命があったとしても、完成させられないものだ。お前には、理解も、操作もできない。そんなものがな、今、お前の目の前に、こうして、存在している」
「あ……、あ……ぁ」
理解した、イオアニスは、体を、がくがくと震わせながら崩れ落ちて、膝を突いた。
瞬きするのも忘れて、容器ーー装置を凝視していた。
魔を極めたいと、生涯を懸けた、研究。
そこに。
まるで、片手間にやったかのように、簡単に、研究の結果を、差し出されてしまった。
ーー先を越されたわけじゃない。
もう、答えに辿り着いた者がいた。
千年後に、見るはずだった、景色を見た者が、すでに存在していた。
誰かが歩いたあとを、鈍重に、這いずっていただけ。
無意味に、藻掻いていたーーだけ。
ーー嫌いだった、好きになれなかった、イオアニスだけれど。
才能というのは、本当に、残酷。
「神才」ですら、役不足のラクンさんは、もしかしたら、四英雄に匹敵するほどの、「英雄」なのかもしれない。
ーー遠い。
こんなに近くにいるのに。
あたしと、彼との距離が、遥かな空の向こうまで、離れてしまう。
「先程、アル君から聞いて驚いたが、問題は、なくなったようだな」
父様と母様、侍るように家令が。
その後ろに、ビアンカとワーグナーがいる。
ラクンさんの説明を聞いたらしく、父様も母様も、安堵の表情を浮かべていた。
「ふっふーん、私が来たからにはね、ベルニナっ、もう大安心よ!」
うん、そうね、とっても不安になってしまったわ。
でも。
少しの時間しか離れていなかったのに、温かくなった。
本当に、あたしは、二人のことが大好きなんだって、わかってしまったから。
ーー「ベルニナ」は、「あたし」と向き合わなければいけない。
「それでは、お聞きします。ベルニナさんの容姿ですが、本来の姿と、現在の姿、どちらに致しますか?」
あたしが決心した、直後に、青年が火種を投げ込んでくる。
「父様。母様。ベルニナは、心から、二人のことを愛しています。ですから、二人が望むのでしたら、あたしは、これからも、ーー『ベルニナ』として生きていきます」
ーー言い切った。
もう、後戻りはできないし、ーーするつもりもない。
この先に、新しい関係が出来上がるのか、壊れるのか、ーーどちらだったとしても、どれだけ苦しかったのだとしても、受け容れる、……受け容れてみせる。
「べ、ベルニナ! それはねーー」
「待つのだ、パラ。私が話す。もし、私の言う事に、納得がいかないのであれば、そのときに、口を挟みなさい」
「ふーんだ。ジャンに、譲ってあげるわ」
唇と、へそを曲げてしまう、母様。
父様は、これまでと変わらない、眼差しで、あたしに語り掛けてくる。
「私たちもだ。これまでも、今も、これからも、ベルニナを愛することに、変わりはない。だからーー、ベルニナの姿でも、昔の姿でも、私たちは、どちらでも構わない」
ーー嬉しかった。
それは、本当のこと。
「……っ!」
……でもっ、でも!
これまで、心の奥底に隠して、ずっと、見て見ぬ振りをしてきたことをーー。
「ベルニナ」にならないといけないと、ずっと、「あたし」を殺してきた。
そうしないと、大好きな二人の、娘ではいられなくなってしまうと。
ーー勇気がなかった。
大好きだからこそ、もっと、ーーそう、もっと早く、打ち明けるべきだった。
それを、こんなところまで、引き摺ってしまった。
ーーラクンさんが見ている前で。
あたしはっ、目を背けることなんてしない!
「でも、父様ーー父様は、『ベルニナ』が欲しかったのではないの? 確かに、『ベルニナ』の姿にしないと、父様と母様の娘には、なれなかったのかもしれない。父様と母様の愛情は、『あたし』ではなくて『ベルニナ』にーー」
「何を言っているのだ、お前は?」
その言葉は、予想外の方向から、飛んできた。
「ーーイオアニス?」
「どうやら、私は、お前を買い被っていたようだ。弟子になど、してやらん」
訳が分からない。
絶望していたかと思ったら、今度は、子供のように、拗ねてしまった。
ーー蹴飛ばしてやろうかしら。
階段を下りようとしたら。
辛そうな、父様の、真情を吐露する姿に、足が止まってしまう。
「すまなかった、ベルニナ。それほどまでに、思い詰めていたことに、気づけなかった。ベルニナにとって、辛い記憶であるからと、逃げておらんで、もっと、向き合うべきだった」
「辛い、……記憶?」
村を、焼かれたこと?
それとも、あたしだけが生き残ったこと?
確かに、それは、思い出したくないことだけれどーー。
「覚えて、いないのか? いいや、そうか、あんな状態だったのだから、そうだったとしても不思議はないのか」
「父様……?」
「そうだな。もっと、向き合い、お互いに心を開くべきだった。ーーベルニナ。私とパラとの出逢いを、覚えているかい?」
「それはーー、……空が赤くて、……ずっと、見ていないと、現実を思い知らされてしまうから……」
「あの村を襲ったのが、二派の、どちらだったのかは、今でもわからない。ただ、その者たちは、鏖殺したと思っただろうし、私たちも、生存者は、いないと思っていた。ーーそれくらい、酷い怪我を負っていたのだ」
「怪我……?」
そういえば。
息もできないくらい、苦しかったような、気がする。
覚えているのは、あの、赤い空だけ。
ただ、それだけをーーそれだけが、鮮明に刻み込まれた。
「火傷だ。顔も、判別できないくらいに、もう、絶対に助からないと、思うくらいにーー。だが、まだ息があった。そのとき、魔法使いからーーイオアニスから、嘗て、支援の要請の話があったことを思い出した。村からも近かったので、藁にも縋る思いで、ベルニナを運び込んだのだ」
「容姿をどうするか聞いたら、同年代の子供の肖像画を見せてきたから、その姿にしてやった」
ーーちょっと、待って。
何だか、混乱してきた。
もしかして、イオアニスはーー。
あたしの、命の恩人なの?
