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炎の凪唄
ベルニナ・ユル・ビュジエ 13
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小鬼たちがやってきたので、呪文を唱える。
隔てるものよ
分断せしものよ
揺らめきは 焦がれる炎
拒め
高らかに 立ち昇れ
「『炎壁』」
位置の調節が、まだできないけれど、小鬼たちを巻き込まずに済んだ。
見た目に反して、そこまで強力な魔法ではないのに、一目散に逃げていく。
「これだけ脅したから、もう来ないわね」
ゴブリンは、敵。
だから、殺したほうがいい。
ビュジエ領にいるのだから、猶更。
でも、ここで殺してしまったら。
あたしの命も、助からないような気がしてーー。
水は恵み
育み
渇きを潤す
「『放水』」
「炎壁」で燃えた下草が、山火事の原因にならないように、しっかりと消火しておく。
頂上は、もう、すぐそこ。
「呪文は、基本を押さえておけば、自分好みに変えていいと書いてあったけれど、あたしって、こういうのが苦手だったのね」
やってみたら、あまりのセンスのなさに、愕然としてしまった。
思い返してみれば、これまでの人生で、何かを創作した覚えがない。
すでにある知識を吸収するのは、得意だった。
「……そうね」
試しに、もう一度だけ、やってみる。
焼け焦げろ
死に絶えろ
貫き 踊れ
悶え狂え
「『火矢』」
びょんっ、と発射されて、ぼとっ、と落ちる。
ーー何が駄目なのかしら?
頭の中の心象を、言葉にしているだけなのに。
普通に呪文を唱えると、五本の火矢が、対象に向かって、勢いよく飛んでいく。
ーーできないものは、仕方がない。
頂上に着いたので、先に到着していた「微火矢」に「放水」。
ーーマウマウ山。
正式名称なのかは、わからない。
ビュジエ領の、ど真ん中にある、自然の要害。
魔物が山から下りてくることは稀なので、被害は殆どないのだけれど。
人種特有の、別の危険を孕んでいる。
ーー炎神が、永遠の炎を灯しているから、近づいてはならない。
ビュジエ領の子供たちは、そのように言いつけられて、育つ。
ーー若者の好物の一つは、好奇心。
その言葉が正しいことを証明するかのように、永遠の炎を探しに、或いは、度胸試しに、山に入ってしまう若者が絶えない。
年に二、三回、父様が捜索隊を率いるのが、恒例行事になっていた。
「ちょっとだけ、期待していたのに」
永遠の炎は、見当たらなかった。
山頂はなだらかで、思ったより広かった。
嘗ては、永遠の炎が灯っていたのか、生命は焼かれてしまい、山頂には、草木が生えていなかった。
「間に合ったわね」
夕暮れ時。
お屋敷がある、東の一帯を、見渡すことができる。
ーー駄目ね。
直接、「洞穴」に向かうことができなかった。
最後にーー。
そんな言葉、使うべきではないと、わかっているのに。
最後になるかもしれないから。
たった十数年の、あたしのすべてだったーー。
「ぎにゃ~~っ!?」
「ゔぁ~~んっ!?」
「ぅえっ??」
突然、上から降ってきた奇声に、涙が引っ込んでしまった。
どんっ、と背後に何かが、落下した音が聞こえてくる。
「ーーっ!」
半瞬の硬直に、もう半瞬は、心臓がばくばくーーだけれど。
旅立ってからの、濃厚だった日々で培われた経験が、あたしの意識を、沸騰させる。
まずは行動っ、周囲の確認!
ーー山頂の端っこ、下は崖で、隠れる場所はない。
あの、おかしな叫び声は、魔物の可能性が高い。
こんな場所に落ちてくるのだから、空を飛ぶ魔物。
ーー不味いわね。
遮蔽物のない、この場所は、明らかに不利。
「炎壁」を盾に、牽制。
逃げつつ、「火矢」で攻撃するのが有効かしらーー。
「そこの人種さ~ん。治癒魔法、使えるかしら~?」
「……は?」
指針が定まったところで、出鼻をくじかれてしまった。
「…………」
……な、何、なんなの、この緊張感の欠片もない、間延びした声は。
「人種……ではなく、獣種……?」
魔物に見えたけれど、よくよく見てみると。
獣種の二人が絡まって、夕日を背に、おかしな輪郭を生み出しているだけだった。
「痛い。疲れた。ボルネア、邪魔」
「そこっ、ぶつけたとこぉ…にゃぎゅ~!」
ーー人獣と獣人、かしら?
毛並みや体格からして、青年期の女性。
どうしたものかしら。
この声に、聞き覚えがある。
「魔雄の遺産」も、草臥れた、残念な響きの、美声だった。
ーー猫種の声は、人種には心地好い。
昔に読んだ本に書いてあったけれど、確かに、不思議と警戒感を緩めて、するりと耳に入ってくる。
そうだった。
何度も読み返した、二つの物語。
兎さんの次に、猫さんが好きだったから、ーーでも、兎で我が儘を言ったから、しばらくは我慢しないといけない、そう思って、諦めたのだった。
猫人でないことに、ちょっとだけ落胆していると、二人は、意外なことを言った。
「……ベルニナ?」
「知り合い。運が良い」
それは、どうなのかしら?
