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炎の凪唄
魔法の手引書
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「おや、魔雄様。お帰りですか?」
居館の門衛の、人犬が聞いてくる。
相方は今日も、豚人のようだ。
「もう、わかっているんだろう? 魔雄様は、やめてくれ」
「いえいえ、そういうわけにはいきません。本物として扱うよう、示達がありましたので」
どうやら、誰かが忖度、というか、余計なお節介をしてくれたようだ。
「馬車の準備は、済んでいる。魔雄殿が乗ってきた馬車は、幻想団の拠点に届くように、手配しておいた」
豚人が、事務連絡をしてくれる。
ボルネアとオルタンスが不思議そうな顔をしていたので、説明することにする。
「用意してくれた、あの馬車は、一見普通に見えるが、特徴的な形をしている。見る人が見れば、ミュスタイア国の、訳ありの馬車だとわかる。内装もたぶん、幻想団の馬車とは、比べ物にならないだろうな」
ここら辺の気配りは、絶雄ではなく、ティソがしてくれた可能性が高い。
二人に、お礼を言ってから、乗り込もうとしたところで、アルが人犬に問い掛ける。
「カステル様から、『魔法の手引書』を受け取ったようですが、如何ですか?」
そういえば。
ーーあのときの小僧が、大きくなったものだ。
絶雄から、そのように言って渡せと、アルが、手引書を渡していた。
こんな短期間で調べがつくものかと思ったが、アルが口にするということは、そういうことのようだ。
「はい! カステル様から頂きました! ですので、今! 魔法剣の鍛錬に明け暮れています!」
「ふぅ。門衛の仕事をしつつ、鍛錬を行って良いと、カステル様から許可が出ている。嬉しいのはわかるが、はしゃぎ過ぎだ」
目を輝かせる人犬と、呆れながらも、微笑ましく見守っている豚人。
二人とも、青年期のようだが、豚人のほうが、年長者のようだ。
「…………」
と、呑気に、観察できていたのも、ここまで。
アルが、笑っていた。
そして、明らかな作り笑いで、俺を見てきた。
内心で、でっかい溜め息。
「ーーーー」
俺は、人猫と犬人に、目配せする。
俺とアルの遣り取りを、二人も散々見てきたのだから、乗ってきてくれるだろう。
「『魔法の手引書』なのだから、魔法剣ではなく、魔法を学んだりは、しないのか?」
「魔法? 目標などと、烏滸がましいが、私が目指しているのは、カステル様です。カステル様が勧めてくださいましたので、適性があるのだと、ーー脇道に逸れることにしました。……一刻も早く、期待にお応えせねばなりません。魔法などという女々しい、なよっちい、おちゃらけに拘っている暇など、ありません」
前衛に出てこない魔法使いを、侮る戦士は多い。
彼がそうだとは思えないが、絶雄関連で、完全に舞い上がってしまい、過剰反応してしまっているようだ。
ーー魔法が苦手な、絶雄。
アルの誤算、とは言いたくないが、人犬にとって魔法は、始めから選択肢になかったようだ。
それと、衰退期にある絶雄に、成長した姿を見せたいという焦りもあるのだろう。
ーーもう、駄目だ。
アルの眉が、ぴくりと動いた。
人犬に、事情があるのは理解しているが、拗ねたアルを抑え込むなど、ただの人種には不可能だ。
「ジョミニさん、だったな。実は、こちらの、アル。剣が上達してきたからと、最近、調子に乗ってしまっているんだ。どうか、実力の差というものを、上には上がいるということを、わからせてやってもらえないか」
「うん? ーー確かに、私にも覚えがあります。そういうときにこそ、思わぬ怪我をするものですが、しかしーー」