「でも、……でも、『ベルニナ』ではない、『あたし』は、父様と母様の本当のーー」
「ベルニナ! 何言ってるの!」
「母様……?」
「確かに、私たちは、孫だったベルニナが、帰ってきてくれたかと思ったわ! でもねっ、でもねっ! そんなものは、一瞬で吹き飛んだわ!」
「へ……?」
両手を腰に当てて、大威張りの母様の姿に、あたしは、言葉を失ってしまった。
「まぁ、そうだな。孫は、物静かな子供だった。だが、ベルニナは、わんぱくな娘だった。姿は同じでも、同一人物だなどと、とてもではないが、思えなかった。ーー私も、パラも、孫とは違う、一人の娘として、家族として、ベルニナを愛してきた。だからこそ、姿が変わったとしても、私たちとベルニナが、これからも家族であることは変わらない」
「ジャン! 偉いわっ、よく言ったわ!」
「うっ……」
確かに、「ベルニナ」になろうと、「あたし」を抑え込むまで、元気いっぱい、跳ね回っていた。
ーーどうして、忘れていたのだろう。
そんなあたしを、二人は、優しく見守ってくれていた。
結局。
あたし一人で、空回っていただけだったーーと、そこで、もう一つの、疑念に思い至った。
「でも、その……、あたしは、ビュジエ家の娘として、義務を果たそうと思っていたのだけれど。もう、二十歳になるのに、結婚の話がなかったのは、やっぱり、あたしを本当の娘としてーー」
言葉が詰まってしまう。
これは、勇気がなかったからじゃなくて。
結婚していたら、ーー好きでもない人と、結ばれていたら、きっと、ラクンさんと、こんな出逢い方をしていなかった。
彼を好きになることは、きっと、なかった。
「ああ、そうだったな。そのことも話していなかった。ーーベルニナ。ブレニーノ様を覚えているだろう?」
「それは、もちろん。毎年、花を手向けに、来てくださっていたからーー」
ミセル国の国王は、二人の、本当の息子のデュナンという方と、親友の間柄だったと聞いている。
彼は、事故の際、身を挺して国王を護って、ーー父様と母様は、三人の家族を喪ってしまった。
「ブレニーノ様は、今でも、デュナンに救われたことを、感謝してくださっている。そこで、その感謝を示そうと、ーーベルニナを王妃として迎える、或いは、王太子と婚約させる。好きなほうを選んでくれと、言っておられた」
「……は? ……え?」
「高い地位にあることが、幸せだとは限らない。そこで、ベルニナが二十歳になるまでに、恋人を見つけたなら、この話はなかったことにするーーそのようなことを約定したのだ」
「それで、ベルニナさんは、王様と王太子の、どちらが好みなんですか?」
あとで、「魔法の手引書」で、呪いについて調べてやろうと。
青年の顔を見ながら、あたしは、心に固く誓ったのだった。
「ーーーー」
あたしは、答えなければいけない。
今から、ーーそうじゃない。
ずっと家族だったということを、あたしが伝えないといけない。
優しかった、見守っていてくれた、家族にーー。
「父様。母様。ーーあたしにとって、『ベルニナ』は、あたしではない、偽物でした。でも、愚かな娘は、そうではなかったことに、今、やっと気づけました。『ベルニナ』とか『あたし』とか関係なく、あたしは、二人が、大好きなのーー」
「ベルニナ」が偽物だったとしても。
あたしの、本当の姿ではなかったとしても。
ーー人は、生まれてくる場所も、容姿も、選べない。
なら、何によって、決まるのかしら?
記憶にない、覚えていない、ーー本当の家族は。
わからない。
所詮、あたしは、二十年も生きていない、未熟者。
でも、だからって、そんなことが言い訳になるはずがない。
みんなみんな、そんなことなんか関係なく、決断してきたのよ。
ーーそうして、生きているのよ。
未熟者の、あたしが出した、答え。
正しいかどうかなんて、わからない。
ただ、あたしのすべてで、考えて、決めたこと。
それは。
今あるものを、大切にするーーということ。
あのとき、死んでいたはずの、あたしは、「ベルニナ」としての生を与えられた。
二人の、家族になった。
だからーー。
「『ベルニナ』は、あたしだけのものではありません。『ベルニナ』を愛してくれる、二人の『あたし』でもあります。あたしにとって、大切なのは、容姿とかではなく、父様と母様と、家族として、一緒に過ごしてきた、過ごしていける、この瞬間です」
あたしは、容器に、半分、体を沈める。
認めてもらえるかどうか、わからない。
それでも、あたしの精一杯で、ーー選んだ、答え。
「『ベルニナ』は、今ある『あたし』を、壊したくありません。そんなことしなくても、あたしは、ずっと、二人の、本物の娘だったのだから」
すべてを赤裸々に。
あたしは、粘着性の液体に、身を沈めた。
ーー余計なことをしたら、殺すわよ。
装置を操作しようとする、青年を、ギロリと睨んでおく。
「それでは、始めますね。すぐに終わります」
表情一つ、変わらない。
ボルネアとオルタンスの、想い人。
この青年については、何もわからなかった。
というより、知りたくもない。
二人のようにーーそれだけでなく、ラクンさんも、本気で彼に近づこうと思わないのなら、きっと、知らないほうがいい。
そのほうが、幸せ。
勘、みたいなものだけれど、もう、殆ど、確信に近い。
「終わりました」
「はいは~い。じゃあね、ベルニナが着替えるから、野獣以外は、全員外に出てなさ~い!」
母様の号令一下、顔を見合わせた男たちは、通路に向かって歩いていく。
残ろうとした、家令は、母様にお尻を蹴飛ばされて、イオアニスは、ラクンさんに背を押されて、歩き出したところでーー。
護衛の一人が、通路から、駆け込んできたのだった。
な「前回で最後のはずだったのに、風結がまた、やらかしたです」