思い返してみると。
確かに、あたしと彼女たちの間に、何かがあったわけじゃない。
ーー名前を知られている?
ラクンさんに名乗ったから、そこから知ったのね。
嫉妬。
醜いとわかっていても、ラクンさんと一緒にいる、二人にーー。
「っ! 魔法!?」
クラっと、引き寄せられそうになった。
心に、ぐっと力を入れて、距離を取る。
「あ~、勘違いしないで~、まだ魔力が少し、残っているのよ~」
「私たちの魔力には、『魅了』の効果がある。魔力残量は、少ない。気合いを入れれば、大丈夫」
人猫と犬人は、立ち上がる素振りを見せない。
ーー見ただけではわからないけれど、怪我をしているのかしら?
この状況での、彼女たちの、腑抜け具合。
何だか、警戒していた自分が、馬鹿みたいに思えてきたので、犬人の助言通り、気合いを入れてから、近づいていく。
「その『魅了』は、同性にも効くのね」
「それだけだったら、良かったんだけどね」
「ん。魔物も、惹きつけてしまう」
「え? 魔物ーー」
「オルタンス。喋り方が、いつものに戻っちゃってるわ」
「アル様、いない。ちょっと、休憩」
「…………」
ーー何かしら。
ラクンさんと、あの青年と一緒にいたから、只者ではないと思っていたけれど。
彼女たちの素性が、まったく推測できない。
貴族としては、優雅さが足りない。
有力者の娘として育ったのだとしても、この緩さと甘さは、ーーと、そうだった。
二人の魔力は、他者だけでなく魔物をも「魅了」してしまうのだから、特殊な環境下にあったはず。
あたしの視線に気づいた、人猫は、あっさりと打ち明け話をする。
「あたしたちは、運が良かったの。父様に、拾ってもらえたから。きっと、あたしたち以外にも、いたはずだけどーー。たぶん、生まれてすぐに、殺されちゃったと……思う」
ーーあの日。
あたしの人生が、一度、終わった日。
「ベルニナ」の人生だったとしてもーー。
ーー贅沢。
そんな言葉は、口にしたら、駄目。
どんな状況にあろうとも、あたしも彼女たちも、歩き続けないといけない。
「って、そうだったわ! 早くしないと、アル様の課題が!」
「ん。もう、無理。目標を、時間内、から、確実な帰還、に切り替える」
「…………」
あたし。
この人たちと、相性が悪いのかしら?
「ベルニナさんだったわね。アオスタである、あなたに、聞きたいことがあるの!」
「アル様は、アオスタ。ラクンには、聞きたくない。だから、あなたに聞く」
ーー子供か!
あたしが色々と頭を悩ませていたのに。
自儘に振る舞う彼女たちに怒鳴ってやりたかったけれど、どちらか片方が折れないと会話が成立しないのなら。
損して得取れ、と頭の中で三回唱える。
「大丈夫よ。代わりに、ラクンのことを、教えてあげるから」
「え……?」
うっかり、見てしまった。
美猫と美犬が、にんやり、と笑っていた。
「何が聞きたいのよ?」
目を逸らしたら、負けな気がして、もう面倒だから、彼女たちの前に、どすんっと座ってしまう。
治れ 治れ 治れ
治れ 治れ 治れ
「『治癒』」
ーーあれ?
「あなた、凄いわね。そんなふざけた呪文で、これだけの効果があるなんて」
「魔法を学んで、半年と答えていた。天才、羨ましい」
誤解、だけれど。
本気で、感心している、二人。
会話の主導権を握れるかもしれないから。
黙っておくことにした。
ーーそれにしても。
魔法というものが、わからなくなってくる。
通常の、十倍くらいの治癒力だったのだけれど、何が影響しているのか、まったくわからない。
手引書で調べたら、わかるのかしら?
「課題達成は、もう無理ね。急ぐ必要がなくなったから、重要じゃないことから聞いていくわ」
「ええ、構わないわ。あたしが知っていることなら、答えてあげる」
好い加減、先に進めたいので、話を合わせることにする。
起き上がった、人猫は、革袋を取り出して、あたしの前に置いた。
犬人も倣って、同じ革袋を置く。
「これは?」
「実は、これまで、アル様がお金を払ってくれていたから、あたしたちは、お金を使ったことがないのよ」
「父上に、もらった。でも、このお金、見たことがない。アル様に聞くのは、恥ずかしい」
ーー見たことがない、お金?
偽造ーーかと思ったけれど、それなら、ラクンさんか、あの青年が気づかないはずがない。
そうなると、現在では流通していない、昔のお金かしら?