絶雄の客人に、粗相などできないと、渋る人犬に。
俺の意図を汲んでくれた、ボルネアが、人犬の自尊心を刺激する。
「そういえば。先程、アル…の話になったときに。……カステル様も、ジョミニ様に、稽古をつけてもらえば良い、というようなことを、言っていましたわ」
たどたどしい物言いだったが、彼は、気づかない。
「ーーカステル様っ」
それどころではないようだ。
絶雄に心酔している、人犬の態度が、ころりと一変する。
そこに、止めの一撃。
「ジョミニ様の剣。見てみたい」
同種の、美人の言葉に、やる気が有頂天な、人犬。
「アル。ジョミニさんに、胸を貸してもらえ」
さり気なく、犬人と人犬の間に割って入る。
ジョミニは、気づいていない。
オルタンスの目に、怯えがある。
ーー少し、距離が近かったようだ。
獣種の異性。
「魅了」を具えて生まれてきたが故の、根源的な恐怖。
こんな短期間で克服など、できるはずがない。
二人は、居館で、同性である兎人とも、距離を取っていた。
兎人は、勘が鋭い。
同性の美人など、ネーラの大好物だが、二人に飛びつくようなことはしなかった。
ボルネアが、オルタンスに寄り添う。
ーーベルニナ。
ふと、彼女の姿が、思い浮かんだ。
ベルニナは、独りだった。
どんな事情があってーー。
「キャイ~ンっ!?」
もう、終わったようだ。
人犬が、気絶していた。
「はぁ。ジョミニには、良い薬になった。わからせてやってもらえて、感謝する」
「あー、時間が押しているので、彼のことは任せーー、ん?」
まじまじと、豚人を凝視してしまった。
「どうか、したか?」
「あ、と、何というか、物凄く、男前?」
全然、言葉が足りなかったが、豚人は、理解してくれたようだ。
「ほう。獣種でも、気づく者は少ないというのに、人種で見分けるとは、さすが魔雄殿だ」
豚人が言うように、一目で見取るのは難しい。
幻想団には、豚種はいなかったから、気づくのが遅れた。
恐らく、豚種の、顔の造形が、何らかの影響を及ぼしているとは思うのだが、はっきりとはわからない。
「他種から好かれ易いのは、竜種や犬種だ。兎種は、別格、というか、別枠。逆に、好かれ難いのが、豚種や鼠種だ。鼠種は、一部から、熱狂的に好かれることがあるのだが、豚種は、まんべんなく嫌われーーもとい、誤解される」
「よく見ると、本当に、美形だよな。同種からは、持てるんじゃないか?」
「ふぅ。事実だから言うが、何もしなくても、豚種の女が寄ってくる。それだけでなく、カステル様の直属という、有望株。それなりの家の三男坊とあって、家格が上の有力な三家で、取り合いになっている」
嘘は、言っていない。
事実だけを、語っているようだ。
淡々とした、口調が気になり、急いでいるというのに、我慢できない俺の口は、好奇心を抑え切れず、緩んでしまった。
「政略結婚みたいなことになっているようだが、それで良いのか?」
「魔雄殿なら知っているだろうが、獣種には、それぞれに、特性やら特徴やらがある。豚種の男で、一人の女を愛する者は、稀だ。結婚する際、『愛人は五人まで』といった条件がつく。人材というのは、中々、集まらない。ミュスタイアのようにはいかない」
「愛人に子を産ませて、優秀な家人を確保したいということか?」
「うむ。カステル様にお仕えするのは、光栄なことだが、私にとっては、豚種としての誇りのほうが重い。豚種に裨益するのであれば、残念だが、職を辞すことになる」
「ーーっ」
と、いけないいけない、聞き入ってしまった。
彼と、もっと話をしたいが、ここらが潮時だろう。
「ーー魔雄殿」
頭を下げ、馬車に向かおうとしたところで、呼び止められる。
振り返ると、正面から、見詰められる。