ベ「到頭、あたしまで、謎空間に呼び出されたわね」
な「やらかしの話をする前に、少し説明するです」
ベ「ラクンさんの、『放出』……」
な「炎竜になったまま、聞いておくです。『放出』は、魔法として発現しない、属性のない、所謂、無属性です。無属性の魔力は、属性に染まった魔力を防ぐ、盾になるです」
ベ「そうなの? でも、ラクンさんは、イオアニスの『風鳴』を、打ち消していたわよ」
な「ラクン殿は、気づいていませんでしたが、通常とは違う効果を発揮したので、アル殿は、大層驚いていたです」
べ「それはーー。ざまあみろ、ね」
な「では、ここからが、風結が書き忘れたことです」
ベ「イオアニスが纏っていた、風のことね」
な「ラクン殿が、風を破れず、吹き飛ばされたときです。アル殿は、『魔雄』と『黒猫』で、浮気者とか言っていましたが、ここでもう一つ、言うことがあったです」
ベ「他に、何かあったかしら?」
な「ベルニナ殿が、一応、言及していたから、致命傷ではないです。ボルネア殿とオルタンス殿の、『魅了』の効果が、イオアニス殿に及んでいなかったのは、『結界』のようなものがあったからだーーと説明しなくては、いけないところだったです」
べ「そんな説明、要るのかしら?」
な「ラクン殿に、敗北を刻みつけるには、必要だったです」
ベ「そうなの? じゃあ、要らないわね」
な「あと、こんな終盤だというのに、まだ、四人も登場するです」
ベ「え? 今から?」
な「たぶん、忘れている方もいるかもです。なので、ここでちょっと触れておいてくれと、風結から頼まれたです」
べ「ふ~ん? 一人目は、ラクンさんの友人?」
な「正確には、友人になれそうだった人、です。三つの団に所属していた、ラクン殿は、一度だけ、そのことに言及しました」
べ「こっちは、二つあって、一つは、一度しか言及されてないわね」
な「マウマウ山で、オルタンス殿が、ミセル国の王都に行ったと、言ったです。ボルネア殿のほうは、ベンズ伯の屋敷で、これまで何度も触れられているので、そこまで重要ではないです」
ベ「あの二人も、大変ね。『飛翔』を磨きながら、あの青年の、使い走りをさせられていたのだから」
な「それどころか、度胸試しのようなもので、とても恥ずかしいことを、やらされていたようです」
べ「恥ずかしい……?」
な「人によっては、何でもないことです。ただ、あの二人にとっては、魂が削られるような、そんな課題だったようです」
べ「と、そうだったわ。あと一人は、諜報部隊の、隊長ね」
な「そうです。ただ、出てこなくても問題ないので、話の流れによっては、陰にずっと潜んだままかもしれないです」
ベ「……ところで、謎空間の割れ目から、半分顔を覗かせた、角の生えた子供なんだけれど」
ひ「…………」
な「百竜。そんなところで、何をしているです?」
べ「あれ? あの子は、『みーちゃん』じゃなかったかしら?」
ひ「大したことではない。風結は、またやらかすであろうから、ここで待機しておるだけだ」
な「僕は、これでも忙しい身です。王様代理で、大変なのだから、面倒を掛けるなです」
べ「竜の皆さん、お疲れ様でした~! できれば、ちゃんと、罅を塞いでいってくださ~い!」
ひ「くっ、我だけ出番がないなどと。ちゃっか竜の地竜でさえ、……やはり、好感度の差か」
な「はいはい。着火竜は、百竜の十八番です。あと、そんなこと言っていると、『異邦人』で、出番が削られるーーというか、ストーフグレフにいる僕の出番のほうが、……風結に、岩を投げてくるです」
じんわりと広がっていった、心地好くも、温かな熱がーー。
「っ!?」
ぼっ、と燃え上がった。
ラクンさんが、顔を逸らしたから。
ーーさっきまで、全然、大丈夫だったのに。
途端に、素っ裸の姿の自分が、破廉恥に思えてきてしまった。
あの青年が、大きな布を持ってきたことも、一因。
体を隠す手段があるのに、それを選択しなかったら、あたしの意思ということになってしまう。
「……っ」
いそいそと容器から出て、布を体に巻くとーー。
「お嬢っ!」
「え……?」
この声はーー?
聞き覚えのある声に、顔を上げると、果たして、父様の護衛の、巨漢の姿があった。
「ビアンカ?」
ーーどうして、ここに?
「まずは、確認のために、ビアンカさんに来てもらいました」
ビアンカに尋ねようとしたところで、青年が、中途半端に説明する。
ーーやっぱり、この、アルという青年は。
悪辣、というより、意地悪、のようね。
「おっ、ラクン、魔法使いを取り押さえたのか。まぁ、お前さんなら、当然ってとこだな」
裏表のない性格の、ビアンカが、にかっと笑う。
さすがは、元B級の冒険者。
ラクンさんの実力がわかるのね。
「ビアンカさん。力自慢のあなたに、お願いします。こちらの、倒れている女性を、ベルニナさんがいる容器に、入れてください」
「そういや、倒れてる……って、でかっ」
ーーそうね、彼女の、それは、驚くほど、大きいわ。
でも、気持ちはわかるけれど、そこは心に留めておいて欲しかった。
「……ビアンカ。そこは、素直な、お前の良いところだと、俺は思うが。そういうことは、なるべく、心の中だけに、留めておこうな」
たった、これだけのことで。
体が、心臓が、ーー不味い。
ーーラクンさんと、同じことを考えていた。
本当に、それだけのことなのに。
あたしは、不治の病に、罹かってしまったのかもしれない。
「あ、と…、う……?」
あたしの、倍くらいの年齢でありながら、純朴な、女性慣れしていない、ビアンカが、戸惑っていた。
「少しだけ、お待ちください。雑務は、僕に、お任せを」
逆に、こちらは、女性慣れしていそうな青年が、テキパキと、倒れた女性に、解けないように布を巻いていく。
ーーまさか、女とか、ないわよね?