獣種の寿命は、長い。
彼女たちの父親なら、数百年前の貨幣を持っていたとしても、不思議はない。
「見てみないと、始まらないわね」
「十枚ずつ、入っているわ」
重さは、金貨と変わらない。
紐を解いて、中を見てみるとーー。
「あなたたちっ、何てものを持ち歩いているのよ!」
さっきは、我慢したけれど。
今度は、無理だった。
思わず、怒鳴ってしまった。
「なっ、何!? あたしたちは悪くないわよ!」
「悪いのは、このお金を持たせた、父上」
確かに。
犬人の言うように、彼女たちの父親が悪い。
常識がないにも、程がある。
「怒鳴ってしまって、ごめんなさい。これが、どれだけとんでもないものか、きちんと説明するわ」
意外にも、素直に耳を傾けてくれる、人猫と犬人。
益々、彼女たちの正体が、わからなくなってくる。
「これはね、絶金、と呼ばれているものよ。正式名称は、特になくて、四英雄貨、と呼ばれることもあるわ。これ一枚で、金貨百枚分の価値があるわ」
絶金十枚で、金貨千枚。
市井人が手にしたら、あまりのことに、気絶し兼ねない代物。
「えぇっ!?」
「価値? 百枚と交換できる、ではない?」
少し、わかってきた。
人猫と話しながら、犬人との会話を優先させれば、上手く回るようね。
「ええ、この絶金、金貨百枚の価値があると保証しているのは、ミュスタイア国の、絶雄なのよ」
「父様が?」
「……は?」
……えっと。
「ベルニナさん。構わず、話を続けて良い」
……そうね。
時間を置かないと、また怒鳴ってしまいそうだから、兎人が絶雄を蹴飛ばす妄想をしながら、続きを話すことにする。
「たくさんの金貨を持ち歩くのは、不便だから、過去にも幾つか、解消する方法があったのだけれど。結局、絶雄…様の、信用が勝って、絶金に落ち着いたの。絶金をミュスタイア国に持っていけば、金貨百枚と交換してもらえる。その信用があるからこそ、大陸でも、同じ価値があるの」
「ん~? でも、そんなに高価なら、本物と偽物は、どうやって見分けるのかしら?」
犬人は、予想がついているようだけれど、ここは人猫の疑問を解消したほうが、良さそうね。
「ちょっと待っててね」
あたしは、一旦、山頂から下って、大きな石を二つ、持ってくる。
「絶金を、石の上に置いて、それから、もう一つの石を落とすーーと」
ごっ、と石同士がぶつかって、上の石が転がって落ちる。
二つの大石に挟まれた、絶金を持ち上げて、二人に見せる。
「ほら、傷もついていないでしょう。この絶金は、絶雄様が造っているらしく、偽造するなんて、不可能だと言われているわ」
と、説明してあげたのに、何故か二人は、呆れた顔であたしを見ていた。
「そんなに駄々洩れで、大丈夫なの?」
「私と、同じくらい。怪力人種女」
始め、何を言っているのかわからなかったけれど、二つの大石を、崖の下に投げ落としてから、ようやく気づいた。
ーー魔力のことね。
一日目で慣れてしまったので、それ以降、気にしなくなっていた。
本来なら、持ち上げることもできない、大石を軽々と、二つも持ってきてしまった。
大鬼との戦いも、そう。
大石を持ったまま、オーガの顔の高さまで跳び上がるなんて、以前のあたしでは、考えられない。
オーガが、あたしを最大の敵と見做したのも、当然。
「あなたたち二人は、アルーーという青年の、婚約者なの?」
狡い言い方で、話を無理やり逸らす。
彼女たちを見ていれば、わかる。
あたしと違って、素直に、想いを奏でることができる。
不意に。
ずきんっと、心臓に痛みが走る。
「それは、その、そうと言うか、子供を産む約束を、しているというか……」
「ん。頑張る。先は長い。ひとつひとつ、確実に。アル様を、幸せにする」
これだけ、想っている、彼女たちと。
これだけ、想われている、あの青年と。
ーーどちらが、幸せなのかしら。
埒もないことを、考えてしまう。
「えっと、それで、アルさんと、二人は、上手くいっているように見えるのだけれど。何が聞きたいのかしら?」
気軽に聞いてしまったことを、あたしは、即座に後悔した。
「そ、それは……、その……。……あなたは、人種の女で、その年齢だから、男性経験も豊富よね?」
「ん。いざとなったとき、アル様に応えられないのは、駄目。父上は、教えてくれなかったから、誰かから聞く必要がある」
……不味いわ。
女の自尊心とか見栄とかが、試されているわ。
二十歳前で、やっと初恋をしたなんて、ーー言えない。
男性経験なんて、ーー接吻だって、したことないのに。
精々、ダンスを踊ったことがあるくらい。
「うーん?」
じゃあ、どうするの?
商売女のように、一から順に、手解きをしていく?
「…………」
……本を読んで、知識だけはあるから、初心な彼女たちを騙し切ることはできるはず。
と、そこまで考えたところで、稲妻が走る。
「ーーっ!」
駄目よ!
そんなことしたらっ、ラクンさんに、尻軽女だと思われてしまうわ!!
遊び人だと思われてしまうわ!?
というか、絶雄!
そうっ、絶雄よ!
四英雄の癖して、何でそんな大切なことを教えずに、放置しておいたのよ!
「っ……」
……もう、内心ではこれから、「駄雄」と呼んであげるわ。
兎にも角にも、落ち着く。
角兎さんで、和む。
見れば、二人は、とても真剣。
ーーそうよね。
知らないのは、不安よね。
誰かが教えなければいけないのなら。
……あたしが教えるの?