「魔雄殿は、不思議な方だ。豚種を、そのような目で見る方には、初めて会った。ーー惚れてしまいそうだ」
「っ!?」
「ふっ。冗談だ。最後に一つだけ、気が変わったので、言っておこうと思っただけだ」
ーー格好良い。
素直に、思ってしまった。
振る舞いは、洗練されているし、気骨のある豚種。
恋愛観というか結婚観は、相容れないが、それは種としての価値観の相違に過ぎない。
アルとは、違った、魅力を持つ豚人。
俺の、未来の姿と重ねてみると、ーーネーラが大笑いしている姿が、脳裏に浮かんできてしまったので、頭から兎さんを追い出し、彼の言葉に耳を傾けることにする。
「先程、ジョミニが、示達、と言ったが、ある意味、カステル様の公認となった」
「……何の話だ?」
「魔雄殿の、噂だ。カステル様は、いまいち、御自身の影響力といったものを、理解しておられない。すでに、ミュスタイアの外まで、拡がっている。今、火に油を注ぐと、取り返しのつかないことになる。それは、魔雄殿の、望むところではないと思うがーー」
「アル。ちょっと来い」
手招きする。
子犬のように、アルは、パタパタと駆けてくる。
「む? 何だ?」
俺は前で、アルは後ろからだ。
「お礼だ。受け取ってくれ」
「撫師」と「撫師」の共演。
「むぅ!? 何だっ、この、抗い難い心地好さは!? 人種の癖に、どこまでっ、手慣れているのだ!!」
幾つか、理由はある。
感謝の気持ちが、十の内の、二。
あまりにも豚人が格好良すぎるので、男としての嫉妬が、一。
残りの、七は、未だ機嫌が直っていない、アルへの、慰み者だ。
「……くっ。このような辱めを受けるとは……。だが、この満たされたような、充足感は、何なのだ……」
体から力が抜けた、豚人は、がくりと崩れ落ち、四つん這いになる。
ーー彼は、俺を、認めてくれた。
夢。
そんなものは、俺には、ないはずだ。
なのに、おぼろげな、それに手を伸ばそうと。
獣種と人種の、距離を、無くしてしまいたかった。
「あー、すまない」
そんな、よくわからないもののために。
彼を、利用する形になってしまったので、謝っておく。
「ーーーー」
ちらと、二人を見る。
十の内に、含んではいないが、ボルネアとオルタンスに、向けたものでもある。
馬鹿男三人の姿を見せたので、少しは、異性への恐怖が薄れたーーはず。
「はぁ。よくわからないが、これは、貸しだ。私の子が生まれたら、抱きに来い」
最後まで格好良い、豚人だった。
「はい。では、出発します」
今回も、馭者は、アルが買って出てくれる。
「うわ……」
幻想団のものとは、別物だ。
フワフワで、座り心地が好すぎるので、逆に、落ち着かない。
兎にも角にも、アルの機嫌が直ったようなので、疑問に思っていたことを、聞いてみる。
「『魔法の手引書』だが、ジョミニさんに上げて良かったのか? 絶雄様の管理下にある内は、大丈夫だと思うが」
嘗て、絶雄に宛てた、魔雄の手紙が盗まれたように、手引書も紛失するかもしれない。
それだけでなく、手引書の価値は、大陸の発展にまで影響を与えてしまうくらいの、絶大なものだ。
存在しているだけで、厄介な代物だ。
「ああ、言っていませんでしたね。僕は、ラクンさんと逢って、人には、無限の可能性があるということを、知りました。ですので、世界に、『魔法の手引書』を大量に、ばら撒きました」
「……本音は?」
「『ハビヒ』が死んでから、八百九十年経ちました。なのに、魔法がまったく発展していません。この世界に、影響を与えるようなことは、控えようと思っていましたが、ーーやっぱり、やめました」
魔雄は、子供っぽいと、何度も思ってきたが、これはーー。
駄目だ。
改めて実感する。
「アル」を、「ハビヒ」を野放しにするのは、絶対に、駄目だ。