中性的な顔立ち。
若い裸身の異性に、触れても、一切の、感情のブレがない。
あの青年が、もし、女だったら、恋敵にーー。
「ーーーー」
ーー死にたくなってしまった。
どこまで、あたしは、嫉妬深いのよ。
ボルネアとオルタンスの、想い人なのだからーー。
そうよね、あの青年が女なら、二人は、子供が産めないわけだし、彼は、恋敵ではなく、敵ね。
などと、妄想を逞しくしていたら、女性を抱えた、ビアンカが、階段を上がってくる。
「布を巻いたまま、入れても大丈夫ですよ」
それは、助かるけれど。
いまいち、あの青年は、信用が置けない。
「呼吸はできるから、ゆっくりと、足から入れてあげて」
ビアンカは巨漢なので、容器の縁に片足を乗せて、空間を作ってあげる。
「お嬢。旦那たちも来てるっす。これから、俺が、問題ないってことで、呼んでくる」
「あ……」
思い出した。
あのときは、別段、気にしていなかったけれど。
ーー明日は、ビュジエ伯に会いに行くわ!
人猫が、そう言っていた。
てっきり、護衛だけで来ているものだと、思っていたけれど。
ーー父様。
ーー母様。
結局、二人に、知られてしまった。
あたしを心配して。
来てくれたのは、嬉しいのにーー。
「ベルニナ」の内の、「あたし」が育んでしまった、凝りが、あたしを苦しめる。
「アルーーと言ったか。お主、何をするつもりなのだ?」
「イオアニス様。それは、これから起こることを、見ていただければ、わかります」
こんなときでも、青年は、胡散臭い微笑を浮かべながら、はぐらかす。
「アル。大丈夫、なのか?」
ラクンさんの、気遣うような、言葉に。
「問題ありません。装置は、すでに完成しているので、触れれば、装置のほうから、干渉してきます」
彼に対して、少しは、心を開いているのか、青年は、説明を加える。
とはいえ、それは、ラクンさんに対してのもので、あたしや獣種の二人には、ちんぷんかんぷんなものだった。
ーーイオアニスは、理解しているようね。
その上で、今は、静観しているようだった。
ラクンさんが抑え込んでいるから、何もできないはずだけれどーー。
「終わりました」
「ーーは?」
「一つ時ほどで、目を覚ますでしょう」
「え…と、ーービアンカ。彼女を、下で、寝かせてあげて」
「おう! 任されたっす!」
容器の中から、軽々と女性を持ち上げると、宝物のように大事に抱えて、危なげなく階段を下りていく。
それから、女性を横たえると、自分の上着を脱いで、床に敷いて、その上に彼女を寝かせた。
ーーそういえば。
あたしと同年代の使用人に、ビアンカに懸想している、娘がいた。
同じ年頃の使用人は少ないので、あたしのほうから声を掛けて、仲良くなった。
そこで、恋の相談をされてしまった。
母様は、……たぶん、大変なことになってしまうので、父様のほうから、ビアンカに話をしてもらうことにした。
父様は、面倒見も良いので、使用人の娘とも話してくれたようだった。
ーーでも、特に、進展はなかったのよね。
今度は、逃げずに、あたし自身が、あの娘に協力しよう。
そんな風に、思えるようになったのも、ラクンさんにーー。
「ビアンカさん。それでは、皆さんを呼びにいってください。ーーただ、そうですね。使用人と護衛二人は、一応、外で待機させておいたほうが、良いかもしれません」
「そう、だな。旦那に伝えておく」
一瞬。
頭が真っ白になる。
父様と母様のーー「ベルニナ」。
たとえ、ここで本当のことを口にして、拒絶されるのだとしても、ーーもう、目を背けることなんてできない。
ーーこの熱は。
ラクンさんが、くれたもの。
彼が、あれだけ傷ついても、守ってくれた、あたしが。
立ち向かわないなんて、ーー有り得ない。
あたしが弱いままなら。
ラクンさんがしてくれた行為を、貶めてしまうことになる。
そう、弱いままなら、もう、後ろを追い掛けることさえ、できなくなってしまう。
「ラクンさん。イオアニス様を解放してしまって、問題ありませんよ」
青年が、おかしなことを言ったかと思ったら。
「そうか」
「え……?」
あっさりと、イオアニスを解放してしまう、ラクンさん。
……いえいえ、嫉妬なんて、したらいけないわ。
「にゃー」
「わーん」
でも、二人のように、嫉妬した姿を見せるほうが、逆に、好印象かもーーなどと考えている内に、もう、イオアニスは、容器の下まで来ていた。
「…………」
彼も、怪訝そうに周囲を見ていたけれど、一連の行いの真相を知るために、青年と同じく、容器に触れた。
ーー一拍。
「ガアァっ!?」
獣のような叫びを上げた、イオアニスが、容器から離れる。
「なっ、何なのだ!? 何なのだっ、これは!!」
怒りーーのようでは、あるのだけれど。
ーーそれだけじゃないわね。
イオアニスの、それには、悲痛な成分が含まれているようだった。
まるで、人生を懸けて、研究してきたものを、台無しにされてしまったようなーー。
「先程も言いましたが、この装置は、完成しています」
「あー、そういうことか。あまりに高度すぎて、使用するどころか、理解すらできないんだな、イオアニスは」
ーーどういうこと?