「どうしたのかしら? 何か、深く、ーーそう、とても深く、葛藤しているわ」
「きっと、生命の神秘を、どうやって伝えたら良いのか、迷っている」
よし。
決めたわ。
「えっと、あたしの事情は、知っているのかしら?」
どうしたらいいのか、わからないから、とりあえず、戦略的撤退をすることにした。
「ええ、聞いたわ。あと、十日くらいの命なのよね」
「容姿を変えた。その歪が、きている」
「え……?」
……え?
どういうこと?
あたし自身のことなのに、何故か、あたしよりも、あたしのことに詳しい、獣種二人。
ちょっと待って。
彼女は、聞いた、と言った。
ーーそれって。
「頼んでみたら、どう? 上手くいくかはわからないけど、あたしたちが、間を取り持ってあげるわ」
「それが、最良」
ーーラクンさんに?
彼に、頼む。
救ってもらえる。
ーー本当に?
「神才」と呼ばれている、ラクンさんならーー。
たぶん、無理。
以前も、考えて、答えは出ている。
でも、最後に。
彼の許で、最期を迎えることができる。
ーー助かるかもしれない、可能性を放棄して?
「……っ」
わからなくなってくる。
もう、ぐちゃぐちゃ。
なのに、人猫は、更に、言葉を投げつけてくる。
「魔法は使えなくなっちゃったけど、たぶん、大丈夫よ!」
「え……?」
今、なんて……?
魔法が……?
「え……と、なんで?」
「『魔雄の遺産』を無効化するためには、すべてをぶつけて、相殺する必要があった。魔法云々ではなく、魔力そのものが、なくなった」
あたしの、所為?
いえ、違う。
あたしは、ただ、あの場に、いただけ。
おぼろげに、覚えている。
ラクンさんたちは、駄雄の依頼で、遺産の対処を行った。
初めから、魔力を失うと、わかっていて、ーー人種を救うために、躊躇いなく、捨てた。
あの絶大なる力を。
空を見上げるようにーー。
朝起きて、大切な人と、おはよう、と挨拶するよりも簡単に……。
「…………」
……駄目。
あたしとは、かけ離れすぎて、真面に考えることなんて、できない。
「ごめんね。あなたたちには、時間があるから。ーー約束。あたしが生き残れたら、絶対、教えてあげる」
これまで、あたしは、生き残ったあとのことを、考えていなかった。
いえ、考えていなかったわけじゃない。
ただ、明確に、描き出したものではなかった。
あたしの決意に、二人は、顔を見合わせる。
「ベルニナさんが、自分で選んだのなら、あたしは、もう、何も言わないわ」
「ん。同じ恋する乙女、尊重する。ーー約束。ラクンのことも、そのあとで、話す」
不思議と、三人の女の心が一つにーーと思った瞬間に、人猫の心が揺らぐ。
「とと、そうだったわ。あたしたちは、アル様の味方だから、残念だけど、その範囲でしか、行動できないの」
「でも、その範囲でなら、全力で、やる」
犬人の言葉で、崩れかけた三女同盟が、何とか、つなぎとめられる。
ーーそうだったわ。
話が、おかしな方向に行ってしまったけれど、忽せにできないことがあったのだった。
この二人、延いては、ラクンさんと、あの青年は、どこまで知っているのかしら。
イオアニスのことーーまで知っているはずは、ないわよね。
「ーーと、そういえば、あなたたち、何で山頂に落っこちてきたの?」
「……それは、あっちに行ったり、こっちに行ったり、あんなことをしたり、こんなことをしたり……がくりっ」
意味不明なことを言った、人猫は、その場に崩れ落ちた。
「……あっち、こっち、あんな、こんな……いやん」
色々と省略したらしい、犬人は、両手で顔を覆ってしまった。
「あなたたち、あの人ーーアルさんに、騙されているわけでは、ないのよね?」
心配になって、思わず聞いてしまった。
「そんなことっ……ないわ!」
「有り得……ない!」
二人の様子に、猶更、危機感を募らせてしまうけれど。
ーーラクンさんがいるから、きっと、大丈夫ね。
得体の知れない、あの青年も、ラクンさんなら、手綱を締めることができるはず。
ーー駄目なのに。
彼の姿を、思い浮かべてしまった。
考えただけで、瞼の裏に。
胸の奥の、炎が色づく。
ーー美しい、透明。
狂おしいほどに、凪いだ、あの眼差しに、包まれたい。
あの手の優しさに、温もりに、ーー言葉が溢れてしまった。
「あの、ラクンさんーー」
「ベンズ伯の屋敷に突貫したし、明日は、ビュジエ伯に会いに行くわ! ベルニナさん、最後まで諦めたら、駄目よ!」
「ん。ミセル国の王城に参上。お互い、やるべき事を、やる」
突如、立ち上がった、二人は、満足気な笑顔を浮かべて、走り去っていく。
……え?
