めぐる風の星唄

風結

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炎の凪唄

魔法の手引書

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「おや、魔雄様。お帰りですか?」
 居館の門衛の、人犬カレンが聞いてくる。
 相方は今日も、豚人ザンクトのようだ。
「もう、わかっているんだろう? 魔雄様は、やめてくれ」
「いえいえ、そういうわけにはいきません。本物として扱うよう、示達じたつがありましたので」
 どうやら、誰かが忖度、というか、余計なお節介をしてくれたようだ。
「馬車の準備は、済んでいる。魔雄殿が乗ってきた馬車は、幻想団の拠点に届くように、手配しておいた」
 豚人が、事務連絡をしてくれる。
 ボルネアとオルタンスが不思議そうな顔をしていたので、説明することにする。
「用意してくれた、あの馬車は、一見いっけん普通に見えるが、特徴的な形をしている。見る人が見れば、ミュスタイア国の、訳ありの馬車だとわかる。内装もたぶん、幻想団の馬車とは、比べ物にならないだろうな」
 ここら辺の気配りは、絶雄ではなく、ティソがしてくれた可能性が高い。
 二人に、お礼を言ってから、乗り込もうとしたところで、アルが人犬に問い掛ける。
「カステル様から、『魔法の手引書』を受け取ったようですが、如何ですか?」
 そういえば。
 ーーあのときの小僧が、大きくなったものだ。
 絶雄から、そのように言って渡せと、アルが、手引書を渡していた。
 こんな短期間で調べがつくものかと思ったが、アルが口にするということは、そういうことのようだ。
「はい! カステル様から頂きました! ですので、今! 魔法剣の鍛錬に明け暮れています!」
「ふぅ。門衛の仕事をしつつ、鍛錬を行って良いと、カステル様から許可が出ている。嬉しいのはわかるが、はしゃぎ過ぎだ」
 目を輝かせる人犬と、呆れながらも、微笑ましく見守っている豚人。
 二人とも、青年期のようだが、豚人のほうが、年長者のようだ。
「…………」
 と、呑気に、観察できていたのも、ここまで。
 アルが、笑っていた。
 そして、明らかな作り笑いで、俺を見てきた。
 内心で、でっかい溜め息。
「ーーーー」
 俺は、人猫セドゥヌム犬人ウンターに、目配せする。
 俺とアルの遣り取りを、二人も散々見てきたのだから、乗ってきてくれるだろう。
「『魔法の手引書』なのだから、魔法剣ではなく、魔法を学んだりは、しないのか?」
「魔法? 目標などと、烏滸おこがましいが、私が目指しているのは、カステル様です。カステル様が勧めてくださいましたので、適性があるのだと、ーー脇道に逸れることにしました。……一刻も早く、期待にお応えせねばなりません。魔法などという女々しい、なよっちい、おちゃらけにかかずらっている暇など、ありません」
 前衛に出てこない魔法使いを、侮る戦士は多い。
 彼がそうだとは思えないが、絶雄関連で、完全に舞い上がってしまい、過剰反応してしまっているようだ。
 ーー魔法が苦手な、絶雄。
 アルの誤算、とは言いたくないが、人犬にとって魔法は、始めから選択肢になかったようだ。
 それと、衰退期にある絶雄に、成長した姿を見せたいという焦りもあるのだろう。
 ーーもう、駄目だ。
 アルの眉が、ぴくりと動いた。
 人犬に、事情があるのは理解しているが、拗ねたアルかっかざんを抑え込むなど、ただの人種には不可能だよんだいしんだってにげだす
「ジョミニさん、だったな。実は、こちらの、アル。剣が上達してきたからと、最近、調子に乗ってしまっているんだ。どうか、実力の差というものを、上には上がいるということを、わからせてやってもらえないか」
「うん? ーー確かに、私にも覚えがあります。そういうときにこそ、思わぬ怪我をするものですが、しかしーー」
 絶雄の客人に、粗相などできないと、渋る人犬に。
 俺の意図をんでくれた、ボルネアが、人犬の自尊心を刺激する。
「そういえば。先程、アル…の話になったときに。……カステル様も、ジョミニ様に、稽古をつけてもらえば良い、というようなことを、言っていましたわ」
 たどたどしい物言いだったが、彼は、気づかない。
「ーーカステル様っ」
 それどころではないようだ。
 絶雄に心酔している、人犬の態度が、ころりと一変する。
 そこに、止めの一撃。
「ジョミニ様の剣。見てみたい」
 同種の、美人の言葉に、やる気が有頂天な、人犬ぎせいしゃ
「アル。ジョミニさんに、胸を貸してもらえ」
 さり気なく、犬人オルタンス人犬ジョミニの間に割って入る。
 ジョミニは、気づいていない。
 オルタンスの目に、怯えがある。
 ーー少し、距離が近かったようだ。
 獣種の異性。
 「魅了」を具えて生まれてきたが故の、根源的な恐怖。
 こんな短期間で克服など、できるはずがない。
 二人は、居館で、同性である兎人メソルチーナとも、距離を取っていた。
 兎人ネーラは、勘が鋭い。
 同性の美人など、ネーラの大好物だが、二人に飛びつくようなことはしなかった。
 ボルネアが、オルタンスに寄り添う。
 ーーベルニナ。
 ふと、彼女の姿が、思い浮かんだ。
 ベルニナは、独りだった。
 どんな事情があってーー。
「キャイ~ンっ!?」
 もう、終わったようだ。
 人犬が、気絶していた。
「はぁ。ジョミニには、良い薬になった。わからせてやってもらえて、感謝する」
「あー、時間が押しているので、彼のことは任せーー、ん?」
 まじまじと、豚人を凝視してしまった。
「どうか、したか?」
「あ、と、何というか、物凄く、男前?」
 全然、言葉が足りなかったが、豚人は、理解してくれたようだ。
「ほう。獣種でも、気づく者は少ないというのに、人種アオスタで見分けるとは、さすが魔雄殿だ」
 豚人が言うように、一目で見取るのは難しい。
 幻想団には、豚種はいなかったから、気づくのが遅れた。
 恐らく、豚種の、顔の造形が、何らかの影響を及ぼしているとは思うのだが、はっきりとはわからない。
「他種から好かれ易いのは、竜種や犬種だ。兎種は、別格、というか、別枠。逆に、好かれ難いのが、豚種や鼠種だ。鼠種は、一部から、熱狂的に好かれることがあるのだが、豚種は、まんべんなく嫌われーーもとい、誤解される」
「よく見ると、本当に、美形だよな。同種からは、持てるんじゃないか?」
「ふぅ。事実だから言うが、何もしなくても、豚種の女が寄ってくる。それだけでなく、カステル様の直属という、有望株。それなりの家の三男坊とあって、家格が上の有力な三家で、取り合いになっている」
 嘘は、言っていない。
 事実だけを、語っているようだ。
 淡々とした、口調が気になり、急いでいるというのに、我慢できない俺の口は、好奇心かんみ抑え切れずあじわいたくて、緩んでしまった。
「政略結婚みたいなことになっているようだが、それで良いのか?」
「魔雄殿なら知っているだろうが、獣種には、それぞれに、特性やら特徴やらがある。豚種の男で、一人の女を愛する者は、稀だ。結婚する際、『愛人は五人まで』といった条件がつく。人材というのは、中々、集まらない。ミュスタイアのようにはいかない」
「愛人に子を産ませて、優秀な家人を確保したいということか?」
「うむ。カステル様にお仕えするのは、光栄なことだが、私にとっては、豚種としての誇りのほうが重い。豚種に裨益するのであれば、残念だが、職を辞すことになる」
「ーーっ」
 と、いけないいけない、聞き入ってしまった。
 彼と、もっと話をしたいが、ここらが潮時だろう。
「ーー魔雄殿」
 頭を下げ、馬車に向かおうとしたところで、呼び止められる。
 振り返ると、正面から、見詰められる。
「魔雄殿は、不思議な方だ。豚種わたしを、そのような目で見る方には、初めて会った。ーー惚れてしまいそうだ」
「っ!?」
「ふっ。冗談だ。最後に一つだけ、気が変わったので、言っておこうと思っただけだ」
 ーー格好良い。
 素直に、思ってしまった。
 振る舞いは、洗練されているし、気骨のある豚種。
 恋愛観というか結婚観は、相容れないが、それは種としての価値観の相違に過ぎない。
 アルとは、違った、魅力を持つ豚人おとこっぷり
 俺の、未来の姿と重ねてみると、ーーネーラが大笑いしている姿が、脳裏に浮かんできてしまったので、頭から兎さんもふもふを追い出し、彼の言葉に耳を傾けることにする。
「先程、ジョミニが、示達、と言ったが、ある意味、カステル様の公認となった」
「……何の話だ?」
「魔雄殿の、噂だ。カステル様は、いまいち、御自身の影響力といったものを、理解しておられない。すでに、ミュスタイアの外まで、拡がっている。今、火に油を注ぐよけいなことをすると、取り返しのつかないことになる。それは、魔雄殿の、望むところではないと思うがーー」
「アル。ちょっと来い」
 手招きする。
 子犬のように、アルは、パタパタと駆けてくる。
「む? 何だ?」
 俺は前で、アルは後ろからだ。
「お礼だ。受け取ってくれ」
 「撫師ナデストロ」と「撫師ナデスター」の共演。
「むぅ!? 何だっ、この、抗い難い心地好さは!? 人種の癖に、どこまでっ、手慣れているのだ!!」
 幾つか、理由はある。
 感謝の気持ちが、十の内の、二。
 あまりにも豚人が格好良すぎるので、男としての嫉妬が、一。
 残りの、七は、未だ機嫌が直っていない、アルへの、慰み者いけにえだ。
「……くっ。このような辱めを受けるとは……。だが、この満たされたような、充足感は、何なのだ……」
 体から力が抜けた、豚人は、がくりと崩れ落ち、四つん這いになる。
 ーー彼は、俺を、認めてくれた。
 夢。
 そんなものは、俺には、ないはずだ。
 なのに、おぼろげな、それに手を伸ばそうと。
 獣種と人種の、距離を、無くしてしまいたかった。
「あー、すまない」
 そんな、よくわからないもののために。
 彼を、利用する形になってしまったので、謝っておく。
「ーーーー」
 ちらと、二人を見る。
 十の内に、含んではいないが、ボルネアとオルタンスに、向けたものでもある。
 馬鹿ザンクトと男三人おかしなアオスタたちの姿を見せたので、少しは、異性への恐怖が薄れたーーはず。
「はぁ。よくわからないが、これは、貸しだ。私の子が生まれたら、抱きなでに来い」
 最後まで格好良い、豚人だった。
「はい。では、出発します」
 今回も、馭者は、アルが買って出てくれる。
「うわ……」
 幻想団のものとは、別物だ。
 フワフワで、座り心地が好すぎるので、逆に、落ち着かない。
 兎にも角にも、アルの機嫌が直ったようなので、疑問に思っていたことを、聞いてみる。
「『魔法の手引書』だが、ジョミニさんに上げて良かったのか? 絶雄様の管理下にある内は、大丈夫だと思うが」
 嘗て、絶雄に宛てた、魔雄の手紙が盗まれたように、手引書も紛失するかもしれない。
 それだけでなく、手引書の価値は、大陸ルツェルンの発展にまで影響を与えてしまうくらいの、絶大なものだ。
 存在しているだけで、厄介な代物だ。
「ああ、言っていませんでしたね。僕は、ラクンさんと逢って、人には、無限の可能性があるということを、知りました。ですので、世界に、『魔法の手引書』を大量に、ばら撒きました」
「……本音は?」
「『ハビヒ』が死んでから、八百九十年経ちました。なのに、魔法がまったく発展していません。この世界に、影響を与えるようなことは、控えようと思っていましたが、ーーやっぱり、やめました」
 魔雄アルは、子供っぽいと、何度も思ってきたが、これはーー。
 駄目だ。
 改めて実感する。
 「アル」を、「ハビヒ」を野放しにするのは、絶対に、駄目だ。
「ですが、ばら撒いた者の、義務として、回収できるようには、しておきました。他にも、表紙の文字を、古代期の文字にしたり、魔力を籠めないと読めなかったりと、資格が求められるものにしてあります」
 アルのことだから、そこら辺は抜かりがないーーと信じたい。
「ラクンさん。馭者、代わって下さい」
「それは構わないが、どうした?」
 手引書のことで、追及を避けるためかと思ったが、違うらしい。
 感情の薄い、アルの表情。
 何度か、見てきた。
 人種のーー恐らく、ベルニナに関することだ。
 アルにとって大切なものではない、人種に係わること。
 手引書のことは、一旦、頭の端に寄せておく。
「ラクンさんは、ベルニナさんを助ける。ーーそれで、間違いありませんか?」
「俺に、その力がないことは知っている。件の、魔法使いをどうにかして、ベルニナを救わせるーーくらいのことしか、思い浮かばない。それでも、助けるかかわると、ーー決めた」
 アルなら、助けられる。
 だが、俺は、知っている。
 俺が動かなければ、アルは、一欠けらの感情も抱かず、ベルニナを見捨てる。
 アルを、気に入り、それから、好きになり。
 俺の我が儘で、係わらせたいと、願った。
 今は、前を歩いている。
 ーーいつか、隣で、同じ景色を見たいと、思ってしまった。
 些細な。
 ひとつひとつ、積み重なり、もう、本当の答えが、見えなくなっている。
 だが、それで良い。
 人とは、そういうものだ。
 大切なもの、捨てたいもの、愛しいもの、吐き出したいもの、つかみ取りたいものーー。
 たくさんのものを抱え、それでも前に向かい、歩いている。
「これから、僕は、魔法陣を描きます。時間が掛かります。魔法陣を発動するには、ボルネアとオルタンスの、全魔力量が必要です。それを使う機会があるかどうかは、ラクンさん次第です」
 優しい、アル。
 容赦のない、アル。
 悪戯小僧の、アル。
 どれもこれもーー。
 大き過ぎ、見えないもの。
「ラクン。言うまでもないけど、あたしは、ラクンよりも、アル様を選ぶわ」
「そう。私たちの意思で、アル様に寄り添う」
「ーー十分だ」
 アルを通してでも、俺を見てくれるのなら。
 俺はーー。
「そういうわけで、あとは、ラクンさん次第ですね。期待しています」
「ーーは?」
 ーーアルの、可愛い笑顔たくらんだかお
 振り返らなければ良かったと、俺は、後悔したのだった。




す「ですわ」
豚「この角の生えた子供は、どこから迷い込んだのだ?」
ジ「先程、『ちょろ火が出たから、義務のようなものですわ』と言っていました」
豚「それよりも、補足だ」
ジ「何か、ありましたか?」
豚「よく見ろ、ジョミニ。豚、と書いてあるだろう、豚、と」
ジ「は? 何のことを言っているのですか、先輩?」
豚「もう良い。風結を直接、締め上げてくる」
す「ますわ」
ジ「お帰りなさい、先輩。名前、決まりましたか?」
ヴ「もう、普通に呼べ、ジョミニ」
ジ「はい。ヴァルトさん」
ヴ「このままだと、二十万字、いきそうだ」
ジ「余計なことばかり、書いていたから、仕方がありません」
ヴ「いつもの、風結ということだ」
ジ「ほら、夜になるから、早く帰りなさびぃいいぃっっ!?」
す「『氷絶』」
ヴ「どうして、そう、迂闊なのだ。カステル様と同じくらい強い者の頭を撫でようとするとは」
す「ひゃふ。わかるのですわ?」
ヴ「それはもちろろろろろぉおおぉっっ!?」
す「『雪降』」
ヴジ「…………」
す「わかってないですわ。あの娘より弱いなんて、言ってくれるですわ」
ヴジ「…………」
す「次、来るとしたら、風っころでしょうから、謎空間の亀裂を、きちんと塞いでおきますわ」
ヴジ「…………」
す「『治癒』」
ジ「……あれ? ヴァルトさん。今、誰か、いませんでしたか?」
ヴ「どうした、ジョミニ? 仕事中だ。寝惚けるのも程々にしておけ」
ら「……ぴゅ?」
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