「ふっ、ふざけるな! このようなことっ、このようなことがだ! あって、良いはずがない!!」
歯を剥き出しに、涎まで垂らして、駄々っ子のように、イオアニスは、抵抗する。
「ラクン。説明しなさいよ」
「今なら、許してあげる」
座り込んだまま、二人は、ジト目でラクンさんを見る。
ーーでも、その範囲でなら、全力で、やる。
犬人は、そう言ってくれた。
どうやら、彼女たちは、魔法陣がどういうものなのかも知らずに、力を尽くしてくれたようだ。
「あたしからも、お願いします。全力でやってくれた、二人のためにも、説明してあげてください」
二人と目が合ったので、軽く頭を下げると、にっこりと笑ってくれる。
「そうですね、ラクンさん、お願いします」
今は、ラクンさんの代わりに、魔法を使っているらしい、青年が、後押しすると。
何故か、困ったような顔をしたまま、ラクンさんが説明を始める。
「イオアニス。第五段階、と言ったら、何のことかわかるか?」
「何を言っている。ヘルマンは、第三段階ーー」
「それは、初期の著作での記述だな。後に、ヘルマンは、第五段階まで見通した」
ーーさすがラクンさん、知っていたのね。
そう思って、益々好感を抱いた、あたしは、彼の、続く言葉を聞いて、ーー震撼した。
あたしでも、そうだったのだから、イオアニスは。
冥界の神に抱かれるような、底なしの恐怖に、襲われたに違いない。
「第二段階。完成間近だった、この装置を、第五段階まで、完成させた。つまり、ーーこの装置は、完成品ということだ。どうせ、あとでわかることだから、今、言ってやる。ーーイオアニス。完成品はな、お前に千年の寿命があったとしても、完成させられないものだ。お前には、理解も、操作もできない。そんなものがな、今、お前の目の前に、こうして、存在している」
「あ……、あ……ぁ」
理解した、イオアニスは、体を、がくがくと震わせながら崩れ落ちて、膝を突いた。
瞬きするのも忘れて、容器ーー装置を凝視していた。
魔を極めたいと、生涯を懸けた、研究。
そこに。
まるで、片手間にやったかのように、簡単に、研究の結果を、差し出されてしまった。
ーー先を越されたわけじゃない。
もう、答えに辿り着いた者がいた。
千年後に、見るはずだった、景色を見た者が、すでに存在していた。
誰かが歩いたあとを、鈍重に、這いずっていただけ。
無意味に、藻掻いていたーーだけ。
ーー嫌いだった、好きになれなかった、イオアニスだけれど。
才能というのは、本当に、残酷。
「神才」ですら、役不足のラクンさんは、もしかしたら、四英雄に匹敵するほどの、「英雄」なのかもしれない。
ーー遠い。
こんなに近くにいるのに。
あたしと、彼との距離が、遥かな空の向こうまで、離れてしまう。
「先程、アル君から聞いて驚いたが、問題は、なくなったようだな」
父様と母様、侍るように家令が。
その後ろに、ビアンカとワーグナーがいる。
ラクンさんの説明を聞いたらしく、父様も母様も、安堵の表情を浮かべていた。
「ふっふーん、私が来たからにはね、ベルニナっ、もう大安心よ!」
うん、そうね、とっても不安になってしまったわ。
でも。
少しの時間しか離れていなかったのに、温かくなった。
本当に、あたしは、二人のことが大好きなんだって、わかってしまったから。
ーー「ベルニナ」は、「あたし」と向き合わなければいけない。
「それでは、お聞きします。ベルニナさんの容姿ですが、本来の姿と、現在の姿、どちらに致しますか?」
あたしが決心した、直後に、青年が火種を投げ込んでくる。
「父様。母様。ベルニナは、心から、二人のことを愛しています。ですから、二人が望むのでしたら、あたしは、これからも、ーー『ベルニナ』として生きていきます」
ーー言い切った。
もう、後戻りはできないし、ーーするつもりもない。
この先に、新しい関係が出来上がるのか、壊れるのか、ーーどちらだったとしても、どれだけ苦しかったのだとしても、受け容れる、……受け容れてみせる。
「べ、ベルニナ! それはねーー」
「待つのだ、パラ。私が話す。もし、私の言う事に、納得がいかないのであれば、そのときに、口を挟みなさい」
「ふーんだ。ジャンに、譲ってあげるわ」
唇と、へそを曲げてしまう、母様。
父様は、これまでと変わらない、眼差しで、あたしに語り掛けてくる。
「私たちもだ。これまでも、今も、これからも、ベルニナを愛することに、変わりはない。だからーー、ベルニナの姿でも、昔の姿でも、私たちは、どちらでも構わない」
ーー嬉しかった。
それは、本当のこと。
「……っ!」
……でもっ、でも!
これまで、心の奥底に隠して、ずっと、見て見ぬ振りをしてきたことをーー。
「ベルニナ」にならないといけないと、ずっと、「あたし」を殺してきた。
そうしないと、大好きな二人の、娘ではいられなくなってしまうと。
ーー勇気がなかった。
大好きだからこそ、もっと、ーーそう、もっと早く、打ち明けるべきだった。
それを、こんなところまで、引き摺ってしまった。
ーーラクンさんが見ている前で。
あたしはっ、目を背けることなんてしない!