「……え、あ、ちょっと、待っ……」
「ええ、わかってるわ! あたしは、ボルネア・グランデよ!」
「オルタンス・グランデ」
まるでわかっていない、二人。
勘違いしたらしい、二人ーーボルネアとオルタンスは、最後に名乗りを上げてから、本当の本当に、山を下りていってしまった。
「…………」
……相性というか、あの二人とは、生き方、そのものが異なっているのかもしれない。
何を間違えてしまったのか、それさえもわからず、あたしは夜明けまで、立ち尽くしていたのだった。
隔てるものよ
分断せしものよ
揺らめきは 焦がれる炎
拒め
高らかに 立ち昇れ
「『炎壁』」
位置の調節が、まだできないけれど、小鬼たちを巻き込まずに済んだ。
見た目に反して、そこまで強力な魔法ではないのに、一目散に逃げていく。
「これだけ脅したから、もう来ないわね」
ゴブリンは、敵。
だから、殺したほうがいい。
ビュジエ領にいるのだから、猶更。
でも、ここで殺してしまったら。
あたしの命も、助からないような気がしてーー。
水は恵み
育み
渇きを潤す
「『放水』」
「炎壁」で燃えた下草が、山火事の原因にならないように、しっかりと消火しておく。
頂上は、もう、すぐそこ。
「呪文は、基本を押さえておけば、自分好みに変えていいと書いてあったけれど、あたしって、こういうのが苦手だったのね」
やってみたら、あまりのセンスのなさに、愕然としてしまった。
思い返してみれば、これまでの人生で、何かを創作した覚えがない。
すでにある知識を吸収するのは、得意だった。
「……そうね」
試しに、もう一度だけ、やってみる。
焼け焦げろ
死に絶えろ
貫き 踊れ
悶え狂え
「『火矢』」
びょんっ、と発射されて、ぼとっ、と落ちる。
ーー何が駄目なのかしら?
頭の中の心象を、言葉にしているだけなのに。
普通に呪文を唱えると、五本の火矢が、対象に向かって、勢いよく飛んでいく。
ーーできないものは、仕方がない。
頂上に着いたので、先に到着していた「微火矢」に「放水」。
ーーマウマウ山。
正式名称なのかは、わからない。
ビュジエ領の、ど真ん中にある、自然の要害。
魔物が山から下りてくることは稀なので、被害は殆どないのだけれど。
人種特有の、別の危険を孕んでいる。
ーー炎神が、永遠の炎を灯しているから、近づいてはならない。
ビュジエ領の子供たちは、そのように言いつけられて、育つ。
ーー若者の好物の一つは、好奇心。
その言葉が正しいことを証明するかのように、永遠の炎を探しに、或いは、度胸試しに、山に入ってしまう若者が絶えない。
年に二、三回、父様が捜索隊を率いるのが、恒例行事になっていた。
「ちょっとだけ、期待していたのに」
永遠の炎は、見当たらなかった。
山頂はなだらかで、思ったより広かった。
嘗ては、永遠の炎が灯っていたのか、生命は焼かれてしまい、山頂には、草木が生えていなかった。
「間に合ったわね」
夕暮れ時。
お屋敷がある、東の一帯を、見渡すことができる。
ーー駄目ね。
直接、「洞穴」に向かうことができなかった。
最後にーー。
そんな言葉、使うべきではないと、わかっているのに。
最後になるかもしれないから。
たった十数年の、あたしのすべてだったーー。
「ぎにゃ~~っ!?」
「ゔぁ~~んっ!?」
「ぅえっ??」
突然、上から降ってきた奇声に、涙が引っ込んでしまった。
どんっ、と背後に何かが、落下した音が聞こえてくる。
「ーーっ!」
半瞬の硬直に、もう半瞬は、心臓がばくばくーーだけれど。
旅立ってからの、濃厚だった日々で培われた経験が、あたしの意識を、沸騰させる。
まずは行動っ、周囲の確認!
ーー山頂の端っこ、下は崖で、隠れる場所はない。
あの、おかしな叫び声は、魔物の可能性が高い。
こんな場所に落ちてくるのだから、空を飛ぶ魔物。
ーー不味いわね。
遮蔽物のない、この場所は、明らかに不利。
「炎壁」を盾に、牽制。
逃げつつ、「火矢」で攻撃するのが有効かしらーー。
「そこの人種さ~ん。治癒魔法、使えるかしら~?」
「……は?」
指針が定まったところで、出鼻をくじかれてしまった。
「…………」
……な、何、なんなの、この緊張感の欠片もない、間延びした声は。
「人種……ではなく、獣種……?」
魔物に見えたけれど、よくよく見てみると。
獣種の二人が絡まって、夕日を背に、おかしな輪郭を生み出しているだけだった。
「痛い。疲れた。ボルネア、邪魔」
「そこっ、ぶつけたとこぉ…にゃぎゅ~!」
ーー人獣と獣人、かしら?
毛並みや体格からして、青年期の女性。
どうしたものかしら。
この声に、聞き覚えがある。
「魔雄の遺産」も、草臥れた、残念な響きの、美声だった。
ーー猫種の声は、人種には心地好い。
昔に読んだ本に書いてあったけれど、確かに、不思議と警戒感を緩めて、するりと耳に入ってくる。
そうだった。
何度も読み返した、二つの物語。
兎さんの次に、猫さんが好きだったから、ーーでも、兎で我が儘を言ったから、しばらくは我慢しないといけない、そう思って、諦めたのだった。
猫人でないことに、ちょっとだけ落胆していると、二人は、意外なことを言った。
「……ベルニナ?」
「知り合い。運が良い」
それは、どうなのかしら?