「ですが、ばら撒いた者の、義務として、回収できるようには、しておきました。他にも、表紙の文字を、古代期の文字にしたり、魔力を籠めないと読めなかったりと、資格が求められるものにしてあります」
アルのことだから、そこら辺は抜かりがないーーと信じたい。
「ラクンさん。馭者、代わって下さい」
「それは構わないが、どうした?」
手引書のことで、追及を避けるためかと思ったが、違うらしい。
感情の薄い、アルの表情。
何度か、見てきた。
人種のーー恐らく、ベルニナに関することだ。
アルにとって大切なものではない、人種に係わること。
手引書のことは、一旦、頭の端に寄せておく。
「ラクンさんは、ベルニナさんを助ける。ーーそれで、間違いありませんか?」
「俺に、その力がないことは知っている。件の、魔法使いをどうにかして、ベルニナを救わせるーーくらいのことしか、思い浮かばない。それでも、助けると、ーー決めた」
アルなら、助けられる。
だが、俺は、知っている。
俺が動かなければ、アルは、一欠けらの感情も抱かず、ベルニナを見捨てる。
アルを、気に入り、それから、好きになり。
俺の我が儘で、係わらせたいと、願った。
今は、前を歩いている。
ーーいつか、隣で、同じ景色を見たいと、思ってしまった。
些細な。
ひとつひとつ、積み重なり、もう、本当の答えが、見えなくなっている。
だが、それで良い。
人とは、そういうものだ。
大切なもの、捨てたいもの、愛しいもの、吐き出したいもの、つかみ取りたいものーー。
たくさんのものを抱え、それでも前に向かい、歩いている。
「これから、僕は、魔法陣を描きます。時間が掛かります。魔法陣を発動するには、ボルネアとオルタンスの、全魔力量が必要です。それを使う機会があるかどうかは、ラクンさん次第です」
優しい、アル。
容赦のない、アル。
悪戯小僧の、アル。
どれもこれもーー。
大き過ぎ、見えないもの。
「ラクン。言うまでもないけど、あたしは、ラクンよりも、アル様を選ぶわ」
「そう。私たちの意思で、アル様に寄り添う」
「ーー十分だ」
アルを通してでも、俺を見てくれるのなら。
俺はーー。
「そういうわけで、あとは、ラクンさん次第ですね。期待しています」
「ーーは?」
ーーアルの、可愛い笑顔。
振り返らなければ良かったと、俺は、後悔したのだった。
す「ですわ」
豚「この角の生えた子供は、どこから迷い込んだのだ?」
ジ「先程、『ちょろ火が出たから、義務のようなものですわ』と言っていました」
豚「それよりも、補足だ」
ジ「何か、ありましたか?」
豚「よく見ろ、ジョミニ。豚、と書いてあるだろう、豚、と」
ジ「は? 何のことを言っているのですか、先輩?」
豚「もう良い。風結を直接、締め上げてくる」
す「ますわ」
ジ「お帰りなさい、先輩。名前、決まりましたか?」
ヴ「もう、普通に呼べ、ジョミニ」
ジ「はい。ヴァルトさん」
ヴ「このままだと、二十万字、いきそうだ」
ジ「余計なことばかり、書いていたから、仕方がありません」
ヴ「いつもの、風結ということだ」
ジ「ほら、夜になるから、早く帰りなさびぃいいぃっっ!?」
す「『氷絶』」
ヴ「どうして、そう、迂闊なのだ。カステル様と同じくらい強い者の頭を撫でようとするとは」
す「ひゃふ。わかるのですわ?」
ヴ「それはもちろろろろろぉおおぉっっ!?」
す「『雪降』」
ヴジ「…………」
す「わかってないですわ。あの娘より弱いなんて、言ってくれるですわ」
ヴジ「…………」
す「次、来るとしたら、風っころでしょうから、謎空間の亀裂を、きちんと塞いでおきますわ」
ヴジ「…………」
す「『治癒』」
ジ「……あれ? ヴァルトさん。今、誰か、いませんでしたか?」