「でも、父様ーー父様は、『ベルニナ』が欲しかったのではないの? 確かに、『ベルニナ』の姿にしないと、父様と母様の娘には、なれなかったのかもしれない。父様と母様の愛情は、『あたし』ではなくて『ベルニナ』にーー」
「何を言っているのだ、お前は?」
その言葉は、予想外の方向から、飛んできた。
「ーーイオアニス?」
「どうやら、私は、お前を買い被っていたようだ。弟子になど、してやらん」
訳が分からない。
絶望していたかと思ったら、今度は、子供のように、拗ねてしまった。
ーー蹴飛ばしてやろうかしら。
階段を下りようとしたら。
辛そうな、父様の、真情を吐露する姿に、足が止まってしまう。
「すまなかった、ベルニナ。それほどまでに、思い詰めていたことに、気づけなかった。ベルニナにとって、辛い記憶であるからと、逃げておらんで、もっと、向き合うべきだった」
「辛い、……記憶?」
村を、焼かれたこと?
それとも、あたしだけが生き残ったこと?
確かに、それは、思い出したくないことだけれどーー。
「覚えて、いないのか? いいや、そうか、あんな状態だったのだから、そうだったとしても不思議はないのか」
「父様……?」
「そうだな。もっと、向き合い、お互いに心を開くべきだった。ーーベルニナ。私とパラとの出逢いを、覚えているかい?」
「それはーー、……空が赤くて、……ずっと、見ていないと、現実を思い知らされてしまうから……」
「あの村を襲ったのが、二派の、どちらだったのかは、今でもわからない。ただ、その者たちは、鏖殺したと思っただろうし、私たちも、生存者は、いないと思っていた。ーーそれくらい、酷い怪我を負っていたのだ」
「怪我……?」
そういえば。
息もできないくらい、苦しかったような、気がする。
覚えているのは、あの、赤い空だけ。
ただ、それだけをーーそれだけが、鮮明に刻み込まれた。
「火傷だ。顔も、判別できないくらいに、もう、絶対に助からないと、思うくらいにーー。だが、まだ息があった。そのとき、魔法使いからーーイオアニスから、嘗て、支援の要請の話があったことを思い出した。村からも近かったので、藁にも縋る思いで、ベルニナを運び込んだのだ」
「容姿をどうするか聞いたら、同年代の子供の肖像画を見せてきたから、その姿にしてやった」
ーーちょっと、待って。
何だか、混乱してきた。
もしかして、イオアニスはーー。
あたしの、命の恩人なの?
「でも、……でも、『ベルニナ』ではない、『あたし』は、父様と母様の本当のーー」
「ベルニナ! 何言ってるの!」
「母様……?」
「確かに、私たちは、孫だったベルニナが、帰ってきてくれたかと思ったわ! でもねっ、でもねっ! そんなものは、一瞬で吹き飛んだわ!」
「へ……?」
両手を腰に当てて、大威張りの母様の姿に、あたしは、言葉を失ってしまった。
「まぁ、そうだな。孫は、物静かな子供だった。だが、ベルニナは、わんぱくな娘だった。姿は同じでも、同一人物だなどと、とてもではないが、思えなかった。ーー私も、パラも、孫とは違う、一人の娘として、家族として、ベルニナを愛してきた。だからこそ、姿が変わったとしても、私たちとベルニナが、これからも家族であることは変わらない」
「ジャン! 偉いわっ、よく言ったわ!」
「うっ……」
確かに、「ベルニナ」になろうと、「あたし」を抑え込むまで、元気いっぱい、跳ね回っていた。
ーーどうして、忘れていたのだろう。
そんなあたしを、二人は、優しく見守ってくれていた。
結局。
あたし一人で、空回っていただけだったーーと、そこで、もう一つの、疑念に思い至った。
「でも、その……、あたしは、ビュジエ家の娘として、義務を果たそうと思っていたのだけれど。もう、二十歳になるのに、結婚の話がなかったのは、やっぱり、あたしを本当の娘としてーー」
言葉が詰まってしまう。
これは、勇気がなかったからじゃなくて。
結婚していたら、ーー好きでもない人と、結ばれていたら、きっと、ラクンさんと、こんな出逢い方をしていなかった。
彼を好きになることは、きっと、なかった。
「ああ、そうだったな。そのことも話していなかった。ーーベルニナ。ブレニーノ様を覚えているだろう?」
「それは、もちろん。毎年、花を手向けに、来てくださっていたからーー」
ミセル国の国王は、二人の、本当の息子のデュナンという方と、親友の間柄だったと聞いている。
彼は、事故の際、身を挺して国王を護って、ーー父様と母様は、三人の家族を喪ってしまった。
「ブレニーノ様は、今でも、デュナンに救われたことを、感謝してくださっている。そこで、その感謝を示そうと、ーーベルニナを王妃として迎える、或いは、王太子と婚約させる。好きなほうを選んでくれと、言っておられた」
「……は? ……え?」
「高い地位にあることが、幸せだとは限らない。そこで、ベルニナが二十歳になるまでに、恋人を見つけたなら、この話はなかったことにするーーそのようなことを約定したのだ」
「それで、ベルニナさんは、王様と王太子の、どちらが好みなんですか?」
あとで、「魔法の手引書」で、呪いについて調べてやろうと。
青年の顔を見ながら、あたしは、心に固く誓ったのだった。
「ーーーー」
あたしは、答えなければいけない。
今から、ーーそうじゃない。
ずっと家族だったということを、あたしが伝えないといけない。
優しかった、見守っていてくれた、家族にーー。
「父様。母様。ーーあたしにとって、『ベルニナ』は、あたしではない、偽物でした。でも、愚かな娘は、そうではなかったことに、今、やっと気づけました。『ベルニナ』とか『あたし』とか関係なく、あたしは、二人が、大好きなのーー」
「ベルニナ」が偽物だったとしても。
あたしの、本当の姿ではなかったとしても。
ーー人は、生まれてくる場所も、容姿も、選べない。
なら、何によって、決まるのかしら?