思い返してみると。
確かに、あたしと彼女たちの間に、何かがあったわけじゃない。
ーー名前を知られている?
ラクンさんに名乗ったから、そこから知ったのね。
嫉妬。
醜いとわかっていても、ラクンさんと一緒にいる、二人にーー。
「っ! 魔法!?」
クラっと、引き寄せられそうになった。
心に、ぐっと力を入れて、距離を取る。
「あ~、勘違いしないで~、まだ魔力が少し、残っているのよ~」
「私たちの魔力には、『魅了』の効果がある。魔力残量は、少ない。気合いを入れれば、大丈夫」
人猫と犬人は、立ち上がる素振りを見せない。
ーー見ただけではわからないけれど、怪我をしているのかしら?
この状況での、彼女たちの、腑抜け具合。
何だか、警戒していた自分が、馬鹿みたいに思えてきたので、犬人の助言通り、気合いを入れてから、近づいていく。
「その『魅了』は、同性にも効くのね」
「それだけだったら、良かったんだけどね」
「ん。魔物も、惹きつけてしまう」
「え? 魔物ーー」
「オルタンス。喋り方が、いつものに戻っちゃってるわ」
「アル様、いない。ちょっと、休憩」
「…………」
ーー何かしら。
ラクンさんと、あの青年と一緒にいたから、只者ではないと思っていたけれど。
彼女たちの素性が、まったく推測できない。
貴族としては、優雅さが足りない。
有力者の娘として育ったのだとしても、この緩さと甘さは、ーーと、そうだった。
二人の魔力は、他者だけでなく魔物をも「魅了」してしまうのだから、特殊な環境下にあったはず。
あたしの視線に気づいた、人猫は、あっさりと打ち明け話をする。
「あたしたちは、運が良かったの。父様に、拾ってもらえたから。きっと、あたしたち以外にも、いたはずだけどーー。たぶん、生まれてすぐに、殺されちゃったと……思う」
ーーあの日。
あたしの人生が、一度、終わった日。
「ベルニナ」の人生だったとしてもーー。
ーー贅沢。
そんな言葉は、口にしたら、駄目。
どんな状況にあろうとも、あたしも彼女たちも、歩き続けないといけない。
「って、そうだったわ! 早くしないと、アル様の課題が!」
「ん。もう、無理。目標を、時間内、から、確実な帰還、に切り替える」
「…………」
あたし。
この人たちと、相性が悪いのかしら?
「ベルニナさんだったわね。アオスタである、あなたに、聞きたいことがあるの!」
「アル様は、アオスタ。ラクンには、聞きたくない。だから、あなたに聞く」
ーー子供か!
あたしが色々と頭を悩ませていたのに。
自儘に振る舞う彼女たちに怒鳴ってやりたかったけれど、どちらか片方が折れないと会話が成立しないのなら。
損して得取れ、と頭の中で三回唱える。
「大丈夫よ。代わりに、ラクンのことを、教えてあげるから」
「え……?」
うっかり、見てしまった。
美猫と美犬が、にんやり、と笑っていた。
「何が聞きたいのよ?」
目を逸らしたら、負けな気がして、もう面倒だから、彼女たちの前に、どすんっと座ってしまう。
治れ 治れ 治れ
治れ 治れ 治れ
「『治癒』」
ーーあれ?
「あなた、凄いわね。そんなふざけた呪文で、これだけの効果があるなんて」
「魔法を学んで、半年と答えていた。天才、羨ましい」
誤解、だけれど。
本気で、感心している、二人。
会話の主導権を握れるかもしれないから。
黙っておくことにした。
ーーそれにしても。
魔法というものが、わからなくなってくる。
通常の、十倍くらいの治癒力だったのだけれど、何が影響しているのか、まったくわからない。
手引書で調べたら、わかるのかしら?
「課題達成は、もう無理ね。急ぐ必要がなくなったから、重要じゃないことから聞いていくわ」
「ええ、構わないわ。あたしが知っていることなら、答えてあげる」
好い加減、先に進めたいので、話を合わせることにする。
起き上がった、人猫は、革袋を取り出して、あたしの前に置いた。
犬人も倣って、同じ革袋を置く。
「これは?」
「実は、これまで、アル様がお金を払ってくれていたから、あたしたちは、お金を使ったことがないのよ」
「父上に、もらった。でも、このお金、見たことがない。アル様に聞くのは、恥ずかしい」
ーー見たことがない、お金?
偽造ーーかと思ったけれど、それなら、ラクンさんか、あの青年が気づかないはずがない。
そうなると、現在では流通していない、昔のお金かしら?