ヴ「どうした、ジョミニ? 仕事中だ。寝惚けるのも程々にしておけ」
ら「……ぴゅ?」
居館の門衛の、人犬が聞いてくる。
相方は今日も、豚人のようだ。
「もう、わかっているんだろう? 魔雄様は、やめてくれ」
「いえいえ、そういうわけにはいきません。本物として扱うよう、示達がありましたので」
どうやら、誰かが忖度、というか、余計なお節介をしてくれたようだ。
「馬車の準備は、済んでいる。魔雄殿が乗ってきた馬車は、幻想団の拠点に届くように、手配しておいた」
豚人が、事務連絡をしてくれる。
ボルネアとオルタンスが不思議そうな顔をしていたので、説明することにする。
「用意してくれた、あの馬車は、一見普通に見えるが、特徴的な形をしている。見る人が見れば、ミュスタイア国の、訳ありの馬車だとわかる。内装もたぶん、幻想団の馬車とは、比べ物にならないだろうな」
ここら辺の気配りは、絶雄ではなく、ティソがしてくれた可能性が高い。
二人に、お礼を言ってから、乗り込もうとしたところで、アルが人犬に問い掛ける。
「カステル様から、『魔法の手引書』を受け取ったようですが、如何ですか?」
そういえば。
ーーあのときの小僧が、大きくなったものだ。
絶雄から、そのように言って渡せと、アルが、手引書を渡していた。
こんな短期間で調べがつくものかと思ったが、アルが口にするということは、そういうことのようだ。
「はい! カステル様から頂きました! ですので、今! 魔法剣の鍛錬に明け暮れています!」
「ふぅ。門衛の仕事をしつつ、鍛錬を行って良いと、カステル様から許可が出ている。嬉しいのはわかるが、はしゃぎ過ぎだ」
目を輝かせる人犬と、呆れながらも、微笑ましく見守っている豚人。
二人とも、青年期のようだが、豚人のほうが、年長者のようだ。
「…………」
と、呑気に、観察できていたのも、ここまで。
アルが、笑っていた。
そして、明らかな作り笑いで、俺を見てきた。
内心で、でっかい溜め息。
「ーーーー」
俺は、人猫と犬人に、目配せする。
俺とアルの遣り取りを、二人も散々見てきたのだから、乗ってきてくれるだろう。
「『魔法の手引書』なのだから、魔法剣ではなく、魔法を学んだりは、しないのか?」
「魔法? 目標などと、烏滸がましいが、私が目指しているのは、カステル様です。カステル様が勧めてくださいましたので、適性があるのだと、ーー脇道に逸れることにしました。……一刻も早く、期待にお応えせねばなりません。魔法などという女々しい、なよっちい、おちゃらけに拘っている暇など、ありません」
前衛に出てこない魔法使いを、侮る戦士は多い。
彼がそうだとは思えないが、絶雄関連で、完全に舞い上がってしまい、過剰反応してしまっているようだ。
ーー魔法が苦手な、絶雄。
アルの誤算、とは言いたくないが、人犬にとって魔法は、始めから選択肢になかったようだ。
それと、衰退期にある絶雄に、成長した姿を見せたいという焦りもあるのだろう。
ーーもう、駄目だ。
アルの眉が、ぴくりと動いた。
人犬に、事情があるのは理解しているが、拗ねたアルを抑え込むなど、ただの人種には不可能だ。
「ジョミニさん、だったな。実は、こちらの、アル。剣が上達してきたからと、最近、調子に乗ってしまっているんだ。どうか、実力の差というものを、上には上がいるということを、わからせてやってもらえないか」
「うん? ーー確かに、私にも覚えがあります。そういうときにこそ、思わぬ怪我をするものですが、しかしーー」
絶雄の客人に、粗相などできないと、渋る人犬に。
俺の意図を汲んでくれた、ボルネアが、人犬の自尊心を刺激する。
「そういえば。先程、アル…の話になったときに。……カステル様も、ジョミニ様に、稽古をつけてもらえば良い、というようなことを、言っていましたわ」
たどたどしい物言いだったが、彼は、気づかない。
「ーーカステル様っ」
それどころではないようだ。
絶雄に心酔している、人犬の態度が、ころりと一変する。
そこに、止めの一撃。
「ジョミニ様の剣。見てみたい」
同種の、美人の言葉に、やる気が有頂天な、人犬。
「アル。ジョミニさんに、胸を貸してもらえ」
さり気なく、犬人と人犬の間に割って入る。
ジョミニは、気づいていない。
オルタンスの目に、怯えがある。
ーー少し、距離が近かったようだ。
獣種の異性。
「魅了」を具えて生まれてきたが故の、根源的な恐怖。
こんな短期間で克服など、できるはずがない。
二人は、居館で、同性である兎人とも、距離を取っていた。
兎人は、勘が鋭い。
同性の美人など、ネーラの大好物だが、二人に飛びつくようなことはしなかった。
ボルネアが、オルタンスに寄り添う。
ーーベルニナ。
ふと、彼女の姿が、思い浮かんだ。
ベルニナは、独りだった。
どんな事情があってーー。
「キャイ~ンっ!?」
もう、終わったようだ。
人犬が、気絶していた。
「はぁ。ジョミニには、良い薬になった。わからせてやってもらえて、感謝する」
「あー、時間が押しているので、彼のことは任せーー、ん?」
まじまじと、豚人を凝視してしまった。
「どうか、したか?」
「あ、と、何というか、物凄く、男前?」
全然、言葉が足りなかったが、豚人は、理解してくれたようだ。
「ほう。獣種でも、気づく者は少ないというのに、人種で見分けるとは、さすが魔雄殿だ」
豚人が言うように、一目で見取るのは難しい。
幻想団には、豚種はいなかったから、気づくのが遅れた。
恐らく、豚種の、顔の造形が、何らかの影響を及ぼしているとは思うのだが、はっきりとはわからない。
「他種から好かれ易いのは、竜種や犬種だ。兎種は、別格、というか、別枠。逆に、好かれ難いのが、豚種や鼠種だ。鼠種は、一部から、熱狂的に好かれることがあるのだが、豚種は、まんべんなく嫌われーーもとい、誤解される」
「よく見ると、本当に、美形だよな。同種からは、持てるんじゃないか?」
「ふぅ。事実だから言うが、何もしなくても、豚種の女が寄ってくる。それだけでなく、カステル様の直属という、有望株。それなりの家の三男坊とあって、家格が上の有力な三家で、取り合いになっている」
嘘は、言っていない。
事実だけを、語っているようだ。
淡々とした、口調が気になり、急いでいるというのに、我慢できない俺の口は、好奇心を抑え切れず、緩んでしまった。
「政略結婚みたいなことになっているようだが、それで良いのか?」
「魔雄殿なら知っているだろうが、獣種には、それぞれに、特性やら特徴やらがある。豚種の男で、一人の女を愛する者は、稀だ。結婚する際、『愛人は五人まで』といった条件がつく。人材というのは、中々、集まらない。ミュスタイアのようにはいかない」
「愛人に子を産ませて、優秀な家人を確保したいということか?」
「うむ。カステル様にお仕えするのは、光栄なことだが、私にとっては、豚種としての誇りのほうが重い。豚種に裨益するのであれば、残念だが、職を辞すことになる」
「ーーっ」
と、いけないいけない、聞き入ってしまった。
彼と、もっと話をしたいが、ここらが潮時だろう。
「ーー魔雄殿」
頭を下げ、馬車に向かおうとしたところで、呼び止められる。
振り返ると、正面から、見詰められる。
「魔雄殿は、不思議な方だ。豚種を、そのような目で見る方には、初めて会った。ーー惚れてしまいそうだ」
「っ!?」
「ふっ。冗談だ。最後に一つだけ、気が変わったので、言っておこうと思っただけだ」
ーー格好良い。
素直に、思ってしまった。
振る舞いは、洗練されているし、気骨のある豚種。
恋愛観というか結婚観は、相容れないが、それは種としての価値観の相違に過ぎない。
アルとは、違った、魅力を持つ豚人。
俺の、未来の姿と重ねてみると、ーーネーラが大笑いしている姿が、脳裏に浮かんできてしまったので、頭から兎さんを追い出し、彼の言葉に耳を傾けることにする。
「先程、ジョミニが、示達、と言ったが、ある意味、カステル様の公認となった」
「……何の話だ?」
「魔雄殿の、噂だ。カステル様は、いまいち、御自身の影響力といったものを、理解しておられない。すでに、ミュスタイアの外まで、拡がっている。今、火に油を注ぐと、取り返しのつかないことになる。それは、魔雄殿の、望むところではないと思うがーー」
「アル。ちょっと来い」
手招きする。
子犬のように、アルは、パタパタと駆けてくる。
「む? 何だ?」
俺は前で、アルは後ろからだ。
「お礼だ。受け取ってくれ」
「撫師」と「撫師」の共演。
「むぅ!? 何だっ、この、抗い難い心地好さは!? 人種の癖に、どこまでっ、手慣れているのだ!!」
幾つか、理由はある。
感謝の気持ちが、十の内の、二。
あまりにも豚人が格好良すぎるので、男としての嫉妬が、一。
残りの、七は、未だ機嫌が直っていない、アルへの、慰み者だ。
「……くっ。このような辱めを受けるとは……。だが、この満たされたような、充足感は、何なのだ……」
体から力が抜けた、豚人は、がくりと崩れ落ち、四つん這いになる。
ーー彼は、俺を、認めてくれた。
夢。
そんなものは、俺には、ないはずだ。
なのに、おぼろげな、それに手を伸ばそうと。
獣種と人種の、距離を、無くしてしまいたかった。
「あー、すまない」
そんな、よくわからないもののために。
彼を、利用する形になってしまったので、謝っておく。
「ーーーー」
ちらと、二人を見る。
十の内に、含んではいないが、ボルネアとオルタンスに、向けたものでもある。
馬鹿男三人の姿を見せたので、少しは、異性への恐怖が薄れたーーはず。
「はぁ。よくわからないが、これは、貸しだ。私の子が生まれたら、抱きに来い」
最後まで格好良い、豚人だった。
「はい。では、出発します」
今回も、馭者は、アルが買って出てくれる。
「うわ……」
幻想団のものとは、別物だ。
フワフワで、座り心地が好すぎるので、逆に、落ち着かない。
兎にも角にも、アルの機嫌が直ったようなので、疑問に思っていたことを、聞いてみる。
「『魔法の手引書』だが、ジョミニさんに上げて良かったのか? 絶雄様の管理下にある内は、大丈夫だと思うが」
嘗て、絶雄に宛てた、魔雄の手紙が盗まれたように、手引書も紛失するかもしれない。
それだけでなく、手引書の価値は、大陸の発展にまで影響を与えてしまうくらいの、絶大なものだ。
存在しているだけで、厄介な代物だ。
「ああ、言っていませんでしたね。僕は、ラクンさんと逢って、人には、無限の可能性があるということを、知りました。ですので、世界に、『魔法の手引書』を大量に、ばら撒きました」
「……本音は?」
「『ハビヒ』が死んでから、八百九十年経ちました。なのに、魔法がまったく発展していません。この世界に、影響を与えるようなことは、控えようと思っていましたが、ーーやっぱり、やめました」
魔雄は、子供っぽいと、何度も思ってきたが、これはーー。
駄目だ。
改めて実感する。
「アル」を、「ハビヒ」を野放しにするのは、絶対に、駄目だ。
「ですが、ばら撒いた者の、義務として、回収できるようには、しておきました。他にも、表紙の文字を、古代期の文字にしたり、魔力を籠めないと読めなかったりと、資格が求められるものにしてあります」