記憶にない、覚えていない、ーー本当の家族は。
わからない。
所詮、あたしは、二十年も生きていない、未熟者。
でも、だからって、そんなことが言い訳になるはずがない。
みんなみんな、そんなことなんか関係なく、決断してきたのよ。
ーーそうして、生きているのよ。
未熟者の、あたしが出した、答え。
正しいかどうかなんて、わからない。
ただ、あたしのすべてで、考えて、決めたこと。
それは。
今あるものを、大切にするーーということ。
あのとき、死んでいたはずの、あたしは、「ベルニナ」としての生を与えられた。
二人の、家族になった。
だからーー。
「『ベルニナ』は、あたしだけのものではありません。『ベルニナ』を愛してくれる、二人の『あたし』でもあります。あたしにとって、大切なのは、容姿とかではなく、父様と母様と、家族として、一緒に過ごしてきた、過ごしていける、この瞬間です」
あたしは、容器に、半分、体を沈める。
認めてもらえるかどうか、わからない。
それでも、あたしの精一杯で、ーー選んだ、答え。
「『ベルニナ』は、今ある『あたし』を、壊したくありません。そんなことしなくても、あたしは、ずっと、二人の、本物の娘だったのだから」
すべてを赤裸々に。
あたしは、粘着性の液体に、身を沈めた。
ーー余計なことをしたら、殺すわよ。
装置を操作しようとする、青年を、ギロリと睨んでおく。
「それでは、始めますね。すぐに終わります」
表情一つ、変わらない。
ボルネアとオルタンスの、想い人。
この青年については、何もわからなかった。
というより、知りたくもない。
二人のようにーーそれだけでなく、ラクンさんも、本気で彼に近づこうと思わないのなら、きっと、知らないほうがいい。
そのほうが、幸せ。
勘、みたいなものだけれど、もう、殆ど、確信に近い。
「終わりました」
「はいは~い。じゃあね、ベルニナが着替えるから、野獣以外は、全員外に出てなさ~い!」
母様の号令一下、顔を見合わせた男たちは、通路に向かって歩いていく。
残ろうとした、家令は、母様にお尻を蹴飛ばされて、イオアニスは、ラクンさんに背を押されて、歩き出したところでーー。
護衛の一人が、通路から、駆け込んできたのだった。
な「前回で最後のはずだったのに、風結がまた、やらかしたです」
ベ「到頭、あたしまで、謎空間に呼び出されたわね」
な「やらかしの話をする前に、少し説明するです」
ベ「ラクンさんの、『放出』……」
な「炎竜になったまま、聞いておくです。『放出』は、魔法として発現しない、属性のない、所謂、無属性です。無属性の魔力は、属性に染まった魔力を防ぐ、盾になるです」
ベ「そうなの? でも、ラクンさんは、イオアニスの『風鳴』を、打ち消していたわよ」
な「ラクン殿は、気づいていませんでしたが、通常とは違う効果を発揮したので、アル殿は、大層驚いていたです」
べ「それはーー。ざまあみろ、ね」
な「では、ここからが、風結が書き忘れたことです」
ベ「イオアニスが纏っていた、風のことね」
な「ラクン殿が、風を破れず、吹き飛ばされたときです。アル殿は、『魔雄』と『黒猫』で、浮気者とか言っていましたが、ここでもう一つ、言うことがあったです」
ベ「他に、何かあったかしら?」
な「ベルニナ殿が、一応、言及していたから、致命傷ではないです。ボルネア殿とオルタンス殿の、『魅了』の効果が、イオアニス殿に及んでいなかったのは、『結界』のようなものがあったからだーーと説明しなくては、いけないところだったです」
べ「そんな説明、要るのかしら?」
な「ラクン殿に、敗北を刻みつけるには、必要だったです」
ベ「そうなの? じゃあ、要らないわね」
な「あと、こんな終盤だというのに、まだ、四人も登場するです」
ベ「え? 今から?」
な「たぶん、忘れている方もいるかもです。なので、ここでちょっと触れておいてくれと、風結から頼まれたです」
べ「ふ~ん? 一人目は、ラクンさんの友人?」
な「正確には、友人になれそうだった人、です。三つの団に所属していた、ラクン殿は、一度だけ、そのことに言及しました」
べ「こっちは、二つあって、一つは、一度しか言及されてないわね」
な「マウマウ山で、オルタンス殿が、ミセル国の王都に行ったと、言ったです。ボルネア殿のほうは、ベンズ伯の屋敷で、これまで何度も触れられているので、そこまで重要ではないです」
ベ「あの二人も、大変ね。『飛翔』を磨きながら、あの青年の、使い走りをさせられていたのだから」
な「それどころか、度胸試しのようなもので、とても恥ずかしいことを、やらされていたようです」
べ「恥ずかしい……?」
な「人によっては、何でもないことです。ただ、あの二人にとっては、魂が削られるような、そんな課題だったようです」
べ「と、そうだったわ。あと一人は、諜報部隊の、隊長ね」
な「そうです。ただ、出てこなくても問題ないので、話の流れによっては、陰にずっと潜んだままかもしれないです」
ベ「……ところで、謎空間の割れ目から、半分顔を覗かせた、角の生えた子供なんだけれど」
ひ「…………」
な「百竜。そんなところで、何をしているです?」
べ「あれ? あの子は、『みーちゃん』じゃなかったかしら?」
ひ「大したことではない。風結は、またやらかすであろうから、ここで待機しておるだけだ」
な「僕は、これでも忙しい身です。王様代理で、大変なのだから、面倒を掛けるなです」
べ「竜の皆さん、お疲れ様でした~! できれば、ちゃんと、罅を塞いでいってくださ~い!」
ひ「くっ、我だけ出番がないなどと。ちゃっか竜の地竜でさえ、……やはり、好感度の差か」