獣種の寿命は、長い。
彼女たちの父親なら、数百年前の貨幣を持っていたとしても、不思議はない。
「見てみないと、始まらないわね」
「十枚ずつ、入っているわ」
重さは、金貨と変わらない。
紐を解いて、中を見てみるとーー。
「あなたたちっ、何てものを持ち歩いているのよ!」
さっきは、我慢したけれど。
今度は、無理だった。
思わず、怒鳴ってしまった。
「なっ、何!? あたしたちは悪くないわよ!」
「悪いのは、このお金を持たせた、父上」
確かに。
犬人の言うように、彼女たちの父親が悪い。
常識がないにも、程がある。
「怒鳴ってしまって、ごめんなさい。これが、どれだけとんでもないものか、きちんと説明するわ」
意外にも、素直に耳を傾けてくれる、人猫と犬人。
益々、彼女たちの正体が、わからなくなってくる。
「これはね、絶金、と呼ばれているものよ。正式名称は、特になくて、四英雄貨、と呼ばれることもあるわ。これ一枚で、金貨百枚分の価値があるわ」
絶金十枚で、金貨千枚。
市井人が手にしたら、あまりのことに、気絶し兼ねない代物。
「えぇっ!?」
「価値? 百枚と交換できる、ではない?」
少し、わかってきた。
人猫と話しながら、犬人との会話を優先させれば、上手く回るようね。
「ええ、この絶金、金貨百枚の価値があると保証しているのは、ミュスタイア国の、絶雄なのよ」
「父様が?」
「……は?」
……えっと。
「ベルニナさん。構わず、話を続けて良い」
……そうね。
時間を置かないと、また怒鳴ってしまいそうだから、兎人が絶雄を蹴飛ばす妄想をしながら、続きを話すことにする。
「たくさんの金貨を持ち歩くのは、不便だから、過去にも幾つか、解消する方法があったのだけれど。結局、絶雄…様の、信用が勝って、絶金に落ち着いたの。絶金をミュスタイア国に持っていけば、金貨百枚と交換してもらえる。その信用があるからこそ、大陸でも、同じ価値があるの」
「ん~? でも、そんなに高価なら、本物と偽物は、どうやって見分けるのかしら?」
犬人は、予想がついているようだけれど、ここは人猫の疑問を解消したほうが、良さそうね。
「ちょっと待っててね」
あたしは、一旦、山頂から下って、大きな石を二つ、持ってくる。
「絶金を、石の上に置いて、それから、もう一つの石を落とすーーと」
ごっ、と石同士がぶつかって、上の石が転がって落ちる。
二つの大石に挟まれた、絶金を持ち上げて、二人に見せる。
「ほら、傷もついていないでしょう。この絶金は、絶雄様が造っているらしく、偽造するなんて、不可能だと言われているわ」
と、説明してあげたのに、何故か二人は、呆れた顔であたしを見ていた。
「そんなに駄々洩れで、大丈夫なの?」
「私と、同じくらい。怪力人種女」
始め、何を言っているのかわからなかったけれど、二つの大石を、崖の下に投げ落としてから、ようやく気づいた。
ーー魔力のことね。
一日目で慣れてしまったので、それ以降、気にしなくなっていた。
本来なら、持ち上げることもできない、大石を軽々と、二つも持ってきてしまった。
大鬼との戦いも、そう。
大石を持ったまま、オーガの顔の高さまで跳び上がるなんて、以前のあたしでは、考えられない。
オーガが、あたしを最大の敵と見做したのも、当然。
「あなたたち二人は、アルーーという青年の、婚約者なの?」
狡い言い方で、話を無理やり逸らす。
彼女たちを見ていれば、わかる。
あたしと違って、素直に、想いを奏でることができる。
不意に。
ずきんっと、心臓に痛みが走る。
「それは、その、そうと言うか、子供を産む約束を、しているというか……」
「ん。頑張る。先は長い。ひとつひとつ、確実に。アル様を、幸せにする」
これだけ、想っている、彼女たちと。
これだけ、想われている、あの青年と。
ーーどちらが、幸せなのかしら。
埒もないことを、考えてしまう。
「えっと、それで、アルさんと、二人は、上手くいっているように見えるのだけれど。何が聞きたいのかしら?」
気軽に聞いてしまったことを、あたしは、即座に後悔した。
「そ、それは……、その……。……あなたは、人種の女で、その年齢だから、男性経験も豊富よね?」
「ん。いざとなったとき、アル様に応えられないのは、駄目。父上は、教えてくれなかったから、誰かから聞く必要がある」
……不味いわ。
女の自尊心とか見栄とかが、試されているわ。
二十歳前で、やっと初恋をしたなんて、ーー言えない。
男性経験なんて、ーー接吻だって、したことないのに。
精々、ダンスを踊ったことがあるくらい。
「うーん?」
じゃあ、どうするの?
商売女のように、一から順に、手解きをしていく?
「…………」
……本を読んで、知識だけはあるから、初心な彼女たちを騙し切ることはできるはず。
と、そこまで考えたところで、稲妻が走る。
「ーーっ!」
駄目よ!
そんなことしたらっ、ラクンさんに、尻軽女だと思われてしまうわ!!
遊び人だと思われてしまうわ!?
というか、絶雄!
そうっ、絶雄よ!
四英雄の癖して、何でそんな大切なことを教えずに、放置しておいたのよ!
「っ……」
……もう、内心ではこれから、「駄雄」と呼んであげるわ。
兎にも角にも、落ち着く。
角兎さんで、和む。
見れば、二人は、とても真剣。
ーーそうよね。
知らないのは、不安よね。
誰かが教えなければいけないのなら。
……あたしが教えるの?
「どうしたのかしら? 何か、深く、ーーそう、とても深く、葛藤しているわ」
「きっと、生命の神秘を、どうやって伝えたら良いのか、迷っている」
よし。
決めたわ。
「えっと、あたしの事情は、知っているのかしら?」
どうしたらいいのか、わからないから、とりあえず、戦略的撤退をすることにした。
「ええ、聞いたわ。あと、十日くらいの命なのよね」
「容姿を変えた。その歪が、きている」
「え……?」
……え?
どういうこと?
あたし自身のことなのに、何故か、あたしよりも、あたしのことに詳しい、獣種二人。
ちょっと待って。
彼女は、聞いた、と言った。
ーーそれって。
「頼んでみたら、どう? 上手くいくかはわからないけど、あたしたちが、間を取り持ってあげるわ」
「それが、最良」
ーーラクンさんに?
彼に、頼む。
救ってもらえる。
ーー本当に?
「神才」と呼ばれている、ラクンさんならーー。
たぶん、無理。
以前も、考えて、答えは出ている。
でも、最後に。
彼の許で、最期を迎えることができる。
ーー助かるかもしれない、可能性を放棄して?
「……っ」
わからなくなってくる。
もう、ぐちゃぐちゃ。
なのに、人猫は、更に、言葉を投げつけてくる。
「魔法は使えなくなっちゃったけど、たぶん、大丈夫よ!」
「え……?」
今、なんて……?
魔法が……?
「え……と、なんで?」
「『魔雄の遺産』を無効化するためには、すべてをぶつけて、相殺する必要があった。魔法云々ではなく、魔力そのものが、なくなった」
あたしの、所為?
いえ、違う。
あたしは、ただ、あの場に、いただけ。
おぼろげに、覚えている。
ラクンさんたちは、駄雄の依頼で、遺産の対処を行った。
初めから、魔力を失うと、わかっていて、ーー人種を救うために、躊躇いなく、捨てた。
あの絶大なる力を。
空を見上げるようにーー。
朝起きて、大切な人と、おはよう、と挨拶するよりも簡単に……。
「…………」
……駄目。
あたしとは、かけ離れすぎて、真面に考えることなんて、できない。
「ごめんね。あなたたちには、時間があるから。ーー約束。あたしが生き残れたら、絶対、教えてあげる」
これまで、あたしは、生き残ったあとのことを、考えていなかった。
いえ、考えていなかったわけじゃない。
ただ、明確に、描き出したものではなかった。
あたしの決意に、二人は、顔を見合わせる。
「ベルニナさんが、自分で選んだのなら、あたしは、もう、何も言わないわ」
「ん。同じ恋する乙女、尊重する。ーー約束。ラクンのことも、そのあとで、話す」
不思議と、三人の女の心が一つにーーと思った瞬間に、人猫の心が揺らぐ。
「とと、そうだったわ。あたしたちは、アル様の味方だから、残念だけど、その範囲でしか、行動できないの」
「でも、その範囲でなら、全力で、やる」
犬人の言葉で、崩れかけた三女同盟が、何とか、つなぎとめられる。
ーーそうだったわ。
話が、おかしな方向に行ってしまったけれど、忽せにできないことがあったのだった。
この二人、延いては、ラクンさんと、あの青年は、どこまで知っているのかしら。
イオアニスのことーーまで知っているはずは、ないわよね。
「ーーと、そういえば、あなたたち、何で山頂に落っこちてきたの?」
「……それは、あっちに行ったり、こっちに行ったり、あんなことをしたり、こんなことをしたり……がくりっ」
意味不明なことを言った、人猫は、その場に崩れ落ちた。
「……あっち、こっち、あんな、こんな……いやん」
色々と省略したらしい、犬人は、両手で顔を覆ってしまった。
「あなたたち、あの人ーーアルさんに、騙されているわけでは、ないのよね?」
心配になって、思わず聞いてしまった。
「そんなことっ……ないわ!」
「有り得……ない!」
二人の様子に、猶更、危機感を募らせてしまうけれど。
ーーラクンさんがいるから、きっと、大丈夫ね。
得体の知れない、あの青年も、ラクンさんなら、手綱を締めることができるはず。
ーー駄目なのに。
彼の姿を、思い浮かべてしまった。
考えただけで、瞼の裏に。
胸の奥の、炎が色づく。
ーー美しい、透明。
狂おしいほどに、凪いだ、あの眼差しに、包まれたい。
あの手の優しさに、温もりに、ーー言葉が溢れてしまった。
「あの、ラクンさんーー」
「ベンズ伯の屋敷に突貫したし、明日は、ビュジエ伯に会いに行くわ! ベルニナさん、最後まで諦めたら、駄目よ!」
「ん。ミセル国の王城に参上。お互い、やるべき事を、やる」
突如、立ち上がった、二人は、満足気な笑顔を浮かべて、走り去っていく。
……え?
「……え、あ、ちょっと、待っ……」
「ええ、わかってるわ! あたしは、ボルネア・グランデよ!」
「オルタンス・グランデ」
まるでわかっていない、二人。
勘違いしたらしい、二人ーーボルネアとオルタンスは、最後に名乗りを上げてから、本当の本当に、山を下りていってしまった。
「…………」
……相性というか、あの二人とは、生き方、そのものが異なっているのかもしれない。
何を間違えてしまったのか、それさえもわからず、あたしは夜明けまで、立ち尽くしていたのだった。
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