アルのことだから、そこら辺は抜かりがないーーと信じたい。
「ラクンさん。馭者、代わって下さい」
「それは構わないが、どうした?」
手引書のことで、追及を避けるためかと思ったが、違うらしい。
感情の薄い、アルの表情。
何度か、見てきた。
人種のーー恐らく、ベルニナに関することだ。
アルにとって大切なものではない、人種に係わること。
手引書のことは、一旦、頭の端に寄せておく。
「ラクンさんは、ベルニナさんを助ける。ーーそれで、間違いありませんか?」
「俺に、その力がないことは知っている。件の、魔法使いをどうにかして、ベルニナを救わせるーーくらいのことしか、思い浮かばない。それでも、助けると、ーー決めた」
アルなら、助けられる。
だが、俺は、知っている。
俺が動かなければ、アルは、一欠けらの感情も抱かず、ベルニナを見捨てる。
アルを、気に入り、それから、好きになり。
俺の我が儘で、係わらせたいと、願った。
今は、前を歩いている。
ーーいつか、隣で、同じ景色を見たいと、思ってしまった。
些細な。
ひとつひとつ、積み重なり、もう、本当の答えが、見えなくなっている。
だが、それで良い。
人とは、そういうものだ。
大切なもの、捨てたいもの、愛しいもの、吐き出したいもの、つかみ取りたいものーー。
たくさんのものを抱え、それでも前に向かい、歩いている。
「これから、僕は、魔法陣を描きます。時間が掛かります。魔法陣を発動するには、ボルネアとオルタンスの、全魔力量が必要です。それを使う機会があるかどうかは、ラクンさん次第です」
優しい、アル。
容赦のない、アル。
悪戯小僧の、アル。
どれもこれもーー。
大き過ぎ、見えないもの。
「ラクン。言うまでもないけど、あたしは、ラクンよりも、アル様を選ぶわ」
「そう。私たちの意思で、アル様に寄り添う」
「ーー十分だ」
アルを通してでも、俺を見てくれるのなら。
俺はーー。
「そういうわけで、あとは、ラクンさん次第ですね。期待しています」
「ーーは?」
ーーアルの、可愛い笑顔。
振り返らなければ良かったと、俺は、後悔したのだった。
す「ですわ」
豚「この角の生えた子供は、どこから迷い込んだのだ?」
ジ「先程、『ちょろ火が出たから、義務のようなものですわ』と言っていました」
豚「それよりも、補足だ」
ジ「何か、ありましたか?」
豚「よく見ろ、ジョミニ。豚、と書いてあるだろう、豚、と」
ジ「は? 何のことを言っているのですか、先輩?」
豚「もう良い。風結を直接、締め上げてくる」
す「ますわ」
ジ「お帰りなさい、先輩。名前、決まりましたか?」
ヴ「もう、普通に呼べ、ジョミニ」
ジ「はい。ヴァルトさん」
ヴ「このままだと、二十万字、いきそうだ」
ジ「余計なことばかり、書いていたから、仕方がありません」
ヴ「いつもの、風結ということだ」
ジ「ほら、夜になるから、早く帰りなさびぃいいぃっっ!?」
す「『氷絶』」
ヴ「どうして、そう、迂闊なのだ。カステル様と同じくらい強い者の頭を撫でようとするとは」
す「ひゃふ。わかるのですわ?」
ヴ「それはもちろろろろろぉおおぉっっ!?」
す「『雪降』」
ヴジ「…………」
す「わかってないですわ。あの娘より弱いなんて、言ってくれるですわ」
ヴジ「…………」
す「次、来るとしたら、風っころでしょうから、謎空間の亀裂を、きちんと塞いでおきますわ」
ヴジ「…………」
す「『治癒』」
ジ「……あれ? ヴァルトさん。今、誰か、いませんでしたか?」
ヴ「どうした、ジョミニ? 仕事中だ。寝惚けるのも程々にしておけ」
ら「……ぴゅ?」
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