な「はいはい。着火竜は、百竜の十八番です。あと、そんなこと言っていると、『異邦人』で、出番が削られるーーというか、ストーフグレフにいる僕の出番のほうが、……風結に、岩を投げてくるです」
0
お気に入りに追加
7
あなたにおすすめの小説

食うために軍人になりました。
KBT
ファンタジー
ヴァランタイン帝国の片田舎ダウスター領に最下階位の平民の次男として生まれたリクト。
しかし、両親は悩んだ。次男であるリクトには成人しても継ぐ土地がない。
このままではこの子の未来は暗いものになってしまうだろう。
そう思った両親は幼少の頃よりリクトにを鍛え上げる事にした。
父は家の蔵にあったボロボロの指南書を元に剣術を、母は露店に売っていた怪しげな魔導書を元に魔法を教えた。
それから10年の時が経ち、リクトは成人となる15歳を迎えた。
両親の危惧した通り、継ぐ土地のないリクトは食い扶持を稼ぐために、地元の領軍に入隊試験を受けると、両親譲りの剣術と魔法のおかげで最下階級の二等兵として無事に入隊する事ができた。
軍と言っても、のどかな田舎の軍。
リクトは退役するまで地元でのんびり過ごそうと考えていたが、入隊2日目の朝に隣領との戦争が勃発してしまう。
おまけに上官から剣の腕を妬まれて、単独任務を任されてしまった。
その任務の最中、リクトは平民に対する貴族の専横を目の当たりにする。
生まれながらの体制に甘える貴族社会に嫌気が差したリクトは軍人として出世して貴族の専横に対抗する力を得ようと立身出世の道を歩むのだった。
剣と魔法のファンタジー世界で軍人という異色作品をお楽しみください。
貧民街の元娼婦に育てられた孤児は前世の記憶が蘇り底辺から成り上がり世界の救世主になる。
黒ハット
ファンタジー
【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。
この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。
レベルを上げて通販で殴る~囮にされて落とし穴に落とされたが大幅レベルアップしてざまぁする。危険な封印ダンジョンも俺にかかればちょろいもんさ~
喰寝丸太
ファンタジー
異世界に転移した山田(やまだ) 無二(むに)はポーターの仕事をして早6年。
おっさんになってからも、冒険者になれずくすぶっていた。
ある日、モンスター無限増殖装置を誤って作動させたパーティは無二を囮にして逃げ出す。
落とし穴にも落とされ絶体絶命の無二。
機転を利かせ助かるも、そこはダンジョンボスの扉の前。
覚悟を決めてボスに挑む無二。
通販能力でからくも勝利する。
そして、ダンジョンコアの魔力を吸出し大幅レベルアップ。
アンデッドには聖水代わりに殺菌剤、光魔法代わりに紫外線ライト。
霧のモンスターには掃除機が大活躍。
異世界モンスターを現代製品の通販で殴る快進撃が始まった。
カクヨム、小説家になろう、アルファポリスに掲載しております。

特殊部隊の俺が転生すると、目の前で絶世の美人母娘が犯されそうで助けたら、とんでもないヤンデレ貴族だった
なるとし
ファンタジー
鷹取晴翔(たかとりはると)は陸上自衛隊のとある特殊部隊に所属している。だが、ある日、訓練の途中、不慮の事故に遭い、異世界に転生することとなる。
特殊部隊で使っていた武器や防具などを召喚できる特殊能力を謎の存在から授かり、目を開けたら、絶世の美女とも呼ばれる母娘が男たちによって犯されそうになっていた。
武装状態の鷹取晴翔は、持ち前の優秀な身体能力と武器を使い、その母娘と敷地にいる使用人たちを救う。
だけど、その母と娘二人は、
とおおおおんでもないヤンデレだった……
第3回次世代ファンタジーカップに出すために一部を修正して投稿したものです。

30年待たされた異世界転移
明之 想
ファンタジー
気づけば異世界にいた10歳のぼく。
「こちらの手違いかぁ。申し訳ないけど、さっさと帰ってもらわないといけないね」
こうして、ぼくの最初の異世界転移はあっけなく終わってしまった。
右も左も分からず、何かを成し遂げるわけでもなく……。
でも、2度目があると確信していたぼくは、日本でひたすら努力を続けた。
あの日見た夢の続きを信じて。
ただ、ただ、異世界での冒険を夢見て!!
くじけそうになっても努力を続け。
そうして、30年が経過。
ついに2度目の異世界冒険の機会がやってきた。
しかも、20歳も若返った姿で。
異世界と日本の2つの世界で、
20年前に戻った俺の新たな冒険が始まる。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。

三歳で婚約破棄された貧乏伯爵家の三男坊そのショックで現世の記憶が蘇る
マメシバ
ファンタジー
貧乏伯爵家の三男坊のアラン令息
三歳で婚約破棄され
そのショックで前世の記憶が蘇る
前世でも貧乏だったのなんの問題なし
なによりも魔法の世界
ワクワクが止まらない三歳児の
波瀾万丈

無能なので辞めさせていただきます!
サカキ カリイ
ファンタジー
ブラック商業ギルドにて、休みなく働き詰めだった自分。
マウントとる新人が入って来て、馬鹿にされだした。
えっ上司まで新人に同調してこちらに辞めろだって?
残業は無能の証拠、職務に時間が長くかかる分、
無駄に残業代払わせてるからお前を辞めさせたいって?
はいはいわかりました。
辞めますよ。
退職後、困ったんですかね?さあ、知りませんねえ。
自分無能なんで、なんにもわかりませんから。
カクヨム、なろうにも同内容のものを時差投稿しております。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる